暇な二人の自己紹介
番組冒頭、二人の暇人が名乗りと自己紹介から始めます。
暇人ラジオ括弧仮、始めていきたいと思います。
よろしくお願いします。
この番組はですね、二人の暇人が身近なことや最近気になることをトークする番組ですということで。二人の中年暇人がですね、深夜にトークするという。
やだななんか。嫌な番組ですね。なんかね。
そうですね。今こう、東京と熊本でつないで話してますけど。
いかがですか?じゃあちょっと自己紹介から始めていきましょうか。
したいと思います。パーソナリティをやらせていただきます、岡田と言います。
岡田さんはどういった方なんでしょうか。
僕はですね、本当にいろんなところの会社に入ってって、いろんな会社の立ち上げのところに関わらせてもらって。人材紹介業を立ち上げてる会社とか、民泊のSaaS事業を立ち上げてる会社とか、教育事業を立ち上げるみたいな会社さんの、決まってないとこからどう動いて作っていくみたいなところで関わらせてもらってる人間です。
へー、なんかすごい面白い仕事がいっぱいありそうですよね。
そうですね。もうなんか知らないことは僕全部楽しいので。とにかく色々絡んでいってるっていう感じですね。
普通はね、知らないって不安に思うところがあると思うんですけど、楽しめる人っていうのは、そういう会社の中に必要とされるんでしょうね。
そうか、普通の人はこれ不安がっちゃうんですよね。確かにね。
じゃあ自分ですね。僕は熊本から宮川と言います。いろいろやってるんですけど、仕事の話は、僕とか暇人っていうことにしといて、とりあえず。
最近ちょっと思ったのが、自分ってどういう人なんだろうってすごい考えてたんですよね。言語化するのが苦手なのかなとかっていうとこがあって。そしたら出てきたのが、毎日新しい自分になるのが好きな人っていう定義で。
新しい自分。
昨日とも違ってて、明日が全然違っても、そういう気分な方が楽しい人みたいな感じで。予定調和じゃないっていうことを毎日アップデートしていくことが、自分にとってすごくしっくりくることだなと思って。
毎日っていうのは、朝起きて結構リセットされるじゃないですか。昨日のことはもうなくなってるぐらいの気持ちで、新しく0になるぐらいがちょうどいいみたいな感覚なんですよね。
もう0リセットで毎日。
そういう定義にすると、なんかすごく自分が生きやすいみたいな感覚があってですね。
なるほど。じゃあ結構リセット組かもしれないですね。
僕たち多分そこでちょっと繋がってるのかなみたいな感じで共感してるというか。
ゆるいコミュニティって何だろう
ここから話は本題のコミュニティへ。宮川さんが最近作ったという「ゆるいコミュニティ」という言葉を切り出します。
今日のテーマなんですけど、最近その緩いコミュニティっていう言葉をちょっと作ったんですけど。
緩いんですね。
コミュニティって結構、所属とか帰属とか、団体とか組織みたいな感じにも受け取れるとこがあるんだけど。僕そういうの結構苦手で、昔から。
苦手なんですか?
