時代の変わり目に立つ「千利休のような」ビジネスパーソン
番組冒頭、高木新平は深井龍之介を「ずっとこの番組に呼びたかった」ゲストとして紹介します。2人は経営者コミュニティで知り合った同世代で、高木がポッドキャストを始めたきっかけもコテンラジオだったと語られます。
高木がこの回で掘り下げたいと考えていたのは、深井のパーソナルな部分です。先日一緒に出雲を訪れた際、深井が世界に絶望しながら生きていると感じたことが、テーマ設定の出発点になっています。
心の底からもう伝わりきらない、分かり合えないというふうに思っていながら、ただ一方でその中から希望を見出そうとしているっていう、すごい不思議な感覚だなと思って。
深井はまず、自身の立ち位置について語ります。文化人として呼ばれることもあるが、自認としては明確にビジネスパーソンであり、経営者であり、起業家だと強調しました。
僕は大前提としてめちゃくちゃビジネスパーソンだとは思ってる、実は。だし、アントレプレナーであり、経営者であるっていう自認がすごく強くある。
その特殊な立ち位置を、深井は千利休にたとえます。千利休 ── 安土桃山時代の茶人。町人出身でありながら織田信長・豊臣秀吉に仕え、武将たちの世界で大きな影響力を持った人物。武将ばかりのコミュニティに、ビジネスパーソンとしては突出して強くないまま同じ場所にいる、という感覚です。
なぜそこにいるのか。深井は「時代の変わり目だから」だと説明します。武士が戦争の役割から江戸時代の官僚の役割へ移ったように、ビジネスパーソンの役割が今すごく変わろうとしていると話しました。
このままじゃダメかもって思ってるところに、僕のような人が必要かもって思われてるっていう、そのかもかもみたいなので。
日本企業が失っているのは「善性の出し方」
高木が「みんなは何に迷っていると見えるのか」と問うと、深井は複雑な話を単純化して答えます。失われた30年で自信を失った日本企業が、自らの善性を社会にどう発露させればいいかに悩んでいる、という見立てです。
複雑化する社会で、そしてこの失われた30年を経験して自信を失った日本企業が、その自分らのその善性、良さだよね。(善性を)社会にどう発露させればいいかにめちゃくちゃ悩んでるっていう風に見える。
深井によれば、その善性の発露はMBAの経営理論には出てこないし、成績表にも反映されません。だからこそ、いまだに最前線にいる経営者たちは「ん?」となっていると言います。
今のゲームルールの中に一言もそれが入ってこないから、ん?ってなってる。そこを僕は結構エンパワーメントしてる、仕事をしてると思ってる。
深井は、自分がビジネスパーソンの強さで比べれば10億から30億円規模の企業までしか経験がないと認めます。それでも1兆円企業の経営者の背中を叩ける理由を、社会に対する解像度の高さに求めました。
自分より社会に対する解像度がこの人は高いから、そしてこの組織は高いから、その社会に対する卓越した解像度を持って、自分たちが何をすべきかっていうことをその示唆してくれるなっていうふうに思われてるだろうなと思ってる。
シリコンバレーの真似では、日本人が勝てない理由
高木は、地方の後継ぎ経営者が地域の繁栄も相互扶助的に捉える例を挙げ、深井が「今までのやり方は合っていた」と背中を押しているのか、と確認します。
深井はこれを個人にたとえ直します。営業成績のいい人を100パーセント真似しても成果は出ない、なぜなら個性は選べないからだ、という考え方です。自分の得意を理解し、社会を見て強みを発揮する以外にやれることはないと語ります。
同時に、深井は「今までのままでいい」という慰めをしているつもりは全くないと釘を刺します。新しいことをやる必要は大きくあり、ポテンシャルもあると背中を押しているのだと説明しました。
