2ヶ月で100万DL、my365はなぜ世界でバズったのか
飯塚勇太さんが学生時代に最後の一つとして作ったのが、写真共有アプリの「my365」です。1日1枚だけ写真を投稿でき、その写真がカレンダー型の画面に並んでいく仕組みでした。サービスはすでに終了しています。
my365が登場したのは、Instagramが写真加工アプリとして使われ始めて半年ほどの時期です。しんぺいたかぎさんは、カメラアプリが盛り上がっていた当時、「1日1枚」を生活の習慣にするコンセプトが新しかったと振り返ります。
飯塚さんによると、my365は正確な数字は覚えていないものの、1〜2ヶ月で100万ダウンロードほどに達しました。英語などへの翻訳だけで、タイのランキングで1位になったこともあったといいます。
タイでの急上昇は、2011年に起きた大洪水がきっかけでした。洪水の写真がmy365に投稿され、同じような小さなバズが各国で起き、何もしていないのにランキングが上がっていったそうです。
飯塚さんは、my365のバズをいまだに自分の人生で超えられていないと話します。そして、何もしなくてもコンセプトが受けるという体験に驚いたと語っています。
月40万円のサーバー代、シロクはどう生まれたのか
my365がヒットしても、飯塚さんがすぐに起業を決めたわけではありません。当時の悩みは、my365というサービスをこの先どうするかでした。
毎日の写真を積み重ねるmy365は、コンセプト上やめられないサービスだと飯塚さんは感じていました。一方で、写真を扱うためAWS ── Amazonが提供するクラウドサービス「Amazon Web Services」の略。サーバーを自前で持たずに、使った分だけ料金を払って利用できますのサーバーコストが高く、リリース直後から月30〜40万円ほどかかっていたといいます。
このサーバー代は、飯塚さんのポケットマネーから出していました。ビジネスコンテストの賞金などで学生時代は比較的余裕があったものの、収益のないまま払い続けるのは無理だと考えていたそうです。
そこで飯塚さんは、サイバーエージェントの内定者アルバイトで月30〜40万円ほど稼ぎ、ひとまずサーバー代に充てることにしました。その飯塚さんの机に、藤田晋さんがやって来ます。
藤田さんが提案したのは、まだ会社にもなっていないmy365を、サイバーエージェントの中で運営するスキームでした。飯塚さんはアプリを作っていた4人で話し合い、この提案に乗ることを決めます。
形式上は、飯塚さん個人のサービスをサイバーエージェントに譲渡し、運営のための会社としてシロクを設立しました。飯塚さんは、会社ではなく個人としてバイアウトが成立していたと説明します。
4人のうち1人は別の会社から内定をもらっていました。飯塚さんがいまも覚えているのは、サイバーエージェントの人事本部長がその会社へ事情を伝え、謝りに行ってくれたことだといいます。
チヤホヤされる日々の本音と、BtoBへの転換
シロクがmy365をメインの事業から外したのは、会社を作ってから1年足らずのことでした。飯塚さんは、my365は頑張っても黒字化が難しく、Instagramに勝てるものにはならないと判断したといいます。
飯塚さんは、my365の収益化が難しかった理由を2つ挙げます。ユーザーが課金するほどの強い動機がなく、広告を入れるにもユーザー層の特徴がはっきりしていなかったことです。
同じころ、近くには少し前にできたグループ会社のCygamesがありました。ソーシャルゲームの時代に、見たこともないような売上の伸び方をしていたそうです。
世間では飯塚さんのほうがメディアに出て注目されていましたが、実績ではCygamesのほうがはるかに上でした。飯塚さんは、注目されているのに大したことをしていない自分に違和感を抱いていたと明かします。
さらにグループ内ではバブルがはじけ始め、シロクには「決められた資金の制約の中で自律的に成長し、キャッシュフローが回らなければ解散」という条件が示されました。
時間がなかったシロクは、BtoCからBtoBへ業態を変えます。営業経験のない若いメンバーが自信を持って売れるものとして選んだのが、自分たちがよく知るアプリのプッシュ通知 ── スマートフォンのアプリが、利用者の画面に直接お知らせを表示する機能。アプリを開いてもらうきっかけとして使われますの配信サービスでした。
当時流行していたグロースハック ── データや仕組みの工夫でサービスの成長を加速させる手法。2010年代前半に日本のスタートアップ界隈で広く使われた言葉ですの文脈に乗ろうと、サービス名はGrowth Pushとしました。アプリに広告費を使うよりプッシュ通知で回収率を上げるという提案が受け入れられ、サブスク型のビジネスとして黒字化したといいます。
ゴールから逆算して、なぜ化粧品を選んだのか
