2つのウェブニュースが人生を変えた?
龍崎翔子さんは、自分の人生を変えたのは2つのウェブニュースだったと振り返ります。1つ目は、2014年ごろにAirbnb ── 個人が自宅や空き部屋を旅行者に貸し出せる民泊仲介サービス。アメリカ発で、日本では2014年ごろから広がりましたが日本に上陸したというニュースです。
当時の日本には「民泊」や「バケーションレンタル」という言葉すらなく、Airbnbはまったく新しい概念でした。龍崎さんは親からの仕送りを受けずに暮らしていて生活が苦しく、貧乏な友人と大きな家を借りてAirbnbで貸しながら住む案まで考えていたといいます。
そこから龍崎さんは、Airbnbの仕組みは事業にできるのではないかと考え始めます。それまでホテルはトランプタワーのような何百億円もかかるもので、たどり着く道筋が見えませんでした。
しかしAirbnbを知って、部屋が1つ、ベッドが1つあり、遠くから来た人が過ごせれば、それはもうホテルなのだと気づいたそうです。龍崎さんはこの気づきを「大きな雪玉の最初の1個目を作れた」感覚だったと表現しています。
2つ目は、ゲストハウスを展開するバックパッカーズジャパンの創業を取材した記事です。大学の先輩が送ってくれたもので、「フリーター4人がお金を貯めて起業」という書かれ方をしていました。
龍崎さんは、この記事は今思えばかなり盛ったミスリーディングなタイトルだったと認めています。それでも当時の龍崎さんは「フリーターでできるなら、自分は東大生だ」と感じ、ホテル起業のハードルがいい意味で下がったといいます。
研究者の母と休学した娘、なぜ親子で起業した?
2つのニュースで龍崎さんが起業を意識し始めたころ、母親も転機を迎えていました。研究者として大学で教えていた母親は任期が切れ、翌年からの仕事がない状態だったのです。
龍崎さんによると、アカデミアでは年齢が上がると新しい仕事を見つけにくくなります。一方で母親は実家の購入をきっかけに不動産投資にはまり、近所のゴミ屋敷を300万円で買って自分で片付け、賃貸に出すといったことを始めていました。
龍崎さんの母親は、この不動産の取り組みをもっと広げたいと考えるようになっていました。母親のネクストキャリアの思惑と、有名なホテルをやりたいという龍崎さんの夢が、ここで合致します。
一方、当時の龍崎さんは気持ちが沈んだ時期にあり、将来を聞かれて「博報堂とか広告代理店に入ろうかな」と答えていたといいます。母親からは、広告代理店はあくまで代理業なので、クリエイティブなことをしたいなら自分の会社でやれと言われました。
朝、自転車で通学しながら泣くほど暗い時期だった龍崎さんを、両親はとても心配していたそうです。娘の夢を応援したいという親の気持ちもあり、母娘で事業を始めることが決まりました。
物件サイトをよく見ていた龍崎さんは、北海道・富良野でペンションが売りに出ているのを見つけます。家族で現地へ行き、その場で契約したところから事業が始まりました。
取得資金は母親と一緒に会社を作り、金融機関から融資を受けて用意しました。社会的信用の面から代表は母親が務め、二人はファウンダーとして一緒に立ち上げています。
縁もゆかりもない富良野で若女将に
龍崎さん親子が引き継いだのは、スキー場から歩いて1分ほどの、赤い屋根の木造ペンションでした。客室は13室で、スキーブームの時代に建てられて人気を集めた宿です。
前のオーナーは60代になって引退を考えていたうえ、増えるインバウンド客への英語対応が難しくなっていました。そこで引き継ぎ手を探しており、龍崎さん親子が話を聞きに行ったという経緯です。
龍崎さんは、親がお金持ちで家業を継いだのではないかと疑われることが多いといいます。しかし龍崎さんは「親がお金持ちだったらペンションから始めない」と話し、実態は脱サラした母と大学を休学した娘の起業だったと強調します。
龍崎さんの母親にもビジネス経験はなく、まさに「よーいどん」のスタートでした。ただ母親は主婦としての力が高く、家計管理の感覚で事業を管理し、家のローンを払う感覚で賃貸物件を作ってきた人でした。
富良野のペンションでの役割分担は、母親が清掃のマネジメントと料理、龍崎さんが接客・予約管理・集客という形です。二人は住み込みで働き、清掃はパートさんの力も借りていました。
リノベーションにかけた費用は1000万円に届かず、数百万円で最低限を整えた程度でした。龍崎さんはスリッパで館内を歩いて「いらっしゃいませ」と迎え、荷物も運ぶ、文字どおりの若女将だったといいます。
