週5フルタイムか週4か、そもそも働く日数って何?
1本目のご神託は「週5日フルタイムか、週4日でワークライフバランスがいいほうか、どっちがいいですか?」という相談です。
神(AI)の答えは、週4日勤務に挑戦し、自分の時間と心身を満たす日を増やしなさい、というものでした。けんすうさんは「神はバランス好きですね」と笑います。
大事なのは心と体の余裕なんで、そこから出るアイデアのほうが(AI時代には価値がある)。
この答えに箕輪さんは、自分がいかに暇かを打ち明けます。ただ、暇だと言うと予定を戻されそうな相手がいるので普段は言わないのだそうです。
じゃあこの日程戻してくださいって思われる相手が結構いるんで言わないですけど、めちゃめちゃ時間あるんですよね。
明日の予定を聞かれた箕輪さんは「12時から1件打ち合わせ、あと歯医者ですね」と答え、けんすうさんに「子供みたい」とツッコまれます。忙しい日は6件入ることもありますが、基本は午前中に予定を入れないスタイルです。
そもそも箕輪さんにとって、週何日という枠組み自体がピンとこないようです。
ってか週5日フルタイムでやるような仕事ってあるんですか今。
一方けんすうさんは「あるんじゃないですか。みんなそうじゃないですか」と応じます。ここから話は、フルタイムで働く人たちは一体何をしているのか、という素朴な疑問へ広がっていきます。
週5フルタイムの人は、何をやっているのか?
箕輪さんは、パソコンを持たずにけんすうさんからもらったiPadだけで仕事をしていると明かします。ガジェット雑誌に呼ばれてiPadを紹介し、逆にビビられたというエピソードも披露します。
モノマガジンみたいなガジェットを紹介する雑誌に呼ばれてiPad紹介してビビられました。いや、これ今更みたいな。
箕輪さんが本気で知りたいのは、9時5時でパソコンに向かっている人が何をやっているのか、ということです。これに対してけんすうさんは、意見の「調整」が多いのではと答えます。
組織で、例えば10人でこの本作ろうって言った時に、いやでもこの出版社いけるんすかみたいな話で6時間ぐらい話して、なんか納得いってないやつ2人ぐらいいて、どうする?みたいになるとかで時間かかる。
箕輪さん自身は、打ち合わせで「ダメな理由あります?」「どうやって解決できますか?」と聞いて即座に片づけてしまうタイプ。かつては堀江貴文さんの仕事のやり方を「嫌なやり方」だと思っていたのに、いつの間にか自分も同じになっていたと振り返ります。
けんすうさんは、こうした調整や納得感づくりにかかっていた時間が、AIによって不要になりつつあると指摘します。
人の納得感が結構重要で、納得感持ってもらわないとできない仕事がたくさんあったが、AIによってそこがいらなくなると、そこ調整してた時間が全部仕事に使えるみたいな。
これまでマネージャーが担っていた調整業務が一人分に集約され、生産性が10倍になるようなことが実際に起こっている、というのがけんすうさんの見立てです。
DMで一瞬、企画書なし。箕輪さんの仕事の進め方
話は、9時5時でパソコンに向かう人が具体的に何をしているのか、という点に戻ります。けんすうさんは、メールや連絡、資料作成、文章を書くことなどを挙げます。
たとえば出版社の人なら、企画書を作って送り、日程を調整し、打ち合わせで1時間ディスカッションして、企画書を作り直す、という流れです。これに対して箕輪さんの進め方は対照的でした。
俺でもDMとかですもん。会ったことなくても、ぜひって言ったら、じゃあ何月何日ここで飲んでるんでみたいな。
打ち合わせの時間を取らず、「今日ここで飲んでるんで、話したいことある人は来てください」というスタイルなら、その場は5分で終わります。ただし、けんすうさんはこれが誰にでもできるわけではないと釘を刺します。
箕輪さんと本の打ち合わせした時に、やっぱり企画書なんてなかったですもんね。多分1、2行ぐらいでこんな感じって来て、じゃあ書いてくださいって送って、(原稿が来たら)5章分かりづらいんで書き直してくださいみたいな感じでやってたんで、早かったですね。
一方でけんすうさんは、自分では資料をめちゃくちゃ作ると話します。プレゼン用や、お客さんに見せる商材の資料などです。箕輪さんは「資料作る時間がないからこんな暇なのか」と笑います。
