ノーベル賞受賞者17人が集まった伝説の会議とは?
この回のテーマは、1927年にベルギーで開かれた第5回ソルベー会議です。レンさんはこの会議を「歴史上で一番好きな会議」と紹介し、物理学史上もっとも重要な会合のひとつと言われていると説明します。
冒頭は、会議が好きかどうかという雑談から始まります。エマさんは「嫌い」と即答しつつも、時間を無駄にせず目的を達成できれば、いい会議もあると認めます。
これ参加者29人しかいないんですけど、17人がノーベル賞を取ってます。
やば。頭良すぎでしょ。
ソルベー会議の参加者には、アインシュタイン、ボーア、ハイゼンベルク、マックス・プランク、キュリー夫人などが名を連ねます。そして、この回の主役となるシュレディンガーもその一人でした。
レンさんによれば、ソルベー会議はメンバーが豪華なだけでなく、そこで起きたこともすごかったといいます。これまでサイエントークで紹介してきた物理学者たちが一堂に会し、量子とは結局何なのかをめぐって激論を交わした、いわば集大成の会議です。
旧物理学系の感じと新物理学系の感じのバトルなんですよ。
レンさんは、その論争の中でもシュレディンガーには哀愁があり、立場が複雑だと話します。今回はシュレディンガー軸で会議の中身をたどり、これまでの原子・量子シリーズの一区切りにするという構成です。
戦争と音から始まった?遅咲きの物理学者シュレディンガー
シュレディンガーはオーストリアのウィーン生まれで、1800年代の末に生まれた人物です。学者を目指して勉強を続けていましたが、途中で第一次世界大戦が起こり、イタリア方面の戦争にも参加していました。
レンさんが紹介するのは、シュレディンガーが戦争中に大砲の爆発音がやたら遠くで聞こえることを気にしていた、という話です。音も波の一種であり、のちに波の研究で名を残す人物の興味のきっかけになった可能性があると言われています。
これはそういう興味のきっかけになった可能性は言われてるけど、実際どうだかわかんないけどね。
終戦後、シュレディンガーは大学で研究を続けますが、40歳近くになる1925年ごろまでは大きな成果を残していませんでした。そこから一気に、量子をめぐる激動の論争へ巻き込まれていくことになります。
「神はサイコロを振らない」実在論派と新しい物理学の対立
1920年代の物理学界では、昔ながらの考え方をする人たちと新しい考え方をする人たちが揉めていました。昔の考え方のリーダーはアインシュタインで、この立場は実在論 ── 観測するかどうかに関係なく、物の状態や性質はあらかじめ決まっているとする考え方。古典物理学の前提でもあります派と呼ばれます。
対立のきっかけは、物がとても小さくなると普通の物理学では計算できず、電子の位置とスピードを同時に決められない、という話が出てきたことでした。電子が「50%ぐらいの確率でこの辺にいる」といった論文が現れ、アインシュタインはこれに反発します。
そんなサイコロ振って決めるみたいな偶然任せのものは物理学じゃないだろうっていう。
意外なのは、シュレディンガーもアインシュタインと同じ実在論派だったことです。エマさんは「シュレディンガーの猫」や「シュレディンガー方程式」から、量子の新しい物理学側の人だと思っていたと驚きます。
実はあれ(シュレディンガーの猫)、全然シュレディンガーさんの主張ではないんよ。
一方、新しい物理学の側は「小さい世界は確率でしかわからないことがある」と考えます。こちらのリーダーはボーアで、前回紹介された弟子のハイゼンベルクもこの立場でした。
ハイゼンベルクは、電子を太陽系のようなイメージで想像するのをやめ、数式だけで記述しようとした人物です。行列で計算すると実験に合うことを示しました。
ただ、数式こそすべてという新しい派の考え方では、電子の実体が見えず、映像がまったく浮かびません。アインシュタインは落胆し、「反発さえ覚えた」という趣旨の記述を残しているといいます。
リーダーはアインシュタイン。シュレディンガーもこちら。物の状態は確率ではなく必ず決まっているはずだと考える
リーダーはボーア。ハイゼンベルクもこちら。小さい世界は確率でしかわからないことがあると考える
電子も波なのでは?ドブロイの物質波からシュレディンガー方程式へ
数式だけでわけのわからないことを言う人たちを「ギャフンと言わせる」理論はないか。そこで登場したのが、アインシュタインと仲の良かったシュレディンガーです。
土台になったのは、ドブロイという人物が提唱した物質波 ── 電子のような物質の粒子も波としての性質を持つという考え方。ドブロイが1920年代に提唱しましたという概念です。光が波と粒子の両方の性質を持つことはわかってきていましたが、電子も波なのではないか、という仮説でした。
