建設部材のSCMプラットフォームとは何か
BALLASが手がけるのは、建物の一部に使われる建設部材を調達・設計できるプラットフォームです。
顧客は専門工事業会社、いわゆるサブコンと呼ばれる方々で、受注側は金属加工工場、いわゆる町工場です。BALLASはこの両者をデジタルでつなぎます。
建設業界は元請け、一次請け、二次請けと続く多重請負構造になっています。木村さんによれば、五十請けくらいまであることもあるそうです。
扱う部材は金属系で、その中でも特注と規格品に分かれます。BALLASは基本的に特注のみを扱っています。
なぜ特注から始めたのか。その理由は、木村さんの人生と事業戦略の両方に深く関わっていきます。
設計士の父と、ものづくりの街で育った少年時代
木村さんは愛知県豊橋市の出身で、男兄弟の弟として四人家族で育ちました。今の事業につながる大きな要素が、設計士だった父親の存在です。
父はハウスメーカーに勤めるサラリーマンで、住宅系の設計を手がけていました。木村さんが小学校に上がるタイミングで引っ越した家は、まさに父が設計して建てた家だったといいます。
父はよく現場に行き、木村さんも同行することがありました。職人さんによくしてもらった記憶が強く残っているそうです。
ただ、父と同じ道を選ぶことはありませんでした。
父親と同じことをしても面白くないなとは思っておりまして。設計というところにはすごく興味を持ちましたけど、もう少し違う角度で、建設業界に貢献できたらなという考え方を持っていました。
豊橋はトヨタ系列の会社が多い、ものづくりの街でした。今の仕入れ先にあたる金属加工工場が多い土地で育ったことも、少なからず影響しているかもしれません。
野球とバイオリン、そして「何者か」を問い続けた学生時代
木村さんは小学校から高校まで野球を続け、三歳からはバイオリンも習っていました。ただ、どちらも「好きだった」とは言い切りません。
結論、どっちも好きじゃなかったなと思っているんですけど、好きじゃないの角度が少し異なっていて。バイオリンってものすごく高尚なもので、なかなか私の稚拙な琴線には触れなかったんです。
小学校時代はキャッチャーでキャプテンを務め、ピッチャーが打たれても全部自分の責任と監督に怒られる、そんな環境でした。好きという感覚を超えて、責任感でやっていたと振り返ります。
中学に進むと、通った公立校には野球部がなく、三年間野球から離れます。バイオリンも反抗期のなかで中学二年生でやめました。
打ち込むものがなかった中学時代。しかし、そこで木村さんは内省を深めていきます。
中学時代は本当にぼやぼやしていて、何にも打ち込んだものがなかったなと振り返って思うんですけど。自分ってそういう打ち込める人間じゃないのかなとか、人生ってどう生きていったらいいんだろうとか、哲学チックなことは本を読みながら考えていました。
高校では、やることがなくて野球部に入り直します。三年間のブランクを埋め、少しずつ存在感を発揮できるようになった頃、また辞めてしまいました。
バイオリンでも野球でも、木村さんは常に「自分はこの道でプロになれるのか」を問い続けていました。
自分はこの道でプロになっていけるような人間で、プロの中でも一級の人間になれるのか。そうじゃないなと思ったんです。その中でやっていても、本当に自分が一生懸命できるのかなという迷いがあって、辞めました。
一方で、現代社会という教科だけはすごく好きだったと言います。戦後の社会がどう動いているのか、選挙制度はどうなっているのか。田舎にいて見えにくかった大人の世界を知る、ひとつのツールだったそうです。
そこには、閉塞感を感じていた思春期特有の「世界を見たい」という気持ちがあったのかもしれません。
和敬塾の洗礼と、共同創業者との出会い
大学は豊橋から東京へ。青山学院大学の法学部に進み、刑事訴訟法ゼミに所属しました。
上京にあたって入ったのは、都内の大学生なら誰でも入れる寮でした。兄も入っていた和敬塾です。
この寮は、癖が強いことでも知られていました。新入生を歓迎する新歓期がなんと一ヶ月あり、まず「爆声での自己紹介」を会得する必要があったといいます。
