AIで実行が楽になっても、実行する人は増えない?
最初の相談は、ラジオネーム篠塚コミのマネージャーさんから。「アイデアに価値はない。それを実行できて初めて価値になる」という言葉を引きつつ、AIで実行のハードルが下がるとアイデアそのものに価値が出るのか、それとも実行力が重要なままなのか、という問いです。
AIの結論は、実行のハードルが下がっても実行力は変わらず重要であり続ける、というもの。箕輪さんもけんすうさんも、これにあっさり同意します。
AIによって実行のハードルは下がっても、実行する人はぶっちゃけ変わんない気がするよね。
箕輪さんは、変わるのは実行する人のアウトプットの量だけだと話します。けんすうさんも、始められる人はますます楽に始めるけれど、アイデアだけで始めない人はどうせ始めない、と重ねます。
さらに箕輪さんは、実行する人の割合は人間の本能に近いもので、教育やツールが変わっても永遠に一定ではないか、と指摘します。
100人いた時、実行する人の割合って、どんな教育が変化しても、ツールが発展しても、永遠に変わんないですよね。
けんすうさんは身近な例として、ひろゆきさんの起業家としての実績をまとめたほうがいい、と数年前に多くの人が言っていたのに、誰もやらなかった話を挙げます。結局けんすうさん自身が今、別のポッドキャストで実行しているそうです。
「失うものがない」から動ける、緊急で動画を回す力
話は、なぜ自分たちは「やる側」でいられるのか、というテーマに移ります。箕輪さんは、やる側になれた理由を「あんまり考えないから」だと言います。
そこをやるってことに関しては脳死ですね、僕は。
たとえば佐渡島さんがAIの編集の学校を始めたとき、編集者として出来上がっているように見える箕輪さんが普通に申し込んだことに驚かれたそうです。でも本人は「1ミリでも意味があればいいか」と、通えるか意味があるかを考える前に申し込んでしまうと話します。
ただ、けんすうさんは自分にはグラデーションがあると言います。比較的すぐ動くほうだけれど、R-1に出なよと言われたらやっぱり出ない気がする、と。
そこまでのホリエモンクラスとはやっぱグラデーションありますよね、多少。
箕輪さんは、お笑いは見るのが好きだからR-1には出ないけれど、格闘技でもバンジーでも役者でも何でもやってしまうと言います。その理由をたどっていくと、「失うものがない」という感覚に行き着きます。
正確には、失うものがまったくないわけではない。箕輪さんは、失ってからの自分をずっと書いている、と言います。デマや炎上のような普通ではない出来事が来たら、それをYouTubeにしようと考えてしまう。そうすると、それは失うものではなくイベントになるのだそうです。
象徴的なのが、ヒカルさんの控室でのエピソードです。
僕、不倫バレても緊急で動画回すだけっすからね。
面白いことを言わずに謝罪しているだけでも再生数は回る。箕輪さんは、この「緊急で動画を回す」という発想が良くも悪くも自分の脳に染みついていて、失敗してもネタを探してしまう、と自嘲気味に語ります。
そして箕輪さんは、失敗しても緊急で動画を回せばいい、というメンタルに耐えられない人はやっぱり潰れてしまう、と言い切ります。失敗や恥がむしろ目的なら、実行はできる、というわけです。
その失敗と恥がむしろ目的だったら実行できますからね。
勝ってしまった挑戦は転がらない、という逆説
一方で、箕輪さんには「これはうまく転がせなかったな」という経験もあります。ポイントは、勝ちが決まっている挑戦は面白くならない、ということです。
たとえばマネーの隣の南原さんとのキックボクシングでは、6秒ほどでボコボコにして勝ったのに、誰も褒めてくれなかったそうです。
おじいちゃん殴ってるだけじゃん。