その上で深井は、日本人がシリコンバレーの真似をするのは無理だと明言します。ユニコーン企業の数を見れば、インドやメキシコ、韓国にも負けている、と数字を挙げました。
それは強みが違いすぎるのよ。日本人と。自分たちの強みをちゃんと理解して生かしていくっていうやり方をしないと、シンプルに出せるはずの価値が社会に出せないから、僕はもったいないよねって思ってる。
身体知と言語知、日本人だけが持つ特殊な強み
高木が日本企業の強みを尋ねると、深井は知性を「身体知」と「言語知」の2つに分けて説明します。日本人は身体知を極めて大事にしている点が強みにつながる、という主張です。
言語や数式で表現し、説明・再現が可能な形で真理を追求する知性。近代やアカデミアが信奉してきた。
言語化した瞬間に情報が毀損されるような、身体の動きや腹落ちで蓄積される知性。スポーツ選手や料理人のパフォーマンス。
深井は、近代とは言語知を信奉した時代だったと位置づけます。ただし言語や数式で真理に到達できるという態度自体に、根拠は一つもないと指摘しました。
なんで言語と数式を使ったら世界の真理に到達できるかっていうのは一つも根拠ない。けど、それを信じてるからそれをやってるわけ。それが近代だった。
深井によれば、日本はいち早く近代化した国の中で、唯一身体知性を言語知性より優勢と考える特殊な立ち上がり方をした国だと言います。言語にした瞬間に情報が毀損される、という感覚を多くの日本人が共有している、という見立てです。
例えば友達同士とかでも、言わないとわかんないんだったら友達じゃないと思ってる。多分日本人は。
この言語化しないハイコンテクストな意識の共有が、高度なチームワークを生むと深井は続けます。試合中にほとんど言葉を交わさないサッカーチームのような連携が、日本人には比較的高水準で可能だと語りました。
モラル駆動のチームワークと、コロナ対応の違い
深井は、言語化しないからこそ日本のチームワークは「内発的倫理駆動」になっていると分析します。他国が外圧的なルールで動くのに対し、日本はモラルで動く、という対比です。
その最もわかりやすい例として、深井はコロナ禍の対応を挙げます。他国が法律でロックダウンした一方、日本はマスク着用や外出自粛をモラル化し、大して言語化もしないまま実行したと指摘しました。
他の国はみんな法律化してロックダウンしたでしょ。あれ、外圧的ルール駆動なの。我々はマスクつけましょう、外出しないようにしましょうっつってモラル化したの。
深井は、それを守らない人が「非国民」のように扱われた点にも触れます。法律ではなく村八分的なパニッシュメントが働いた、という説明です。
深井はこのモラル駆動の例として、明治維新、戦後復興、東日本大震災時のボランティア活動を挙げます。言語化してないんだけど、高度なハイコンテクスト文化共有をしながらモラル駆動してチームワークした結果、高いパフォーマンスが出ていると語りました。
このような動き方ができるのは、僕から見てG7でも日本だけだし、G20でも日本だけ。
失われた30年は、外圧ルールの模倣の帰結だった
深井は、失われた30年を欧米の真似をしすぎた結果だと捉えています。他国が外圧的ルールで動いて見えたものは、実はルールではなくカルチャーだった、という指摘です。
つまりルールじゃなくてカルチャーだったってことなんだよね。(欧米が)ルールで駆動しているように見えるんだけど、実はそれはルールじゃなくて、彼らのカルチャーだったってこと。
先進国の中で日本だけカルチャーが違うため、他国は真似して同じように動けても、日本は同じ動きができない。深井は「それに早く気づいた方がいい」と語ります。
高木は、グローバリゼーションや新自由主義が進んでも幸せにならなかったと多くの人が感じ始め、自分たちの文化をもとにやるべきではないかと迷う経営者が多いと整理します。深井はこれに強く同意しました。
