大きな財布を卒業したい。二人の財布事情
番組の前半は、リスナーから届いた「この春卒業したいこと」のお便りから始まります。
ラジオネーム「クラゲのおつかい」さんは、ポイントカードや免許証まで全部入れた大きな財布を卒業して、ミニ財布に変えたいと相談。掏られたときの危険を気にしての決断だそうです。
私が財布を持ち歩かないっていうことを、この方はラジオで聞いてないかもしれないですね。
ともみんさんはほぼ携帯決済で、財布を持ち歩かないタイプ。持っている小さな財布も、カードと小銭が重ならない作りがお気に入りだそうです。
一方kaiさんは、L字型ファスナーの小さな財布を25年ほど愛用中。今使っているのは札幌刑務所の矯正品で、革は良いのに2000円ほどと安いのだとか。
革自体は大丈夫でも、ファスナーがダメになるんですよ。だから3、4年で変えますね。
二人とも、免許証や保険証はマイナンバーカードやスマホに集約する派。医療情報が病院間で共有される便利さについても盛り上がりました。
大人になった時に、医療情報って全部共有されてんじゃないの?って思ってたんですけど、また言うの?みたいな。
圏外を卒業したい。番組を伸ばすガチアドバイス
続いてのお便りは、ラジオネーム「あまがみ&りえし」さんから。自分たちの番組がランキング圏外を卒業したい、リスナー獲得が本当に難しいという相談です。
ともみんさんはこの番組のヘビーリスナーだそうで、「二人になってから面白い」と前置きしつつ、具体的なアドバイスを2つ挙げました。
1つ目は概要欄をスマートに整えること。2つ目はエピソードごとのタイトルを、内容が一目でわかるものにすることです。
推測させる系はもう流行ってなくて、結論まで全部言ってるやつの方が聞きたくなるんですよね。
さらにチャレンジするなら、ビデオポッドキャストへの挑戦もすすめます。二人で撮っているなら顔出しして動画にするだけで面白くなるはず、というわけです。
二人喋りで動画だったらいい。すごいシンプルに二人喋りの動画はまだまだ伸びますね。
キリスト教系ではビデオポッドキャストがまだ少ないので、狙い目だという話もありました。
4つの福音書を時系列に並べてみる
後半はいよいよ本題。ともみんさんがオンライン教会のオープンチャットで進めている、4つの福音書を並べて読む企画の話です。
新約聖書の冒頭には、マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネという4つの福音書があります。どれもイエスの生涯を描いていますが、著者が違い視点も違うため、重複する話もあれば、一人にしか出てこないエピソードもあります。
これらを時系列に並べ直したのが、A.T.ロバートソンという人がまとめた「調和表」。ともみんさんはこれをもとに、イエスの生涯を約200個のエピソードに分けて解説しているそうです。
一人だけお付きの人が書いてればいいのに、そうじゃなくて4人も別角度から記録してる。それ自体がすでに面白いじゃん。
kaiさんが指摘するように、福音書はどれも同じイエスの話なのに、読み比べると内容がそれぞれ違います。その「違い」こそが面白さの入り口になります。
矛盾があるからこそ本物に見える
4つの福音書には、一見矛盾するような箇所があります。たとえばマタイでは山の上で語った説教が、ルカでは平地になっている、といった具合です。
ともみんさんは、この矛盾こそ大事なのだと話します。根拠にしたのは、アメリカの本で読んだという殺人事件の証言の話でした。
全員が一言一句変わらないアリバイを喋ったとしたら、これは誰かが糸を引いてるってことなんですよ。
人の記憶はもともと曖昧で、興奮した状況ではなおさら食い違う。だからこそ、証言がぴったり一致していたら逆に創作を疑うべきだ、という考え方です。
ともみんさん自身も、交通事故を目撃したとき、自分は「左折してきた」と確信を持って証言したのに、他の全員が「右折」と答えたという経験を語りました。
証言が少しずつ違うからこそ、かえって真実味が増す。これが福音書を面白くするポイントだと二人は受け止めます。
一言一句同じなら、誰かが口裏を合わせた創作の可能性が高い
人間の記憶として自然で、かえって出来事の真実味が増す
読み飛ばしがちな箇所と、福音書ごとの個性
じっくり読み比べると、いつも読み飛ばしている箇所が見えてくると言います。
たとえばマタイ27章では、イエスが十字架にかかったとき神殿の垂れ幕が裂けただけでなく、墓から死人がよみがえったと書かれています。有名なシーンのすぐそばなのに、意外と知られていないそうです。
いつも目が滑っていたって言われて。解釈がむずいので、あまり誰も語らないんですよね。
イエスが荒野でサタンから誘惑を受ける場面も、マタイは詳しいのにマルコはごく短い。しかもマルコだけ「獣が一緒にいた」と書かれています。
獣いたの?って。短すぎて誰も取り扱わないんですけど、知ってました?
