振付師マキシーン・ドイルは、どこから来たのか
宮武テツローさんは、劇団Punchdrunkの振付師でありディレクターでもあるマキシーン・ドイルさんを迎えます。Punchdrunkは『Sleep No More』で最もよく知られる劇団で、この回はOff Topicとしては珍しいリモート収録です。
ドイルさんはもともとコンテンポラリーダンスの訓練を受けた人物で、物語と演劇への情熱も持ち続けてきました。1990年代後半には小さなツアー型のダンスカンパニーを率いていたといいます。
転機は2002年、Punchdrunkの芸術監督フェリックス・バレットさんとの出会いです。ドイルさんはPunchdrunkを、観客の体験に強い関心を持ち、伝統的なプロセニアム・アーチ ── 舞台と客席を額縁のような枠で区切る、一般的な劇場の構造。観客は正面から舞台を眺める形になりますの劇場空間のルールを破ろうとする「カッコ付きの劇団」だと説明します。
振付の道に進んだきっかけを聞かれると、ドイルさんは「中学校の素晴らしい先生に影響された典型例」だと答えます。5歳でバレエを習い始めたものの、規律やルールになじめず2週間ほどでやめてしまい、母親からは「あなたは自分のステップを踏みたかったのよね」と言われたそうです。
12歳のとき、学校のホールで踊るダンス部の練習を、ドイルさんはドアの隙間からのぞいていました。とても身体的で、それまで見たものとまったく違うコンテンポラリーダンスだったといいます。
ダンス部のオーディションには一度落ちましたが、必死に練習して再挑戦し、合格しました。踊り始めるとすぐに作品づくりも始め、その後はダンスと英文学の学位、振付の修士号を取って、本格的に作品を作るようになります。
振付のプロセスについてドイルさんは、早い段階で「自分は踊り手としてはあまり面白くない」と気づいたと話します。それより、周りにいる人や部屋の中の個人のほうにずっと刺激を受けたそうです。
そのため現在のドイルさんの振付は、ドイルさん自身が動きを作るものではありません。舞台美術、音、美学、探求したいテーマといった世界観をドイルさんが持ち込み、ダンサーや俳優との対話の中で動きの言語が生まれていく、非常に協働的なプロセスだと説明しています。
「イマーシブ」と呼ばれることへの違和感
宮武さんは、NY公演が終わると知って昨年一度だけ『Sleep No More』を体験したといいます。昨年いちばん記憶に残った体験の一つで、一度しか行けなかったことを悔やんでいると話します。
『Sleep No More』は観客がマスクを着け、約100室ある建物の中を自由に歩き回る作品です。空間は音と光とパフォーマンスで満たされ、身体表現や振付、人間のふるまいが主なコミュニケーション手段になります。
ただしドイルさんは、Punchdrunkは自分たちの作品を「イマーシブ」とは呼んでいなかったと明かします。それは外から付けられたラベルで、始めた頃は少し反発もしたそうです。当初は「サイト・シンパセティック(場所に寄り添う)」と表現していました。
「イマーシブ」という言葉は今や、あらゆるイベントに付けられるようになっています。ドイルさんにとって大事なのはラベルではなく、観客を体験の震源地に置くこと、そして360度の感覚的な体験をつくることだといいます。
作品の中身は、マクベスを言葉を使わずに語る、場所に根ざしたバージョンです。フィルム・ノワール ── 1940〜50年代のアメリカを中心とした犯罪映画のスタイル。暗い陰影や退廃的な雰囲気が特徴ですのレンズを通し、アルフレッド・ヒッチコック作品に強く影響を受けたサスペンス・スリラーとして構成されています。
演劇では歴史的に、さまざまな文化で演者がマスクを着けてきました。『Sleep No More』ではそれを逆にして観客がマスクを着け、観客自身がコロス、あるいはのぞき見る者になります。
『Sleep No More』は一度に完成したわけではありません。ドイルさんによると、作品は上演地を変えながら少しずつ育ってきました。
