なぜ「語れないホテル」には意味がないのか
龍崎翔子さんは、大阪のホテル開業に向けて、毎日ひたすらTwitterに没頭したといいます。世の中の人が何に心を動かし、何に足を運ぶのかを研究するためでした。
龍崎さんがSNSの研究から得た気づきは、お客さんに「友達を紹介してください」と頼んでも、紹介してもらえるわけがないということです。まず、お客さんが思わず人に言いたくなる状態を設計しなければなりません。
ホストが「ここで撮ってね」と案内する例を挙げると、龍崎さんは「その時点で間違っている」と応じます。取材に来た人が思っていたのと違う記事を書いてきたら、それも設計の失敗だと龍崎さんは考えています。
そこで龍崎さんは、ホテルの宿泊客を、お金を落とすだけの人ではなく「クリエイター」として捉え直しました。規模の大小を問わず、発信する力を持つお客さんの「発信したい」という欲を刺激するホテルをつくる、という発想です。
大阪で最初に取り組んだのは、このホテルが人にどう語られるかをデザインすることでした。龍崎さんはこれを経営の生命線と呼び、語れないホテルは人やプラットフォームに依存して生きていくしかないと話しています。
龍崎さんは語られる場面を細かく想定しました。SNSでの語られ方、メディアでの語られ方、飲み会での話題としての語られ方を考え、SNSの中でもTwitter、Instagram、インスタストーリーでそれぞれどう語られるかをイメージして設計したといいます。
HOTEL SHE, OSAKAの象徴が、全客室に置かれたレコードプレーヤーです。2016〜17年当時、レコードは底を打って少し人気が戻り始めた頃で、触ったことがない人が多かったといいます。
龍崎さんによると、全客室にレコードがあること自体も、客室のレコードプレーヤーを写すことも「語り代」になります。初めてレコードに触れた人が、ボン・ジョヴィのレコードがいいと少しおしゃれに言える。ホストはこれを「わかってる感じ」と表現しました。
SNSを研究する
人が何に心を動かし、何に足を運ぶかを知る
お客さんを発信者と捉える
宿泊客をクリエイターとして見る
語られ方から逆算する
SNS・メディア・飲み会での語られ方を想定する
語り代を置く
全客室のレコードプレーヤーなど
レコードは街の空気の結晶だった
龍崎さんは、語り代がただの「映えコンテンツ」なら意味がないとも言います。突飛なことや目立つことをすればいいわけではありません。
HOTEL SHE, OSAKAがある弁天町は、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンに近いものの、基本的には普通の商店街や住宅街が広がる港町です。龍崎さんは、ホテルに泊まるとその街のテロワール ── もとはワインの用語で、ぶどうが育つ土地の気候や土壌などの個性を指す言葉。ここでは土地ならではの空気感という意味で使われていますがかき消されるのではなく、街にうっすらある空気感がホテルでより濃縮される状態をつくりたいと考えました。
龍崎さんにとってレコードは、その濃縮した空気が結晶化した存在です。工業都市の空気感と、人の温かく生っぽい空気感が織り交ざった「工業製品だけど温かい存在」として、レコードを選んだと説明しています。
さらに龍崎さんは、ホテルを大阪のユースカルチャーを編集する場と捉えています。音楽でもあり、デザインでもあり、アートでもあるレコードは、そのメタファーとしてよく効いているといいます。
写真についても、龍崎さんは「ここで撮るのがおすすめです」と言った時点で終わりだと考えています。デザインされすぎると、手のひらで踊らされているように感じられるからです。ホストは、観光地の顔ハメパネルのようだと例えました。
写真を撮りたくなる「受け皿」とは?