むしろ人気があったのは、20キロ重いスイス人と戦って、かなり殴られた試合のほうでした。けんすうさんも、スイス人がでかいという意外性や、スイス人の強さがイメージしづらい面白さを挙げます。
この流れからけんすうさんは、実行力を身につけるうえで有利なのは「たとえ失敗しても何かのコンテンツになる」人だ、とまとめます。
ただし、すぐに結果が出ず、コンテンツにもなりにくい挑戦は別だ、という留保もつきます。英語の講師と話す練習のようなものは、失敗してもネタにならないぶん、二人とも実行しづらいと認めます。
そういうのは俺、実行できない。
溝口勇児さんが体現する、AIが「化け物」を進化させる怖さ
アイデアより実行だと最近さらに強く感じる、という話から、AIが実行力のある人をどこまで伸ばすか、という具体例に入ります。箕輪さんが挙げたのは、BREAKING DOWNやノーボーダーの溝口勇児さんです。
元々は高卒で、気合と圧力で駆け上がってきた人。箕輪さんは以前、プレゼンのロジックに心の中で突っ込むこともあったと言いますが、今はとんでもない成長を遂げていると感じているそうです。
政治番組のノーボーダーで隣に座ったとき、溝口さんのパソコンやスマホの画面が見えたそうです。そこで箕輪さんが見たのは、知らない言葉を次々とChatGPTに入れ続ける姿でした。
ずっと知らない言葉をChatGPTに入れ続けてるんですよ。だからとんでもない進化してて。
しかも溝口さんは「なんでこれってダメなの?」という本質的な問いをChatGPTに立てるため、理由込みで、構造ごと学んでいる。箕輪さんは、これが本当に怖いと語ります。
これまで、実行力はあるけれど知識や教養が追いついていなかった人には、知識でマウントを取ることができた。でも今は、その場でChatGPTを使われてしまうと、その不利さが消えてしまう、と箕輪さんは言います。
そして、実行力の塊のような人がAIとタッグを組むと「モンスター」が生まれる、という見立てにたどり着きます。
AI時代は実行力がもう悪魔を作るぐらい強いから。モンスターと凡人になるね。
結論として二人は、AI時代はますます実行力が重要になる、と確認します。むしろ頭が良く勉強ができるという価値のほうが一瞬でトレースされてしまうため、頭のいい人が実行力を身につけるほうが大変かもしれない、とけんすうさんは付け加えます。
恥ずかしさは慣れ、そして「準備を忘れる」問題
次の相談はラジオネームシトラスさんから。AIイラストを楽しんで投稿しているものの、恥ずかしさを感じずにXでの発信を続けるにはどうしたらいいか、という質問です。
AIの結論は、心から楽しんでいる作品を堂々と発信し続けることで恥ずかしさは自然に消える、というもの。二人の答えもシンプルで、「慣れ」の一言です。
100パー慣れ。それは人前で話すことも含めね。
二人とも、昔は自己紹介や人前で話すのが本当に嫌いだったと明かします。今はどんな場面でも笑いも自虐もマウントも全パターンできる、武道館でもこのテンションで喋れる、という状態ですが、それは慣れの結果だと言います。
ここで箕輪さんは、自分でも忘れがちな事実を打ち明けます。自分は緊張しない自然体な男だと思い込んでいたけれど、幻冬舎の机を整理していたら、びっしり原稿を書いた紙が出てきたそうです。
どんなに予想外のことが起きても、この紙さえ忘れなければ60点は取れるという状況を完璧にした上で、アドリブをしようって自分に言い聞かせて臨んでたわ。
最初は誰よりも準備し、緊張もしていた。それを無限に繰り返すうちに、徐々にアドリブになっていっただけだ、というわけです。けんすうさんも、最近までプレゼン資料を作り込んでいたと共感します。
箕輪さんは、この構造の「たちの悪さ」を指摘します。練習したことを忘れて「余裕なんですよ、もともと」と言ってしまうと、それを見た人が「自分は恥ずかしがり屋だ」と思い込んでしまう、と。