ドイルさんは、この作品が時の試練に耐えてきた理由を、上演ごとに振付や照明、美術を進化させてきたからだと話します。だからこそ、今の観客にも響く作品であり続けているといいます。
13年続いたNY版の中での変化について、ドイルさんは大きな方向転換より「細部での進化」だったと答えます。最大の変化要因はキャストの入れ替わりで、たとえばダンヴァース夫人の役を22歳の演者が演じたあと、ずっと年長のアーティストが引き継いだこともあったそうです。
俳優ではなく「コンテンポラリーダンサー」がつくった作品
宮武さんは、演者にどこまで解釈の自由を与えているのかを尋ねます。ドイルさんがまず強調したのは、『Sleep No More』がコンテンポラリーダンサーによって作られ、演じられている作品だという点です。
ダンサーたちは本質的に優れた俳優でもあるため、世間では「俳優」と呼ばれがちです。しかし作品の技術や中身は、キャストがコンテンポラリーダンスの訓練を受けていることに支えられているといいます。
ドイルさんの見立てでは、カンパニーのうち俳優出身は15%ほどです。彼らも身体的な語りや動きの技術に関心を持つ優れた俳優ですが、ダンサーを「俳優」と呼んでしまうのはダンサーに対して失礼になることがある、とドイルさんは話します。
初演時は、ドイルさんとバレットさんの演出のもと、ダンサーたちが動きの語彙を生み出しました。現在は言語が固定され、いわば「台本が身体の中にある」状態で、新しいダンサーはそれを覚えて舞台に立ちます。
それでも人間や登場人物を描く作品である以上、優れた戯曲と同じように、一人ひとりが自分なりの解釈を見つける余地を残す必要があるといいます。ドイルさんは、観客が振付そのものに気づくようなら作品はうまく機能しておらず、ステップの形より表現のインパクトを感じてもらうべきだと考えています。
暗い迷路の入口は、なぜ必要なのか
宮武さんが最も好きだった瞬間は、体験の冒頭でした。建物に入り、真っ暗な廊下を抜け、マンダレイ・バーにたどり着き、エレベーターからすべてが始まる流れです。
建物に入る
日常から作品の世界へ足を踏み入れる
暗い廊下
方向感覚を失い、感覚が研ぎ澄まされる
マンダレイ・バー
作品世界に少しずつ慣れていく
エレベーター
ここから本編が始まる
ドイルさんは、この入場体験は完全に意図されたもので、バレットさんの演劇観と観客体験へのビジョンから来ていると説明します。人は劇場に来るとき、仕事から急いで駆けつけたり、都会の喧騒を抱えたままだったりと、心理的な荷物を背負っているからです。
そこでPunchdrunkの入場儀式は、観客をあえて方向感覚のない状態にし、自分の感覚に耳を澄ませられるようにします。大人が暗い迷路を這うように進むのは子どもっぽくて少し可笑しいものの、それが遊び心と「いまここにいる」感覚を呼び起こし、知性や論理とは別の受容体を働かせるといいます。
ドイルさんは、観客を良い気分にし、冒険が始まった感覚を持ってもらいたいと話します。空間と世界が少しずつ自らを明かしていく感覚が重要で、最初の瞬間から観客をケアすることに常に気を配ってきたそうです。
(入口で)すごく迷子になった気がして、コントロールを失うんです。でも最後にはそれでいいと思えるようになる。
宮武さんは、その感覚が、自分のコントロール外で物事が起きる世界にただ観察者として入っていく準備になっていたと振り返ります。
3時間を「1時間×3ループ」にした理由
宮武さんの次の質問は、NY版のフル体験が約3時間で、1時間のループを3回繰り返す構成になっている理由です。なぜ1.5時間×2回ではなかったのかと尋ねます。
ドイルさんによると、この形式の起源はバレットさんの大学最終学年にあります。演劇学位の課題として20分の戯曲上演が必要だったとき、ルールを破る人であるバレットさんは、軍の兵舎で上演し、観客が動き回れるようにループで繰り返したいと提案したそうです。