何が嫌なのかなって思ったら、その規律とかに合わせないといけないみたいなのが、自分の中でモヤモヤしっぱなしになって。だったら自分の生きやすいように生きたいなみたいなとことかがあって。緩いコミュニティっていうのは、出入り自由の、来たい時に来るみたいな。
金銭関係があるわけでもなく、今日行きたいなっていう時、たまたまちょっと集うとかぐらいなんだけど、ちょっとした繋がりを感じるというか。その見えない繋がりのことをゆるいコミュニティみたいな感じで思ってるとこがあるんですよね。
コミュニティってなんなんだろう。
集まる場所とか、人が集まってるっていうこととか、集まり方とか、いろいろあるじゃないですか。二人以上いたら、家族とかの単位も、そういうのに近いというか。
一つのコミュニティですね。
岡田さんと今日このポッドキャスト始めるにあたって、コミュニティって何だろうをテーマに話したらどうかなみたいな。自分すごい興味あるんで。
いや、興味深いですね。まずコミュニティって何なんでしょうね。学校もコミュニティですし、そのゆるく繋がってるのもコミュニティって感じですよね。
自分はその強さみたいなものっていうか、繋がり方の強度みたいなのじゃないけど。強烈に繋がってるのが学校みたいなとか、繋がせられてるみたいな。ちょっと言うと鎖みたいなイメージというか。
その流れでいくと、繋がりを強制されているところから、されてないけど自由参加できるところまでみたいな。そこの軸でちょっと違うんじゃないかって。
そうそう。薄く細いけど繋がってるみたいな。僕たちこれだよねみたいな、ほとんど無意識に近いぐらいの感じで、うっすら繋がってるみたいな感じとか。
宮川さんはやっぱりその緩い方が好きですか?
そうですね、多分ちょっと個人主義みたいなところもあるのかもしれないですけどね。僕は僕、君は君っていうのが前提であって、だけど一緒にやろうよみたいな感覚がすごく強いから。
結局一人でしか生きられないというか、意識は一人なんで。その一個体同士が、タイミングよく集えば別にいいやんみたいな。だから同調圧力みたいなやつが、どうも解せないみたいなところがあるのかなっていう。
呼んでもないのに集まる、自然発生的なコミュニティ
宮川さんが最近始めたというトーク番組の話から、自然発生的に人が集まる面白さへと展開していきます。
最近気になり始めたのはなんかきっかけがあったんですか?
YouTube番組みたいなやつをちょっと始めたんですよ。居住空間学っていうタイトルでやってるんですけど。衣食住みたいな中の住っていうのは結構大きい割合じゃないですか。生活とかライフスタイルとかカルチャーみたいなのも含まれてくる。
自分たちより年上の先輩の人たちと四人ぐらいでワチャワチャ話すトーク番組みたいなのを始めたんですけど。会場で公開収録してて、来てる人ともトークディスカッションできるようにしたら面白いんじゃないかみたいな感じになって。
全然告知してないんだけど、全く知らない人が来たりする。インスタ見ましたみたいな、会場のチラシを見て来ましたみたいなとか。今三回やったんですけど、毎月来る人とかが出てきたりしてて。誰も強制してないし、呼んでもないんだけど、なんとなく来てるみたいな人たちが結構いて。
それもコミュニティですよね。
じゃないですか。呼んでもないのに勝手に来て、勝手にそこで仲良くなってトークして、また帰ってバイバイみたいな感じの。
すごい自然発生的ですね。
そうそう、自然発生的なんですよ。それでなんかいいなと思って。
それも始めようと思って始めたわけじゃないですからね。
始まり方も結構それが怪しくて。番組みたいなやつを作りたいなみたいな話をしてたら、面白い人たちと今日会うんで一緒に来ませんかみたいに言われて。ほとんどあんま会ったことない人ばっかりだったんですけど。話してたらなんか面白くないですか?みたいなノリになってきて。