サッカー部の陽キャなのにクレープ屋、変われる人間の話
恥ずかしさの話から、箕輪さん自身の過去が語られます。サッカー部の陽キャグループにいながら、学園祭では表舞台の合コン企画や一発ギャグをやりたくなくて、一人だけクレープ屋をやっていたそうです。
箕輪は一番面白いし中心だけど、表舞台には立たないっていう人だった。放送作家的な。
当時の箕輪さんは、早稲田祭のような表舞台に立つことを一番ダサいことだと思っていたと言います。本当に面白い人は、早稲田祭のときに近くのサイゼリヤでくだらないことを喋っているような人だ、と。
そんなひねくれ方をしていた自分が、今は一番編集者なのに表に出るという、昔の自分が一番嫌いな出方をしている。だからこそ箕輪さんは「人間変わりますよ、良くも悪くも」と言います。
けんすうさんも、恥ずかしさは慣れだと重ねます。自身も外国人講師と話す英会話サービスが毎回すごく嫌なのに、10回やろうと決めて続けていると、後半から慣れてくると話します。
どこまで行けたかよりも、10回やるって決めて、10回やるまではあんまり考えない方がいい。
箕輪さんは、本田圭佑さんのサッカーチームに毎日通っていた時期を「地獄だった」と振り返ります。リフティングは自分でミスして終わり、カメラも回っていないからボケにもならず、みんな嫌な顔をする。それでもなぜ続けたのか、本人もはっきりとは分からないと言います。
唯一の手がかりは、それを面白がっているメタな自分がいたこと。そしてショッピングセンターでおばあちゃんの前で歌っていた時期も、実は憂鬱だったけれど、断ると「負けた気がする」から受けていたのだそうです。
オファーが来た時に受けないと、箕輪さんって意外と恥ずかしがり屋、これ断んだって思われる。
なぜ表で怒って裏で反省するのか、リハック乱入の後悔
キャラを決めておく話から、箕輪さんは最近のリハックでの一件を持ち出します。生配信に乱入して大炎上したという出来事です。
箕輪さんによれば、リハックは映像より視聴者のコメント欄がコミュニティになっている場所。そこで嫌われると「敵」の判子を押されてしまうため、初出演のときは自分の弱いところを見せる、リハックの文脈に沿った振る舞いをしていたそうです。
その構造を理解していたのに、乱入したときは真逆のことをしてしまった、と後悔を語ります。
そんなん理解してんのに、ざけんなお前ら黙れ全員とか言って、絶対やっちゃいけないことやったんです。
ここでけんすうさんが、その心理に強く共感します。構造を理解した上で最適解を出す自分がちょっと嫌になり、誰も求めていないのに、あえて反対のことをやって後悔してしまう、という感覚です。
箕輪さんは、この「ねじれ」を自分の一貫したクセだと説明します。普通の人は表で謝って裏で悪態をつくのに、自分は逆だ、と。
普通の人間って表で謝って、裏のLINEグループでふざけんなって言ってる。俺、逆で表でふざけんなって言って、LINEグループでマジで言わなきゃよかった。
なぜこうなるのか。けんすうさんは、今はみんな表に出るのがうまいので、喧嘩も炎上も「全部わかってやってるんだろう」と見られてしまう、と指摘します。だからこそ、恥ずかしいと思っていること自体を見せたくない、という心理が働くわけです。
箕輪さんは、7〜8割の人はそこまで見ないぶん面白がってくれるが、2割の「通な人」には計算が透けて見える、と言います。
通な人にわかられる恥ずかしさみたいのありますよね。
そこまで怒っていないのに怒ったほうが盛り上がると思ってやる。それが透けて見えることこそが恥ずかしい、という共通認識で二人は笑い合い、「恥はかいて生きていきましょう」とこの相談を締めます。
AI時代の経営者は現場に入るべき?前澤友作さんの2mmの美学