飯塚さんは、好きな経営者としてユニクロの柳井正さんを挙げます。柳井さんのようにゴールを決めて逆算する考え方から、たとえば売上1000億円を目指すなら何年かかるのかを考えたといいます。
その逆算で、飯塚さんはプッシュ通知のビジネスモデルでは届かないかもしれないと感じました。そこで大きな市場の事業を作ろうと、いくつか試した末にたどり着いたのが化粧品です。
サイバーエージェントには「ECはやらない」「在庫を持たない」という都市伝説のような噂があり、社内の人も口にしていたそうです。飯塚さんは、大きな事業をいくつも持つサイバーエージェントにECがないなら、持てれば大きいと考えました。
しんぺいたかぎさんも、楽天、Yahoo、DeNAなどはどこもECをやっていると応じます。飯塚さんは、他の人がやっていることはあまりやりたくない性分で、最悪謝ればいいくらいの気持ちで在庫を持つ事業に踏み出したと話しています。
化粧品に興味を持ったきっかけは、テレビCMでよく見かけるドモホルンリンクルの再春館製薬所や、やずやでした。CMを流し続けて儲かるのはどういうビジネスモデルなのか、飯塚さんは疑問に思ったといいます。
店舗を持たない
地方から通販で配送や対応を行う
広告費をかけられる
店舗コストがない分、CMなどに投資できる
サンプルで接点を作る
無料サンプルを配って商品を試してもらう
飯塚さんは、店舗を持たずに広告費をかけられる構造に気づき、D2C ── Direct to Consumerの略。メーカーが小売店を通さず、自社サイトなどで消費者に直接商品を販売するモデルですという概念が広まる前の「単品通販」というモデルに感動したといいます。考えた人は本当に天才だと語っています。
飯塚さんは、社内で営業をしていた女性社員に「サプリか化粧品をやろうと思っている」と声をかけ、商品を考えてもらいました。こうして生まれたのがNオーガニックで、その社員にはすごいセンスがあったそうです。
Nオーガニックが当たった理由と、感謝される喜び
飯塚さんがNオーガニックはいけると感じたのは、サイバーエージェントの社員が広告を見て、そのブランドがシロクのものだと知って驚き始めたときでした。Nオーガニックがシロクの商品であることは秘密にしていたといいます。
Nオーガニックが当たった理由について、飯塚さんは運もあったとしつつ、タイミングとコンセプトだったと振り返ります。機能や便益を強く打ち出す通販商品が多い中、コンセプトで売るNオーガニックは見た目も含めて目立てたそうです。
さらに、ネットで物を買う人々にとって「オーガニック」がちょうどよいタイミングだったことも重なったと、飯塚さんは分析しています。
飯塚さんが化粧品事業で最初に感じたのは、お金をもらって感謝されるビジネスは初めてだという感動でした。BtoCアプリでは広告を入れれば文句を言われ、課金すれば「銭ゲバ」と言われたといいます。
プッシュ通知のBtoB事業でも、広告費に1億円を使う会社から、数十万円のプッシュ通知が高いと言われることがあったそうです。飯塚さんは、商売なのに気持ちよく稼ぐのは難しいと感じていました。
Nオーガニックでは、代金を払ったお客様がSNSに投稿してくれたり、手紙を送ってくれたりしました。自社商品だと言わずに母の日に贈った飯塚さんの母親が、その後自分で定期購入していたこともあったそうです。
アプリやプッシュ通知では、お金を取ると批判され、気持ちよく稼ぎにくかった
化粧品では、代金を払ったお客様がSNSや手紙で感謝を伝えてくれた
ブランドは急がず時間が育てる、という気づき
飯塚さんが化粧品事業で得たもう一つの気づきは、ブランド作りには適切な速度があるということです。Nオーガニックは急速にマスへ広がった一方、失ったものも多かったと社内でよく話しているといいます。
Nオーガニックが一気に広がったことで、本来興味を持ってくれるはずのお客様が商業的な匂いを感じて手に取らなくなったり、ネット広告の多さから怪しいと思われたりしたそうです。
飯塚さんには、インターネットのサービスはTikTokやFacebookのような急成長のグラフを描かなければならない、というバイアスがあったといいます。しかし長く続けるブランドには、それに合った速度があると気づいたと語っています。
飯塚さんは、Nオーガニックでは焦りすぎたことが後悔であり、改善点だと振り返ります。しんぺいたかぎさんも、サービスの種類によって適切な成長速度があると応じています。
有形商材の強みと、日本という地の利
飯塚さんは、ビューティー領域のポテンシャルにも注目しています。資生堂、コーセー、ポーラ・オルビス、ロート製薬などは、どこも海外のお客様をしっかり獲得しているといいます。
飯塚さんによれば、インターネットのサービスはコンテンツなら海外へ出やすいものの、プラットフォーム系はハードルが高いそうです。しんぺいたかぎさんも、サイバーエージェントは海外展開をそれほど積極的にしていないと応じます。
