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バク然らいぶらりどてらいは物書きなのに、どうにもよくわからない言葉がある。
それは「言語化」。
思考や感情を言葉にすること?
相手に伝わる形にすること?
「言語化できていない」と言えている時点で、それはもう言語化できているのではないか。
そんなパラドックスを抱えたどてらいに、ハマナカ、さかまさみがそれぞれの見方を投げ込んでいく。話は言語化レベル1とレベル2、ロン・ミュエク展の案内文、美術館の鑑賞体験へ。
今日もお聴き流しください。
【要約】
00:00:00 言語化って、ちゃんと説明できます?
今回はどてらいが、物書きとして長年引っかかっていた「言語化」という言葉について話し始める。
昔は、文章を書ける人や話をまとめられる人のことを、いまほど「言語化がうまい」とは言わなかった気がする。
それなのにここ数年で、「言語化できる」「言語化できない」という言葉を急によく聞くようになった。
特に引っかかるのは、「ごめん、言語化できていない」という言い方。
その状態を相手に伝えられているなら、それはもう言語化できているのではないか。
「言語化できない」は、問題の輪郭までぼかしてしまう言葉なのかもしれない。
00:08:04 言語化レベル1とレベル2
ここでハマナカが、「言語化の言語化の言語化」に挑む。
ハマナカの見立てでは、言語化にはレベルがある。
レベル1は、自分の頭の中にあるものを、とりあえず言葉にすること。
一方、現代でよく使われている「言語化」はもっとビジネススキル寄りのものではないか。
頭の中の情報を構造化し、枝葉を落とし、相手に伝わる形に整理して、行動や理解につなげる。
いわば、言語化レベル2。
この意味で使っている人にとっては、レベル1ができていても、レベル2まで到達していなければ「言語化できていない」となる。
世間が言う「言語化」は、もはや単なる言葉化ではなく、構造化スキルなのだ。
00:11:36 戦前からある言葉が、なぜいま流行るのか
どてらいは、さらに「言語化」という言葉の歴史を共有する。
言語化という言葉自体は戦前から存在していた。
もともとは、概念や感覚を言語という形に変換するような、やや学術寄りの硬い言葉。
ところが2020年代に入り、「言語化」は日常語になった。
そのぶん、昔ながらの意味と現代的な意味が混在する。
言葉が流行ると、意味も増殖する。
便利になるが、少しずつ不気味にもなる。
00:18:49 言語化ブームの次に来るもの
ハマナカは、言葉や情報整理が強力なスキルとして扱われる時代が続いた一方で、今後は「言葉ではない体験」への揺り戻しもあるのではないかと語る。
AIが文章を作れるようになった今、人間の側では、身体感覚や、その場にいる体験、言葉にしきれないものが逆に価値を持ち始めるのかもしれない。
00:23:09 美術館の案内文は、体験を助けるのか、奪うのか
ここで話は、前回のロン・ミュエク展へ。
さかまさみは、美術展の案内文について違和感を抱いていた。
作品を見る前に解釈や背景を読んでしまうことで、初見の感覚が薄れてしまうのではないか。
案内文があることで理解は深まる。
だがしかし、それによって自分の目で受け取る前に、見方を決められてしまうこともある。
00:31:32 美術館の作法と、子どもたちの鑑賞態度
展示会場で見かけた子どもたちは、思いのほか静かに、きちんと作品を見ていた。
ただ、作法があるということは、同時に排他性も生む。
そうしたルールは、鑑賞体験を守る一方で、初心者を緊張させることもある。
00:40:00 案内文のバランスと、言葉の届かなさ
案内文は来場者のためにある。
だが、初心者向けに書けば詳しい人には説明しすぎに見え、上級者向けに書けば初心者には置いてけぼりになる。
言葉は、すべての人に同じようには届かない。
00:50:05 言語化は、もつれを引き受ける行為なのかもしれない
言葉は、受け取る人の知識、経験、感性に大きく左右される。
同じ文章を読んでも、初心者と経験者では受け取るものが違う。
わかりやすさと豊かさ。
効率と倫理。
初心者への親切と、余白の尊重。
言語化とは、きれいに答えを出すことではなく、そのもつれを引き受けながら、どこまで届けるかを選ぶ行為なのかもしれない。
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