最後の相談はラジオネームちくわさんから。経営者は現場に入らず仕事を人に振るべきという説と、伸びる会社はトップが現場にガンガン口を出すという説、AI時代はどちらが正しいのか、という問いです。
AIの結論は、AI時代に勝ち残るのはトップが現場に深く入り込み、AIと人の両方に細部まで指示を飛ばし続ける会社だ、というもの。箕輪さんも「俺もそう思う」と即答します。
その根拠として語られたのが、前澤友作さんの現場への異様な入り込みです。箕輪さんが一緒に本を編集したとき、前澤さんは丸を点にするといった文字の細部まで直しを入れてきたそうです。
それ完全に前澤さんの感覚なんで無理ですって。で、確かにってパソコンで全部直してて。
変更履歴を見ると朝5時まで直し続けていて、周りの人も10年ぶりにパソコンを打つ前澤さんを見た、というほどのこだわりだったそうです。
さらに象徴的なのが、千葉にある「永遠に完成しないサグラダ・ファミリア」と呼ばれる家の話です。石の位置を2mmずらしてくれと言えば、本当にクレーンで2mmずらす。京都では、同じ日本庭園を別の場所に丸ごと作り、石の配置を試してから本番に反映するのだそうです。
箕輪さんは、この徹底したこだわりこそがAI時代の鍵だと言います。効率よく大量にアウトプットを作ることは、意味のないものを量産しているだけになりかねない、と。
けんすうさんも、AIでサクッと作れるサイトは機能しても使われにくい、細部のこだわりがないと愛着が湧かない、と実感を語ります。ただし、こだわる対象を見極める力が大事だ、とも付け加えます。
そのこだわりの源泉は「どれだけものを見ているか」だと箕輪さんは言います。前澤さんは壁紙の青を30色ほど用意させ、5時間ほど見比べ、時間が経つと青がどう変化するかまで職人に尋ねるそうです。数日後にやっぱり別の色がいい、となることもある。
同じ話は、アップルのスティーブ・ジョブズにも重なります。富山の陶器の店にフライトを延ばして3日ほど通い、皿の角を丸くできないかと尋ねた。その美的感覚が、アイコンのわずかな丸みに反映されているのだそうです。
丸みがないと気持ち悪いって思った、その美的感覚がアイコンのこの若干丸いっていうのに反映されてたり。
AIはコスパを重視し、労力を低く抑えようとするため、こうはならない。だからこそ二人は、AI時代の価値の出し方を極端な二極に整理します。
コスパが合わないということが最大のコスパになるっていう時代かもしれないですね。
けんすうさんは、こだわり切った建築や作品は、会社が潰れても残るし価値が上がる、だから実は負けにくいと指摘します。中途半端なプロダクトはすべて不要で、価値は「異常なこだわり」と「限界費用ゼロの安い大量生産」の二極に分かれていく、というのが二人の見立てです。
最後に、この番組そのものにも話が及びます。古典の深井さんとのポッドキャストは40時間ほど収録し、分かりづらいと感じれば1時間半を撮り直すほどのこだわりだった。一方で御神託ラジオは一度も撮り直していない、と二人は笑います。
だからこっちの緊急で回す系か、すごくちゃんと作るか、どっちか。
まとめ
AI時代でも変わらず価値を生むのは、結局「実行する力」と「AIにはできない狂気じみたこだわり」だ、という一貫したメッセージの回でした。恥ずかしさは慣れで乗り越えられ、失敗すらコンテンツにできる人が強い、という逆説が随所に語られています。
- AIで実行のハードルが下がっても、実行する人の割合は変わらない。増えるのはアウトプットの量だけ
- 勝ちが決まった挑戦は転がらず、失敗や恥をコンテンツにできる人ほど実行しやすい
- 恥ずかしさは100%慣れ。準備を重ねた事実を忘れて「もともと余裕」と思い込むのが落とし穴
- AIは実行力のある「化け物」を加速させ、知識でマウントを取る優位性を消していく
- AI時代の価値は「異常なこだわりの外れ値」と「限界費用ゼロの大量生産」の二極に分かれる