自分で何を言っているかわからなくなるくらいの、鼓膜が破れるとかのレベルではない爆声。自分が一番出せる声で自己紹介をするというのを、まず初日に十二時間くらい立ちながら全員でやるんです。
会得した自己紹介を持って、東西南北乾に分かれた寮の先輩全員の部屋を回り、一時間から二時間ほど話すお部屋回りという行事もありました。木村さんのいた東寮だけで百人弱いたそうです。
新歓期で半分の人がいなくなるなか、木村さんは残りました。野球部で培った、言われたことをただやってみる姿勢が生きたのかもしれません。
そして、この寮での出会いが後の起業につながります。
なんだかんだ言いながら、実はBALLASの共同創業者は、そこでの同期の人間なんです。
耐え抜いたからこそ、生まれた縁でした。
大学時代のインターンで叩き込まれた営業の基礎
大学では、相模原キャンパスで友人と自ら野球サークルを立ち上げました。運営は友人に任せ、木村さん自身は飲み会担当だったと笑います。
寮で先輩の就活を間近に見ていた木村さんは、三年生になる頃には就活を意識し、半年から一年ほど長期インターンに取り組みます。少人数で複数の事業を手がける、商社のような会社でした。
そこで木村さんは、社会人の基礎を徹底的に叩き込まれます。有名な方のご子息である社長のもと、ゴリゴリの営業を経験しました。
いわゆるテレアポですね。それを私はやらせていただいて、一日二百件くらいかけて。一日四、五件取れたらすごく御の字だという、そんなやり方をしていました。
当時はシステムで自動架電するわけでもなく、電話帳の上からなめて千件引きしていたそうです。一件一件、良かった点と悪かった点を手書きのノートに残し、次に生かしていました。
双日での七年間と、建設業界への回帰
新卒で入社したのは双日株式会社。木村さんは、寮とインターンの話を魅力的に語れたことが決め手だったと振り返ります。
双日には七年間在籍しました。金属資源本部で、鉄鉱石や石炭といった材料から金属製品まで、製品寄りの事業を担当します。
2019年には海外へ赴任しますが、ちょうど一年でコロナ禍となり帰国します。本来なら三年から五年の赴任だったといいます。
その後、2021年に双日を退職。次に選んだのは、製造業のプラットフォームを手がける株式会社カタラクシーでした。
なぜ商社からスタートアップへ移ったのか。そこには、双日時代から抱えていた明確な問題意識がありました。
製造業や建設業でどういうペインがあるのかは理解していた。一方で同時に理解していたのは、仕入れ先さん側、いわゆる金属加工の工場さん、町工場さんのペインです。この需給ギャップをつなげていかないと、社会として良くなっていかないなと、当時からずっと思っていました。
カタラクシーは製造業のなかで一部建設にも関わっていました。しかし木村さんは、建設業と製造業を一社のスタートアップで両立させるのは合理的でないと判断します。
そして、自分でやったほうがいいと決断しました。当時、建設部材を直接トランザクションで取引する会社はどこにもなかったからです。
BALLAS創業と、特注を標準化する独自戦略
BALLASは三名での共同創業です。大学時代の寮の友人と、カタラクシー時代の仕入れ先だった大川板金の跡取りの大川さん、そして木村さんです。
仕入れ先や顧客のネットワークがあったため、オペレーションとプロダクト開発をデイワンから同時に走らせました。当初は受発注ができる最低限の機能から始めています。
シードやシリーズAで大きく調達できた背景には、創業当初からの高い業界解像度と、市場規模の定義に対する納得感がありました。シリーズAでは12億円を調達しています。
ただ、順調なことばかりではありませんでした。最もドツボにハマったのは、細分化された建設業界のどこに注力するかという問いです。約一年半、仮説検証を繰り返しました。
その突破口が、特注品の標準化という考え方でした。
特注をできるだけ標準化する。ただ単なる規格化ではなくて、一部カスタマイズができるような形の標準化をすべきだと考えていて。それが一年半くらい経って、どういうターゲットに当てはまるのかが見いだせたんです。そこからは一気に右肩上がりで来ました。
