退任後に感じる「昭和のバブル超え」の金余り
白石さんは2024年10月にベネフィット・ワンを退任した後、株や不動産などの投資を中心に活動しています。舞い込む案件に自ら投資し、5、6件を同時進行で進めていると話します。
白石さんがいま強く感じているのは、昭和のバブルと同じくらいの金余り現象が周りで起きているということです。原因はコロナだと見ています。
これはね、原因は全部コロナにあるんだと思うんですよ。世界中でお金を刷りまくったわけですよね。
白石さんは、コロナ禍の最中に超インフレが来ると確信し、固定金利で借りられるだけ借りて株などで運用を始めていたと明かします。それが現在の投資活動につながっているといいます。
八王子のネクタイ工場と、四歳で受けた脳波測定
白石さんの実家は、東京・八王子でネクタイの製造業を営む町工場でした。日本のネクタイの8割以上は八王子で生産されているといいます。
白石さんは、小学校ぐらいまでは問題児だったと振り返ります。保育園で友達と髪の毛を切り合っていたことが問題視され、児童相談所のような施設で脳波を測定された記憶があると話します。
子供の心ながら、ちょっと俺って(周囲から)基地外扱いされてるのかなと思って、ちょっと傷ついた記憶がですね、未だにたまに思い出すぐらいですね。
育ったのは八王子の繁華街に隣接した学区でした。中学に入ると担任がやたら気にかけてくれ、後に八王子の教育委員会が問題児をどう変えるかを実験していたと知ったといいます。
この角の家は佐渡さん、あれちょっとあの人たち殺し屋だから行っちゃダメとか、本当にそんなようなエリアでしたよね。
テストで100円、報奨制度が消えて成績が急降下
白石さんは子供の頃から「お得」に敏感で、街を歩いて割引や景品の情報を集めるのが日課でした。放課後は繁華街を回り、パチンコの拾い玉を集めてコーラと交換したりしていたといいます。
学校の成績が良かったのには秘密がありました。テストで90点以上を取ると100円もらえるという、白石家の報奨制度です。100円欲しさに前日に猛勉強していたと明かします。
ところが中学に入ると、テストが業者印刷から先生の手書きに変わったことを理由に、報奨制度が打ち切られます。白石さんは一切勉強しなくなり、成績はどんどん下がりました。
この体験は、後の経営で報奨制度を重視する原点になったと白石さんは話します。みんな平等ではなく差をつけることを常に意識したといいます。
バリ島のカセットで学んだ「安さより差別化」
大学時代の白石さんは、冬は競技スキー、夏はバリ島に通う生活でした。20万円ほど貯めて渡航すると、当時のバリ島は物価が安く、残った10万円が今の100万円ほどの使いでがあったといいます。
白石さんの商売の原点は、バリ島のミュージックテープを日本の学園祭で売ったことでした。日本で2800円のレコードやカセットが、バリ島では300円ほどで売られていたのです。
白石さんは交渉して150円か200円ほどで大量に仕入れ、内外価格差で利益を得ます。ただ、狙って仕入れたマドンナやマイケル・ジャクソンの新譜は売れませんでした。
代わりに売れたのは、バリ島のディスコのクラブミックスでした。ここで白石さんは、安さ以上に「日本では買えないもの」に価値があると気づきます。
親戚に商売人が多く、正月や盆に儲け話ばかり聞いて育った白石さんにとって、サラリーマンは元から選択肢になかったと振り返ります。
アメリカでのインターンと「タイムマシン経営」
大学3年の頃、白石さんは競技スキーの先輩のおじが社長を務めるアメリカのパソナで、インターンを経験します。おじからは、とにかくアメリカに来いと言われたといいます。
当時のインターンの仕事は、日本企業を訪ね、人事のガイドブックを偉い人に売ることでした。受付を突破して一番偉そうな人に会うのを、白石さんはゲーム感覚で楽しんだといいます。
40年前のアメリカは、白石さんにとって進んだ国でした。日本のスーパーの5倍から10倍の巨大店や、整ったゴミ収集のインフラに衝撃を受けたと話します。