龍崎さんは、ペンションで1棟を丸ごと回した経験がなければ今の事業は始められなかったと話します。1泊1万円ほどで期待値が高すぎず、失敗しても許してもらえる環境だったからこそ、試行錯誤ができたという見方です。
旅行帰りのFAXが告げた世界中からの予約
富良野のペンションは、借り入れもギリギリで、キャッシュが常に足りない状態から始まりました。建物が特別に良いわけでもない制約の中で、龍崎さんたちは宿泊客に喜んでもらう方法をソフト面で生み出すしかありませんでした。
龍崎さんは、お金をかけず、アイデアと手間で満足度を高める方法を探したことが、今の仕事にもつながっていると振り返ります。毎日40人ほどの宿泊客の名前を全員覚え、全員に話しかけることから始めたそうです。
一方で開業当初のペンションは予約がまったく入らず、龍崎さん親子は開き直って旅行に出かけたほどでした。
旅行から帰った夜9時ごろ、誰もいないはずの宿から大きな物音がしました。恐る恐るのぞくと、FAXから大量の紙が吐き出されていたといいます。
実は親子が旅行している間に、以前契約していたBooking.com ── オランダ発の世界最大級の宿泊予約サイト。海外からの旅行者の利用が多く、日本の宿がインバウンド客を集める主要な窓口の一つになっていますでの客室販売が始まっていました。超繁忙期の夏の富良野に13室の空きが突然出たため、世界中から一気に予約が入ったのです。
龍崎さんは母親と抱き合って喜び、そこから忙しい夏が始まりました。とはいえ初期には、客が入らない焦りや、来てくれても喜んでもらえない不安が常にあったと話しています。
なぜ京都駅の南・九条に新築したのか
富良野のペンション「プチホテルメロン」は、1年目の半ばごろには手応えが出てきました。龍崎さんはさらに別の場所へ進出しようと考え、地元の京都を選びます。
ただ京都での計画は、富良野とは条件が大きく違いました。富良野のペンションは居抜きで過去の売上実績があり、収益予測を示して融資を受けやすかったのに対し、京都は更地からの新築でした。
しかも場所は、京都駅の南側にある九条です。龍崎さんによると、九条はいわゆる「京都ではない」とされる地価の高くないエリアで、関西の土地を知る人から見ればクレイジーな計画でした。
龍崎さんは金融機関を回って資金を集め、翌年の4月にホテルC京都が開業します。更地から半年ほどで宿を建てたといい、土地は数千万円、建物は1億円ちょっとから2億円に届かない程度でした。
龍崎さんは、同じことを今やれば3〜4倍はかかるだろうと話します。
京都の開業にあわせて、会社は京都組と富良野組に分かれていきました。富良野と京都は繁忙期がずれていたため、年間の売上を平準化できたといいます。
夏と冬が繁忙期。閑散期との差が極端
春と秋が繁忙期。富良野の閑散期を補える
社員が増えてからは、夏になると誰かが富良野へ行く体制をとっていました。龍崎さんの名前を知る人が増え始めたのも、ホテルC京都の開業ごろからだそうです。
ポジティブな予定不調和は宿の価値になるか
龍崎さんは、家業に近いペンションから、客室が30室を超えるホテルC京都へ移ったことで、事業として会社を整える必要が出てきたと話します。
もう一つの挑戦は、富良野で見つけた価値を京都でも再現することでした。龍崎さんは、部屋が綺麗か、広いか、バスルームが新しいかは宿の本質的な価値ではないと考えるようになっていました。
龍崎さんが考える宿の価値は、宿泊客がその場所で素晴らしい出会いをすることです。龍崎さんはそれをポジティブな予定不調和と呼んでいます。
富良野のペンションでは夜に無料のバーを開き、宿泊客が1〜2時間集まって大いに盛り上がっていました。このバーを気に入ってリピートする人も多く、龍崎さんにとってはお金をかけずに本質的な価値を見つけて提供できた成功体験になりました。
そこで龍崎さんは、ホテルC京都でもビジネスホテルのような宿ではなく、その場所でしか出会えない出会いが生まれるホテルを目指しました。キャッシュがギリギリでも客室を減らして共有部を確保し、シェアキッチンを設けて人の交流が生まれるよう設計したそうです。
ホテルC京都の開業は桜のシーズンと重なり、15平米ほどの部屋が1泊3万円ほどで売れました。事業計画では1万2000円を想定していたので、約3倍の価格です。4月の稼働率は99%ほどだったといいます。