電子はその時までは粒オンリーって思われてたけど、電子も波なんじゃない?みたいな。
アインシュタインはこの考え方を絶賛します。電子が波なら、これまでの物理学でもちゃんと計算できるからです。アインシュタイン自身は、光については波と粒子の二重性を認めていましたが、電子は粒だと考えていました。
シュレディンガーが取り組んだのは、電子が波として存在するなら、それを計算する式を作ればよい、という課題でした。こうして生まれたのが、物理学の超有名な方程式であるシュレディンガー方程式(波動方程式)です。
愛人とアルプスで2週間半、クリスマス休暇に変わった歴史
シュレディンガー方程式が見つかったのは、1925年のクリスマス休暇中のことでした。エマさんは「何十年も研究してやっと」ではないのかと驚きますが、レンさんは休暇の2週間半で歴史を変えたと説明します。
この発見には癖の強いエピソードがあります。チューリッヒに住んでいた既婚のシュレディンガーは、妻を残してスイスのアルプスへ出かけ、そこに愛人を同伴していたと言われています。
両耳に真珠を入れて、雑音をシャットアウトして、ベッドに愛人を寝かせて、猛烈な集中力で計算に取り組んだと言われてるんだよね。
同伴した女性が誰だったのかは、昔の元恋人だったという説などがあるものの、はっきりしていません。レンさんは、シュレディンガーが浮気の多いだらしない人物だったとも付け加えます。
アルプスで導いたシュレディンガー方程式は、ボーアが考えた原子のモデル、つまり電子がレールのような軌道に乗り、そこからジャンプするときに光が出るという説明と一致しました。水素原子のエネルギーも計算でき、実験結果とも合っていました。
シュレディンガーはあまりの興奮に数日間誰とも口が利けなかったとも言われています。電子が波で計算できるなら、ニュートン以来の物理学の延長で説明でき、確率のような新しい考え方はいらないと言えるのではないか。シュレディンガー方程式には、そんな期待がかかっていました。
「それはクソだ」ハイゼンベルクの激怒と、2つの式の一致
シュレディンガー方程式の登場でアインシュタインは大喜びしますが、ハイゼンベルクは激怒します。自分が行列で頑張って示したものを、シュレディンガーが否定し、波の方が正しいと主張したからです。
手紙の中で。「シュレディンガーが言ってることは正しくない。言い換えるとそれはクソだ」っていう。
レンさんは、手紙の元の記述まで確認したと話します。計算手法の優劣ではなく、どちらが正しいかをめぐる、宗教戦争のような争いになっていたといいます。
エマさんは、違う表し方があるとお互いに認め合えばいいのに、と疑問を投げかけます。実際、シュレディンガー方程式でも電子の位置を特定できないことは、ハイゼンベルクの方法と変わりませんでした。
その後、シュレディンガーは自分の方程式をいろいろ変換した結果、ハイゼンベルクの行列と全く同じ性質を持つことに気づいてしまいます。そして、そのことをしぶしぶ発表しました。
行列で計算。波は粒子がどこにいるかの確率を表しているだけだと解釈
波として計算。電子は波そのものだと解釈
2つの式は数学的には一致し、答えはすでに出ていました。残ったのは解釈の問題で、ここから論争は解釈をめぐる、きわめて人間臭いものになっていきます。
だからもう式的にはもう答え出てるのよ。あとはもう解釈の問題。
朝食から深夜まで、ボーアの家で続いた終わらない議論
1926年、シュレディンガーのもとにボーアから招待状が届きます。デンマークのコペンハーゲンに来て、直接議論しないかという誘いでした。
シュレディンガーは、自分の方程式がボーアのモデルを裏づけたのだから、ボーアも納得してくれるはずだと期待していました。しかし、この訪問はシュレディンガーにとって悪夢のような体験だったと言われています。
ボーアはとても礼儀正しい人でしたが、議論には厳しい人物でした。デンマークに着いた瞬間から議論が始まり、朝食から深夜まで「波だけだという考えは昔の物理学に引っ張られすぎだ、新しい解釈をしなければダメだ」と迫り続けたといいます。
招待
1926年、ボーアからコペンハーゲンへ招かれる
連日の議論
朝食から深夜まで新しい解釈を迫られる
高熱で倒れる
ストレスでボーアの家の客室で寝込む
決裂
解釈を認めずにコペンハーゲンを去る
シュレディンガーはストレスで高熱を出し、ボーアの家の客室で寝込んでしまいます。ボーアの妻が看病する合間にも、ボーアは枕元に座って説得を続けました。
「でもシュレディンガー、君は認めなきゃいけないよ」っていうのを言ったらしい。
こわ。
