AIの入力と出力、そしてフィジカルの壁
これまでこの番組では、AIをおもに「ソフト面」から扱ってきました。とくにAIが考える部分、つまりReasoning推論のこと。AIが与えられた情報をもとに筋道を立てて答えを導くプロセスを指す。近年の生成AIで注目される能力のひとつ。に注目してきたと堀さんは振り返ります。しかしAIが考えるには、そもそも「何を入力するか」がきわめて重要になります。
いまの生成AIは、テキストだけでなく画像を投げ込んで考えさせたり、逆に画像を生成させたりと、入力と出力が多様化しています。これはLLMLarge Language Model(大規模言語モデル)の略。大量のテキストデータを学習し、文章の生成や理解を行うAIモデル。ChatGPTなどの基盤技術。の派生として発展してきたものです。そうした流れの中で、私たちはフィジカル(身体的)な部分をAIに任せ始めている、と堀さんは指摘します。
自動運転が教えてくれる「簡単そうで難しい」こと
身近な例として、堀さんは自動運転を挙げます。完全自動運転(レベル4)に至るまでには、多くの困難がありました。通常の道路なら車は車線・信号・標識を見て走れますが、人間は車線のない細い路地でも判断しながら運転できます。この人間ならではの柔軟さを機械で再現するのは、実はとても難しいのです。
さらに堀さんは、右ハンドルと左ハンドルの違いにも触れます。人間ならわずかな訓練で対応できますが、機械にとってはソフトウェアの書き換えに相当し、安全に作り上げるには相当な量のデータが必要になります。それでも、出来上がったものを見ると私たちは「簡単じゃないか」と思ってしまう、というのが落とし穴です。
堀さんは、この方針は「正しいけれど間違っている面もある」と評します。人間は視覚だけでなく、音や体性感覚、時に嗅覚まで統合して運転しています。それでもテスラは、あえて一つのデータ(カメラ映像)を深く掘り下げることで安全性を高めており、そこにすごさがあると語ります。
視覚・聴覚・体性感覚・嗅覚を統合して判断。細い路地やハンドル位置の変化にも少しの訓練で対応できる。
センサーを使わずカメラのみで処理。一つのデータを深く掘り下げることで安全を期す。
マッサージ機に見るデータ蓄積の強み
話はセラピストの技術に近づきます。田代さんは、マッサージのような技術は視覚ではなく触覚情報だけで再現できるのではと投げかけます。堀さんによれば、マッサージチェアの分野では日本が世界の最先端を走っており、ファミリー、フジ医療器、パナソニックの3社が突出しているといいます。
韓国や中国、新興メーカーも参入していますが、日本メーカーの強みは「AI以前から蓄積してきたデータ」にあります。身体の見地、揉む強さ、揉み方、足をエアーで固定して動かないようにする工夫など、長年の積み重ねが効いているのです。堀さん自身、30年来マッサージチェアを試してきた経験から、新興メーカーはこの点が弱いと感じると語ります。
蓄積データの蓄積を持ってるとこってやっぱ強いなと思います。
ここで堀さんは、マッサージには入力と出力があると整理します。強さは「出力」ですが、その強さを判断する「入力」=センシングをどうするかが難しく、しかも心地よい場所は人によって違います。そのセンシングに多くのお金がかかっているのです。
理学療法で取れるデータの現在地
セラピスト領域でハードが関わる部分について、堀さんは出力系は少ないものの、入力系には動きがあると語ります。代表例が三次元動作解析装置身体各部の動きを立体的に計測する装置。従来はマーカーを身体に貼り、赤外線カメラで追跡していた。歩行分析などに使われる。です。かつてはマーカーを付けて赤外線カメラで追う方式でしたが、今はIMU慣性計測装置(Inertial Measurement Unit)。加速度センサーやジャイロセンサーを組み合わせ、動きや姿勢を計測する小型センサー。やモーションセンサーで代替したり、マーカーレスのカメラでAIが動きを予測して追う技術も出てきています。
ただし堀さんは、30年動作解析を追ってきた立場から、簡易化は進んでいるものの、医療用レベルの細かな動きを追うアルゴリズムはまだ十分ではないと評価します。VTuberの動きを追う程度なら民間レベルで可能でも、医療の精度には届いていないのです。
筋力測定についても話は進みます。田代さんがハンドヘルドダイナモメーター手で持って使う小型の筋力測定器。押した瞬間の力を測る簡易的な機器として広く使われる。を挙げると、堀さんはこの分野も進化していないと指摘します。
堀さんは、10万〜20万円する機器が1万円ほどになって当たり前に使われるようになれば、そちらが標準化されていくのではと期待を語ります。理学療法はバイオメカニクス的に情報を追う際、筋力を筋電図で置き換えがちで、関節そのものの力=トルクをうまくデータ化できていない。そこに堀さんは「理学療法業界への批判」を込めます。
フィジカルデータを集める現場の可能性
では、どんなデータが取れれば理学療法は前進するのでしょうか。堀さんは、呼吸と心臓のデータはすでに取りやすい状態にあると指摘します。呼吸数・心拍数・筋電図・動作解析をセットで動かせれば、内科的データとバイオメカニクス的データを同時に取得できます。