人が喜んでも嬉しくない、という出発点
高木は、深井が絶望を抱えながらも希望を追う複雑な実装をやり続ける動機を尋ねます。深井はここから、普段は言わないというパーソナルな部分を開示していきます。
まずその緩やかに死にたい。ずっと。
深井はまず、生きる希望があまりなく、生きること自体がめんどくさいという前提を語ります。その上で、自分が困ってきたこととして「人が喜んでいるのを喜べない」という特性を挙げました。
たとえばキャビンアテンダントが乗客の困りごとを助けて感謝され、その感謝を喜びとするような感覚が、深井には全くインセンティブにならないと言います。突き放しているのではなく、ナチュラルに嬉しくないのだと説明しました。
なんかその人たちが、なんかその人の人生が、人生レベルで良くなることにはすごく興味あるんだけど、この瞬間どうなってるかに興味ないの。
一方で深井は、好奇心が非常に旺盛だとも語ります。相手が喜んでいるかには興味がないのに、その人が何を考え、なぜそれを好きなのかを理解したいという欲求が強くある、というアンバランスさです。
ただ僕が理解したらフィニッシュっていう。それを何に使わなくてもいいんだよね。してたいだけ。理解してたいっていう欲求があるだけみたいな。
共有できなさと疎外感、そして起業しかなかった20代
深井は、自分が考えているレベルのことを誰とも共有できないという感覚を語ります。おこがましいと前置きしつつ、知識量が違いすぎて話ができず、それができる人がビジネスシーンにいない、という孤独です。
さらに深井は、日本人のハイコンテクストな感性からも自分は外れていたと明かします。だからこそ日本人に向けて言語化しようとしてきた、という逆説的な経緯です。
僕は日本人からめちゃくちゃ外れた人、日本人だったから、なんでこんな感じなんだろうってずっと見てたから。
深井は、生きるのがめんどくさくても生きなければならないなら、生きるに足ることをしなければならないと考えています。日々の小さな喜びで生きていけたら幸せだったと語りつつ、自分にはそれができないと言います。
日々の小さい喜びで生きていけたらどんなに幸せだっただろうって思うんだけど、自分の好奇心を満たし続けるとか、結構でかい影響力を行使するとかして、やっと生きててもいいかなって思うぐらいの感じだから。
深井の20代は、その特性に抗った時期でした。大企業のサラリーマンを試すも全然ダメで、独立して3年は得意だったが寂しくなり、スタートアップのナンバーツーも向いていたが満足できなかったと振り返ります。
もっと言うと、100パーセント自分を燃やしてる感覚がなかった。それをやっぱり100パーセント燃やしてないと、もう最初から生きたくないと思ってるから。
30歳頃、最初のスタートアップの社長と大喧嘩し、和解した経験を通じて、深井は起業するしかないと確信します。借金も人文領域での起業も本当はしたくなかったが、やりたいことをやるには株式会社という器が一番だと考えました。
再現された成功に興味がない、という信条
高木は、深井の名前が「100年後のいい社会」を語る場で挙がる理由を、知識だけでない何かに求めます。深井はこれに、パーソナルな確信として答えます。
深井は、絶望して消化試合のように人生を生きているからこそ、再現される成功へのインセンティブが全くなくなっていると語ります。SaaSで成功してIPOし金持ちになる、といったことに死ぬほど興味がないと言います。
自分のような特性の人間じゃないと起こせない現象をやっぱどれだけ起こせるかだと思ってんだよね。
深井が価値を見出すのは、再現される成功ではなく、こうしたら何が起こるか誰もわからないような、新しい現象を起こすことです。事業でも資金調達でも登壇でも、それを貫いていると語りました。