そもそもマルコは最初に書かれたとされる福音書で、イエスの誕生も復活の本編も書いていません。洗礼のあたりからぬるっと物語が始まるのが特徴です。
クリスマス物語は、実はだいぶ脚色されていた
読み比べで特に面白かったのが、クリスマス物語のイメージと聖書本文のズレでした。
幼稚園や教会のページェントでおなじみの「3人の博士が馬小屋に来た」という場面。ところが聖書をよく読むと、いくつも違いがあると言います。
まず博士の人数は聖書に書かれておらず、贈り物も一人ひとつずつではなく「宝の箱」から出したと記されています。捧げ物は黄金・乳香・没薬の3つです。
さらに時系列を追うと、生まれたばかりのイエスのところに来たのは羊飼い。博士たちが訪れたのはもっと後で、そのとき聖書は「馬小屋」ではなく「家」と書いているそうです。
博士が誕生直後ではなかった根拠として、ともみんさんはヘロデ大王が「2歳以下の男児」を皆殺しにした話を挙げます。
もし生まれてすぐの命令なら、生まれたての赤ん坊皆殺しでいい。2歳以下にしたのは、イエスがそういう年齢だったからだと思うんです。
聞いて知った気になっていないか
エンディングでは、話を人から聞くだけで満足してしまう危うさに話が及びます。
kaiさんは、教会のメッセージを聞いて「そういうことか」と納得するだけでなく、そこからもう一歩踏み込むことをすすめます。
話だけ聞いて知った気になっちゃダメだよね。牧師の話を聞いた上で、「俺はどうなんだ」を自分で読んで理解するともっと面白い。
一番聖書を読んでいるはずのともみんさんですら、30分話しただけで自分の記憶と本文のズレに気づく。だとすれば、読んでいない人はもっと記憶がおかしくなっているはずだ、というわけです。
話はさらに、聖書がどう受け継がれてきたかへ。写本を作る過程では、付け加えたくなる人、面倒で削りたくなる人、真面目に写す人がいたと言います。
写本を作る人にも、付け加えたくなる人、めんどくさくて削りたくなる人、単純に間違える人といろいろいるらしくて。
それでも今読まれている聖書はちゃんと伝わってきていると、kaiさんは信じていると語ります。
今読まれてる聖書はちゃんと伝わってきてると、俺は思ってる。
最後は、話す側の姿勢の話へ。ともみんさんは、牧師は「聞かせてあげている」のではなく「聞いていただいている」立場だと繰り返します。
自分が話した内容が思惑どおりに伝わることはまずない。だからこそ、聞く側の姿勢を正すのではなく、聞いてくれてありがとうと思って話すべきだ、と二人は語り合いました。
話を聞いてもらう時はね、思いやりを持って喋りましょう。聞いてもらってるっていうことを忘れないように。
まとめ
4つの福音書を並べて読むと、矛盾やズレが見えてきますが、それこそが「人が本当に見て記した」証だと二人は語ります。そして、話を聞いて知った気になるのではなく、自分で読み、自分で考えることの大切さへと話は着地しました。
- 4つの福音書は視点も著者も違うため、重複する話も独自のエピソードもある
- 証言がぴったり一致しないからこそ、かえって真実味が増すという見方
- クリスマス物語は聖書本文と比べると、人数や時系列がだいぶ脚色されている
- 話を聞くだけで満足せず、自分で読んで「自分はどうか」を考えることが大切
- 話す側は「聞いていただいている」立場だと忘れず、思いやりを持って語ること
