地方中核都市からカルチャー拠点が消えた?
龍崎さんは、地方の中核都市でホテルをやりたいと考えることが多いと話します。その背景には、ある都市で「この街でイケてる人はどこに行くのか」と知人に尋ねたときの体験があります。
その問いへの答えは「みんなPARCOに行っている」というものでした。龍崎さんはこの答えから、街のリアルな暮らしとカルチャーがひも付いておらず、街の中にカルチャー拠点がもうないと感じたといいます。
龍崎さんによれば、福岡のような都市ならまだカルチャー拠点が残っているものの、多くの地方中核都市ではそれが見当たりません。聞き手も、数十万人規模の都市ではカルチャーはほぼなくなっていて、むしろ自然の残る超田舎のほうがまだ根付いていると応じています。
龍崎さんは、失われたカルチャーを自分たちが作っていくべきだと考える一方で、カルチャーは地域にいる人との相互作用で生まれる部分も大きいと話します。そのうえで、地方中核都市こそ日本のカルチャーのフロンティアなのかもしれない、という見方を示しました。
聞き手は富山を例に、イケてるワインバーやバー、頑張っている映画館、スタジオやアーティスト・イン・レジデンス、ギャラリーを手がける人たちがどの地域にもいると指摘し、そうした人と組むのかを尋ねます。
龍崎さんは組みたいと答えつつ、地域のコミュニティを中途半端にコラージュするようなことはしたくないと強調します。ホテルは点ではなく面なので、その面を濃く広げていくことが大事だと考えているそうです。
日本でも京都でもなく「郵便番号」で捉える理由
聞き手は、マルジェラやジルサンダーが日本のなんてことない民家をテロワールとして解釈し、そこでコレクションや撮影をしているという龍崎さんの投稿に触れます。地域の価値は地域の人には気づきにくく、日本の価値も日本の目線だけでは分かりきっていないのではないか、という問題提起です。
そのうえで聞き手は、観光立国を目指す日本を、ローカルの集積としてどうプロデュースすべきかを龍崎さんに尋ねました。日本という単位で考えないほうがいい、という答えでもかまわないと添えています。
龍崎さんの答えは、まさに後者に近いものでした。京都でホテルを手がける龍崎さんは、御所のある都としての京都、学生の街としての京都、客人の街としての京都など、京都にはいくつもの顔があり、京都という単位で捉えるのはとても難しいと話します。
そこで龍崎さんは、東九条のようなより狭いドメインで括ることで、より尖ることができると考えています。金沢も同じで、金沢全体では捉えにくくても、香林坊 ── 石川県金沢市の中心部にある繁華街の地名。百貨店や商業施設が集まるエリアとして知られていますという単位で見るとシャープになるそうです。
どのくらいのサイズで捉えるのかという問いに対し、龍崎さんは「郵便番号単位で捉える」のが自社で最近言語化されたルールだと明かしました。
いくつもの顔が混ざり、一言で括るのが難しい。ブランドの輪郭がぼやける
ドメインを絞ることで尖り、シャープになる。グローバルに出す価値が生まれる
聞き手は、福武財団 ── ベネッセグループ創業家の福武家が関わる財団。香川県の直島などで現代アートを軸にした地域づくりを進めてきたことで知られていますの福武さんも、瀬戸内に広げず基本は直島でいくほうがグローバルに通用すると言い続けていると紹介します。龍崎さんも、シャープにするほどグローバルに出す価値が生まれ、絞らないとトップサイドが上がらないと同意しました。
龍崎さんは、日本として一括でブランディングするのは難しいと考えています。『PERFECT DAYS』のような文化住宅的な情緒や、渋谷の広告ビジョンが並ぶ景色のほうが世界に届くので、個のイメージの集合体としてぼんやり国のイメージができるほうがいいのではないか、という見方です。
聞き手は、行政や国には行政の単位があり、戦略としてはある程度の単位で打ち出す必要もあると指摘します。ブランドとしては個々で立てつつ、戦略では大きな単位が求められる。この両立をどう考えるかは興味深い論点だと話しています。