俺らしかできなさそうななんかことをやって、資金調達して、社会に新しい現象を起こし、その現象を人に見せて影響を与えるであるとかっていうことをするのが、やっぱりなんか唯一面白いことなわけよ。
深井は、会社についても再現された成功を目指していないと言い切ります。社内でも言っているとしつつ、明日倒産するかどうかより、果敢に新しい現象を起こすために考え抜いて動いたかを信条にしていると語りました。
新しい現象を起こす実験体になるのが目的だから。
深井は、成功したいという欲求が限りなくない自分を「本当に残念だな」とも表現します。その欲求があればもっと楽に生きられたのに、めんどくさいと思いながら新しいことをしている、という感覚です。
ビジネスパーソンの「やりきる力」への敬意
高木は、深井が革新的なことを届けるために、既存のものに見える領域まで降りているのではないかと問います。深井は「降りている感覚はない」と答え、むしろ今すごく革新的なことをやっていると語ります。
深井は、自分がアカデミアからは門外漢であり、明確にビジネスパーソンだと説明します。その上で、ビジネスパーソンの素晴らしさを「やりきろうとすること」に見出しました。
実践しないと何も起こんないこともあるんだよね。
高木は、経営には表現の追求だけでなく、YouTubeのサムネのような泥臭い実践が伴うと指摘します。深井もそれを認め、しょうもないと思いながらもやっていると語ります。
深井によれば、目的に対して貪欲にやれること全部やる姿勢は、ビジネスパーソンとして学び、自分の中にインストールされたものだと言います。
やっぱりなんだかんだ言って自分はビジネスパーソン。学者ではない。だから考えて終わりは絶対しない。
善良偏差値45の自分が、相互扶助にたどり着くまで
深井は、自分を善良な人間だとは思っていないと語ります。子供の頃は人をいじめていて、この前の同窓会で謝罪したというエピソードも明かしました。
人類をバーって並べた時に、どれぐらいかな?善良偏差値45ぐらいじゃないかな。
それでも深井は、自分がホモサピエンスであることは否定できないと言います。動物行動学を学ぶと、ホモサピエンスは大規模に助け合って生きる特徴を持つ動物だと分かるからです。
すべてを否定した結果、ホモサピエンスであることだけが否定できず、その特性である相互扶助に従って生きるしかない、と深井は語ります。助け合いが最も苦手な個性として生まれたにもかかわらず、です。
あとはもう死ぬか助け合うか以外やることがない。
深井は、株式会社という器で、自分の得意な人文領域からホモサピエンスとしての助け合いを最大限追求すると決めています。すべてが消去法で決まったため、迷いはないと語りました。
理想論に聞こえて、実は極めて合理的な話
高木は、深井が相互扶助の可能性を追求しているように見えると語ります。深井はこれに対し、自分は理想主義的に見られがちだが、極めて現実的だと反論します。
めちゃくちゃ哲学とか社会科学とか歴史とかを勉強した結果、最も僕たちが言ってる内容が現実的であり、他の人たちの反論は非現実的で合理性がないと思ってる。
深井は、ホモサピエンスの本義は助け合いであり、社会保障制度や数千万人規模の共同プロジェクトを行うのは人間だけだと指摘します。歴史上、助け合いの度合いは少しずつ強化されてきた、という見立てです。
それがこの瞬間止まる合理性と根拠がなんなん?っていう感じ。なんでここで止まったと思ったの?って思う。
深井は、激動の時代に「今のやり方は変わらない」と言う人に対し、変化しない根拠より変化する根拠のほうが多いと反論します。どう変化するかわからないからこそ、どう変化させたいかという意思を示すべきだ、という論理です。
自然に任せたいの?って思うわけ。任せたいんすか?つって。このまま世界良くしたいの悪くしたいのどっちなん?