龍崎さんは、ホテルを宣伝したくて写真を撮る人はまずいない、と指摘します。人がSNSに投稿する動機は、旅行の思い出を伝えたい、おしゃれだと思われたいといった別の欲にあります。
そのため龍崎さんは、お客さんの欲に応える受け皿として館をデザインしているといいます。具体的な工夫として、次のようなものが挙げられました。
| 仕掛け | 内容 | お客さんの使い方 |
|---|---|---|
| ホテル前の壁 | フラットな壁に細いラインが入っている | その日のコーデやファッションの背景にする |
| エントランス | 写真1枚で5W1Hが伝わるように設計 | 1枚で旅の状況を伝える |
| リアルキー | カードキーではなく実物の鍵を使う | 鍵と一緒に手元やネイルを写してアーカイブする |
龍崎さんは、ネイルは一期一会のものなので、鍵を写すついでにそれを記録できることにも意味があると話しています。
こうした設計を実装してから、HOTEL SHE, OSAKAには多くのお客さんが訪れるようになりました。龍崎さんは、お客様のナラティブでお客さんがまたやってくる状態が生まれたことを、自身にとっての大きな突破点だったと振り返ります。
魅力を全部言語化できるブランドは育たない
ホストは、ホテルの全体像を描いた曼荼羅のような設計図があるのかと尋ねました。龍崎さんの答えは「当時はなかった」「バイブスでやっていた」というものです。語れるものをつくりたいという思いが軸だったといいます。
ホストは、言語化しなければ共有できない一方で、ホテルは総合体験なのでコンセプトシートにきれいに落とせるものでもないのでは、と投げかけます。龍崎さんは同意し、コンセプトシートに落とせるものになった瞬間に語られなくなると思う、と答えました。
龍崎さんは、自分自身も言語化できていないものがあるとしたうえで、自分たちのホテルづくりを「野生的な店づくり」と表現します。目指しているのは、レストランやセレクトショップのような、個人がやっている「個店」に近いホテルです。
一方で、ホテルによっては商業施設やマンションを開発する感覚でつくるところもある、と龍崎さんは言います。そうしたホテルは、有名なクリエイターや店舗が並んでプレスリリースは賑やかになるものの、一体としての情緒はつくり出せていないと指摘します。
一人の人格を濃密に伝える空間・ブランドをつくる
多くの人が手を入れるため人格が分裂し、有名なワードが並ぶだけになる
龍崎さんによると、商業施設型のホテルに情緒が生まれないのは、いろいろな人が手を入れてつくる過程で人格が分裂するからです。だからこそ龍崎さんは、ホテルという場では一人の人格を濃く伝えることが大事だと考えています。
ホテルはカルチャーを表に開く「キャズム」
ホストは、龍崎さんがすべての分野に詳しいわけではない中で、食やワインなどの専門知識をどう扱うのかを尋ねました。龍崎さんは、自分は広く浅くのタイプだと答えています。
龍崎さんは、ホテルをキャズム ── 本来はマーケティング用語で、新しい商品が一部の愛好者から一般層へ広がる際に越えるべき溝のこと。ここではカルチャーが一般に開かれる境目という意味で使われていますだと捉えています。あるカルチャーがホテルになった瞬間、それはパブリックに開かれ、良い面も良くない面もあるといいます。
例として龍崎さんは、ホテルでシーシャを扱った経験を挙げます。それを出すホテルがあると、そのカルチャーが民主化するところがあるといいます。
キャズムであると自覚したとき、龍崎さんはエントリーモデルをつくるべきだと考えました。初めての人が「レコードってこういう音がするんだ」と感じ、レコードショップに行ってみようか、LP版を買ってみようかと思える。そうした素人の目線を大事にしているといいます。
ただし、広く浅くだけでは中身がなくなります。そこで大阪ではDJが支配人を務め、レコードを使ったイベントも開いています。龍崎さんは、足りない専門性をプロ人材であるホテルメンバーが補い、うまく分業することが大事だと話しています。
運営の質を決めるのは「世界観密度」の採用
ホストは、ブランド開発のプロセスは設計できても、ホテルは運営の中で宿っていくものがあり、運用が弱いとダメになると指摘します。龍崎さんも「間違いない」と応じました。