その後、作品を発展させる中で、マクベスの物語の核となる出来事を12個に分解し、作品の構造的な背骨にしました。ほかの登場人物にもそれぞれおよそ12前後、1つ5分ほどのシーンがあります。ただし厳密な科学ではなく、変動もあるといいます。
作品の本質は探索にあり、その中心にはゲーム的な仕組みがあるとドイルさんは話します。3ループあれば、観客は同じシーンを3回見ることも、別の登場人物の視点や、上の中2階から見ることもできます。
何も読まずに体験に臨んだ宮武さんは、最初の5〜10分は誰にも会えず完全に迷っていたといいます。ドイルさんは「よくやった、それがいちばんいい」と応じます。
3回(のループ)でも足りない。だからみんなが何度も戻ってくる理由がわかります。
ドイルさんによると、物語はすべて建物の各所で同時に進行しているため、すべてを知ることは不可能です。それでも、徹底的に回れば8回ほどでショーのほぼ全体を見られるかもしれない、と話しています。
そのうえでドイルさんが大切にしているのは、直感に従い、一人でいられる可能性を楽しむことです。暗い廊下をさまよう、寝室で一人引き出しを開ける、菓子店でお菓子を盗む。群衆についていかず、自分の興味に従うことで、体験はとても豊かになるといいます。
ルール説明はどこまで必要か
宮武さんは、日本人の中には『Sleep No More』を難しく感じる人もいるかもしれないと話します。説明がほとんどないため、何が許されていて何がだめなのかがわからず、引き出しを開けたりお菓子を取ったりしていいと気づきにくいからです。
ドイルさんは、指示は「十分なだけ」与えていると答えます。子ども向けのショーではないので、指示やルールを与えすぎたくないといいます。大人同士として、演者と観客が互いに敬意を払うと信頼する必要があるからです。
実際の案内は、マスクを渡すときに遊び心を込めて伝えられます。観客に伝えられる基本的なガイドラインは次のとおりで、エレベーターに乗るときにも繰り返されるそうです。
- 携帯電話はそもそも持ち込めない
- 話さない
- 演者に直接関わろうとしない
一方で「探検せよ」「好奇心を持て」「幸運は勇者に味方する」といった曖昧さも、意図して残しているといいます。引き出しをのぞき、角の先を確かめる観客が必ずいて、それによって情報が広まっていくそうです。
ほとんどの観客は礼儀正しく、シーンを壊したりしません。自分で答えを探り当てるプロセスこそが魅力だとドイルさんは話します。同時に、席に座って何をすべきかわかっていたい人にはこの作品は合わないこともあり、それも完全に理解できると付け加えます。
「トラベラー」と「レジデント」はどう違うのか
宮武さんは、観客が演者のすぐそばまで近づけることに触れます。書き物をのぞき込めるほど近く、邪魔になればそっと脇へよけられることもあったといいます。この関係をどう設計しているのかという質問です。
ドイルさんによると、登場人物は大きく2種類に分けられています。
マクベス、マクベス夫人、魔女、バンクォー、マクダフ夫妻など。館内を移動し、大きな物語の弧と激しいドラマを、身体的・アスリート的な動きで見せる
ポーター、剥製師、もぐり酒場のバーテンダー、仕立屋など。ほぼ同じ場所にいて、より演劇的で持続的、現実に近いリズムで過ごす
トラベラーを追う観客は、激しい動きが起きるとき本能的に道をあけます。ドイルさんはそれを観客と演者の「美しいデュエット」と考えるのが好きだと話します。高度に訓練されたダンサーは、前後左右の観客の位置を感じ取り、動的に反応する訓練を積んでいるといいます。
観客や演者の安全のために、スチュワードと呼ばれるスタッフも配置されています。
一方のレジデントは、手紙を書く肩越しにのぞき込んでも押しつけがましく感じない存在です。ドイルさんは、縫い物ばかりでは退屈になり、激しいドラマばかりでもやはり面白くないと話し、そのバランスやテンポ、リズム、緊張感こそが探求の対象だと説明します。
ダンサーに求める「危うさ」とは何か
宮武さんは、ドイルさんが過去のインタビューで「危うさを持つダンサーに惹かれる」と話していたことを取り上げ、その意味を尋ねます。