さらにけんすうさんは、箕輪さんの強みは組み合わせのうまさにあると分析します。
箕輪さんの場合、ディスカッションするっていうのを、こういうYouTubeとかポッドキャストで録って、それ自体も商材になるし、話も進んでるみたいな。組み合わせがうまいんですよね。
打ち合わせを配信してお金をもらうようなことは、普通の人にはできない。だからこそ、箕輪さんはどんどん暇になっていくのだ、という結論に落ち着きます。
仕事で大事にしている「余白」という考え方
ここで箕輪さんは、自分が本当に大事にしているものについて語ります。それが「余白」です。
大事にしてるのは本当に余白で、心の余白と時間の余白で、この急に飛び込んできた案件とか、急に行きたい場所とか、会いたい人とか、スケジュールが埋まってるからできないっていうのが一番ストレスなんですよ。
どうしてもの場合は予定を外すこともありますが、基本は「空いている」状態にしておく。けんすうさんはこれを、前回話に出た「身軽な人がいい」という話とつなげます。
心身ともに身軽で余裕がないと、新しいチャンスにも飛びつけない、というわけです。そうなると神の「週4日」も、箕輪さんからすればまだ長すぎることになります。
だから働くっていうことがないですからね。週何日とか意味がわかんないもん。
ただし、これは仕事をしていないという意味ではありません。箕輪さんは自分のミッションを「書くこと、喋ること、企画することで娯楽を作る」ことだと定義しています。
書くこと、喋ること、企画することだと常に当てはまってるんですよ。なんか落ち葉を見てても、企画することにつながるかもしれないじゃないですか。
Twitterをやるのも書くこと、居酒屋で喋るのも喋ること。つまり、本を出すというわかりやすいアウトプット以外も、この3つのどれかをやっていればすべて仕事になる、という考え方です。だからこそ、いつでも仕事をしているとも言えるのです。
1つのキャリアか副業か。時間を注ぐべき仕事とは
次のご神託は「1つのキャリアがいいか、副業がいいか」。神の答えは「副業を始めて新たな可能性を切り開きなさい」でした。
けんすうさんが「1つの会社に集中してキャリアアップを狙うほうがいいという考えも一般的にありますよね」と投げかけると、箕輪さんは「そんな仕事あります?今」と返します。
ここで2人は、1つのことに時間を注ぐべき仕事とは何かを考えます。けんすうさんが挙げたのは、副業で別のことをやるイメージがわかない職業です。
趣味で脳外科もやってんすよとはならないじゃないですか。
歯医者、寿司屋、相撲、サッカー選手のような、技巧や肉体を軸に食べていく職業は、時間を1つに注ぎ込むほど技術が上がり、価値が上がります。箕輪さんはこれを「時間資本を人的資本に変える」という言葉で整理します。
一方で、多くの仕事にはある「踊り場」が来る、と箕輪さんは言います。1つのことに時間を注ぎ続けても、成長の伸び幅がだんだん小さくなっていく地点のことです。
時間資本を人的資本に一個に注ぎまくることが逆に成長率を阻害し始める踊り場が来る。
箕輪さんの場合、編集技術だけを磨き続けても、社会的な影響力を大きくするという目標には届きません。最初は毎日1メートル伸びていたものが、どこかで1ミリしか伸びなくなる。その先は、別の柱と掛け算したほうが成長率が跳ね上がる、という考えです。
歯医者、寿司屋、相撲、サッカー選手など。時間を注ぎ込むほど技術が上がり、お客さんが喜んで価値が上がる
1つの技術を磨き続けると成長の伸びが鈍る踊り場が来る。柱を1本作った後は別分野と掛け算したほうが成長率が上がる
なぜ箕輪さんはYouTubeを始めたのか
この「掛け算」の考え方を、けんすうさんは箕輪さん自身の歩みと重ねます。
箕輪さんがずっと編集技術だけ磨いてても、今のような本の売れ方しないですもんね。
XやYouTubeで知名度を上げ、飲み会に行って面白い人と出会う。そうした掛け算があったからこそ、本の売れ方が変わったというわけです。箕輪さんは、YouTubeを始めた判断が生き残りに直結したと振り返ります。
YouTube、いや一応やっとこうって思って、時間をそこに切り替えられたから今まで生き残ってるっていう。
もしXだけで勝負を続けていたら、自分のスタイルでは「オワコンになっていた」とまで言います。