自分が視聴者みたいな気持ちで話を聞いてたら結構面白かったから、そのまま流したらどうかなみたいな感じになって始まったみたいな。その場でじゃあいついつから始めましょうみたいになって、すぐ始めちゃった。それも結構自然発生的な。
急に始まって面白いし、自然発生的で自然だから、束縛感もないし、いつやめても別にいいわけだしとかっていう中で、ちょっとピンと来た人たちが集まってきてるみたいなことがすごく面白いなぁみたいな。お金がどうのっていう話も全くないんで。
むしろ多分逆にお金とかが発生してたら、逆にそういう人たち来ないんじゃないかなっていうのは思いますけどね。
AI時代に自然発生的な繋がりが価値を持つ
話は、仕事やお金の縛りが薄れていく時代に、コミュニティの意味がどう変わるかへと広がります。
それってすごく時代的だなっていうか。AIとかで仕事しなくてよくなるんじゃねみたいな話とかあるじゃないですか。そういう時に、立場とか、お金持ちとかお金持ちじゃない人とか、全く関係ないじゃないですか、そういう集まりって。その人が興味あることで繋がるから、超自然でいいなっていうのが感じるというか。
ベーシックインカム的に仕事もあんまりしなくてよくなった時に、お金の価値とかもどうなんだろうみたいになる。立場もみんなほぼ平等みたいな感覚になった時に、学校とか会社みたいなコミュニティは、結構無理してみんなやってたんじゃないかなみたいなことも思ってて。
でも自然発生的なコミュニティはそういうのがないから、もっと本質的というか、自然にあるし、みんなが欲しいものだしみたいな。そっちの方がすごく価値がある集まりなんじゃないかなみたいな。
コミュニティの在り方もやっぱ環境とか時代によってもだいぶ変わる気もするんですよね。自然発生的なものが大事にされて生きる世の中もあれば、例えば戦時中とかだと、軍隊式のコミュニティの方が国としてはいいのかとか。
自然発生的に戦いましょうってなるのか、国がちゃんと統率して動くのかみたいな。動き方違うなっていうのもあると思いますよね。だから多分その暇で平和だから、それが今生きてる可能性も。暇人ラジオっぽい感じで。
暇人ラジオ括弧仮はやっぱりそこら辺ですよね。みんな暇になるんじゃないかみたいなところも大きなテーマじゃないですか、今の時代的には。
暇をいかにつぶすかみたいな大会になってますけどね。
何が残るかみたいなところは色々あがってるけど、僕はこういう暇人ラジオみたいなものとか、自然発生的な繋がりとかがすごく大切なものなんじゃないかなみたいなことは思いますけどね。
その暇っていう話だと、じゃあ暇な時間をコミュニティに使いたいって人が、この暇なコミュニティを使うっていう感じですかね。
じゃないですか。ご飯食べるとか子供育てるとか絶対しないといけないことがあるんでしょうけど、空いた時間になった時に、ちょっとそのゆるいコミュニティにハロージョインしようみたいな感じですよね。
そういうのが複数あって、常にある選択肢があるっていうのはすごい魅力的ですよね。
共感でつながる、二人はミーハーの繋がり
話は自分たち二人がなぜつながっているのか、その繋がりの正体を探る方向へ向かいます。
共感してるとか、その中の人のファンの人もいらっしゃったりする。テーマがある場合は、わかりやすい共感というか、これでつながってるねっていうのがわかりやすいですけどね。
なんか共感でつながるコミュニティって感じがしますね。
僕、岡田さんのことすごい好きなんだけど、なんでこんなに毎回毎回こう。
公開告白。
いやいや、まあ告白なんですけど。なんでこんなに仲良くさせてもらってたりとか、話したりしていいのかなとか思う。なんで繋がってたのかなってちょっと思ってはいたんですよ。岡田さんがいきなり冒頭から答え出しちゃうんで。
冒頭なんか僕答え出ました?