40年で逆転した日米。アメリカ復活の二つの政策
白石さんが大学を卒業したのは平成元年、バブルのピークでした。日本企業がロックフェラーセンターやロサンゼルスの主要ビルを買収し、日本人がイケイケだった時代です。
日本人っていうだけで、日本の大学生っていうだけで(ニューヨークのディスコに)ノーパスで入れちゃうわけですよ。
当時のアメリカは治安が悪く、ダメな国という印象だったといいます。それが40年で完全に逆転した理由を、白石さんは二つの政策に絞ります。
日本は経済大国でイケイケ、アメリカは治安が悪く不動産を買収される側
アメリカが世界ナンバーワンに復活、日本は少子高齢化で非観論も
白石さんが挙げる二つの政策は、徹底した金融の自由化と、インターネットの民間開放です。もとは米軍の軍事技術だった通信技術が民間に開放され、アメリカはIT大国になりました。
見つけた商売の種、キーレスエントリーの挫折
大学卒業後、白石さんは学生ビザで再びアメリカへ渡り、引っ越しや醤油配達のバイトをしながら商売の種を探しました。そこで見つけたのがキーレスエントリーです。
白石さんは、マリブのレストランで金髪の女性がキーレスで颯爽と車を降りる姿を見て、これは日本でファッションとしてウケると直感します。原価も5000円ほどで作れると計算しました。
白石さんは急遽帰国し、先輩の上田さんとの頭文字をとった「USエンタープライズ」を設立します。手書きのパンフレットと名刺で、中古車店が多い国道16号沿線を営業しました。
キーレスはそこそこ売れ始めます。ところが、ある日テレビCMで衝撃を受けます。トヨタのマークIIなどでキーレスが標準装備されると流れたのです。アメリカですらオプションだったものが、日本ではいきなり標準になり、プロジェクトは頓挫しました。
時給1000円のバイトが、トップセールスに化けた理由
帰国した白石さんは、出資してくれた上田さんに謝りに行きます。上田さんはこのとき、アメリカから日本に逆上陸した「パソナジャパン」の副社長でした。そこで人手が足りないから2、3週間バイトしないかと誘われます。
時給1000円で始めたバイトで、白石さんはすぐトップセールスになります。理由は単純でした。直前まで信用ゼロのインチキっぽい会社で中古車店を営業していたのに、今度は青山のオフィスとゴージャスなパンフレットが与えられたからです。
ものすごく悪い環境で営業したものが楽な環境で営業しちゃったもんですから、楽でしょうがなくてですね、あっという間に一番になっちゃったんですよね。
白石さんは正社員となり、23歳で先輩たちが辞めていく中、実質的に経営全般を任されます。募集から仕組み作りまでを一年目の若造にやらせてもらえたことが、大きな経験になったといいます。
派遣営業は飛び込みが命でした。オーダーが発生した瞬間に飛び込めば受注できると分かり、白石さんは一日に4、5件を回っていたといいます。
楽な営業を求めて作った異業種交流会
飛び込み営業に疲れた白石さんは、もっと楽な方法を考えます。外資系企業の人事担当者に帰国子女や留学経験者が多いことに気づき、彼らを束ねる異業種交流会を作りました。
「クラブハウス」という交流会で親分的な立ち位置になると、こちらから営業に行かなくてもオーダーが来るようになったといいます。半分遊びながら顧客を作る営業でした。
やがて白石さんは、パソナのオーナーである南部代表に呼び出されます。異業種交流会が営業だと見抜かれ、自分の主催する「赤南会」の受付を任されます。孫正義氏やHISの澤田氏、政治家、官僚が集まる場でした。
俺も実はそうやってきたと。俺の今度異業種交流会に出ろって言われて。
一介のサラリーマンながら一流の人たちと会う中で、白石さんは早くこの人たちに追いつきたいというモチベーションを得ます。パソナジャパンはやがてソフトバンクの出資でパソナソフトバンクとなりました。
サービス業には流通がないという発見