ドイルさんはまず、単純な意味として、非常に身体的なダンサーが好きだと答えます。『Sleep No More』では壁をよじ登ったり家具を飛び越えたりする場面が多く、そのアスリート性が観客にとって刺激的だからです。
もう一つは、危うさであり、興味であり、好奇心でもあるような、登場人物の曖昧さです。現実の世界なら路上や暗い路地までついていかないような人物でも、劇場という文脈の中では、ついていくよう招かれています。ドイルさんはそこに生まれる緊張感を、好きな映画俳優が持つ魅力にたとえます。
ただし全員が危うい人物では成り立たず、さまざまな人物像と共感の幅が必要だといいます。ドイルさんは、観客が守りたくなるマクダフ夫人のように、強い共感を呼ぶ人物や演者も大好きだと話します。
音と光は、観客をどう導くのか
宮武さんは、体験の途中まで気づかなかったほど、館内に音楽が多く組み込まれていたと話します。音楽についていくとアクションのある場所に導かれると感じたそうです。
ドイルさんによると、音響デザインを担うのはスティーヴン・ドビーさんです。音楽を選び、強烈なサウンドスケープを作り上げる人物で、建物は複数のサウンドゾーンに分けられています。
館内全体には、デヴィッド・リンチ ── 不穏で夢のような映像で知られるアメリカの映画監督。作曲家アンジェロ・バダラメンティとの長年の協働でも有名です作品の音楽のような持続音が常に流れていて、空間に必ず何らかの音の質感があるようにしているといいます。誰もいない空間を大編成のオーケストラ曲が満たすこともあれば、曲が振付を支えたり、歌が登場人物の物語を補ったりもします。
宮武さんの見立てどおり、音は観客の注意を導く役割も担っています。静かな空間に登場人物が入ってくると、その周りで音の世界が動き出すのです。光も同じように使われ、薄暗い空間と映画のように照らされたシーンのコントラストが生まれます。
ソウル版の会場は元映画館です。ドイルさんは、常に建物から考え始めるため、映画館の傾斜や高さが音の響き方に大きく影響したと話します。さらに長年の技術の進歩と音響研究が重なり、ソウルでは特に豊かなサウンドスケープが実現できたといいます。
NY版の壁は、建物ではなく予算だった
宮武さんは、建物の規制などのせいで実現できなかったことはあったかと尋ねます。ドイルさんは、具体的には思い当たらないと答えます。
NY版ははるかに小さな予算で作られ、当時は街に似たものが何もありませんでした。会場は、いかがわしい歴史のために閉鎖された古いナイトクラブで、既存のエレベーターや階段といった建築を生かす作りだったといいます。
特に苦労したのは館内に満たすヘイズ ── 舞台演出で使われる薄い霧。光の筋を浮かび上がらせ、空間に奥行きや雰囲気を与えますの濃さです。ドイルさんたちは「ヘイズで満たせない建物ならショーはやらない」と言うほど重視していて、消防当局との長い協議を経て実現にこぎつけたそうです。
結局のところ、制約はいつも予算だとドイルさんは話します。『The Drowned Man』では、フロア全体に雨を降らせ、観客が傘を持って歩く構想もありました。しかし1日に何度も繰り返す上演の長さと反復のせいで、実現は不可能だったといいます。水の床の構想も「夢は見られるが、届かないこともある」と語っています。
1対1の体験は「観客への贈り物」
宮武さんは、演者の声を聞ける数少ない場面である1対1の体験について尋ねます。ドイルさんは、もしバレットさんに正直に聞けば、すべてのショーをたった1人のために上演したいと言うだろうと話します。
バレットさんの初期の実験には、観客1人のための壮大な体験も多かったそうです。それは素晴らしいものの持続可能ではないため、Punchdrunkの作品では、できるだけ多くの1対1の体験を作るようにしています。ソウル、NY、上海の各版にそれぞれ30ほどあり、何度も繰り返し上演されます。
