体温計が1分で体温を出せるのはなぜ?
サイエントークのこの回は、レンさんがエマさんに「体温計はなぜ1分ほどで体温がわかるのか」と問いかけるところから始まります。エマさんは、熱いお茶を飲んだ後でも平熱がきちんと出ることに不思議さを感じていたと話します。
レンさんが着目したのは別の点でした。温度が伝わるには時間がかかるので、脇に物を挟んでもすぐに36度にはならないはずなのに、体温計は36点何度という値を出します。
(体温計で)36点何度とか出るじゃん。あれなんでかっていうと、あれ微分なんすよ。
レンさんの説明では、体温計は先端が少しずつ温まっていく変化の速さを見ています。その瞬間の速さがわかれば、10分後ぐらいにどれだけの温度に達するかを予想できるため、すぐに体温を表示できるといいます。
エマさんはこれを受けて、完全に36度に達する前に上がり方を測定し、最高到達点を予測しているのだと整理しました。レンさんは、日常のありとあらゆるものに微分や積分が使われていると話を広げます。
温度が伝わる
体温計の先端が少しずつ温まっていく
変化の速さを見る
その瞬間の温度の上がり方を微分で捉える
到達点を予測
10分後ぐらいの温度を割り出し、表示する
桜の開花予想と、もう一人の発明者
積分の例としてレンさんが挙げたのは、桜の開花予想に使われる400度の法則と600度の法則です。2月1日からの毎日の平均気温を足していき、400度に達した時に桜が開花するという法則で、600度は最高気温で同じことをする場合だといいます。
積分は「積み上げ式で足していくこと」だとレンさんは説明します。エマさんは、横軸を日付、縦軸を温度にしたグラフを積分して400度になる日を求めるイメージだと受け止めました。
今僕らの世界から微分と積分がなくなったら、もう大パニックになると思うんだよね。
そのうえでレンさんは、これまでニュートンが微分積分の基礎を作ったと紹介してきたものの、実はもう一人の発明者がいると明かします。それが、前回話した二進法の基礎を作った人物でもあるライプニッツ ── 17〜18世紀ドイツの哲学者・数学者。微積分のほか、二進法や記号論理学、モナドロジーなど多方面に業績を残しましたです。
インテグラルやdx、dyといった微分積分の記号は、ニュートンではなくライプニッツが作ったものが現代まで使われています。レンさんによれば、二人は導き方が違い、ライプニッツの表記はシンプルで、ニュートンのものはもう少し複雑だったようです。
数学史のおさらい:幾何学から座標まで
ライプニッツの話に入る前に、レンさんはこれまでサイエントークで扱ってきた数学史をざっくりまとめます。古代ギリシャでは学者が集まり、土地の面積を求めるために幾何学が大きく発展しました。
エマさんは、面積を求める知識は実用的で、日常で役に立つものだったと応じます。円の面積を求める方法などが盛んに研究されていたといいます。
幾何学とは別に、XやYといった文字を使って計算する代数学の流れもありました。番組では、学者同士が3次方程式を出し合って戦った話も紹介してきたといいます。
この2つを結びつけたのがデカルト ── 17世紀フランスの哲学者・数学者。座標を使って方程式をグラフとして表す方法を示し、幾何学と代数学をつなげましたで、座標を発明して方程式をグラフで描けるようにしました。ほかにも圧力や確率、フェルマーの話を扱ってきたそうです。
微分と積分、先に生まれたのはどっち?
