読み直して気づいた「悲しいだけではない」読後感
山本さんが改めて読み直して、まず感じたのは「本当に名作だ」というキラキラした素敵さでした。
一方で、以前は悲しいイメージがあったといいます。ただ読み直すと、ただ悲しいだけではないと気づいたそうです。
悲しいイメージがあると話していたと思うんですけど、確かに悲しさはあるものの、そんなにただ悲しいだけではないなっていう気づきがあって。ハッピーとまではいかないんですけど、まだ希望があるというか。
この作品のキーワードは「幸い」です。カムパネルラは死んでしまいますが、物語は暗いままでは終わりません。
最後の一文とか、もう一目散に川沿いを町の方へ走りましたっていう、ちょっと元気な感じで終わっていく。そこがなんか、幸いの一部を掴んだような感じがしていいなって思いました。
ただし2人は、それは「幸せ」でも「ハッピー」でもないと確認し合います。喜びとは違う、少し掴みにくい感覚だと話されています。
鉄道という乗り物と、まばゆい自然描写
銀河鉄道は、基本的に亡くなった人が乗り、天上に向かって進む列車として描かれます。死のメタファーとも言える乗り物です。
物語では、たまに途中下車する場面もありますが、基本は車内から車窓の風景を眺める展開が続きます。
山本さんは、宮沢賢治が鉱物や化学、博物学に詳しいことが、描写にリアリティとまばゆさを与えていると指摘します。
水晶やトパーズ、すごい普段見ないものがいっぱい散りばめられてるなみたいな、綺麗さのように感じがします。
一方で山口さんは、自然の描写は細かいのに、人の描写はあっさりしていると気づきます。
自然の方に圧倒的な興味があり、人にはあんまり興味がないというか。その人の表情がどうかっていう話はほぼ出ないじゃないですか。
2人は、ジョバンニとカムパネルラの会話が噛み合っているのかどうか分からない距離感にも触れます。人を自然の一部として捉える死生観が、この物語の中心にあるのではと話されています。
説明しない物語と、抜かれた「説明役」
山口さんは、この物語が「夢オチ」でありながら、具体的な説明がほとんどないことに注目します。
どうやって電車乗るんだろうなと思って読んでたら、気づいたら乗ってるみたいな感じじゃないですか。で、気づいたら乗ってて気づいたら降りてるし。
それでも飛び飛びの展開に違和感を覚えないのは、自然描写や情景の描写力で、移動した先の世界に没入させているからではないかと考えられます。
山本さんは、この物語に複数の稿があることを補足します。以前の稿には「ブルカニロ博士」という説明役の人物が登場していたそうです。
その説明役が最終稿では抜かれています。あえて説明を減らし、感じさせる方向に振ったのではないかと2人は話します。
説明するものじゃなくて感じるものだよっていうのか、考えろよっていうのか、意図はわかんないですけど、説明役を抜くっていうのはちょっと面白いなと思って。
山口さんは、最近のコンテンツが説明過多と言われる点と対比します。例として『鬼滅の刃』の炭治郎がよく喋ることを挙げ、この物語がほとんど説明しないことの新鮮さを語ります。
説明が極端に少なく、飛び飛びの展開を情景描写で没入させる。想像するしかない余白がある
説明過多と言われがち。心情や状況を言葉で丁寧に説明する傾向がある
物語をゲームにする難しさと「クライアント宮沢賢治」
山本さんは、ボードゲームを作る視点で読んだものの、いつものように「ここを取り出そう」というものがパッと出てこなかったと明かします。
普段なら参考の本を読むと、こういうところをゲームに取り出そうかなってパッと出てくるんですけど、取り出せんっていうのが結構第一感想でした。
これまで手がけてきたのは、研修や学びのための、ロジックありきのゲームでした。全てを論理的に説明した上で構造を組み立てる作り方です。
今回はそのロジックがほぼない世界です。山本さんは、そこにどう向き合うかを「結構楽しい」と話します。
話は「今回のクライアントは誰か」という問いに及びます。制作を発注する相手にあたる存在です。
今回の場合、クライアントみたいなのはどうなるんですかね。