シュレディンガーは後に、量子論に関わったことを後悔しているという言葉を残しています。結局、ボーアとシュレディンガーは決裂し、二人は仲が悪くなりました。
ボーアの主張は、電子が軌道からジャンプする現象を波動方程式だけでは説明できない、というものでした。レンさんは、現代から見ればボーアの側が合っていると話します。一方、シュレディンガーは、ほぼすべてを説明できる自分の方程式が正しいと信じていました。
皮肉なことに、シュレディンガー方程式はボーアのモデルを理論的に裏づけるもので、ボーアにとってはむしろプラスでした。シュレディンガーは相手に強い武器を与えたうえで、自分は昔の物理学で戦わなければならないという、複雑な立場に置かれていました。
ボーア・ハイゼンベルク組とアインシュタイン・シュレディンガー組の頂上決戦
決裂の翌年、1927年に開かれたのが第5回ソルベー会議です。この年のテーマは「電子と光子」で、29人中17人がノーベル賞受賞者という、空前絶後の顔ぶれと言われています。
ソルベー会議の構図は、ボーアとハイゼンベルクのチームと、シュレディンガーとアインシュタインのチームの直接対決でした。レンさんは『半沢直樹』を、エマさんは『ONE PIECE』の頂上戦争を思い浮かべて盛り上がります。
シュレディンガーは、自分の方程式があれば電子は波で説明できると主張しました。しかし、この主張には弱点がありました。電子が1個なら計算できても、2個以上になると説明できなくなるのです。
電子が増えた時に、方程式ってもっと多次元になっちゃうと。
電子が増えると方程式は多次元の波になり、それを現実の3次元空間でどう理解すればいいのかと問われて、シュレディンガーは答えられなかったと言われています。数学的な抽象概念になってしまい、説得力を欠いたのです。
アインシュタインも、朝食の時間に新しい思考実験をボーアに投げかけました。ボーアはその日の夕方には反論を用意して論破する、という応酬が続いたといいます。
結論として、アインシュタイン側は答えられないことが出てきた一方、ボーア側は穴を突かれてもきちんと答えられました。ソルベー会議は完全にボーア側の勝利に終わり、ボーアたちはシュレディンガーの波動方程式を使って、確率や不確定性を扱う結論へ進みました。
量子とは何か?コペンハーゲン解釈が決めたこと
アインシュタインとシュレディンガーは、ソルベー会議で負けたあとも死ぬまで納得しませんでした。ただ学会としては、ボーアのいたコペンハーゲンにちなむコペンハーゲン解釈 ── 量子の状態は観測するまで確率的にしか決まらず、観測によって一つの結果が定まるとする解釈。量子力学の標準的な考え方として広く教えられていますがスタンダードとなり、確率を認める流れが決まります。
レンさんは改めて、量子とは特定の物の名前ではないと説明します。量子という名前の粒があるわけではなく、ある小さな単位で区切られたエネルギーや物質の塊を総称して量子と呼びます。電子も陽子も中性子も光子も量子です。
この考え方を、レンさんはプランクの回でも使った時計のたとえで説明します。波のように途切れ目なく滑らかなアナログの世界も、とても小さなところまで見ると、デジタル時計のようにカチッと区切られた最小単位がある、というイメージです。
エネルギーや光は途切れ目なく滑らかに変化すると考える
とても小さく見ると、カチッと区切られた最小単位がある
最小単位があるという点までは、アインシュタインも認めていました。そもそも、光は粒の要素を持つと言ったのはアインシュタインです。
意見が分かれたのは、その先でした。電子は人間が観測するまで粒なのか波なのかわからず、観測したときに初めてどちらかが確率的に決まる。ボーアはこれを認め、アインシュタインは認めませんでした。
だからまあ、その確率が入るかどうかってことだよね。
1927年から1982年へ、ボーアが主流になるまでの長い道のり
エマさんは、会議でボーアが勝っても、すぐに物理学界の常識になったわけではないのでは、と問いかけます。レンさんの答えによれば、事実上ボーア派が主流になったのは1927年のソルベー会議からでした。
ただし学者たちは、もしかしたら違うのではないかと穴を探して研究を続けます。20年以上の検証を経て、1950年代に入ってボーアの考えが正しそうだと見なされるようになり、コペンハーゲン解釈という名前も後付けでついたといいます。
決定的な実験は1982年、アラン・アスペによるものでした。アインシュタインが唱えていた「実は隠れた変数があるのではないか」という可能性が否定されたのです。
それでも、1982年の実験はコペンハーゲン解釈が正解だと証明したわけではありません。多世界解釈など、ほかの解釈の可能性がまだ残っているからです。