1対1の体験は観客にとって「贈り物」のように感じられるべきだとドイルさんは言います。即興ではなく緻密に構成されたシーンで、登場人物が秘密や告白、シェイクスピアの台詞の一部を明かすことが多いそうです。
ドイルさんのお気に入りは、看護師の一人「パゴダ」の場面です。NYでは白樺の森の中、上海では竹の迷路の先にある小屋に観客を招き入れ、そっと鍵をかけてお茶を出し、ヴォイツェック ── ドイツの劇作家ビューヒナーによる戯曲。作中には、ひとりぼっちになった子どもをめぐる祖母の昔話が登場しますに出てくる、迷子の男の子をめぐる祖母の物語を語ります。子守歌のように柔らかく優しいのに、緊張感に縁取られた場面だといいます。
1対1の体験はなかったという宮武さんに、ドイルさんは、事前に知れば探しに行ってしまい、得られなければ失望で終わると話します。開かれた心で扉を出ていけば楽しい時間になる、という考えです。
上海版とソウル版は、どうローカライズされたのか
宮武さんは、上海とソウルでは土地ごとにローカライズされた体験があるようだと尋ねます。ドイルさんによると、上海版は現地のプロデューサーが上海に根ざしたものにしたいと強く望んだため、特に独自性が強くなっています。
舞台を1930年代の上海に置き換え、中国の布地や質感を美術に反映。白樺の迷路は竹の迷路に。白蛇の民話を取り入れ、魔女につながる3人の新キャラクターとサブプロットを追加
プロデューサーがNY版に惚れ込み、それを韓国に届けることを重視。元映画館の大韓劇場という建物と、半分が韓国人のキャストが土地らしさを生む
1930年代の上海は文化のるつぼだったことが、時代設定の理由です。ドイルさんは、上海版はNY版ほどの純度はないものの、独自の雰囲気と感触があると評価しています。
ソウル版のプロデューサーはMs. Jackson Companyです。ドイルさんにとっては、大韓劇場という建物そのもの、韓国のクリエイティブチーム、半分が韓国人で半分が多国籍のキャストが、土地らしさと神秘性をもたらしているといいます。
セットの行方、血の正体、隠し扉の数
最後に宮武さんは、NY版終演時のオークションに触れ、ソウル版で同じセットが再利用されているのかを尋ねます。ドイルさんの答えは「すべて新しい」です。
NY版のセットはプロデューサー側がオークションを開いて所有しているため、行方はわからないそうです。ソウル版は経験豊富な買い付けチームが、ヴィンテージ品を中心にすべて買い直しました。100室を埋めるので、かなりの量になるといいます。
宮武さんは、演者に手を置かれたときにチョコレートの匂いがしたとして、血はチョコレートなのかと尋ねます。ドイルさんは「完全に本物の血」と冗談めかして答え、出どころは明かせない、次回自分で確かめてほしいと返します。
隠し扉や部屋の数については、一般には100室と言っているものの、扉の中の扉、ワードローブを抜ける扉、角を曲がった先の扉などがあり、誰も完全なチェックリストは作っていないそうです。魔法を壊したくないので具体的には言わないが、間違いなくたくさんある、とドイルさんは話します。
インタビューの締めくくりに、ドイルさんは宮武さんに、ぜひソウル版に来てほしい、安い週末旅行で行ってみて、と勧めています。
まとめ
マキシーン・ドイルさんの話からは、『Sleep No More』の自由さが、入口の演出から登場人物の配置、音と光、1対1の体験まで、細かく設計された構造に支えられていることが見えてきます。
- Punchdrunkは「イマーシブ」というラベルより、観客を体験の中心に置くことを重視してきた
- 作品はコンテンポラリーダンサーとの協働で生まれ、上演地ごとに細部を進化させ続けている
- 暗い迷路の入口や1時間×3ループの構造は、観客を迷わせ、自分の好奇心で歩かせるための仕掛け
- トラベラーとレジデント、危うさと共感のバランスが、作品のリズムと緊張感を生んでいる
- 上海版は時代設定や民話まで変え、ソウル版は元映画館の建物と韓国のキャストで土地らしさを出している