深井は、人権を例に挙げます。人権も最初はめちゃくちゃ理想論だったが、理想論に聞こえることを言い続けた人がいたから存在している、という指摘です。
深井は、自分は誰にも押し付けたくないとも語ります。あなたもしたいんでしょ?だってホモサピエンスだもんという問いかけこそが、彼の説得のスタイルです。
俺はしたいけど、あなたもしたいんですか?したいです。じゃあやりましょうって言ってるって感じ。
個人の自分と、法人格「COTEN」は別人格
高木は、COTENが新しいことに挑戦しているのかと確認します。深井はここで、COTENの法人格と個人の自分は全く別の話だと強調します。
COTENは超いい会社で全量。僕はちょっとサイコパス。
深井は、会社を自分の一部だとも思っていないと語ります。同一視している経営者が多い中で、深井はCOTENを別人格として俯瞰的に運営していると言います。
深井は、ビジネスの現場で当たり前とされる客観指標や定量指標にも疑問を投げかけます。哲学を学ぶと客観性は一切担保されていない、それが究極の合理性だ、という主張です。
今のビジネスパーソンが取ってる方法っていうのは、論理的でも合理的でもないね。ただ習慣的にやってるだけで、中世キリスト教の魔女狩りしてる人たちとあんまり僕から見たら変わらない。
矛盾する自我と、子供に恥じない美学
深井は、自分にはエモーショナルで熱い面もあると語ります。芸術を見て泣くこともあり、子供が生まれてからは美学で人生が動くようになったと言います。
深井の美学の核にあるのは、自分が受け取ってきたものより良い世界を子供世代に渡すことです。それができないのは「親世代として信じられないダサさ」だと語りました。
自分が受け取ってきたものよりも、より良い世界みたいなものを子供に渡せないのって、あの親世代として信じられないダサさだなと思ってるわけ。
高木が「めっちゃ生きる意味があるじゃないか」と返すと、深井は日々に生きる意味を見出せないからこそ、なぜ生き続けるのかに納得点がないと生きられないのだと説明します。
デイリーのちっちゃい喜びとかに生きる意味を見出せないからこそ、そのなぜ自分は生き続けるのかっていうことに自分なりの納得点がないといけない。
深井は、能力や力がある人がそのポテンシャルを生かさないことをダサいと感じると語ります。自分が今いる場所は先人の積み上げの恩恵の上にあり、それを返すのが大人の役目だ、という考えです。
その上に生きていながら、ですごく成功したのに、自分のことしか考えてないって、全部もらったけど何も返してない人に自分から見えるから。
深井は同時に、自分がストイックな人間ではないとも念を押します。怠惰で享楽的な側面もあり、立派な人間だと美化されたくない、というバランス感覚です。
15年後に後悔しないために、今できることを全部やる
深井は、ここ5年の世界の動きが不安定な方向に移っていると語ります。戦争の確率が上がっている中で、その確率を下げる活動ができていないのは大人としてダサい、という危機感です。
深井は、経営者やパワーのある人たちに向けて、10年後、15年後の世界を想像してほしいと問いかけます。子供が死ぬかもしれない環境を想像し、そうなったときに後悔しないか、という問いです。
なんであれやってなかったんだろうって本当に思いたくないでしょ。
深井は、寄付で終わらせることへの違和感も口にします。できることが山ほどあるのに、と語りました。
なんであの時お金の寄付なんかで終わらしたんだろうみたいな。あんだけできることあるのにとか思いたくないでしょ。
深井は、結果はコントロールできなくても後悔は簡単にできると言います。危険性が上がっていることが自明の世界で、アクションを取らないことにも意味が生じる、という論理です。
結果はコントロールできないけど、後悔は簡単にできるからね。
高木は、深井が俯瞰的でありながら「実感値」を大事にする点を指摘します。遠い時間軸と今の因果を接続して動くことこそが教養であり、IQでは代替できないと深井は語りました。
遠い時間軸のことと、今の因果関係、相関関係を想定して動くっていうことは、教養がないとできないから。それはIQが高くてもできないじゃん。