だからもしかしたら今後新しい解釈が出てきて、実はボーアが言ってたやつも違うとかなる可能性はゼロではない。
レンさんは、学問とはいかに断言することが難しいかを示すものだと話します。エマさんは、1000年後、2000年後から見れば、今の議論は発展途上だったと言われるかもしれないと想像します。
樽サイズなら爆発と不発が半々?アインシュタイン最後の抵抗
アインシュタインは最後まで反論の論文を出し続けました。その一つが、火薬の樽を使った思考実験です。
火薬の入った樽が1年後に爆発するかどうかが半々の確率だとします。量子力学の計算をそのまま当てはめると、爆発した状態と爆発していない状態が混ざった状態になりますが、現実にはそんな状態はありえない、というのがアインシュタインの主張でした。
エマさんは、大きなものも量子からできているのに、なぜ小さいものは確率で決まり、大きいものは必然的に決まるのか、そこがわからないと指摘します。どのサイズまでが量子として振る舞うのかという問いです。
今年のノーベル物理学賞はそれなんすよね。
レンさんによれば、今年のノーベル物理学賞は、これまでで一番大きなサイズで量子の振る舞いを観察した研究に贈られたといいます。この回の話を聞いたあとなら、その意味がわかるはずだと話し、改めて紹介する意向を示しました。
「シュレディンガーの猫」は本当は何を言いたかったのか
アインシュタインの樽の話に感化されて、シュレディンガーが考えたのが有名な「シュレディンガーの猫」です。箱の中に猫と放射性物質、そして放射性物質に反応して出る毒の装置を入れ、50%ほどの確率で毒が出るようにします。
コペンハーゲン解釈の通りに確率を認めるなら、箱を開けるまで猫は生きている状態と死んでいる状態が混ざっていることになります。シュレディンガーは、そんなことはありえないと主張するためにこの思考実験を考えたのです。
エマさんは、開けるまでわからないなら両方の確率があると言えるのでは、と問い返します。レンさんは、猫のサイズなら別の方法で中の様子を知ることもでき、生と死が混ざった状態という考えは常識的には受け入れにくいと説明します。
開ける前から生死は決まっている。開けて確認しただけ
開けるまで生と死が半々の状態で、開けた瞬間に決まる
レンさんは、猫の代わりにランダムでオンかオフになる装置を考えるとわかりやすいと言います。箱を開けるまでオンとオフが半々の状態と言えるのか、という問いです。
エマさんは、箱の中で高速にオンとオフが切り替わり、開けると止まるというアイデアを出します。しかしレンさんは、それはオンかオフかがその瞬間ごとに決まっているので、むしろアインシュタイン側の考え方だと指摘します。
ひどいひどい。せっかく考えたのに。
コペンハーゲン解釈に近いのは、オンとオフの間、つまりオンとオフが同時に存在する状態を考えることです。これが重ね合わせ ── 量子が複数の状態を同時にとっている状態のこと。観測すると、そのうちの一つの結果が確率的に得られますと呼ばれるもので、粒でもあり波でもあるという話もこれにあたります。
レンさんの結論は、シュレディンガーの猫はシュレディンガーの主張ではなく、アインシュタインもそんなことは起きないと考えていたものの、実際には重ね合わせを考えないと量子の世界は計算できないとわかった、というものです。
統一場理論で孤立へ、シュレディンガー哀愁の晩年
シュレディンガーは生物学にも関わり、遺伝子についての仮説を出して、ワトソンとクリックに影響を与えたといいます。ただ、この話は今回は詳しく扱わず、DNAの話として別の機会に回されました。
晩年のシュレディンガーは、アインシュタインと同じく、重力や電磁気力を統合する統一場理論 ── 自然界の力を一つの理論でまとめて説明しようとする理論。アインシュタインも晩年に取り組みましたが、完成には至りませんでしたを作ろうとします。1947年に「ついにできた」と発表しましたが、アインシュタインの反応は冷たく、最後は仲違いしてしまいました。
シュレディンガーはその後、物理学の主流から孤立し、1961年に結核で亡くなります。それでもシュレディンガー方程式は正しく、今も大学で教えられています。
シュレディンガーのお墓はオーストリアのチロル地方、アルプバッハという村にあり、墓標の十字架にはシュレディンガー方程式が刻まれているといいます。
レンさんは、高度で人間離れした研究をしている学者たちが、解釈をめぐっては人間らしく激論する姿が好きだと話します。エマさんも「結局、人間は感情がありますからね」と応じます。
「量子力学コーチング」はなぜ嘘なのか?