その新しい体験したことがないことがワクワクするっていうことと、僕の毎日新しい自分にっていうのが繋がったから、そういう繋がりみたいな。
あ、そうかそうか。つながったんですね。そういうコミュニティなんですね。
毎日新しいの好きコミュニティ。ミーハーってことですかね。
ミーハーですね。確かに確かに。
暇人でミーハーの繋がりってことですね。
でもなんかそれ以外にも空気感もある気しますね。緩いとか、ガチガチじゃないみたいな空気感は感じますね、個人的には。
ピリッとしたコミュニティを求める人もいる
岡田さんは、ゆるさとは対照的に、あえてピリッとした場を求める人の話を持ち出します。
暇な人でもガチガチのコミュニティに入りたい人もいたりしますよね。あえてちょっとピリッとしたカチッとしたとこに行きたいみたいな。
あ、そうっすか。あんまりピンとはこないけど、やっぱあるんですね、そういうのが。
ありますね。僕あのオーケストラとかを趣味でやってたりするんですけど、結構ガチガチの楽団だとめちゃめちゃピリッとした練習するところがあったりして。むしろそこで指導してる人は、ピリッとしてる感じがすごい好きでやってる人が結構多かったり。
そうなんですね。ピリッと繋がり。
そう、ピリッと繋がりを欲しい人みたい。ピリッとコミュニティが実はその人には求められてるみたいな。
自分あんまりないから共感はできないんだけど。僕がゆるくしてるやつを、めちゃくちゃ嫌なやつがいるってことですもんね。ピリッとさんと比較すると。
緩すぎてちょっとつらいって人もいる。ちゃんと練習してこいよみたいな。
楽しけりゃいいじゃんみたいなこと言ってる人たちみたいなことですもんね。
そう思うとなんか選べるのがいいのかなと思ったりしましたけどね、いろんな人が。
確かに。今日はピリッとしたいとか、そういうのでもいいっすよね。ご飯食べるみたいに。今日辛いの食いたいなとか、めちゃくちゃ甘いの食いたいわとかね。
人にタグを貼りたがるのはなぜか
食べ物の自由になぞらえて、人を型にはめてしまうこと、タグ付けの是非へと話が進みます。
食べ物ってそんだけ自由度があるじゃないですか。選べる自由とか気分で変えていいとかが容認されてるのに。人をカテゴライズしたがる傾向があるから。辛くもあり甘くもあるみたいな。
自分なんかそのデザインの仕事をするから、情報を整理するんですよね。白黒ある程度はっきりつけたり、分量を変えたりとか。でも人間をそれに当てはめて分かりやすくとかってすると歪みが出ちゃうというか、もっと曖昧なものなんじゃないかなみたいな。
なんで人は決めてタグを貼りたがるんでしょうね。多分メリットデメリットあるんでしょうね。思考をショートカットする時はやっぱタグ付けした方が早くなりますもんね。
そうそう、確かに。見やすくなるじゃないですか。曖昧さがない方がはっきりしてて。
なんか緊急事態とか急ぐ時はタグ付けした方が圧倒的にメリットとなる可能性もあるかもしれないですね。
だから平和で戦争がない時代に、我々暇人みたいな人たちがそういうことはしなくても別にいいんじゃないかみたいな話なのかもしれないですね。
確かに暇人にはタグ付け不要ですね。
その曖昧さの方が深みというか、遊びの部分が多くて楽しめるみたいなね。
いやでも宮川さんとも話してましたけど、結局何やりたいかって、僕らは遊びたいだけなんですよね。
究極的に、生まれつき暇人とか遊び人とか、ボヘミアン的というか、昔、同じ民族だった的な感じっていうか。似たような種族とか種類とかみたいなのがあるのかもしれないですね。
これも多分その環境において、その性格が生存戦略として適してるっていう可能性もありますよね。暇人風な人の方が生き残りやすいとか。
バリの人の優先順位は宗教、そして仕事
宮川さんが、バリ島の人々の暮らしと価値観についてのエピソードを紹介します。
この間ね、ちょっと面白い話があって。結婚式の披露宴パーティーの撮影の仕事があって、横に座った人が、バリ島で旅行会社をされてる女性の方だったんですけど。バリの人って、傾向として全然ちゃんと仕事しないみたいな。約束の時間にすら来ないみたいな。
沖縄の人ですね。1時間遅れは当たり前みたいな。
なんでそうなるんでしょうねみたいな話になったんですよ、国民性じゃないけど。そしたら向こうの人たちって、暖かいじゃないですか、国が。寒くないからどこでも別に寝れるみたいな。ビーチで寝ても別に死にはせんみたいな。
食べ物とかも、木の実とか常に生ってるから取って食えば別に飢えないみたいな。
なるほど、ベーシックインカムが転がってるんですね。
そう、そういうことですよ。それで結局、仕事にしがみつかなくていいみたいな感覚があるらしいんですよね。お金が入ってこないから生活できないからちゃんとするみたいな流れがないから。緩いみたいな。
仕事は一つの選択肢というかオプションみたいな感じなんですね。
そう。だからそのプライオリティの順番を聞いたんですよ。そしたらなんと一番は何と思います?
