
ゆとり教育者ラヂオ「ふつうの先生の、ふつうじゃない話を聴いていく番組」
ホストは、高知の現役教員で「会いに行けるセンセイ」という活動をする「のざたん」
第7回は、「そもそも編」を締めくくる回。そして、初めて足場の外に出る回。
「学校」「学ぶ」と、法律を手がかりに足元を固めてきました。でも、今回の「教える」には、法律という地面がない。
誰もが体験してきたぶん、誰もが一家言ある。だから語りがあふれて、「で、結局どれが正解なの?」と、教員も保護者もすり減っていく。
——そもそも、「教える」って、引き出すこと?それとも、与えること?
今回は、educate の語源を手がかりに、「正しい教え方は、ない。あるのは、毎回それを問い直している自分だけ」という話をします。
▼ この回で話したこと
・「教える」には、法律のような「正解の地面」がない——だからノイズで消耗する
・educate の語源は「引き出す(ex+ducere)」と「育てる(educare)」の両方——最初から、どちらにも決めていなかった
・「放置は無責任。教わっていないものを、できるわけがない」——ある方に返された、ハッとした一言
・引き出す=放っておく、ではない。最初のひと開けは、こちらから渡すしかない(引き戸の比喩)
・与えるしかない場面(二次方程式の公式)と、黙って待つ場面がある。その0.5秒を、毎回選び直している
・放置は無責任、過剰なレールは支配——どちらの極も、振り切った瞬間に嘘が混じる
・「主体性」は、渡すべきものを渡したうえで立ち上がるもの。与えない理由ではない
・「教える」は固定の方法じゃなく、その都度の選択(=「私が選ぶ」)。選ぶには「半歩引く目」がいる
🎙 Voicy「学びのセカンドオピニオン」
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📝 note(ゆとり教育者マガジン)
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