伝統文化より鳥貴族? 観光PRと「生々しい日常」のずれ
龍崎さんは、日本の観光業界が日本の歴史や文化の価値を重く見すぎていると感じています。観光庁などが出す動画は、職人の技術や機織、寺といった伝統に寄りがちだという指摘です。
龍崎さんは、日本に来る人の全員がそうした伝統を好むわけではないと話します。プーケットで夜まで飲むほうが楽しいと感じる人も多く、伝えるべきは文化の深さなのかという疑問を持っているそうです。
その具体例として龍崎さんが挙げたのが鳥貴族です。日本に来た人を連れていくと喜ぶ飲食店の1つが鳥貴族で、サラリーマンが飲み会をしていたり大学生が騒いでいたりするローカリティこそが魅力になっているといいます。
聞き手は、新宿のゴールデン街も本来はローカルの人が飲んでいるから楽しい場所だったと応じます。龍崎さんは満員電車を体験してみたいという声も同じ話だと続け、聞き手も自分が海外に行けば屋台で食べたくなると共感しました。
龍崎さんは、生々しい日常に価値があるという視点が観光PRではあまり使われていないと話します。PR動画にあるのは、すでに観光としてパッケージ化され、額装されたような日本だという見立てです。
職人の技術、機織、寺などの伝統。パッケージ化され額装された文化
鳥貴族の飲み会、ゴールデン街、満員電車、地元の人と飲む時間などの生々しい日常
聞き手はさらに、富裕層観光を欧米豪と結びつけ、欧米豪の人は伝統的な文化体験を求めているという前提を意識しすぎではないかと問いかけます。そこまでリテラシーの高い人は多くないのではないか、アジアについてはドン・キホーテが一番わかっているのではないか、という見方です。
龍崎さんもこれに同意し、文化の継承は国としてやってほしいと思いつつ、観光の入り口としては「ドンキ的な日本」があってよいと話します。聞き手は、何度か訪れるうちにディープになっていくもので、3、4回来ていない人が地方まで行くことはないとも補足しました。
「東京はアジア」とスタバ信仰が映すもの
聞き手は、東京はイタリアのように家の作りが揃っているわけでもなく、メタボリズム ── 1960年代に日本の建築家たちが提唱した建築運動。都市や建築を生物の新陳代謝のように変化・成長するものとして捉えました的に進化してきた無茶苦茶な街だと話します。そのカオスぶりこそ、東京やアジアに求められる楽しさではないかという見方です。
龍崎さんは強く共感し、初めて上京して六本木や西麻布を訪れたときの体験を語ります。キラキラしたイメージを持っていたものの、実際は建物も汚く、東京はこんなにアジアなのだと初めて実感したそうです。
この体験から龍崎さんは、アジア的な日本をもっと意識してもよいのではないかと考えています。ただし、客層のハンドリングが難しいという課題にも触れていました。
聞き手は、旅先では結局地元の人と飲むのが楽しいのに、その機会はほとんどないと話します。さらに地方の人はネットで都会の人の発信を見ているため、自分たちの場の空気感には価値がないと思い込み、スタバ信仰のようなものが生まれていると指摘しました。
龍崎さんも、地方ではスタバを誘致したことが町長のレガシーになっていると聞いたことがあると応じます。聞き手は、「何があるの?」と聞かれて「スタバがある」と答えるような状況に触れ、外の目線でその土地を見る人が必要だと話しました。
聞き手は、これまでの効率的なやり方ではなく、外の目線でその土地の固有性や風土を愛し、面白いメンバーを集めてユニットを作るように地域をプロデュースする。龍崎さんの取り組みを、そうしたルールの変化として受け止めています。
パチンコ玉論と「余白の国」日本
龍崎さんが好きな考え方として紹介したのが、原研哉 ── 日本のグラフィックデザイナー。無印良品のアートディレクションなどで知られ、日本の美意識や観光についても発信していますさんの言葉です。ユーラシア大陸を90度回転させると、パチンコの一番下の受け皿として日本がある、という見方です。
