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ゆとり教育者ラヂオ「ふつうの先生の、ふつうじゃない話を聴いていく番組」
ホストは、高知の現役教員で「会いに行けるセンセイ」という活動をする「のざたん」
第5回は、シリーズの新章スタート回。 第1〜4回で「ゆとり教育者」の輪郭がひと回りしたあと、ある違和感が残りました。 ——そもそも、ゆとりを持つべき「学校」って、何だっけ?
今回は、身体感覚から離れて、定義の話をします。 「教育」と「学校」を切り分けるだけで、肩の荷が少しだけ降りる話をしました。
▼ この回で話したこと ・「教育」と「学校」って、実は同じじゃない ・学校教育法が定める「学校」は、教育全体のある一部分にすぎない ・公教育はインフラ——個人の頑張りだけで成り立っているわけじゃない ・「人格の完成」という大きな航海図——学校はある区間の伴走者でいい ・教員の責任は、結果じゃなくて「過程」にある(医師・弁護士と同じ) ・「いい先生」の呪いを解く第一歩 ・第1〜4回(余白・私が選ぶ・半歩引く目・しなやかさ)は全部、「過程の責任」を担うための装備だった ・次回予告——「過程」って、結局、無数の「はじめて」の集まりかもしれない
▼ のざたんの他の活動
Voicy「学びのセカンドオピニオン」(毎日配信) https://voicy.jp/channel/3708