白石さんは学生時代、ある先輩から「でかい会社を作りたいなら、でかいマーケットで勝負しろ」と言われていました。会社は市場規模以上には大きくなれないからです。ただ、大きな市場にはたいていガリバーが存在します。
28歳の頃、白石さんはガリバーのいない大きな市場を二つ、ほぼ同時に見つけます。一つは、世界中の起業家が群がったインターネットでした。
もう一つが、白石さん独自の気づきです。物の世界には製造業と流通が分業されているのに、サービス業では作る会社が販売まで担っていることに気づいたのです。
サービス業には流通が存在してないなっていうことにふと気づいたんですね。
例外は旅行業だけでした。JTBのように、自らはサービスを作らず売るだけの流通が存在していたのです。白石さんは、旅行以外のサービスにも代理店を作れると考えました。
同じ発想は世界中で生まれていました。1996年前後には、ExpediaやBooking.com、日本の旅の窓口といったサービス流通の会社が、社内ベンチャーなどの形で次々に生まれます。ベネフィット・ワンもその一つでした。
「福利厚生」という言葉と、サブスクという賭け
白石さんは最初から、特定のサービスに絞らず、すべてのサービスを扱おうと考えていました。競争を見越して差別化が必要だと考え、二つの打ち出しをします。
一つ目は、ホテル専門店のような単品売りではなく、教育も医療もエンタメも扱うデパートメント型です。それらをくくる便利な言葉が「福利厚生」でした。
二つ目の差別化が、当時まだ言葉のなかったサブスク、定額課金でした。ホテル予約ごとに手数料を取るのではなく、月々の会費で原価でのサービス提供を可能にするモデルです。
サブスクは黒字化まで資金が必要な無謀なモデルでした。それでも勝算があったのは、対象を大企業に絞ったからです。日立のような1契約で連結30万人が紐づく相手なら、サブスクでも成り立つと考えました。
インターネットを封印し、通販として立ち上げる
白石さんは、この事業をパソナの社内ベンチャーコンテストに応募し、グランプリを取って会社を作ります。当時最も大事だと考えたのが「信用」でした。
そこで白石さんは三菱商事とのジョイントベンチャーという形を選びます。もともとはプラス、パソナ、ソフトバンクの3社で作る計画でしたが、資本構成が変わり、三菱商事が加わりました。
A4一枚のカラー写真をネットで送ろうとすると、ほんとね、一分とか二分かかるんですよ。
当時のインターネットは遅すぎて実用的ではありませんでした。ソフトバンクの本社で接続実験をしていた白石さんに、孫正義氏はこう言ったといいます。
こういうのは進化するんだと。もうすぐにハリウッドの二時間の映画が一瞬で送れる時代来るとか言って、絶対この人フラグだなと思って。
白石さんは一度インターネットという看板を外し、コールセンターと電話帳ほどの分厚いカタログによる「サービスの通販」として事業を始めます。裏側は、月々の会費で儲かるサブスクのモデルでした。
2年で黒字か撤退。24人を8人に減らした決断
社内ベンチャーには、2年以内に黒字化しなければ撤退というルールがありました。しかし調子に乗って24人まで社員を増やし、年間2億4000万円ほどの赤字を抱えていました。
生き延びをかけた白石さんは、まず24人のリストラを決断します。必要最小限のつもりでも、最終的に8人まで減らしました。人件費は2000万円から900万円ほどまで落ち、逆算すれば単月黒字が見える数字になりました。
転機は日立クレジット(当時の日立クレジット)の受注でした。日本の大企業は最初の一社になりたがらず、どこか大手が使えばうちも使うと言われ続けていたのです。
一日同じ会社四回五回営業してましたからね。(それも)同じ人に。
負けを認めず売った「未来のスペック」
当時、福利厚生には先行するライバル企業があり、スペックを比較すると勝ち目がありませんでした。そこで白石さんはある作戦に出ます。
企業の導入は翌年4月です。白石さんは今のスペックは見せず、来年4月にはこうなるという予定表を作りました。ライバルの当時8倍にあたるメニューにするという、事実上の空手形でした。
