人間vsウイルスの戦い!抗ウイルス薬とワクチンの科学史を語ろう
サイエントークのレンさんとエマさんが、地球上にあふれるウイルスの正体から、人類がどうやってウイルスを発見し、ワクチンや抗ウイルス薬で戦ってきたのかを語りました。ウイルス学の歴史をたどりながら、次のパンデミックへの備えや科学リテラシーの大切さまで話が広がったその内容をまとめます。
地球の真の支配者?ウイルスの圧倒的な数と人間との関わり
「地球を支配しているのは人間」と思いがちですが、ウイルスの存在感は想像を超えています。全人類の体重の合計と地球上のウイルスの質量を比べると、ウイルスのほうが3倍以上重いのだそうです。数で言えば、全宇宙の星の数のさらに1000万倍以上のウイルスが地球上にいると推定されています。
しかもウイルスは病気を引き起こすだけでなく、私たちの体そのものに影響を与えています。人間のDNAの約8%は、大昔に感染したウイルスの残骸に由来するとされています。レンさんによれば、チンパンジーと人間のDNAの差がわずか約2%であることを考えると、8%という数字はかなり大きいとのこと。
さらに興味深いのは、ウイルスが哺乳類の進化にも関わっている可能性です。昔のウイルスが持っていたシンシチンレトロウイルス由来の遺伝子。細胞同士を融合させる機能を持ち、胎盤の形成に関与していると考えられています。という遺伝子が細胞融合を引き起こし、それが胎盤の形成につながったのではないかという説があります。もしウイルスがいなければ、人間は卵から生まれる生き物だったかもしれません。
僕たちってウイルスと本当に密接に関わってるんですよね
生物か非生物か──ウイルスとは何者なのか
ウイルスの定義として大事な要素は大きく3つあります。①DNAまたはRNAなどの遺伝子を持っていること、②他の細胞を利用して増殖すること、③細胞構造を持っていないこと。ミトコンドリアなどの細胞小器官細胞内で特定の機能を担う構造体。ミトコンドリア(エネルギー産生)やリボソーム(タンパク質合成)などがある。はなく、遺伝子とそれを包むタンパク質の殻(カプシド)だけという非常にシンプルな構造です。
・細胞構造を持つ
・自分でエネルギーを生み出せる
・自力で複製・増殖できる
・生物として分類される
・細胞構造を持たない
・自前のエネルギー産生なし
・他の細胞を借りて増殖
・生物と非生物の中間
生物の定義には「細胞を持ち、自分で複製できること」が含まれるため、ウイルスはこの条件を満たしません。しかし他の細胞に入ると生物のように振る舞い、増殖や変異もします。現在のところ、ウイルスが生物か非生物かは学者の間でも意見が分かれたままです。
ウイルスはどこから来たのか?──3つの仮説
ウイルスの起源についてもいくつかの説が提唱されています。1つ目は、細胞の一部がちぎれ、DNAを含んだまま独立した存在になったという「脱出説」。2つ目は、もともと小さな細胞だったものが大きな細胞に寄生を繰り返すうちにどんどんシンプルになり、現在のウイルスの形になったという「退化説」。3つ目は、細胞が誕生する前から存在した自己複製する分子が起源だという「ウイルス先行説」。いずれも決定打はなく、研究が続いています。
見えない敵の発見──細菌より小さな「生きた液体」
ウイルスのサイズ感を伝えるために、レンさんはこんな比較を紹介しました。塩の一粒の辺に沿って並べた場合、人間の皮膚細胞は約10個、細菌は約100個、ウイルスなら約1000個並ぶといいます。人間の体をエベレストに例えると、ウイルスはビー玉サイズ。それほど小さい存在が大量に押し寄せて体を蝕むわけです。
1800年代後半に「病気の原因は細菌だ」と判明したことは大きな進歩でしたが、同時に「犯人は細菌だ」という先入観に研究者を縛ることにもなりました。1892年、ロシアの植物学者ドミトリー・イワノフスキーロシアの植物学者(1864-1920)。タバコモザイク病の病原体が細菌ろ過器を通過することを発見し、のちにウイルス学の端緒を開いた人物とされる。がタバコの病気の原因を突き止めようと、細菌すら通さないほど細かいろ過器を使って実験を行います。原理的には、ろ過された液体には細菌がいないはずなのに、それを健康な葉に塗ると病気が発症してしまいました。