レンさんに微分の説明を求められたエマさんは、くねくねした線のある一点での傾き、つまり接線の傾きを求めるイメージだと答えます。レンさんは、微分はある特定の瞬間の変化を見ているのだと補足しました。
たとえばボールを投げたとき、ある瞬間のスピードを出すのが微分です。時間をすごく細かく分け、その瞬間に移動した距離から速度を求めるという考え方だといいます。
積分についてエマさんは、グラフの線の下の面積を求めるイメージだと答えました。レンさんは、小さいものを全部足し合わせることだと言い、ギザギザした土地も小さな四角形に分けて足せば面積が出せると説明します。
細かく分けて、ある瞬間の変化(接線の傾き・速度)を見る
小さいものを積み上げて足し合わせ、面積などを求める
高校では微分を先に習いますが、レンさんによると歴史的に先に発展したのは積分です。土地の面積を求める幾何学は、要は積分であり、紀元前からある意味で行われていたといいます。
確かになんか一点の変化とかって別にそんなに紀元前に必要とされてなさそうだよね。
微分が必要になったのは、たとえば戦争で砲弾の軌道を求めるときでした。エマさんは、戦争が自然科学を発展させてきた側面があると振り返ります。
レンさんは、ボールの飛び方のようにものの運動から微分積分を考えたのがニュートンで、代数学的・理論的に考えたのがライプニッツだと、二人の違いを整理しました。
法学から外交官へ:若き天才ライプニッツの歩み
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツはドイツの哲学者であり、数学者であり、外交官でもあった人物です。1646年生まれでニュートンの4つ下、日本では徳川綱吉 ── 江戸幕府第5代将軍。「生類憐みの令」で知られますと同い年にあたります。
エマさんは綱吉の名前にはピンとこず、生類憐みの令だけはなんとなく覚えていると話して、日本史への苦手意識をのぞかせました。
レンさんは、ライプニッツは不幸な人生を送った人だと前置きします。教授だった父親は彼が6歳のときに亡くなり、少年時代は父が残した本を読みあさっていたといいます。
ライプニッツが最初にハマったのは法律でした。15歳で大学に入り、2年で学士論文を書いて17歳で卒業、18歳で修士論文を書いたというスピードです。
ところが博士論文はまだ若すぎるという理由で教授陣に拒否されました。諸説あるものの、教授たちの嫉妬があったのではないかとも伝わっているそうです。大学を移してようやく法学の博士となりますが、そこから教授ではなく外交官になります。
結構なんか当時のキャリアパスってなんかフレキシブルなんだね。
フランスで数学に目覚め、微積分を思いつく
ライプニッツは外交官や政策アドバイザーのような仕事でフランスに滞在します。最初に仕えていた現地の権力者が亡くなって仕事がなくなり、その間に多くの学者と交流したといいます。
フランスには有名な数学者が多く、ライプニッツは数学者の知り合いを増やして、さまざまな人と文通していたそうです。そこで数学の面白さに目覚めて研究し、微積分を思いつきます。
(数学が)おもしれえってなって研究したら微積分を思いついちゃったっていう。
このときライプニッツは22〜23歳ほどでした。エマさんは、外交官から数学へという展開の意外さに驚きながらも、若き天才だと感心します。
ニュートンとの微積分論争はなぜ泥沼化した?