ただし、掛け算なら何でもいいわけではありません。箕輪さんは、時間を切り売りするだけの副業には否定的です。
週末3時間吉野家でバイトするとかはまた違う。あんま意味ないと思うんだよね。それだったら、その時間はまだまだ自分の本業に注ぎ込んで本業の幹を太くしたほうがいい。
けんすうさんは、この違いを「時間を投資してもスキルが上がらない、もしくはスキルが上がってもアウトプットの価値が上がらない」ことだと言い換えます。
「無価値化」が怖い。AIで消える仕事と残る仕事
話はAIによる「無価値化」へと進みます。けんすうさんは、自分が得意だと思っていた議事録やマニュアル作成が、今ではほぼAIで済むようになったと打ち明けます。
僕あの議事録とかマニュアル書くの得意だと思ってたんですけど、今ほぼAIが書いてちょっと調整するだけでいいので、ほぼ無価値化した感じ。
この「無価値化」は、けんすうさんの実感では月に1回くらいのペースで起きているそうです。箕輪さんは、これがハイテクノロジーの分野だから起こるのだと説明します。
ルンバはルンババージョン3が出たらルンバ2は誰も買わなくなるようなもんで。ただ、ほうきぐらいアナログだとルンバがどんなバージョンアップしてもほうきはほうきで使える。
この例えに沿えば、紙の編集作業のようなアナログな仕事は無価値化しにくい、ということになります。市場が小さく新規参入も少ないため、いわば「伝統芸能」として残っているというのが箕輪さんの見方です。
その象徴が、赤字でも雑誌をやめられない出版社の話です。
一回やめたらその技術がもう二度と手に入らないから。
箕輪さんは「世界から消える」と受けます。ファッション誌の色校正など、細かい職人技の世界がいかに守られているか、という論点が2人には面白く映ったようです。
議事録・マニュアル作成など。AIの進化のたびに価値が更新され、「無価値化」が繰り返し起きやすい
紙の編集や色校正など。市場が小さく新規参入も少ないため「伝統芸能」として残りやすい
レゴと雑誌に学ぶ「情報以上の価値」
けんすうさんは、この文脈でレゴの話を持ち出します。ビデオゲームの登場でレゴの価値が下がり、経営危機に陥ったときのエピソードです。
レゴ側は自社の価値を「クリエイティビティが発揮できること」だと思っていましたが、子供へのユーザーインタビューで真の価値が別にあると気づきます。
(子供にとっては)難しいことができるから楽しいっていうことに気づいて。なので最近全部キットじゃないですか。これが作れますって。したらめっちゃ業績伸びた。
けんすうさんは、これを雑誌にも重ねます。「雑誌は情報だからインターネットでいい、潰そう」と考えていたら危なかった、というのです。
紙って多分そのファッション情報を知りたい以上の何らかの価値がお客さんにあるから残したほうがいいって感じなんだろうなと思いました。
雑誌の価値を「情報」だと思い込むと、ネット移行でつまずく。情報以上の何かを見極めることが大事だ、という話です。ここで箕輪さんは、広告を排除してDIYなどの実用情報だけを載せる、ある雑誌を思い出します。
箕輪さんが構想として語ったのは、東出昌大さんや川辺さんのような狩猟にハマる人に登場してもらいつつ、内容は徹底して実用に振り切る本です。銃の引き方、鹿のさばき方、毒キノコの見分け方といった具合です。
狩猟生活とかに憧れはあるけど、できてない人にはバイブル的な本になるんじゃないかな。
情報だけでなく世界観そのものを届ける。それが、宗教的とも言える人気につながるのではないか、という発想です。
箕輪さんの中心スキルは「三角形」だった
けんすうさんは、箕輪さんの中心スキルが本当に「紙の編集」なのかと問いかけます。箕輪さんは、それは違うと即答します。
僕はやっぱ書くこと、喋ること、企画することの合わせ技だと思う。
書ける、喋れる、企画できるという3つの三角形を持つ人は意外と少なく、この3つがそろうと、たいていのコンテンツに、しかも上流から関われる、というのが箕輪さんの分析です。
ライティングしかできないと下流になりがちですが、3つそろえば「動画でどうプロモーションするか」「どんなイベントをするか」まで手が届きます。
箕輪さんは、この3つは小学校の頃から一貫していたと振り返ります。作文を褒められ、居酒屋で喋り、面白いことをやろうと企画してきた。自分はそれしかやっていないと気づいたのだそうです。
