
ホビサヤよく語学界隈で「使う言語で性格は変わるか?」という鉄板ネタがある。 僕はそこまでの語学力が無いので説得力に欠けるかもだけど、 個人的には、今時点では答えは「ノー」だと思っている(過去に「イエス」の立場だったかもなので、「今時点」って書いといた) というのは、ちょっとロジックの話だけど、 この議論は前提として、「言葉」と「性格」が“別”で存在して、「言葉」→「性格」で支配されるみたいな構図だと思う。 だがしかし、そもそも「言葉」と「性格」は、かなり同一のものなのでは?と考える。 もうちょい正確にいうと、 確かに「性格」というものは存在するのだが、それを人類が検知するときに「言葉」に頼り切っている。 だから、「言語」が変わったときに「性格が変わった」と“誤解する”のでは?というのが僕の説。 んーと、 要は「顔面」とか「服装」とかと同じで、 「見た目が怖そう」と、「実際の性格が怖い」かどうかはほとんどの場合において相関関係がない ってのが僕の大前提としてあるのだけど(つまり、ここで共感が得られなければ、この議論は水掛け論になるんだけど、) それと同じで、 「サングラスをかけると、なんか強くなった気がする」と「英語を喋ると、なんかストレートになった気がする」ってだけで、 まぁそれを「性格が変わる」と呼ぶのかもしれないけど、 なーんと言えば良いのか、多分、程度の話? 言うて、「サングラス程度」ですよってこと…? #メタ認知 #メタ思考 #倫理 #哲学 #新NISA
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