信用されるはずもなく、白石さんは情に訴えます。担当者が男気で応じてくれ、内示後に「絶対この通りやれよ」と言われました。白石さんは連日徹夜の突貫工事で、実際に4か月ほどでメニューを10倍にしたといいます。
この実行が評判になり、日立クレジットという実績ができたことで、受注は取れるようになっていきました。
債務超過解消の増資と、大逆転の受注劇
次のピンチは、ライバルから旅館業法違反だと指摘されたことでした。旅行業の免許を取るには債務超過を解消する必要があり、増資が不可欠になります。
親会社のパソナから出された条件は、額面の3倍での増資でした。債務超過の会社に額面の3倍という、当時としては国税から増税を疑われるほど無謀な条件です。
白石さんは、品出しになる株主として東京海上、日本生命、日立製作所、日本ベンチャーキャピタルの4社を狙います。増資を後押ししたのは、ある人物が競合他社と社内に流した「偽の情報」でした。
ライバルの会社にはうちは出すよと。で、その社内にはライバルの会社も出すらしいですよと。お互いに。
同じ監督官庁を持つ損保業界の横並び意識を突いた情報でした。実際に両社が出資すれば結果的に情報は正しくなり、増資はまとまります。
そしてもう一つ、会社の将来を左右する案件が動きます。当時の工業銀行(現・みずほ銀行)の福利厚生で、白石さんはリロ社と競合し、一度は「ご縁がなかった」と断られました。
そこで白石さんは、大株主・三菱商事の常務だった相原さんに電話をします。工銀を取れそうで、相原さんが後押しすれば確定だと、少し嘘を交えて頼んだのです。相原さんは財界に力を持つ人物でした。
相原さんから頭取・副頭取・人事担当役員に電話が入り、それが現場へ流れると、担当者はほぼ同時に上層部からの連絡を受けてビビります。結果、断りの電話が撤回され、受注は大逆転しました。
カフェテリアプランを広めた、たった500万円
急成長のドライバーとなったのが、カフェテリアプランです。今では日本の大手企業の4、5割が導入していますが、この制度をプロデュースして広めたのがベネフィット・ワンでした。
転機は、経産省のサービス産業課にいた村上世彰氏の協力でした。パソナから同課に人が出向していた縁で、村上氏はベネフィット・ワンによく顔を出していたといいます。
補正予算かなんかで五百万ぐらいあるんだよねって言われて、これでなんかできるって言われて。
白石さんはこの500万円で、野村総研に「カフェテリアプラン税制研究会」を発注します。トヨタや日立を巻き込んだレポートが、日本の大企業への導入の流れを作りました。
福利厚生は税制。現金より非課税のメリット
白石さんは、福利厚生の本質は税制だと説明します。現金であげればいいはずのものを、あえて福利厚生で提供するのは、課税前控除され所得税の対象外になるからです。
所得として最高税率55%の税金がかかる
実質5万円のメリットだが非課税
一番タックスメリットを受けているのは公務員だと白石さんは指摘します。原宿や青山の一等地にある官舎に安く入れるのは、その分の現金を非課税で受け取っているのと同じだといいます。
ただ、日本人は税への認識が弱く、一時期リクルートが福利厚生を全廃したこともありました。白石さんは勉強会などで啓蒙し、福利厚生マーケットそのものを育ててきたと話します。
エムスリーとの差から始まった時価総額への挑戦
ベネフィット・ワンは創業8年目の2004年に上場します。公募時価総額100億円、初値200億円でしたが、ライブドア事件などで一時100億円ほどまで落ち込みました。
白石さんが時価総額を意識したきっかけは、四季報でエムスリーを見たことでした。証券番号が1つ違い、上場日も1日違いのエムスリーが、時価総額1兆円に達していたのです。
ほぼね、一日違いで上場したんですね。(それが)これちょっと格好悪いなと思って、ちょっと時価総額上げようって決意するんですよ。
ここから白石さんは、時価総額を100億円ほどから9700億円近くまで引き上げていきます。
時価総額向上を祈願する、京都のお寺