格闘技の試合に出たのも、箕輪さんにとっては企画の一つでした。
素人がリアリティショーをやるっていうことが、やっぱり今の時代一番引きつけるよねっていう企画です。自分を題材にした。
こうした自分の核を言葉にしておくと、何屋さんかわからずアイデンティティを見失いそうなときに、「これは自分のこのポケットに入る」と整理できて楽になる、と箕輪さんは話します。
職種ではなく「特技」で自分を規定する
けんすうさんは、Webプロデューサーのような一般的な職種の人が「自分が何屋さんかわからない」と悩みがちだと指摘します。これに対し箕輪さんは、職種で自分を規定してはいけないと断言します。
職種では絶対やっちゃいけないって僕思いました。
職種は今の時代の人が都合よく決めているだけで、その中身は日々変わり続けるからです。書籍編集者の仕事も、かつては紙のゲラに赤を入れて印刷所に回すものでしたが、今ではSNSや動画まで求められるようになりました。
だから、自分を規定するなら職種ではなく「特技」だ、というのが箕輪さんの持論です。自分を規定するなら、職種ではなく特技という考え方は、変化の速い時代の指針になりそうです。
この流れで箕輪さんは、けんすうさんの特技を「常に仮説検証を繰り返しているオタク」だと表現します。ここで箕輪さんに電話が入り、収録は一時中断します。
電話も配信のうち。むき出しの仕事風景
電話を終えた箕輪さんは、こうしたやり取りをそのまま流していていいと話します。
こういうのさ、ずっと流してていいからね、電話も。それが一番面白いから。
けんすうさんは、西野亮廣さんのライブ配信で、スタッフへの電話がピリッとした感じになって面白かった場面を思い出します。むき出しの仕事のやり取りそのものがコンテンツになる、という感覚です。
これは、第3章で語られた「打ち合わせを配信して商材にする」という箕輪さんのスタイルと地続きの話でもあります。仕事の過程を隠さず見せることが、そのまま面白さになっているわけです。
人間関係か仕事の内容か。神の答えは「内容」
次のご神託は「仕事の人間関係を重視するか、仕事の内容を重視するか」。神の答えは「仕事の内容を重視しなさい」でした。
けんすうさんはこの質問の背景を、居心地のいい職場だけれど仕事内容に物足りなさを感じ、転職を迷っている状況だと読み解きます。箕輪さんの答えは明快です。
話す必要もないね、そんなの。人間関係がいいからって仕事の内容つまんないけど残ろうなんて。
一方で箕輪さんは、大学のサークルなら話が変わると持ち出します。最悪な人間しかいない好きなフットサルサークルと、興味はないけど楽しい友達がいるバドミントンサークルなら、後者のほうがいいのではないか、と。けんすうさんは「ダメです。内容が大事」と譲りません。
さらにけんすうさんは、人間関係を軸に選ぶことのリスクを、時間の経過という観点から指摘します。
これ今はいいんですけど、10年後全員が10歳年取っただけみたいな時に、あれ?って思う時があるし。
2人が唯一苦手な人間関係は「電話」
話は、2人が仕事の人間関係で唯一苦手なものへと移ります。それは、共有できるはずのことをわざわざ内々に電話で処理しようとするやり取りです。
明日まで締め切りですって言われて、じゃあ明日までにやればいいかなっていうリマインドを今日電話でしてくるみたいな。ちょっとコミュニケーションのプロトコル違うなみたいなのは嫌だなと思いますね。
箕輪さんも、唯一嫌なのは電話のタイミングだと同意します。グループで共有するために聞いていることに、わざわざ個別に電話をかけてくるのが苦手なのだそうです。
2人が挙げたのは、事実だけを知りたいのに、感情や人間ドラマに引き戻されるパターンです。
俺らは是々非々というか、もうその人を責めることはないから、事実だけ教えてくれって思うのに。
仕事の進み具合を確認したいだけなのに、そこに言い訳や湿度を持ち込まれるのがつらい、という感覚を2人は共有します。
なぜ芸能・テレビ業界は電話文化なのか
箕輪さんは、この電話文化が特に強いのが芸能プロダクションやテレビ局だと語ります。文面に残せないことを良しとする文化があるからです。
芸能とかって文面に起こせないことを良しとする文化なんですよね。