試行錯誤を経て龍崎さんがいま考えているのは、採用がすべてだということです。水星の採用基準の1つに、その人がホテルの世界観を濃くするかどうか、という基準があります。
優秀そうか、メンタルは大丈夫かといった観点では線引きが難しいものの、世界観を濃くするか薄くするかは顔を見た瞬間にわかる、と龍崎さんは言います。この基準は支配人だけでなく全員に当てはまり、メンバーの世界観密度を濃くすることが採用担当の仕事だといいます。
世界観はホテル単位で考えています。龍崎さんは、ホテル単位で体現できれば水星単位でも体現できるとし、水星っぽいのにどのホテルにも合わない人はあまりいないと話しています。
龍崎さんは、世界観の理解は美意識の領域なので、支配人にはクリエイティブディレクター的な仕事を任せることになると説明します。そのうえで、クリエイティブディレクターとマネージャーは、特に人とのコミュニケーションにおいて両立しない概念だと考えています。
その負担を下げるために、龍崎さんは共通言語を持つメンバーで固めることを重視しています。支配人がいいと思うものを、メンバーがなぜいいのかわからない状態はお互いにつらい、というのが理由です。
京都のホテルは京都で学生時代を過ごした人が運営する
世界観を体現する人を採る具体例として、龍崎さんは京都のホテルを挙げます。最近は、京都で大学生活を送ったことがある人だけを採るようにしているといいます。
いろいろな地域から来た人を採用し、京都のユースカルチャーの空気感にならなかった
関西出身で、京都で大学生活を送った人を中心に採用し、空気が濃くなっていった
龍崎さんによると、鴨川でハイボールを飲んだりバーベキューをしたりしながら学生時代を過ごした人だけがまとう空気感があります。そうした人が集まると、その縁でイベントや展示が開かれ、友達も訪れ、空気がつくられていくといいます。大阪では、難波で遊ぶような人を中心に採用しているそうです。
ホストは、宿泊客は近所の人ではなくても、地元の人たちが運営することでローカルの空気感が宿っていくのだと受け止めました。龍崎さんは、ローカルの空気感をつくろうとしても人が違えば表層的に見え、「映えホテル」のように思われてしまうと話しています。
目標は堤清二。生活文化をつくるホテルとは?
ホストが目標とする姿を尋ねると、龍崎さんはベンチマークにしている企業は特にないとしながら、自分はセゾンの堤清二 ── セゾングループを率いた経営者。西武百貨店やパルコ、無印良品などを通じて消費文化を形づくり、辻井喬の名で小説や詩も発表しましたの信奉者だと答えました。
龍崎さんが共感するのは、生活文化をつくるという姿勢です。龍崎さんは、稼ぐためでも、外貨を集める基幹産業をつくるためでも、地域振興のためでもなく、新しい生活のカルチャーを提案するためにホテルをやっていると話します。
龍崎さんは例を3つ挙げます。レコードがある生活の提案、少しメタな視点ではホテル巡りを楽しむライフスタイルの提案、そして産後ケアでは産後に自分の時間を持ち、労られることが当たり前になる人生をつくることです。
ホストは堤清二を、大衆の美意識を信じ、人々がリテラシーを上げて価値を理解できる提案をしようとした人だと評しました。自身も小説を書くクリエイターであり、糸井重里さんや小池一子さんのようなクリエイターも輩出したと振り返っています。
龍崎さんは、堤清二はカルチャーと事業性を絶妙なバランスで実現した先例としてリスペクトしている、と語りました。ホストと龍崎さんは、このテーマをまた話したいと約束して対談を終えています。
まとめ
龍崎翔子さんのホテルづくりは、お客さんを発信者と捉え、街の空気を濃縮した「語り代」を設計するところから始まりました。言語化しきれない人格の濃さを守るために、個店のようなつくり方と、世界観密度で選ぶ採用を重ね、生活文化の提案を目指しています。
- HOTEL SHE, OSAKAは「ホテルがどう語られるか」から逆算して設計され、それが突破点になった
- 語り代は映えではなく、レコードのように街の空気が結晶化したものであるべきだと考えている
- コンセプトシートに落とせる魅力は語られず、一人の人格を濃く伝える個店型が大事だとしている
- 運営は採用がすべてで、全員を「世界観を濃くするか」で選び、地域で学生時代を過ごした人を採用している
- 目標は堤清二で、カルチャーと事業性を両立させながら新しい生活文化を提案することを目指している