時価総額を上げると決意した白石さんが最初にやったのは、京都のお寺に行くことでした。もとは音楽の神様とされるお寺を、途中から上場祈願・時価総額向上のお寺として通うようになったといいます。
白石さんによれば、神頼みには半分効果があったといいます。神様にお願いした以上は頑張らなければバチが当たると、自らに気合を入れるための行動だったからです。
神様にお願いする以上はね、ちゃんと頑張らなきゃバチ当たると思ってたんで、これは頑張らなきゃいけないなっていう。
海外IRと、投資家の質問で頭が冴える感覚
時価総額を上げるため、白石さんはニューヨークやロンドンでのIRを繰り返します。海外の資金を取り込まなければ、大きな時価総額にはならないからです。
白石さんはIRが大好きだったといいます。機関投資家に数字で詰められ、質問攻めに答えるうちに頭が冴え、投資家のニーズが社会のニーズとして見えてくるからです。
投資家のそのニーズっていうのは社会のニーズみたいなもんじゃないですか。だから(それに沿うことが)事業のPLを良くしていくことに繋がっていく。
未来から逆算する経営という思考法
国内の投資家からは、まず5、6百億円いかなければ話にならないと言われました。白石さんは、その具体的な数字から逆算して行動を決めます。
未来五年後にインタビュー受けて、この五年間成功した要因は何ですかっていう風に、未来の自分がもしどう答えるかなっていうと、これからやるべき行動が見えてくるじゃないですか。
白石さんは、この考え方を「逆算経営」と呼びます。目標に必要な数字から今足りないものを理詰めで計算する習慣がつき、好循環が生まれたといいます。
IRでは、多い時は一日80から100人に伝えたといいます。話すのが疲れるため、途中からは冒頭20分のプレゼンを動画にして省力化したと明かします。
1000億円を超えると経営は楽になる
白石さんによれば、時価総額1000億円を超えてからのほうがはるかに楽だといいます。海外のマーケットが資金を入れ、それを元手にM&Aなど展開が可能になるからです。
時価総額は結局、未来の数字であり期待値だと白石さんは説明します。経営者が語る通りの数字を出すストーリー性と、それが今の時代とマッチしているかが問われる、ある種の人気投票だといいます。
白石さんは、投資家への説明が事業戦略そのものになり、社内への落とし込みにもつながったと振り返ります。
社長同行から権限委譲へ。経営スタイルの変化
規模の拡大に応じて、白石さんの経営スタイルも変わりました。最初の20年間はすべての会議に出て全案件に関わり、営業には社長同行がマストでした。
後半は、細かいオペレーションの会議に出ず、あえて知らない経営に切り替えます。現場をある程度信用して任せる形へと変えていったといいます。
白石さんは、もともと社内マネジメントより社外との付き合いを重視するタイプでした。BtoB事業では、経営者同士のコミュニケーションが仕事になるからだといいます。
創業した頃からしばらくは会社に寝泊まりもしてましたし、あえて飲み会終わってから夜中の十二時ぐらいに会社行ってましたからね、わざと。
後半は残業しないスタイルに変え、5時半に会社を出るようにしたといいます。前半と後半で、経営への関与の仕方が大きく変わったと話します。
良いビジネスモデルが招く、手抜きというジレンマ
白石さんは、ベネフィット・ワンの良さは二つあったと語ります。一つはサブスクを含むビジネスモデルの良さ、もう一つは社員の平均的なアウトプットです。この二つは相反しやすいといいます。
非常にビジネスモデルがいいと社員ってわかるんですよ、それって。手抜き始めるんですよ。
サブスクは黒字化すれば安定的に成長し、多少手を抜いても契約は切られません。だからこそ社員は本能的に気づき、営業量が減っていくと白石さんは指摘します。
劣化を測る定点観測の例として、白石さんは電話を挙げます。ワンコールで出ろと言い続けたのをやめて黙っていると、応答がツーコール、スリーコールと遅くなっていったといいます。