世界の未来は、日本企業が引っ張ればいい
深井は、より良い未来のために共同でやれることを全部考え、その中で自分の得意なことをやる以外に、ホモサピエンスとしてやることはないと語ります。組織を作るのも相互扶助のためだ、という原点です。
深井は、共感性が最もない自分だからこそ、理屈に従って人に言えるのだと語ります。感覚では誰も仲間だと思っていないが、理屈で考えれば助け合う範囲を広げるほど全員が繁栄するのは確定している、という主張です。
一番感覚が遠いのに、その理屈に従って生きてるからこそ人に言えるって感じ。
そして深井は、世界の未来をアメリカの企業に任せられるかと問い、日本企業が引っ張ればいいと語気を強めます。
自分たちで引っ張ったらいいよ。絶対。今日本企業が引っ張ったらいいよ、もう。シリコンバレーの真似なんかしてる場合じゃねーよ。
絶望と希望は表裏一体だった
高木は、絶望と希望が別々のものに見えていたが、表裏一体だと分かったと語ります。深井の合理的で現実的なアプローチとして認識することで、ピュアにやるべきことだと思えるようになった、という感想です。
なんかピュアにやるべきことだなって思えるようになったから、その認知が得られただけでも、だいぶ俺自身学びになったし。
深井は、人を理解するのは難しく、すべての人間が中で矛盾していると語ります。自我の連続性や非矛盾性は哲学的に否定されている、という認識です。
矛盾しない自我なんてありえないし、瞬間瞬間で自我って変わり得るし。
だからこそ、興味がないと語った同じ時間の中で、15年後に後悔したくないだろうという話をしても矛盾しない、と深井は言います。それが人間の自我だ、という自己理解です。
高木は、深井が「死にたい」と連呼したことに触れ、同じ感情を持つ人が意外にいると語ります。深井も、緩やかに死にたいという欲求を持つ人が1、2割はいるのではないかと応じました。
なんか死にたいっていうと勘違いされるからね。この人自殺するんかなみたいな。自殺とかはしないけど。なんか同じ感情を持ってる人意外といて。
これからのビジネスパーソンはクリエイティブであるべき
収録の終盤、高木は深井を「相当クリエイターだ」と評します。深井も、今後のビジネスパーソンはクリエイティブであるべきだと応じました。
深井の言うクリエイティブは、デザインのような表層的なものではありません。何かをうまくやるのではなく、より良くするために何ができるかを勇気を持って考えることだと語ります。
これ以上うまくやるんじゃなくて、その新しい手法としてどうやったらより良くなるかっていうことを勇気を持ってやっていく。
深井は、やりきる力を持つビジネスパーソンにこそ世界を考えてもらうべきだと語ります。世界を考えている人にやりきる力を持ってもらうより、そのほうが簡単だ、という逆転の発想です。
やりきる力がある人に世界を考えてもらう方が、世界を考えてる人にやりきる力を持ってもらうより簡単なのよ。
最後に、高木は「希望を持てた」と語ります。深井自身も「なんだかんだ希望をすごく持っている」と応じ、これだけ語れる場があること自体をありがたいと締めくくりました。
俺もなんだかんだ希望すごい持ってるから。
まとめ
絶望と希望を表裏一体に抱える深井龍之介が、そのパーソナルな内面から日本企業の未来までを語り尽くした100分間でした。人が喜んでも喜べず、生きるのがめんどくさいという出発点から、ホモサピエンスの相互扶助へと消去法でたどり着いた思考の道筋が明かされています。
- 深井は自らを千利休のような立ち位置と捉え、時代の変わり目でビジネスパーソンの役割が変わりつつあると見ている
- 日本人の強みは言語知より身体知を重んじる点にあり、モラル駆動のチームワークはシリコンバレーの模倣では再現できない
- 深井は再現される成功に興味がなく、自分のような特性でしか起こせない新しい現象を起こすことに人生の価値を見出している
- 善良偏差値45を自認しつつ、ホモサピエンスであることは否定できないため、相互扶助を合理的な選択として貫いている
- 15年後に後悔しないために今できることを全部やる、そして世界の未来は日本企業が引っ張ればいい、という問いかけで締めくくられた