たとえば力のあるプロダクションの社長が「この番組にこの芸能人を出してくれ」と言っても、文章に残すと圧力めいた交渉になってしまう。だから間の人間が電話で「◯◯さんもプッシュしてますんで」とふわっと伝える、という構図です。
受け取る側も、はっきり書かれるより「阿吽の呼吸」でふわっと理解して処理するほうが都合がいい。証拠が残ると貸し借りになってしまうため、あえて曖昧にしておくのだ、と箕輪さんは説明します。
同じことは広告をめぐるやり取りでも起きると言います。たとえば週刊誌が広告主の不祥事を報じようとするとき、電話で問い合わせが入る場面です。
記事できたら、止めるとかじゃないんで確認させてもらえると、ぐらい(は言う)。そうすると広告部のやつが気を使って、今電通からサントリーの件で電話あったよって言う。
けんすうさんは、こうした曖昧さを最近は「ちゃんと証拠や契約書を残したほうがいい」と考える人が多いだろうと補足しつつ、実際には残さないほうがスムーズな世界があると認めます。契約書にすると、かえって双方が損をすることもあるからです。
内容で突き抜ければ、いい人間関係は後からついてくる
話は、最初のご神託「仕事の内容を重視しなさい」に戻ります。箕輪さんは、極論として仕事のステージが上がれば人間関係にも恵まれると語ります。
自分が向き合ってる仕事のステージが上がんないと、人間関係も、言い方悪いけど低いです。腐ってます。それはもう理です。世の真理。
けんすうさんも、居心地のいい仲間と居続けることの危うさに触れます。ずっと会社の愚痴を言って終わってしまうようなケースです。
箕輪さん自身、仕事である程度突き抜けて一番良かったのは、周りにいい人が増えたことだと言います。人の悪口を言わず、頭が良く、性格もいい人が多くなったそうです。
逆に言えば、内向きになったり言い訳っぽくなったりする人が多い場は、仕事のステージが低いということでもある。だから答えはシンプルです。内容で突き抜けて、いい人間関係は後からやってくるというのが2人の結論でした。
趣味を仕事に。AI時代に残るのは「やりすぎる仕事」
次のご神託は「趣味を仕事にするか、仕事は仕事と割り切るか」。神の答えは「趣味を仕事にしてください」でした。この回のAIは一貫してライフ重視だ、と2人は笑います。
箕輪さんは、AI時代の話にすると本当にそのとおりだと言います。ほどほどの仕事はすべて淘汰され、異常なほどやりすぎた仕事しか残らない、という見立てです。
今後ほどほどの仕事みたいなのは全部淘汰されて、やりすぎる異常値までやり過ぎて、そこまでこだわるのか、そこまで金かけるのか、そこまで時間かけるのかっていうところしか残らない。
「仕事は仕事」というテンションのものは、AIができるので「あなたは動かないでいい」と言われるものになってしまう。だからこそ、趣味を仕事にするくらいの熱量が必要だ、というわけです。
けんすうさんも、部屋の中で焚き火を作るコンセプトで6時間コースを出す店の例を挙げ、やりすぎたほうが面白いと同意します。
ジョブスが惚れた器職人の「狂ったこだわり」
箕輪さんは「やりすぎ」の具体例として、富山の山奥にあるレストランを挙げます。市街地から2時間半かかる場所なのに、異常なこだわりゆえに世界中から人が集まるといいます。
そのレボっていうレストランは本当に山奥にあって、富山市から本当2時間半とかかかって、それしかないです。ただもう異常にこだわってて、全世界からそこ目掛けて来て。
さらに箕輪さんは、スティーブ・ジョブスが惚れ込んだ日本の器職人のエピソードを紹介します。ジョブスがまだそれほど有名でなかった頃、開店の1時間前からギャラリーで器をじっと見ていたという話です。
ジョブスのこだわりは異常なほど細かく、偶然できる傷の位置や、器の土がどこで買えるかまで問い合わせてきたそうです。そして、正方形に近い器の角の丸みに徹底的にこだわりました。
それが後にこのiPhoneのアイコンのマークだったの。
箕輪さんは、こうした狂ったこだわりを持つものしか残れないと感じています。一方で、自分の本のスタイルは「今のものを本にする」ものなので、それだけならYouTubeでいいと思うところもある、と正直に打ち明けます。
やりすぎたくてもできない。だから凡人はどうするか