龍崎さんは、この視点で見ると日本的なものだけではない日本の文化があるはずで、そこを掘れるとよいと常に考えているそうです。
聞き手は、このパチンコ玉論は原研哉さんがもともと日本学者の高野丈士さんの説を受けたものではないかと補足します。そのうえで、日本で真にオリジナルなものは富士山しかない、つまり自然や地形しかないと言う人がいると紹介しました。
聞き手自身も、富山の本当のユニークネスは立山連峰と富山湾しかないと考えています。その人の説によれば、漢字も仏教も刺身も寿司も天ぷらもカレーも自動車も、パチンコ玉のように日本へ流れてきたものです。
流れ着く
漢字、仏教、天ぷら、カレー、自動車などが大陸から流れ落ちてくる
ミックスされる
受け皿である日本で、さまざまなものが混ざり合う
熟成・進化する
混ざったものが熟成し、謎の進化を遂げる
逆輸出する
進化したものが再び世界へ出ていく
聞き手は、その結果として日本は多国籍な料理がどれも美味しい国になっていると話します。さらに日の丸について、かつては純白性と日の出の象徴とされたものの、実は白地が余白を表す「余白の国」なのではないかという独自の解釈を示しました。
聞き手によれば、デザインで余白が大事なように、余白があるからいろんなものを受け入れられる。それが「創造的余白」のある国だという解釈です。
龍崎さんは、あんことパンを組み合わせようとは普通ならない、と日本の懐の深さを例示します。とりあえず掛け合わせ、勝手に改良してしまう、ミクスチャーの国だという点で二人の見方が一致しました。
「道」にする力と、PVに映らないリアル
龍崎さんは、このミクスチャーの視点が好きだと話します。ホテルを作るときにはどうしても地域固有のものを拾い上げようとしがちですが、どこかから流れ着いてきたものだという視点で取り組む人はあまりいないと感じているそうです。
聞き手は、日本は島国で港町だから必ず文化が入ってくると応じ、龍崎さんも日本はその終着点だと話します。龍崎さんは中国の人と話すと、日本はブランディングが上手いと言われるそうで、中国由来の豆腐が英語で「TOFU」として通じることを例に挙げました。
龍崎さんは、アジアの他の地域にもあるものを、日本は様式化して精神性へと昇華させ、価値あるものに見せていると話します。お茶はその典型で、聞き手も「道にするのが得意だからね」と応じました。
あくまでティーパーティー
様式化されたイニシエーションで、精神性に昇華されている
龍崎さんは、道にするのも熟成のあり方の1つなのかと問いかけます。聞き手は、技術や機能として行き切ったものを謎の世界に持ち込むところがある、と答えました。
龍崎さんは、日本料理も道になるという意味では、伝統を描く現在の観光PVも間違ってはいないと認めます。聞き手も、それをありがたいものとして経験してほしいと押し出すのは難しいが、それはそれであってよいと話しました。
それでも龍崎さんが引っかかるのは、PVの光景がリアルではない点です。日本に来てもあのPVにある光景は見られない、という指摘に聞き手も同意し、対話は締めくくられます。
まとめ
この回の龍崎さんと聞き手の対話は、日本の観光を「伝統の深さ」だけで語らず、地域を狭く尖らせること、生々しい日常を価値として見ること、そして日本を流れ着いたものが混ざり合うミクスチャーの国として捉えることを提案しています。
- 地方中核都市ではカルチャー拠点が失われており、龍崎さんはそこを日本のカルチャーのフロンティアと見ている
- 龍崎さんの会社は地域を「郵便番号単位」で捉え、狭いドメインで尖らせることでグローバルな価値を生もうとしている
- 鳥貴族や満員電車のような生々しい日常こそ来訪者が喜ぶもので、額装された伝統中心の観光PRとはずれがある
- パチンコ玉論が示すように、日本は流れ着いたものを混ぜ、熟成させ、道にまで昇華させるミクスチャーの国として捉えられる