ただしこの研究者自身は「細菌が原因」という考えから抜け出せず、ろ過器の不具合や細菌の毒素が原因ではないかと考察にとどまりました。6年後、同様の実験をしたマルティヌス・ベイエリンクオランダの微生物学者(1851-1931)。タバコモザイク病の病原体を「生きた感染性の液体(contagium vivum fluidum)」と名付け、細菌とは異なる新しい存在を提唱した。が「これは細菌では説明がつかない」と認め、新しい概念が必要だと結論づけます。ただし、彼はこの未知の病原体を「生きた液状の感染体」と名付けました。当時の顕微鏡では何も見えなかったため、液体そのものが生きているという解釈になったのです。
人間からしたら追い求めてた謎の敵の正体がやっとわかったぞってなって、別の種類の敵がいることに気づかないってことだよね
白い粉の正体──結晶化と電子顕微鏡
さらに30年以上が経った1935年、アメリカの生化学者ウェンデル・スタンレーアメリカの生化学者(1904-1971)。タバコモザイクウイルスの結晶化に成功し、1946年にノーベル化学賞を受賞した。がとにかく大量の病気のタバコの葉をトラック何台分も集め、ひき肉製造機でバラバラにし、ろ過や遠心分離を繰り返して「スプーン一杯の白い粉」を取り出すことに成功します。この白い粉──結晶──を水に溶かして葉に塗ると、きちんと病気が発症しました。生き物であれば結晶にはなりません。ウイルスとは、生物とも非生物とも言えない、まったく新しい存在だったのです。
ほぼ同じ時期に電子顕微鏡電子線を使って試料を観察する顕微鏡。光学顕微鏡の約1000倍の分解能を持ち、ウイルスの形態を直接観察できる。1930年代に実用化された。が発明され、幾何学的なカプセルや棒状の構造が確認されました。ウイルスの姿を人間が初めて見てから、まだ100年も経っていません。
人類vs天然痘──ワクチン誕生と唯一の根絶成功
ウイルスの正体がわかる遥か前から、人間はウイルスとの戦いを強いられていました。その代表格が天然痘天然痘ウイルス(Variola virus)による感染症。全身に水疱・膿疱が広がり、致死率は約30%。1980年にWHOが根絶を宣言した、人類が唯一根絶に成功した感染症。です。致死率は約30%で、大航海時代にはヨーロッパ人が持ち込んだ天然痘がアステカ帝国14〜16世紀にメキシコ中央部に栄えた帝国。スペインの征服者コルテスの侵攻と天然痘の流行により壊滅的な打撃を受け、1521年に滅亡した。やインカ帝国15〜16世紀に南米アンデス地域を支配した帝国。スペインの征服者ピサロの侵攻に加え、天然痘の蔓延が帝国崩壊を加速させた。を壊滅させています。20世紀だけで天然痘による死者は3〜5億人にのぼるとされ、同じ世紀の戦争による死者(約1.5億人)を大きく上回ります。
古くから、天然痘患者の膿やかさぶたを健康な人の傷口につけたり粉末にして鼻から吸い込ませたりして、あえて軽い天然痘にかからせることで予防する方法が知られていました。致死率30%の病気に対して、この予防法の死亡率は2〜3%。現代から見れば危険なギャンブルですが、当時はリスクとして受け入れられていました。
1796年、イギリスの医師エドワード・ジェンナーイギリスの医師(1749-1823)。牛痘を用いた種痘法を開発し、「ワクチンの父」と呼ばれる。牛を意味するラテン語「vacca」が「ワクチン(vaccine)」の語源となった。は革命的な一歩を踏み出します。「牛痘にかかった乳搾りの女性は天然痘にかからない」という言い伝えに注目し、牛痘に感染した女性の膿を8歳の少年の腕に接種。少年は軽い牛痘の症状が出ただけですぐ回復し、その後に本物の天然痘ウイルスを接種しても発症しませんでした。現代の倫理基準ではとうてい許されない実験ですが、これによって「ワクチン」が誕生しました。ワクチンという名前は、牛を意味するラテン語「vacca」に由来しています。
ワクチンは免疫システムを「訓練」する仕組みです。牛痘に対する免疫ができると、構造の似た天然痘ウイルスが入ってきた際にも訓練済みの免疫細胞が素早く対応できるようになります。こうして天然痘の感染者は徐々に減少し、約200年かけて1980年にWHOが根絶を宣言しました。これは人類がウイルスを根絶できた唯一の成功例です。
注目すべきは、この戦いの大部分が「ウイルスの正体がわかっていない」段階で行われていたことです。日本では1976年まで天然痘ワクチンの定期接種が行われていましたが、DNAの二重らせん構造が解明されたのは1950年代。メカニズムの理解は後から追いかけてきたのです。
ウイルスを騙す──抗ウイルス薬の精巧な仕組み