けんすうさんは、この話に冷静なツッコミを入れます。狂うほどハマれるものを見つけることと、それが仕事になることは、また別の問題ではないか、と。
狂うほどハマれるものを見つけるというのと、それが仕事になるかってまたあるじゃないですか。
箕輪さんも、それを見つけて仕事にできている時点で人生の勝ちだと認めます。宮崎駿さんやジョブスのように没入し続けられる人は強い。ただ、多くの人はそうはなれません。
では、箕輪さんやけんすうさんにとっての「やりすぎ」は何か。2人が挙げたのがXの投稿です。けんすうさんは、経営者からよく「Xをやりたいけどできない」と相談されると話します。
社長に2年ぐらい前に相談されて、もうすごい2時間ぐらい解説して、文面とかも考えてやって、まだ投稿してないんですよ。考えすぎちゃって。
ここで箕輪さんは、自分にとっての「やりすぎ」の意味を修正します。時間をかけて本質的なことをやることではない、というのです。
俺にとってやりすぎるとは、時間をかけて本質的なことをやるんじゃなくて、むしろもっと徒花的な、刹那的な、その瞬間だけしか価値がないようなものをやりすぎることかもしれない。
本物の職人に本質で勝とうとしても勝てない。だからこそ、いかに通俗的で下世話かを極める。「一流の三流」「一流の通俗的な人間」になることだ、という自己認識に立ち返ります。
一流の通俗を極める。ものまねでは一流になれない
箕輪さんは、リリー・フランキーさんに憧れて秋元康さんに相談したときの話を紹介します。返ってきたのは、それは無理だという言葉でした。
リリー・フランキーは絶対自分の本が何万部突破って自分で言ったりしないから。ああいうのみんな憧れるだろと。俺と箕輪は無理だよって言われて。
けんすうさんも、これに深く共感します。数字から降りると謳う本を出しながら、Amazonの順位を気にし続けてしまう批評家の例を挙げ、自分に根ざしていないことをものまねでやっても一流にはなれない、と2人はうなずき合います。
さらにけんすうさんは、自分の特技が箕輪さんの投稿をAIに読ませて意見の変化を分析するような「仮説検証を楽しむこと」だと語ります。何かにつなげたいわけではなく、結果を発表して満足するタイプだというのです。
自分が投稿しないと誰もそこに触れないまま世界終わるじゃないですか。
箕輪さんは、こうしたタイプを「真実が知りたいだけ」の研究者タイプだと整理します。自分が右だと思って進めて左だとわかっても、「左だったか」と喜べる。事業を通して大衆の心理を観察している、という自己分析です。
この番組自体が「語り口だけで成立するか」の実験
最後にけんすうさんは、この番組そのものが実験であることを明かします。
このポッドキャストもあの内容は全てAIが考えて、語り口だけで説得力を持たせられるのかっていう仮説ですもんね。
ところが今回、箕輪さんもけんすうさんもつい自分の意見を入れてしまいました。2人は、これをビジネス書を作りすぎた「弊害」だと笑い合います。山口周さんを引用したり「資本」といった言葉を使ってしまったりするのだそうです。
箕輪さんは、リハックでも他人の本を自分の本のように解説してきたと話し、もはや自分で編集する必要はないのでは、とまで言います。けんすうさんはこれを前向きに受け止めます。
箕輪さんが編集していないのに、箕輪さんが編集したと勝手にみんなが思うって状態は、すごいですよ。
次回はもう少し「語り口」に寄せて、意見をあまり入れないスタイルに挑戦しよう、という話で収録は締めくくられます。
まとめ
AI時代の働き方をテーマに、編集者の箕輪さんと起業家のけんすうさんが本音で語り合った回でした。働く日数の枠にとらわれず「余白」を大事にする姿勢から、AIで無価値化する仕事、そしてこれからは「やりすぎる仕事」しか残らないという見立てまで、2人ならではの視点が詰まっています。
- 週何日という枠より、心と時間の「余白」を確保することを箕輪さんは重視している
- 1つのことに時間を注ぐべきは技巧・肉体の仕事で、多くの仕事は柱を作った後に別分野と掛け算したほうが伸びる
- AI時代に残るのは「ほどほどの仕事」ではなく、趣味のように没入した「やりすぎる仕事」
- 自分を規定するなら、変わり続ける職種ではなく「特技」で捉えるとよい
- 仕事は人間関係より内容で選ぶ。内容で突き抜ければ、いい人間関係は後からついてくる






