📝 エピソード概要
50年間の逃亡生活の末に亡くなった桐島聡を起点に、彼の世代背景や音楽的嗜好から、当時の学生運動の空気感を考察するエピソードです。1954年生まれという「全共闘の少し下」の世代特有の立ち位置を、村上龍の小説『69 sixty nine』や評論家・平岡正明の視点を通じて分析。かつての「暗い革命」と現代の左派思想の変遷を交えつつ、音楽バーに通っていた桐島が抱いていたかもしれない心情を、速水健朗独自の視点で読み解きます。
🎯 主要なトピック
- 桐島聡の世代論: 全共闘世代より数歳下であり、学生運動が下火になり周囲が冷め始めた時期に活動していた孤独な世代としての側面。
- 村上龍『69 sixty nine』との対比: 祝祭的な高校全共闘を描いた同作を引用し、「明るいテロ」とお祭り騒ぎに乗り遅れた「じめじめした革命」の違いを論じる。
- 平岡正明的な音楽への問い: もし評論家の平岡正明が生きていれば、桐島の音楽の好みを「資本主義と共産主義を巡る根本的な問題」として問うただろうという仮説。
- 左派運動の変遷: 国家転覆を目指す運動から、70年代以降の環境運動や消費者運動へのシフト。スチュアート・ブランドなどの事例。
- 現代の左派思想への危惧: ナオミ・クラインやマーク・フィッシャーを引き合いに出し、現代の左派的な陰謀論の危うさについて言及。
💡 キーポイント
- 桐島聡は全共闘のメインストリームではなく、運動が退潮する中で「真面目すぎた」がゆえに過激な地下活動(東アジア反日武装戦線)へ向かった可能性がある。
- 「明るいテロ(よど号事件など)」と「じめじめした革命(連続企業爆破事件など)」という比喩的な対比を用い、当時の運動が持っていた陰惨な側面を浮き彫りにしている。
- 桐島が音楽バーで何を好んでいたのかが結局不明であるという事実は、彼がすでに過去のイデオロギーへの執着を失っていた可能性を示唆しており、それが一つの物語のような余韻を残している。