ライプニッツが論文を出すと、「微分積分は俺が見つけた」と主張する人物が現れます。それがニュートンでした。世の中に先に公表していたのはライプニッツでしたが、ニュートンは「自分の方が先に着想していた」と昔のメモなどを持ち出し、裁判沙汰になります。
エマさんは発表が先ならいいのではと感じますが、レンさんは当時は優先順位を決めるのが非常に難しかったと説明します。科学雑誌が出てみんなが一斉に見られる時代ではなく、手紙でやりとりする世界だったからです。
着想したっていうのも、誰々に出した手紙にこう書いてたから、もう先に見つけたんだみたいな主張とか、そういうのもできたりするし。
ニュートン側は10年ぐらい早く着想していたと主張し、ライプニッツがアイデアを盗用したのではないかと非難しました。争いはイギリスとドイツの数学界の揉め事にまで発展します。
イギリスの王立協会 ── 1660年に設立されたイギリスの学術団体。ニュートンは後に会長を務めましたのような偉い学会はライプニッツを非難する意見を出しましたが、レンさんによると、それを書いたのはニュートン自身だったといいます。
決着ははっきりしないまま、現代では二人がそれぞれ独自に発見したという結論になっています。ライプニッツは裁判に疲れ果て、「もうやめたい」と残したとも言われますが、このあたりは曖昧だそうです。
自分が10年ほど早く着想していた、ライプニッツが盗用した
先に投稿・公表したのは自分なので、自分が発案者だ
同時期に二人が発見できた理由と、ライプニッツ記号の勝利
エマさんは、ニュートンもライプニッツも微積分以外に功績のある優秀な人物だったと指摘します。レンさんは、これだけ揉めたこと自体が微分積分の理論のインパクトの大きさを示していると返しました。
アルキメデスの時代以来の数学界の最大の進歩だみたいな感じで。それでどっちがやったかっていうのがもうすごい重要だったわけね。
何百年も見つからなかった発見がなぜ同時期に二人から出てきたのか、とエマさんは疑問を投げかけます。レンさんは、それまでに数学の基礎が積み上がっていた時代背景を挙げ、ニュートンなら天体の軌道データの蓄積があったからこそ着想できたと説明します。
ライプニッツが盗用した証拠はないだろうとレンさんは見ています。独立に見つけたため書き方はまったく違い、ライプニッツの記号がシンプルで良かったことから広く流行したといいます。
文章を数式化する記号論理学
論争のさなかでも、ライプニッツは哲学に打ち込んでいました。その一つが記号論理学 ── 命題の真偽を記号や式で扱う学問。現代のコンピューターやプログラミングの論理の土台になっていますで、文章を数学的に考えようという試みです。
レンさんの例では、「レンは男です」は本当で1、「レンは子供です」は嘘で0です。「レンは男で子供です」は1と0の掛け算になるため、全体として嘘と判定されます。
レンさんは、この考え方がプログラミングのif文のように、条件が成り立つかどうかで処理を分岐させる表記にもつながると話します。
エマさんは、誰が嘘をついているかを文章から推理するクイズを思い出しました。二人は「論理思考クイズ」が数学の授業でやったものなのか、中学受験やGoogleの入社試験にありそうなものなのかと盛り上がり、記号化して考える点がライプニッツの思考法に近いと話します。
神と無から生まれた二進法
記号論理学の0と1の話は、二進法につながっていきます。ライプニッツはこの世で絶対に変わらないものを考え続け、それは神と無だと結論づけていました。
そこからライプニッツは、あらゆる分野が究極的には2つのもので成り立っているのではないかと考え、数学ではあらゆる数や計算が0と1でできるのではないかと発想します。
ライプニッツが言ってた二進法ってゼロが無で一が神なのよ。
エマさんは、目の前のパソコンやコップは神と無のどちらなのかと戸惑います。レンさんは、目の前のものは変わるが、神と無は不変で存在し続けるという考え方だと説明しました。
レンさんは、哲学の感性がなければ当時わざわざ0と1で計算するモチベーションはなかったと考えています。後にコンピューターで使われる二進法の起源が、神と無という哲学にあったことを面白いと話します。
二進法の発想自体は以前からあったものの、当時の十進法を二進法に変換する方法を作ったのはライプニッツだといわれます。ただ、「それでじゃあ何?」となり、当時はあまり注目されず、後の時代に評価されました。
モナドロジーと微積分のつながり