ダメな会社、時計がまず間違ってますね。で、ちゃんとする会社、時計正確ですもん、必ず。
0.5件の差が、組織の規模で圧倒的な差になる
白石さんは、会社は人間の集合体であり、一人一人の意識の差がアウトパフォーマンスを左右すると考えています。その差は組織が大きいほど掛け算で効いてきます。
一日4件回る組織と4.5件回る組織では、0.5件の差でも、年間200日、社員1000人や1万人を掛け合わせると圧倒的な量の差になると白石さんは説明します。営業は最終的に確率だからです。
一方で、数字ばかり追わせると社員は原価を下げてサービスの質を落とすなど、悪いことを始めるといいます。白石さんは、お客さんに真摯に向き合う正義感の大切さを説きます。
ダーウィンの進化論と「必要とされる組織」
南部代表から白石さんが教わったのは、ベストセラーではなくロングセラーを目指せという言葉でした。長く信用されるには、当たり前のことをやり続けるしかないといいます。
もう一つ白石さんが経営で意識したのが、ダーウィンの進化論です。これには二つの意味があると話します。
変化への対応
大きくても強くてもなく、素早く変化できた種だけが生き残る
必要とされること
他の役に立たない種は淘汰される。必要とされないサービスは潰れる
白石さんは、革命家と詐欺師は紙一重だとも語ります。どちらも言うことは大きく、やったかどうかの差でしかないというのです。だからこそ、大きく見せつつも、約束は必ず守ることをこだわりました。
ただ、それが厳しすぎると社員は辞めていきます。白石さんは新入社員説明会で、スピードが早く見切り発車もすると正直に伝え、それが楽しい人だけに来てほしいと話していたといいます。
手抜きを見逃す、経営者のさじ加減
白石さんは、社員の手抜きをたまには見逃すといいます。ずっと100%で走れというのは人間である以上無理だと考えているからです。
今は少し手を抜いてる時期だなって、分かってても、あえてその半年間ぐらいはあえて黙ってる。
その上で、行き過ぎる手前で「ちょっとお前ら調子乗ってねえか」と喝を入れます。ライバルに負けない程度に許すバランスが難しいと白石さんは話します。
重要なマイルストーンでのストレッチと、退職リスクの間のバランスについて、白石さんは自分自身のエネルギーの入れ方で伝えていたといいます。上の姿勢は下に見られているからです。
現場の生の情報を取り続ける工夫
白石さんは、判断が正しいか見極めるため、社長同行がマストでなくなった後も定期的に顧客のもとへ行きました。自社サービスも誰よりも使うヘビーユーザーであろうとしたといいます。
多分誰よりもうちの会社のサービス使ってたと思いますよ、うちの社員(の中で)。
現場の若手はなかなか本音を言わないため、白石さんはアルコールの入る場などで情報を取るようにしていました。ただ、取った情報をすぐ上司に伝えると委縮するため、あえてノーアクションのことも多かったといいます。
必要な社員が辞めそうな時は、最後は直接説得しに行きました。何度か止めたこともありますが、それでも辞めてしまうこともあったと振り返ります。
AIの進化と、資本主義が終わるという予感
白石さんは、いまの経営環境をかつてなく大変だと見ています。人手不足に加えてAIが来て、これから超インフレが来ると考えているからです。
白石さんはAIをインターネットに似た匂いだとしつつ、変え方の次元が違うと感じています。産業革命のような100年に一度ではなく、何千年、何万年に一度の変化かもしれないと話します。
白石さんは、差別化のできない社会になれば、資本市場や資本主義そのものが成り立たなくなっていくと予感しています。だからこそ、ビジネスを楽しめるのは長くないと考えています。
一方で、インターネット革命は思ったより時間がかかったと白石さんは反省します。30年経ってもまだ使いこなせていないことを踏まえ、AIの浸透にも10年、20年かかるかもしれないと話します。
自分と違う世界の景色を覗きに行く