しかしゴールデンウィークが終わって6月になると、ホテルC京都は1万2000円どころか1万円でも売れなくなりました。9000円、8000円、7000円と下げ続け、一時は6000円でも売らざるを得なかったそうです。
この値崩れを通じて龍崎さんが痛感したのは、宿泊客が感じていた価値が、駅から近い、新しい、英語が通じるといった定量的なものにすぎなかったことです。ホテルC京都の定性的な価値は、客が実感できるほどには伝わっておらず、作れてもいなかったと龍崎さんは振り返ります。
OTA依存はなぜ「真綿で首を絞める」のか
龍崎さんは、マーケットに翻弄される状態が続くと、ホテルはOTA ── オンライン・トラベル・エージェントの略。インターネット上で宿泊や航空券を販売する旅行会社のことで、じゃらんや楽天トラベル、Booking.comなどが代表例ですからの集客に依存してしまうと話します。
龍崎さんによると、OTAの手数料は15〜20%ほどです。ホテル事業の粗利はおよそ50%で、そこから人件費もかかるため、20%を取られると手元にはほとんど残りません。
さらにOTAの中では価格を下げないと売れにくく、価格を下げる動機がとても強く働きます。OTAが勝手にセールをかけることもあると龍崎さんは明かし、聞き手も驚いていました。
OTAのポイント還元も、原資はホテル側の負担だといいます。1万ポイントを貯めた人が1万2000円のホテルで全額使えば、ホテルに入るのは2000円だけです。
定量的な価値しかない
立地や新しさでしか選ばれず、相場に左右される
OTAに集客を頼る
15〜20%の手数料が粗利を削る
値下げ競争に入る
OTA内で売るために価格を下げ、セールやポイントの負担も重なる
手元に残らない
利益が細り、じわじわと首を絞められる
龍崎さんはOTAをありがたいと感じつつも、依存すればするほど真綿で首を絞められていると感じたそうです。そこで、ホテルC自体が旅の目的地になるホテルをつくらなければならないと痛感します。
決定的だったのは、OTAの担当者に言われた一言です。担当者は相談に乗ってくれる人でしたが、「ホテルCに泊まるくらいなら、3000円足して京都駅直結のグランビアに泊まりたい」と言ったといいます。
龍崎さんは失礼だと感じつつも、顧客の立場からすれば真理だと受け止めました。1万2000円に3000円を足せば駅直結のホテルに泊まれるなら、わざわざホテルCを選ぶ理由はありません。龍崎さんは、定量的ではなく定性的な価値を作らなければ意味がないと痛感したと話しています。
ホテルC大阪へ、Twitterで何を研究した?
この課題への答えとして、龍崎さんは翌年、大阪にホテルC大阪を開業することにしました。苦しい中での出店にも見えますが、ホテルC京都は稼働率が高く、数字の上では好調とされていたといいます。
一方で龍崎さんの中には強い課題感がありました。大阪の開業に向けて、龍崎さんは毎日Twitterに没頭し、人が何に心を動かされ、何のために足を運ぶのかを研究したそうです。
Twitterの研究の背景には、ホテルC京都での直販の苦労がありました。OTAの手数料を避けるため、龍崎さんは宿泊客に「友達を紹介してくれたら10%引き」のチケットを大量に配っていましたが、正直に言えば意味がなかったと振り返ります。
龍崎さんの友人が泊まりに来たときも、SNSで発信しようとして「どこで写真を撮ればいい?」と聞かれたり、書いてくれた記事が龍崎さんの思いとまったく違う内容だったりしました。
こうした経験から龍崎さんが何を痛感したのか、という話の続きは後編に持ち越されています。
まとめ
龍崎翔子さんのホテルづくりは、2つのウェブニュースで下がったハードルと、母親との親子起業から始まりました。富良野のペンションでお金をかけずに価値を生む感覚をつかんだ一方、ホテルC京都では、定量的な価値だけでは相場とOTAに翻弄されるという壁に直面しています。
- Airbnb上陸とバックパッカーズジャパンの記事が、ホテル起業を現実的な選択肢に変えた
- 母と娘で住み込み経営した13室のペンションが、試行錯誤できる原点になった
- 富良野で見つけた価値は、宿泊客同士の出会いが生む「ポジティブな予定不調和」だった
- ホテルC京都は開業直後の約3万円から閑散期に6000円まで値崩れし、OTA依存の厳しさを痛感した
- 駅直結ホテルと比べられた経験から、定性的な価値で「旅の目的地」になる必要性が見えた





