マイナー路線から有名どころへ、方針転換の理由
この回は、実は二回目の収録だと明かされます。一回目は、あえてメジャーでない哲学者を取り上げてみたそうです。
ところが兄きょうすけは、その人の名前を最後まで覚えられなかったと振り返ります。
思わずさん付けしちゃったもんね。あの、知らなさすぎてね。馬田有さんってね。
弟はやとは、この反応を受けて、方針を変えることにしたと話します。友人に話しても同じ手応えだったようです。
知らん人のことを聞いても知らんよなって。その人が何言ったとかの手前に、いろんなハードルあるなっていうのをすごい感じたのね。
そこで今回は、有名どころから哲学に迫っていく方針になりました。西洋哲学の起点として、ソクラテス、プラトン、アリストテレスという三人の名前が挙がります。
はやとは、この三人が哲学の歴史のなかで重鎮であると説明します。
やっぱりソクラテスが本当にもう哲学の祖って言われるし、もちろんその前にも哲学的なことを考えてた人はいるんだけど。それを取りまとめたりとか、流れを作って。
ソクラテスに伝説がない、という面白さ
兄きょうすけがソクラテスから思い浮かべたキーワードは、無知の知と、裁判で死刑になったという最後でした。
これに対しはやとは、無知の知にどうたどり着いたのか、その過程は意外と知られていないのではないかと投げかけます。
ソクラテスは、生まれた瞬間から無知の知にたどり着いていたのか。ブッダとは違うのか。
ブッダには生まれた瞬間の伝説的な逸話がある一方、ソクラテスにはそうした話がありません。はやとは、空を飛んだといった伝説がないところが、哲学の面白さだと話します。
続けてはやとは、ソクラテスの哲学の手法として、産婆術や問答法という言葉を挙げます。
産婆術とは、相手に何かを一方的に与えるのではなく、相手が持っているものを引き出す手助けをするやり方だと説明されます。
要はソクラテスの哲学って、相手と話をしながら気づかせていくとか、作っていくとか、今風に言うと、ちょっとコーチング的な。
弟子が勝手に届けた神託
ここから、ソクラテスがなぜ哲学者として有名になったのかという話に入ります。
はやとによれば、ソクラテス自身が「俺は哲学者だ」と名乗ったわけではなく、きっかけは弟子だったといいます。
当時のギリシャには、アポロンの神殿という、神のお告げを聞く場所がありました。戦いに勝てるかなどを尋ねる、権威ある場所でした。
その神殿に弟子が勝手に行き、ソクラテスより賢い人はいるかと尋ねたのです。
まずその弟子が何したかっていうと、アポロの神殿に行って、勝手に神様に「ソクラテスよりも賢い人はいますか」って聞くのね、勝手に。
返ってきたお告げは、ソクラテスに勝る賢者はいない、というものでした。これに一番驚いたのはソクラテス本人です。
はやとは、この状況を、勝手に推薦を送られて戸惑う場面にたとえます。兄も、剣を抜けるはずがないと思っていたら抜けてしまう物語の例で応じます。
弟子が神殿へ
ソクラテスに黙って「彼より賢い人はいるか」と尋ねる
神託が下る
「ソクラテスに勝る賢者はいない」と告げられる
ソクラテスが困惑
自分は賢いと思っていないのに、神の言葉は疑えない
賢い人を訪ね、知らないことを知る
ソクラテスは、自分が一番の賢者だとは思っていませんでした。ただ、神のお告げは疑えないという時代です。
そこで葛藤したソクラテスが取った行動が、賢いとされる人たちのところへ話を聞きに行くことでした。自分より賢い人がいれば、お告げが違うかもしれないと考えたのです。
相手には、国を運営するエリートである政治家などもいました。ところが話を聞いていくと、意外な手応えのなさに気づきます。
いろいろ話を聞いていくと、あれ、意外とこいつ知らねえぞって思い出すのね、ソクラテスは。
そうして訪ね尽くした結果、ソクラテスは、自分は賢くないかもしれないが、知らないということを知っている、という点に気づきます。
ここで兄は、他人を看破した自分の方が賢いとわかったのか、と尋ねます。しかしはやとは、ソクラテスはそう受け止めていないと補足します。
神が絶対の時代であり、人間などどんぐりの背比べだと考えていたからだといいます。
知っていると思い込んでいるが、実はよくわかっていない
自分が知らないということを自覚している
マウントか、悟りか
はやとは、この無知の知には二つの見え方があると予告します。
ともすればめちゃめちゃ嫌なやつに見えるし、ともすればすごく悟っているすごい人にも見えるっていうのがね、面白いので。
ソクラテスは、この気づきを得たあと、自分が暮らすアテネの市民の幸福のために活動していきます。
兄が、それはソクラテス個人の思いなのか、当時の雰囲気なのかと尋ねると、はやとは後者だと答えます。当時のギリシャは共同体意識が非常に強かったのです。
奴隷がいた時代に、自分たちは国を運営する市民だという誇りがありました。だからこそソクラテスも、戦争にきちんと参加していたといいます。
悪法も法なり、街に殉じた最期
ソクラテスは、人々にいろいろなことを気づかせていきます。しかしその行為が、共同体の秩序を壊し、若者をたぶらかしているという疑いを招きます。
そして裁判にかけられ、死刑となります。これが、兄が最初に挙げた「裁判で死刑になった」という最後です。
ただしソクラテスは、アテネという街も、そこの神々も大切にしていました。ここで「悪法も法なり」という言葉が紹介されます。
共同体が決めた法律であれば従うのが当然だ、たとえその共同体から裁かれても受け入れるべきだ、という考え方です。
兄は、ソクラテス像を自分なりに整理し直します。
やたらめったら人を論破して歩くおじさんとかじゃなくて、ちゃんとやっぱそれがどう人から受け取られたかは別として、ちゃんとそこは一本筋通ってアテネ市民として全うしたって感じなんだ。
本を残さなかった人、ソクラテス問題
ここではやとは、ソクラテスが本を一冊も残していないと明かします。
プラトンやアリストテレスは本人の著作を読めますが、ソクラテスは本人の言葉で直接知ることができません。
そのため、書き手や時代によってソクラテス像が変わる、いわゆる「ソクラテス問題」があるといいます。
だからこそ、現代でもソクラテスの解釈をめぐる論文や研究が続いていると説明されます。
次回は、いきなり裁判の話ではなく、ソクラテスが友情や友達について議論した本を取り上げる予定です。
『リュシス』っていう本があるんですけど、友達って何か、どっから友達なの、みたいなのをちょっとね、話したらいけたらいいなと思ってます。
まとめ
ソクラテスの無知の知は、弟子が勝手に持ち帰った神託への戸惑いから始まり、賢者を訪ね歩いた末に「知らないことを知る」という気づきへ至りました。街を愛し、悪法も法なりとして死刑を受け入れた生き方までを、兄弟の対話でたどった回です。
- 無知の知は、弟子が神殿でソクラテスより賢い人を尋ねた神託がきっかけだった。
- ソクラテスは賢者を訪ね歩き、彼らが実はよくわかっていないことに気づいた。
- 産婆術や問答法は、相手が持つものを引き出す、コーチングに近い対話法。
- 共同体意識の強いアテネで、悪法も法なりとして死刑を受け入れた。
- ソクラテスは本を残さず、実像の解釈をめぐる「ソクラテス問題」が今も続く。