レンさんは、量子力学の解釈が「何が正しいと言い切れない」ものであるために、感情やメンタルと無理やり結びつけられることがあると指摘します。量子力学コーチングをうたう人や、引き寄せの法則は量子力学で証明されていると言う人もいるといいます。
いや、全部嘘っす。
レンさんは、そうした人たちはシュレディンガー方程式もハイゼンベルクの行列もわかっておらず、それっぽいからマーケティングに使っているだけだろうと話します。「観測してないから可能性が無限にある」といった言い回しも、話のネタとしては面白いものの、量子力学ではありません。
エマさんは、オーラや魔法、神の教えとして語るなら誰も証明できないので自由だが、量子力学を名乗るのはおかしいと同意します。レンさんは、陰謀論も構造が近いと注意を促しました。
ビッグバンから3年、科学史「世界の正体編」完結と次の構想
この回で、原子と量子を扱ってきた「世界の正体編」は一区切りとなりました。レンさんは、3年ほど前にビッグバンから科学史を始めたとき、シュレディンガーをゴールに置いていたと明かします。
ようやくね、たどり着きました、シュレディンガーまで。
ただ、1927年で止まっていては現代に届いておらず中途半端だ、という点で二人の意見は一致します。たとえばソルベー会議に出席していたマックス・ボルンは、コンピューター開発者やオッペンハイマーの師匠でもあり、現代へつながる話題はたくさんあります。
そこで構想されているのが、科学史の本当の最終シリーズとなる「究極の発明編」です。人間が生み出した物にフォーカスし、現代にたどり着いてゴールする計画だといいます。
レンさんが激推しするゴムのほか、医薬品やコンピューター、エマさんが挙げた飛行機、電話、マイク、スマホ、インターネットなどが候補に挙がりました。ポッドキャスターとしてマイクはやるべきだ、という声も出ます。
レンさんは、現代社会の当たり前は当たり前ではなく、人間の好奇心はすごい、というハッピーエンドにしたいと話します。エマさんも収録前に観た『火垂るの墓』を挙げ、今あるものを知って感謝したいと語りました。
JAPAN PODCAST AWARDSで再挑戦、リベンジへの投票のお願い
最後は、ポッドキャストアワードの次回開催の告知です。サイエントークは今年3月のアワードでリスナーの投票により上位20位に入り、エマさんはイギリスから会場に駆けつけましたが、受賞はできませんでした。
できなかったんで、もう今回こそはリベンジしたい。
次回はプロとアマチュアの部門が分かれ、それぞれ10番組ほどになる見込みだといいます。新しい番組やYouTubeからの参入も増えており、レンさんは1票が運命を分けるほどギリギリの戦いになると見ています。
投票期間は12月1日から約1か月で、終了日は投票終了日です。レンさんは、ポッドキャストアワードで検索してサイエントークに1票を入れてほしいと呼びかけ、別途アワード向けのスペシャルエピソードも用意すると話しました。
まとめ
1927年の第5回ソルベー会議は、量子の正体をめぐって旧来の実在論派とボーアら新しい派が激突した場であり、シュレディンガーは自らの方程式で相手を強くしながら、最後まで確率の解釈を認めなかった人物として描かれました。
- シュレディンガー方程式は1925年のクリスマス休暇に生まれ、ハイゼンベルクの行列と数学的に同じだとわかった
- ボーアの家での議論とソルベー会議を経て、確率を認めるコペンハーゲン解釈が主流になった
- 「シュレディンガーの猫」は、確率解釈を批判するための思考実験だった
- 1982年の実験で隠れた変数説は否定されたが、解釈の議論は今も続いている
- 量子力学をスピリチュアルやコーチングに使うのは誤用だと注意が促された