え?昼寝。
違います。一番は宗教らしいんですよ。
えー、なんか家族とか来るかと思ったんですけど。
次がまあ家族とか含めた自分たちのライフスタイル、そういうところ。3番目が仕事ぐらいらしいんですよ、感覚的に。
宗教的なものが一番にあるっていうのは、悪いことがあったりミスったみたいな時に、お祈りが足りなかったからだみたいな考え方をするらしいんですよ。
お祈りなんですね。
あの人が泥棒したとか例えばあった時に、それは俺がお祈りが足りなかったからだみたいな考え方をするらしいんですよ。自分に何か悪いことが起きても、それはお祈りが足りなかったから。それってすごいなって思ったんですよね。
すごい日本ではあんまりない感覚ですね。
誰かのせいにしないわけだし、ましてや自分も責めないじゃないですか。空を責めるみたいな。地球を責めるみたいな。
日本もでも昔はなんかこう、ちょっと変わった動きをする人は、あの人はこう狐に取り憑かれたみたいな。
そうそう、あるじゃないですか。それは悪いとかっていう感覚じゃないじゃないですか。それってすごい平和だなと思って。そしてやっぱりうつ病の人が少ないらしいんですよ。誰も責めないってことは、心が苦しくならないみたいなところがあるのかなって。
なるほど。でも確かに責める動機付けもあんまりなさそうですね。平和にその辺のものを食べて暮らせるんだから、喧嘩するよりそのままでいいよねみたいなのでもいいですよね。
生きることの優先順位の違いっていうのは、人と国と対比した時にすごく分かりやすいですね。でも多分日本も昔はそっちだったんじゃないかなと思うんですよね。
時間を守るっていうことも、近代になってようやく根付いてきたみたいなのを、出展不明ですけど見た記憶があるので、日本人は昔からこう時間にストイックみたいなのは多分幻想だと思うんですよね。
じゃあなんで昔はそうなってたのかっていうのと、今こんだけ違う状態で2ついるのかっていうのも、なんか一つ面白い対比だなと思って聞いてました。
なるほど。じゃあ今ので前半ですね、大体40分ぐらい話してみたいっていうところで。また中編後編っていうところで、生きることの優先順位の違いみたいなところから次話していけると面白いかなと思ってみたんですけど、どうですか?
いいですね。生きるとこの優先順位。わかりました。
じゃあとりあえず前編これで終了したいと思います。
はい、ありがとうございます。
まとめ
前編では、宮川さんが提唱する「ゆるいコミュニティ」を軸に、二人が抽象的なトークを繰り広げました。呼んでもないのに人が集まる自然発生的な場の心地よさ、共感でつながる二人の関係、そして人を型にはめるタグ付けへの違和感が語られます。後半は、バリの人々の優先順位を入り口に、生きることの優先順位の違いへと話が続きます。
- 規律や金銭で縛られない、出入り自由な「ゆるいコミュニティ」に心地よさを感じる
- 呼んでもないのに集まる自然発生的な場は、AI時代のフラットな繋がりとして価値を持つ
- ピリッとした場を求める人もいて、コミュニティは気分で選べるのがいい
- 平和で暇な時代だからこそ、人を型にはめるタグ付けは不要という視点
- バリの人々の優先順位は宗教、ライフスタイル、仕事の順で、誰も責めない生き方が語られる