白石さんは、ベネフィット・ワンの創業時、みんな同じ景色に気づくと思っていたのに、新規参入は意外と少なかったと振り返ります。見ている景色は世代や環境で全く違うからです。
自分とはちょっと違った世界の人たちの景色をなるべく覗かせてもらうっていうのかな。
バブル世代は上の先輩ばかり見て、下をあまり見てこなかったと白石さんは言います。そこで最近は、意識して20代や学生、海外の若い人と話すようにしています。
わからない単語が出たら素直に聞くようにしていると白石さんは話します。AIも当初は壁打ちが面白くないと2年ほど触らずにいましたが、久々に触れて進化に驚き、いまは調査などに積極的に使っているといいます。
人10人分ぐらいの仕事はなんかAIに宿題渡しとくとやってくれるんで、すごい便利だなって感じはしますよね。
奢られる会に礼状。人の縁が全部つながる商売
白石さんは、大きな転換点はなく、今日1日を楽しくやろうという感覚で生きてきたといいます。恵まれたのは、しぶとくピンチを乗り越えてきた経営者仲間でした。
サラリーマン時代の白石さんは、成功した経営者と会うため「関東ゴチ連合」という組織を作っていました。奢ってくれそうな経営者を探し、情報交換する会だといいます。
財布を後ろから「会長たまにはちょっと自分も」って言って財布開けないとかね。
ごちそうになった翌日の午前中には自筆の礼状を出すのが極意でした。ある先輩からは、できればロマネ・コンティを持っていくと評価されると教わったといいます。
三十万円が三万円に見えたんですよ。知らないから。(レジで気づいて)財布忘れましたって言って、そのまま戻しちゃった。
M資金という詐欺話と、投資での見極め
退任後の白石さんは、もともと好きだった投資に楽しみを見出しています。ただ、金余りの時代には危うい詐欺的な話も増えると指摘します。
白石さんによれば、詐欺話は昔から本質的にはパターン化されており、金鉱の話やポンジスキームは鉄板だといいます。時代によって表現方法が変わるだけだと話します。
白石さんの見極めの基本は、全く知らない人の話には乗らないことです。誰かの紹介の話は最初から却下し、直接知っている人の話だけを聞くといいます。
基本的には知ってる人の話じゃないとそもそも信用できないじゃないですか。
一方で、仮想通貨のような案件では、損しても構わない捨て金のつもりで乗ることもあると明かします。やたら人脈や資産を強調してくる相手は胡散臭いと感じる、と話します。
スケジュールを持たない、自由な今の働き方
退任後の白石さんは、TOB、M&A、開発など、これまで自分が避けてきた金融事業的な分野に手を出しています。不動産開発からブランディング、仮想通貨、データセンターまで、オールジャンルの案件に関わっているといいます。
白石さんは、上場していた約20年間は常に決算の数字に追われていたと振り返ります。今はそれがなく、スケジュール感を持たない動きができることが居心地良いといいます。
別にこれ成立しなくても別に困んないんですよ、僕の場合。
白石さんは、未体験のことに挑戦できるのが良いと話します。フリーになったことで、異業種から圧倒的に多くの案件が持ち込まれるようになったといいます。
「え、白石君、今なんか何やってんの?」から大体始まるわけですよね、この一年間の枕詞は。
幻に終わった、エムスリーによるTOB
白石さんによれば、ベネフィット・ワンのTOBは自身の退任とは関係ありません。親会社パソナからのイグジットが長年の課題で、数年前にイグジットの方針が固まったといいます。
結果的には第一生命によるTOBでしたが、当初のTOB先はエムスリーでした。証券番号が1つ違い、上場日も1日違いで、時価総額の差に目覚めたきっかけとなった、あの縁のある会社です。
本来であればそのM3、ベネフィットワン、上場一日違いでのTOBだった。
もしエムスリーのTOBが成立していたら、白石さんは1兆円が見えた時価総額から10兆円を目指し、M&Aを使う経営をしていただろうと話します。それを別の器でやってみたい気持ちもあるといいます。