ワクチンは予防の手段ですが、体内に入ってしまったウイルスを治療するのはまた別の難題です。細菌の場合は、細胞壁など人間の細胞にはない「自前のパーツ」が多く、そこを狙い撃ちする抗菌薬を作れます。しかしウイルスは人間の細胞の中に入り込み、人間の細胞のシステムを借りて増殖するため、ウイルスの増殖を止めようとすると人間の細胞にもダメージを与えてしまいます。
細菌を倒す(抗菌薬)
細菌は自前の細胞壁や固有のタンパク質を持つ → 人間の細胞にない部分を狙い撃ちできる
ウイルスを倒す(抗ウイルス薬)
ウイルスは人間の細胞のシステムを借りて増殖 → 区別が難しく、人間の細胞も傷つけてしまう
この困難を乗り越えたのが、1970〜80年代に開発された初の抗ウイルス薬アシクロビルヘルペスウイルスに対する抗ウイルス薬。DNAの構成部品(ヌクレオシド)に似た「偽物のパーツ」で、ウイルスのDNA複製を阻害する。開発者のガートルード・エリオンは1988年にノーベル生理学・医学賞を受賞。です。レンさんはこの薬の仕組みを「鎖作り」に例えて説明しています。
人間の科学が発展してきたことで、体の中で起きてる特定のポイントを狙い撃ちみたいなこともできるようになってきてる
ワクチンみたいに経験則的に効くから作りましたじゃなくて、本当に仕組みを熟知して作ったのがすごいね
DNAの構造が解明されてからわずか約20年で、ここまで精密な薬が作られたという事実には驚かされます。ただし、これは特定のウイルスに対する薬であり、違うウイルスにはまた別の戦略が必要です。しかもウイルス側も突然変異によって薬が効かなくなる「いたちごっこ」が続いているのが現実です。
次のパンデミックと科学リテラシー
新型コロナウイルスの累計感染者数は約7億人、死者数は約710万人(2025年末時点の確認数)。実際の感染者数はさらに多いと考えられています。コロナ禍をひとまず乗り越えた現在ですが、世界は「次」を前提に動いています。ある試算では、今後10年以内にコロナ級のパンデミックが起こる確率は22〜28%、25年以内なら五分五分とも言われています。
レンさんは、パンデミックへの備えとして3つの方向性を挙げています。野生のウイルスの分布を把握する取り組み、発生時の情報共有システムの構築、そしてAIを使ったウイルスの変異予測です。
そしてもう一つ、個人レベルで大切なのが科学リテラシーだと強調していました。コロナ禍では「こういうお茶を飲めば防げる」といったデマや、ウイルス研究者への根拠のない攻撃がSNSで広がりました。エマさんも「私は実際にデマの情報を友達に共有してしまった」と率直に振り返っています。
こんなに簡単なことあるかっていう。そんなに都合いいことあるっていうことって大体裏あったりするから
レンさんは「上から啓発したいわけじゃなく、一緒に勉強しませんかという提案」と話しています。複雑な世界を正しく理解するためには、疑問を持ち、調べ、考え続けることが不可欠です。そしてウイルスは怖い存在ですが、ウイルス学は人類を守るための学問であり、「面白い」と言っていいのだということも、このエピソードのメッセージでした。
まとめ
ウイルスは全宇宙の星よりも多く地球上に存在し、私たちのDNAにすら痕跡を残している、人間にとって最も身近で最も手強い相手です。その発見には「生きた液体」という誤解を経てから結晶化・電子顕微鏡による観察まで40年以上かかりました。天然痘との200年にわたる戦いではワクチンが生まれ、抗ウイルス薬ではウイルスだけを騙す精巧な「偽パーツ作戦」が開発されました。しかし変異と新種ウイルスの出現により、戦いに終わりはありません。次のパンデミックに備えるためには、科学的な知見の蓄積だけでなく、私たち一人ひとりが情報を見極める力を養うことが大切です。
- 地球上のウイルスの総質量は全人類の3倍以上。ヒトDNAの約8%はウイルス由来で、哺乳類の胎盤形成にもウイルスが関与した可能性がある
- ウイルスは生物と非生物の中間的存在。1930年代にようやく結晶化・電子顕微鏡で姿が確認された
- 1796年のジェンナーによる牛痘接種がワクチンの始まり。天然痘は約200年かけて1980年に根絶された(人類が唯一成功した例)
- 抗ウイルス薬アシクロビルは、ウイルスの酵素だけが「偽物のパーツ」を見分けられない性質を利用した精巧な仕組み
- 今後10年以内にコロナ級のパンデミックが起こる確率は約20〜28%と試算されており、情報を見極める科学リテラシーが個人レベルでも重要

