📝 エピソード概要
本エピソードは、自分の感情や思考を言葉にする「内面の言語化」が、実は明治時代に発明された比較的歴史の浅い概念であることを、文芸批評家・柄谷行人の『日本近代文学の起源』に基づき解説します。近代的な「個人」の誕生と連動して「風景」と「内面」が認識されるようになった経緯を辿り、言文一致運動やロシア文学の翻訳という外圧が、内面を描写する文体をいかに発明したかを考察します。核心は、「言葉や形式が先にあり、それを使って内面が見えるようになった」という、認識の順序の逆転にあります。
🎯 主要なトピック
- 「風景」と「内面」の近代的な発明: 人間の内面や、自然を客観的に見る「風景」という概念は、前近代には存在せず、明治20年代に近代的な「孤独な主体(個人)」の誕生とセットで発明された。
- 国木田独歩『武蔵野』と写実: 松尾芭蕉らが風景を概念として捉えていたのに対し、国木田独歩は『武蔵野』において、孤独な散歩を通して目の前の風景をありのままに描写し、風景の発見を文学的に示した。
- 言文一致運動の推進: 話し言葉と書き言葉を一致させる運動が起こり、それまで公的な文体で歪んでいた生々しい感情や気持ちが、そのままの形で表現できるようになった。
- ロシア文学翻訳による文体の発明: 二葉亭四迷はツルゲーネフのロシア文学を翻訳する過程で、繊細な心理描写を可能にする「何々だ/何々である」という新しい文体を発明し、内面を表現する器が輸入された。
- 「告白」という形式の輸入: キリスト教の「告解」に由来する「告白」の形式が輸入され、私小説やエッセイといった、ありのままの内面を語るジャンルの隆盛を促した。
💡 キーポイント
- 「内面があって、それを言葉にする」のではなく、「内面を描写できる言葉(文体や形式)が先に発明され、その言葉によって内面が認識されるようになった」という順序の逆転が核心である。
- 前近代の『土佐日記』が女性の仮面(ペルソナ)を被って書かれたのに対し、近代の「告白」はありのままの「私」を語る点で正反対である。
- 現代のSNSやLINEスタンプ、VTuber文化なども、プラットフォームやツールといった「形式」が先にあり、それが表現される内容や行動(内面)を規定するという点で、明治の言文一致と同じ構造を持っている。
- 自分の内面を公開して表現するという行為は、インターネット普及以降に一般化したものであり、人類史全体で見ると極めて新しい現象である。
- (次回予告)言語化や標準語の基準は、特定の知識階層によって設定されており、「正しい日本語」の裏には「権力」の問題が潜んでいる。