数学と哲学の間にあるもう一つの仕事がモナドロジー ── ライプニッツが晩年に著した哲学書。世界は分割できない単純な実体「モナド」から成ると説きましたです。この世は分割できない最小単位で構築されているという哲学で、これも死後に評価されたといいます。
エマさんが原子論のようだと言うと、レンさんはすごく近いと認めつつ、ライプニッツはそれが何かまでは言っていないと補足します。その最小単位がわかれば、世のあらゆるものを説明できるという考え方です。
レンさんは、モナドロジーにある「複合されたものの中に含まれている単純なる実体」「部分を含まない」という記述を紹介します。目に見えないほど小さな部分の傾きや、最小の四角形の面積を足し合わせる微分積分にも、この考え方が入っているのではないかと話します。
そういう考え方ってこう、もともと哲学から来てるのかもねっていうのもある。
エマさんは、デカルトも哲学を数学に応用した人だったと振り返ります。レンさんは、当時の学者にとって数学は広い哲学の一部でもあったのだろうと応じました。
40年間の家系図づくりと、寂しい最期
ライプニッツの晩年について、レンさんはニュートンとの揉め事もあって厄介者扱いされていた面があったと話します。フランスで長く数学をした後、権力者の法律顧問としてドイツに戻りました。
当時のブラウンシュヴァイク=リューネブルク公国の君主は、イギリスの王朝が断絶したタイミングでジョージ1世 ── ハノーヴァー朝最初のイギリス国王。ドイツの選帝侯から迎えられ、1714年に即位しましたとしてイギリス国王に迎えられます。ライプニッツの周りの人々も多くがイギリスへ渡りました。
しかしイギリスでライプニッツは、ニュートンのアイデアを盗んだ人物として「やばい奴」扱いされていました。揉め事を嫌われたライプニッツはドイツに残され、図書館長として権力者の家系図を作る仕事を任されます。
レンさんは、30歳ぐらいから1716年に亡くなるまで40年ほどこの仕事を続けたと話し、家の家系図を1000年ほど遡ったといいます。エマさんは家系図も二進法っぽいと言い、レンさんは「もっと分岐するだろ」と返しました。
完全に多分ね、スペックの無駄遣いだったんじゃないかな、これ。
ほかにも計算機のようなものを作ったり、経済学・政治・歴史学に取り組んだりしていましたが、レンさんは若い頃の仕事が多いと見ています。ライプニッツは最終的に76歳で亡くなり、葬式にはお手伝いさんのような人が1人来ただけだったそうです。
エマさんは、家系図づくりにも歴史の知識や整理する数学的思考が生きたのかもしれないと話しますが、レンさんは微分積分は絶対にいらない完全なオーバースペックだと笑います。
今も教科書に残るライプニッツの記号
レンさんはライプニッツを、早熟で若い頃から活躍し、ニュートンといざこざがありながらも微分積分の業績が認められ、哲学から二進法を生むなど現代まで影響する発見をした数学史の重要人物だとまとめます。
でもライプニッツがいなかったら、今の私たちのその数学の教科書のインテグラルとかなかったわけでしょ。
レンさんは、極限を表すlimやfといった表記もライプニッツが作ったと付け加えます。一方ニュートンは最終的に政治の世界で偉い人になり、性格がちょっと歪んでしまったと話されています。
エマさんはニュートンに負けたのかと同情しますが、レンさんは国王の交代に巻き込まれた面もあるとし、イギリスに行けていたら違う歴史だったかもしれないと語りました。
最後にレンさんは、久しぶりに科学史らしい話をしたと振り返ります。数学ではあと2人ほど取り上げたい人物がいて、1700年ごろまで来ているので、今年中に現代近くまで進めるかもしれないと話して回を締めました。
まとめ
この回は、体温計や桜の開花予想という身近な例から微分積分の重要さを確かめ、その記号を生んだライプニッツの波乱の人生をたどる内容でした。論争に疲れ、晩年は不遇だったものの、記号論理学や二進法、モナドロジーなど、哲学から生まれた発想が後の時代に評価されています。
- 体温計は温度の上がり方を微分で捉え、桜の開花予想は気温を積分で積み上げて予測している
- 歴史的には積分が先に発展し、微分は砲弾の軌道のように運動を扱う必要から求められた
- ニュートンとの優先権争いは、手紙中心の時代ゆえに泥沼化し、現代では独立発見とされている
- インテグラルやdx・dyなど、シンプルなライプニッツの記号が現代まで使われている
- 神と無を不変とする哲学が二進法に、最小単位の哲学がモナドロジーにつながった