たとえば心疾患の現場では心臓と呼吸のデータを取っています。そこにモーションセンサーを加えれば、その人の動きも解析でき、それが高齢者データとしてデータベース化されれば「世界中の人が欲しがるデータ」になると堀さんは語ります。
堀さんは、大規模な大学病院でなくても中規模の病院で実施でき、各都道府県で100例ずつ集めれば4700例規模のデータになると試算します。プロトコルを決めれば大規模研究にもなりうるうえ、iPhone、iPad、Apple Watch、AirPodsといった身近な機器でもデータが取れる時代になっている、というのが堀さんの見立てです。
超音波と徒手療法の揺り戻し
大規模なバイオメカニクスデータが業界を革新する一方、個人の理学療法士のレベルを上げる鍵は超音波(エコー)だと堀さんは語ります。エコーを使える人は、筋・血管・神経の動きを見ながら徒手療法を行えます。従来は皮膚の上から判断していた動きを、中を見ながら扱えるのが強みです。
堀さんの教え子は、医師と組んで神経を動かす治療に取り組んでいるといいます。神経由来の痛みは神経の動きが悪い場合が多く、超音波で神経の動きを確認しながらアプローチすると、末梢神経由来の痛みに大きな効果が出ているとのことです。
開業を考える人にとって、超音波は初期投資がそれだけで済む点も魅力です。100万円ほどで綺麗な機器が買え、画像を蓄積して自分のローカルエリアで診断基準を作っていくのは「すごくあり」だと堀さんは言います。
そして堀さんは、徒手療法の「揺り戻し」が来ると読みます。近年の理学療法業界では徒手療法を良しとしない風潮が強まりましたが、その結果、個別にちゃんと治せる人が減ってしまったという問題も生じました。世の中でもホワイトカラーの仕事がAIに置き換わる中、体を使った仕事の価値が高まるという議論と重なります。
徒手療法揺り戻しは僕は今熱いと思ってます。
堀さんは、筋を動かしているのは神経であり、神経そのものにアプローチする視点が重要だと強調します。同じ「神経をストレッチする」と言っても、実際に神経を動かしているのか筋を動かしているのか分かっていない人が多い。超音波で確認しながら処置すれば、効果が出やすいと語ります。
ビジネスモデルとしての難しさ
こうした技術を病院で使う意義について、堀さんはクリニックでは活きるものの、大きな病院では医師との連携がきわめて重要になると語ります。医師が特定の理学療法士に傾倒すると人間関係が壊れやすく、優秀な理学療法士が回復期病院で神経系のアプローチを行っても浮いてしまうことがあるといいます。
さらに急性期の病院では、整形外科はコストが安いためオペで収益を上げたいのが本音。オペをしない方向のアプローチは、収益構造の面で好かれにくいのが現実です。そのため、クリニックや自分の開業、あるいはリスクマネジメントという形でやっていくのが手っ取り早いと堀さんは述べます。
物理療法のプロトコル設定については、AIを通したデータベース化が有効だと堀さんは考えます。ショックウェーブや超音波はある程度プロトコルを決めて打っており、それがより個別化されれば効果的です。ただし病院はそうした機器を買ってくれないため、医師を説得できるだけの効果判定を出す必要があります。
堀さんは、アメリカには開業理学療法士の大きな団体があり、カルテや紹介状を連携していると紹介します。日本でも開業理学療法や整骨院をネットワーク化し、プロトコルを作って売る人が出てくれば面白いと語ります。一方で、治療方法とカルテを大規模に売ると「簡単に金儲けができる」と考える間違った人も出てくるため、扱いには注意が必要だとも釘を刺します。
初期投資が大きいこのモデルを、堀さんは「僕はやらない仕事」と率直に語ります。そこには、小規模では成立しにくいという日本全体の弱さが象徴的に表れている、というのが二人の見立てです。田代さんは、日本の良いものを海外に出し、海外で進んでいるものは取り入れていく姿勢が大切だと締めくくります。
なお番組後半では、ニューラリンクなどを題材に、より近未来的・SF的な話題へと展開していく予定です。
まとめ
今回の前半は、AIの「ソフト」から「ハード」へと視点を移し、フィジカルデータの入力と出力という切り口で理学療法の現在地を整理する回でした。自動運転やマッサージ機が示すように、人間が簡単にやっていることほど機械での再現は難しく、そこにはデータ蓄積とセンシングの壁があります。
理学療法の現場では、呼吸・心拍・筋電図・動作解析を組み合わせたデータ収集や、超音波を使った徒手療法に大きな可能性がある一方、ビジネスモデルとしての成立には医師の理解やネットワーク化といった課題が残ります。AIに考えさせるための「適切なデータ」をどう集めるか──それがセラピスト業界の可能性であり、宿題でもあるのです。
- AIが考えるには適切なデータの入力が不可欠で、社会の多くはまだアナログのため、そのデジタル変換自体が簡単ではない。
- 自動運転やマッサージ機が示すように、人間が簡単にこなす動作ほど機械での再現は難しく、日本メーカーはデータ蓄積に強みを持つ。
- 理学療法では動作解析・筋力測定・筋電図の精度がまだ課題で、呼吸・心拍と組み合わせたデータ収集に大きな可能性がある。
- 超音波を使った徒手療法は人間の技術がまだ強い領域で、徒手療法の「揺り戻し」が来ると堀さんは見ている。
- 技術のビジネス化は医師の理解や初期投資、ネットワーク化が壁となり、小規模では成立しにくい点に日本の弱さが表れている。