一方で有形商材は意外とグローバルに行きやすいと、飯塚さんは考えています。ラウンドワン、ココイチ、ユニクロ、トヨタのような、わかりやすいものが海外で強い例として挙がりました。
化粧品では、どの土地で作られたかがストーリーになります。飯塚さんは日本という地の利は非常に大きいと考え、それ以降はこの領域にフォーカスしたいと話しています。
社長に迎合しない、自己主導型から自己変容型へ
飯塚さんがサイバーエージェントの執行役員になったのは24歳のときです。しんぺいたかぎさんは、起業家とは別の「サイバーエージェント役員」としての顔で何を意識しているのかを尋ねます。
飯塚さんの答えは「変に迎合しない」ことでした。自身も会社を経営していて、社長に賛同してくれる部下は可愛いし、迎合するのは角も立たず一番簡単だと感じるといいます。
それでも飯塚さんは、議論して違うと思えば言うべきだと考えています。役員の中で一番若く世間知らずでもあるため、発言が許される免罪符もあると話しています。
飯塚さんがもう一つ大きかったと挙げるのが、『なぜ人と組織は変われないのか』 ── ハーバード大学のロバート・キーガンらによる書籍。成人の発達段階や、変化を阻む心理的な仕組みを扱っていますという本です。この本で語られる人の発達段階のうち、飯塚さんは自分を「自己主導型」だと考えています。
自己主導型の飯塚さんは、こうあるべきだと思うとそこに強くバイアスがかかるタイプだといいます。一方、藤田社長や古くからの役員は「自己変容型」で、自分の軸を持ちながら社会の軸をとても客観的に見ているそうです。
自分がこうあるべきだと思うと、その考えに強くバイアスがかかる
自分の軸を持ちつつ、社会や客観的な視点から自分たちを見る
飯塚さんは当初、藤田社長らの発言を弱気だと感じることもあったといいます。しかしそれは弱気なのではなく、社会や社員1万人規模のグループがどう受け止めるかを考えていたからだと気づきました。
しんぺいたかぎさんが、柳井さんも客観視が圧倒的に強いと話すと、飯塚さんは、大きな組織やビジネスを作るには主観と客観のバランスが必然なのかもしれないと答えています。
客観性は鍛えられる、世間の評価とのギャップ
飯塚さんは、自己変容型に近づくために、『なぜ人と組織は変われないのか』に出てくる免疫マップ ── 変わりたいのに変われない理由を、目標・阻害行動・隠れた不安などに分けて書き出すワーク。同書で紹介されている手法ですを使ったといいます。社員にも、自分は自己主導型で、自己変容型になりたいからこうすると伝えたそうです。
飯塚さんは、仮説が浮かぶと一気にそちらへ寄ってしまうため、それを避ける「脳みそのスイッチ」をできる限り作るようにしています。以前はムキになりやすかったものの、アンガーマネジメントの本を読んで怒りを抑えられるようになった経験に近いと話します。
しんぺいたかぎさんは、投打をこなす大谷翔平選手のように何でもできる人だと思っていたので、学びながら取り組んでいると聞いてホッとしたと伝えます。
飯塚さんは、世間の見られ方と自分自身の間には常にギャップがあると答えます。Nオーガニックは本当に社員が作ったと思っており、いくつものサービスが当たったのも優秀だからではなく運が良かったと話しています。
打席に立ち続けることが社会のため
今後やりたいことを聞かれた飯塚さんは、事業やサービスを作ることをとにかくずっと続けたいと答えます。単に好きだからというだけではありません。
飯塚さんは、事業を作れる人が打席に立ち続けることが、究極的には社会のためだと考えています。人がそれぞれの得意にフォーカスするのがよい社会だとも話しています。
学生時代から、チャンスを見つけて何かを生み出すことが好きだったという飯塚さん。そうした活動を続けることが、自分にとっても社会にとってもよいのかもしれないと語り、この回は締めくくられます。
まとめ
飯塚勇太さんの歩みは、my365のバズとその限界から始まり、BtoBでの黒字化、逆算から選んだ化粧品事業へと続きます。事業の変化とともに、成長速度や客観性についての考え方も更新されてきたことが語られました。
- my365は1〜2ヶ月で約100万DLに達したが、収益化が難しく、シロクはBtoBのプッシュ通知事業で黒字化した
- 売上1000億円からの逆算と単品通販への関心から、社内の噂に反して在庫を持つNオーガニックが生まれた
- 化粧品事業で、飯塚さんは感謝されながら稼ぐ喜びと、ブランドには適切な成長速度があることを知った
- 飯塚さんは社長に迎合せず、自己主導型から主観と客観のバランスを取る自己変容型を目指している
- 事業を作れる人が打席に立ち続けることが社会のためだと考え、これからも事業づくりを続けたいと語った