白石さんは、達成感は一瞬で終わるといい、目標そのものよりもプロセスを楽しみたいと語ります。あと半年で還暦を迎え、同世代の多くも一線を退いて次の何かを模索しているといいます。
量子物理学から宗教対立へ。深掘りしたい興味
白石さんは、今後の10年でとことん興味を追求したいと話します。ビジネスに偏ってきたため、深掘りできなかった分野があるからです。
白石さんが挙げるのは、量子物理学の仕組みや、宗教の歴史、民族紛争の歴史です。AIの登場で経済的な戦争は意味を失うと見る一方、宗教対立は残るのではないかと考えています。
昔から興味はあったものの、時間がなく深掘りできなかったと白石さんは言います。今はYouTubeやAIで効率よくリサーチでき、要約本ならエッセンスが15分ほどで取れるため、興味を広げやすくなったと話します。
一方で、情報が偏る危険性にも白石さんは注意を促します。思想系は右も左も偏りがちなため、タイプの違う人間と会話することが大切だといいます。
トランプ大統領との、知られざるジョイントベンチャー
白石さんは、経済界の都市伝説的な事件の多くを、登場人物ごと知っていると話します。時間とともに歴史が書き換えられていく怖さについても語ります。
歴史って少し風化してくると、脳の中で書き換えが行われてくるんで、みんなの中でね。
その一例として白石さんが挙げたのが、ドナルド・トランプ氏です。白石さんの古い友人が、トランプ氏とジョイントベンチャーを作っていたといいます。
トランプ氏はもともとアトランティックシティでカジノを経営していました。白石さんの友人はバカラのハイローラーで、20代で億単位を張っていたところ、トランプ氏本人が降りてきて意気投合したといいます。
その縁で「トランプインターナショナルジャパン」が銀座に作られましたが、2、3年で潰れたといいます。白石さんは、破産時にトランプ氏が持っていたクルーザーが日本で販売された話も知っていると明かします。
物事の意思決定っていうのは一人の人間の感情によって決まっていく。
あなたにとっての伝説とは。映画化はまだ早い
番組恒例の「あなたにとっての伝説とは」という問いに、白石さんは創業の苦しい時期のエピソードで答えます。赤字が続く中、創業メンバーで飲みながら出た言葉がありました。
「伝説の会社作ろうぜ」って話になったんですよ。
どんなに辛いことも、映画なら泣ける美味しいシーンになる。そう考えることで、苦しい自分たちを客観的に見ようとしたといいます。世間には順調に見えても、最初の2年間はギリギリの連続でした。
白石さんは、これらの歴史はすべて映画化できると語りますが、20年間パブリック企業だったことや、大成名さん(金融機関)によるTOBもあり、今はまだ早いと話します。
白石さんは、諸先輩方のように語り継がれるサプライズ的な生き方をしたいと語ります。仲間と「あの時こうだったよね」と笑い話にできることを、これからもやっていきたいといいます。
この話が一番面白いからこれにしとこうよ、みたいな話になって。なんかね、伝説が作られていくみたいな。
まとめ
八王子の町工場に育った白石徳生さんは、バリ島での商売や日米逆転の原体験を経て、サービス業には流通がないという空白に気づきました。福利厚生という言葉とサブスクを武器に、ドブ板営業と大胆な資本政策で危機を乗り越え、時価総額1兆円近くまで会社を育てた創業の軌跡が語られました。
- 白石さんの商売の原点は、バリ島のカセット販売で得た「安さより差別化」という気づきにある
- ベネフィット・ワンは福利厚生の会社ではなく、インターネットでサービスを売る流通の会社として構想された
- 社内ベンチャーの存続をかけ、社員を24人から8人に減らし、「未来のスペック」を売る営業で危機を乗り越えた
- 債務超過解消の増資や工銀の受注は、偽の情報やトップ営業など、人の縁とギリギリの判断で成立した
- 白石さんは時価総額を未来の期待値と捉え、逆算経営とIRで会社を成長させ、退任後は制約のない自由な挑戦を楽しんでいる