山本さんは「まあ僕らですよね」と答えます。そこに山口さんが、クライアントは宮沢賢治なのではないかと付け加えます。
この自然観とか感覚でいうと、やっぱそれになるべく寄り添うものというか。百パーセント史実にのっとったというよりも、それぐらいの捉え方をした方がいいのではないかな。
2人は、単に鉄道すごろくにして「幸いポイントを集めよう」とするようなゲームでは、クライアントである宮沢賢治は納得しないだろうと笑い合います。
鉄道と星座、外せないキーワード
拡張して考えるなら、星座は欠かせないキーワードだと2人は一致します。銀河、鉄道、星座を軸に置きたいと話します。
特に「鉄道」という乗り物に、重要な意味を見出します。車や船ではなく、鉄道であることがポイントだといいます。
自分で運転するんじゃないみたいなことめっちゃポイントだと思うんですよ。どこ行くかわかんないけど、外綺麗だし乗ろうか、みたいなのが最初の気持ちなわけじゃないですか。
山本さんは、能動と受動でいえば受動的な乗り物であり、その中でも船や飛行機ではなく電車である点が鍵だと整理します。
さらに、途中下車できることも重要です。意識すれば寄り道はできるが、意識しなければ終点までたどり着いてしまう構造です。
この「終点は天上」という行き先の固定も、今回の物語を象徴する一要素だと話されています。
登場人物は必須か、読書体験をどう残すか
話題は、ゲームに登場人物を出すべきかどうかに移ります。山口さんはボードゲーム作りに詳しくないとしつつ、ジョバンニやカムパネルラが出てくるのか疑問を投げます。
2人は、登場人物は必須ではないという見方で一致します。自然が濃く、人が背景寄りになっている物語だからです。
むしろ入れると結構縛られるような気がして。「あの人あのセリフは?」とか「本当はこうしないじゃん」みたいなのがありそうだなと。
通常の漫画や映画のボードゲームでは、キャラごとの能力がゲームの核になります。今回はそうではない感じがすると話されています。
一方で山本さんは、読んだときの体験そのものを大事にしたいと語ります。寂しいだけではなく、キラキラして綺麗な感覚。脈絡なくパパパと進む感じ。そうしたものを散りばめたいといいます。
今回はストーリーそのものよりも、世界観や舞台設定が重要かもしれないと2人はまとめます。
どんでん返しではない構成と「幸い」の循環
山口さんは、この物語が別れを惜しむだけの悲しい話ではないことに、改めて驚いたと話します。
物語の途中で、これが死後の列車だと直接的にわかる場面があります。船の遭難で亡くなった姉弟や、彼らを助けようとして水難事故に遭った青年が乗っているからです。
つまり「実は死んでいた」というどんでん返しは、この物語では重要ではない、と2人は読み解きます。カムパネルラの死は最後に明かされますが、その事実は途中でぬるっと示されているからです。
自分の幸いは、相手に何をしてあげられるんだろうみたいな。相手の幸いのために考えたり行動することが幸いであるみたいな。結局、死とか生って循環しているような世界観みたいな。
山口さんは、それを「循環」というより「円環」と言い換えます。ぐるっと回る感じだと表現します。
話すほど世界は広がり、まだ収束には向かいません。ただ2人は、今回は発散の回として、それでよいと話します。次回は、ボードゲームの方向性を話せるといいと締めくくられました。
まとめ
『銀河鉄道の夜』を読み直した2人は、悲しさの奥にある「幸い」や、人ではなく自然を中心に置いた死生観、そして説明しない物語の余白に注目しました。鉄道や星座を軸に、読んだときの体験をどう残すかを問いながら、ボードゲーム化の種を探る発散の回となりました。
- 悲しいだけの物語ではなく、幸いの一部を掴んだような希望のある読後感がある
- 人の描写はあっさりしており、物語の中心は人ではなく自然にあると読み解かれた
- 最終稿では説明役が抜かれ、説明せず感じさせる余白がこの物語の特徴になっている
- 鉄道は受動的でルートが決まった乗り物であり、星座とともに外せないキーワードとされた
- 登場人物は必須ではなく、世界観や読書体験そのものを残すことが今回の焦点になっている