特注ゆえに取引コストがかさみ、俗人的に対応されてきた建設部材市場
一部カスタマイズを許容する標準化で、すぐ扱える部材からプロダクト化し急成長
なぜ標準化しにくい特注品にこだわったのか。木村さんは、時間軸を意識したと語ります。ハイブランドのディスプレイのような一品一様のものは標準化に時間がかかるため、今すぐ標準化できるものからスタートしたそうです。
建設版BOMとAIによる図面自動化
BALLASはSaaSを提供するだけでなく、建設業許可を取得し、事業者として部材の製作から納品まで手がけています。物を納品するところまでが基本形で、一部は据え付けまで対応します。
施工管理はBALLASの内製で、パートナーとなる施工会社と一緒に進めます。仕入れ先を含めると、パートナーは約200社にのぼります。
プロダクトの肝となるのが、建設版のBOMです。
BALLASは部材単位でものを扱い、一つ一つの部材を管理・可視化します。俗人的にはやられてきたものを、データとして利活用できる形にした点が特徴です。
さらに、AIの活用も進んでいます。自社の開発フローでAIをフルに使うほか、プロダクト内にもAI機能を搭載しています。特徴的なのは、設計、つまり図面を書く工程そのものです。
三次元のモデリングをまずして、それを2Dの図面に落としていくのがこの業界のワークフローなんですが、そこを一つ一つ、実はAIで自動化を始めているという状態です。
汎用的なAIでそこまでの専門性が出せるのか。木村さんは、モデル自体は汎用的なものを組み合わせつつ、自社のデータでカスタマイズしていると説明します。長年培ったデータが強みになっているのです。
シリーズB到達と、目指すミッション
今回のシリーズBに至った背景には、AからBにかけての大きな成長があります。需要側のターゲティングが固まり、データセンターや物流施設、都市圏のリニューアル需要に乗ることができました。
特注の金属部材市場は、日本国内で3.1兆円にのぼります。BALLASがメインとする設備と建築だけでも2.5兆円で、絞り込んでいるのに大きな市場が広がっています。
建設業界はあらゆる立場で人手不足が深刻なため、競合とガンガンぶつかるというより、一緒に業界を良くしていく形になっていると木村さんは言います。
今回の調達では、事業会社や金融系の投資家がメインになりました。事業のネットワーク構造を増幅させることに直接寄与できる相手と組んだ、戦略的な選択です。
BALLASが掲げるミッションは「建設業を最適化し、人々を幸せに」です。
多重請負構造で情報分断されてきたのが、外部環境が変わってペインになっている。ここをまず変えたい。それが業界の方々や、建設物を利用される一般の方々が、より幸せを享受できる社会になるとすごく素敵だなと思っています。
木村さん個人としては、社会の役に少しでも立てたと思って後悔なく死にたいと語ります。そのために建設業は一丁目一番地だと考えているそうです。
インタビューの最後、木村さんが起業して良かったかと問われると、素敵な人々に出会えて豊かな時間を過ごせていると答えました。冒頭で紹介された、父の言葉も印象的です。
日々大丈夫かと。壮絶に残っていた方がいいんじゃないかと父親は言いますけど。でも、ある種親孝行にも少しはなっているのかなと思いながら、親孝行になれるように頑張っていかないといけないなと思っています。
まとめ
設計士の父の背中を原点に、木村さんは特注品の標準化という独自の切り口で3兆円規模の建設部材市場に挑んでいます。多重請負構造による情報の分断を、BOMとAIで解きほぐし、業界全体の最適化を目指す姿が語られました。
- BALLASは建設部材の調達・設計プラットフォームで、サブコンと町工場をデジタルでつなぐ
- 設計士の父の影響と、ものづくりの街・豊橋で育った経験が建設業界へのルーツになっている
- 和敬塾での出会いが共同創業につながり、インターンや双日での経験が事業の礎になった
- 特注品を一部カスタマイズ可能な形で標準化する戦略が、急成長の突破口となった
- 特注金属部材市場は国内3.1兆円。人手不足の業界を協業しながら最適化することを目指す
