サンフランシスコの「テックハウス」で始まった出会い
番組は、エンタメ業界の人や世界を相手にビジネスをする人との雑談から、エンタメ×グローバルのヒントを得ようという趣旨で進んでいます。この回のゲストは、サンフランシスコ在住でTrissinoを手がける森永貴大さんです。
前半はゲストの生い立ちとキャリア、後半はそのゲストならではのトピックを扱う構成になっています。今回は前半にあたります。
二人が初めて会ったのは、サンフランシスコにある「テックハウス」でした。日本人街の一軒家がまるごとテックハウスになっている場所だと、森下さんは説明します。
そこで会いました。そこでもう一人別の起業家の方がいて、3人でお話しした記憶があります。
その場には他の起業家も居合わせ、立ち話をした記憶が今につながっていると振り返ります。会ったのはおよそ2年前だと二人は確認し合います。
三重県名張市の田舎で育った少年
生い立ちの話に移ると、森永さんは出身が聞き手の森下さんと同じ三重県だと明かします。四日市出身の森下さんに対し、森永さんは名張市の出身です。
いや、森下さん一緒の三重県出身です。僕。
名張市は人口7万人ほどの土地で、緑の豊かな田舎で育ったと森永さんは話します。小学校も中学校も、地元の公立校に通っていました。
名門・津高校をわずか2ヶ月で辞めた理由
高校の話になると、森永さんは進学先の経緯を語り始めます。最初に入学したのは三重県の津高校でした。
もともとは大阪の高校を志望していましたが、思うような合格にならず、金額のことも考えて三重県の津高校を選んだといいます。ところが、入学初日から自分がここにいたかったのかという気持ちが湧いてきたと振り返ります。
森永さんにとって大学受験は高校生活の大きな目標でした。自分がもっと頑張れる環境に身を移したいという思いが強まり、津高校は自分に合わないと感じたといいます。
でもこれ変わるんだったら絶対早い方がいいって思って。
ゴールデンウィーク明けに担任へ相談し、東京に行きたい大学があること、自分に合う高校に移りたいことを伝えます。転入試験を受け、6月に津高校を辞めて大阪の高校へ転校しました。
引っ越しなしで転校を認めさせた直談判
この転校は簡単な話ではありませんでした。大阪の高校からは、当初「引っ越しをしないのに転校はできない」と言われていたのです。
家が引っ越しするんだったら大阪に入学できるって言われたんですけど、それも向こうの教頭先生、ちょっと説得して、特別に試験受けさせてもらって。
森下さんは、普通なら教頭先生に直談判しに行かないだろうと驚き、そこに今のキャリアに通じるものを感じ取ります。森永さんは、どう直談判したのかを具体的に振り返ります。
親が高校に電話し、一度会う時間をもらったところ、対応してくれたのが教頭先生でした。転校の理由やなぜこの高校に来たいのかを聞かれる中で、一家転住でなければ転校できないと告げられます。
いやでも自分はこういう思いがあってみたいな話をして、じゃあちょっと特別に受かるかどうかわかんないけど、転校できる試験を受けるチャンスをあげますというふうに言っていただいた。
結局、家族で引っ越すことはなく、名張から片道1時間ほどをかけて大阪の高校へ通うことになります。近鉄上本町の駅から高校が近く、歩いて4〜5分だったため、通学時間は津高校とそれほど変わらなかったといいます。
自由な校風が合わなかった。「自分を律せない」という自己認識
なぜ津高校が自分に合わないと感じたのか。森下さんが問いを重ねると、森永さんは校風の話を挙げます。
やっぱこの津高校ってすごい自由な校風だったんですよね。制服もないし、何してもいいし、勉強する人はするし、しない人はしない。
その自由さ自体は良いと思いつつも、当時の自分にはそれが合わなかったといいます。自分を律することができないと感じてしまったのです。
何か制限とか、プレッシャーといいますか、何かあった方がうまく自分はできるのかなって。その当時の僕はそう思ってました。環境が大事だっていう風に自分の中で思ってました。
森下さんは、四日市高校や桑名高校も私服可の校風だったと振り返り、勉強ができる人は放任しても勝手にやるという前提があったのではと推測します。それに対し森永さんは、自分は放任では勝手にできるタイプではなかったと率直に答えます。
「東京に行けば何かありそう」から早稲田へ
森永さんにとって、大学は重要な要素でした。親からもいい大学に行った方がいいと言われ、姉を見ても大学は選択肢を広げる場面だと感じていたといいます。
加えて、東京に行きたいという田舎者としての思いも強くありました。東京に行かせてもらえるような大学であれば、ある程度のレベルを目指さなければならなかったと語ります。
なぜ東京に行きたいと思ったのか
明確なやりたいことがあったというより、「東京に行けば何かありそう」という感覚だったといいます。広い世界を見たいという気持ちが先にありました。
基本僕結構ミーハーなんで。やっぱ田舎者だったんで、やっぱ東京とかカリフォルニアとか大好きなんですよね、ベースとして。
森下さんは、生まれた時から目の前に山がある田舎で育ち、外に出たいという使命感を抱く感覚に共感を示します。もっとも、大阪の高校でも東京へ出るのは少数派でした。
森永さんのクラスは1クラス47〜48人の男子校で、東京に進学したのは1〜2人だったといいます。森下さんの四日市南高校でも、関西圏から出たのは1学年で2人だけだったと振り返ります。
そうした中で森永さんは早稲田大学の商学部に進学し、経営やマーケティング、金融などビジネスに関わる分野を学びました。
二度のアメリカ留学が育てたグローバル志向
この時点でスタートアップの兆しはまだなかったものの、いずれアメリカに行きたい、グローバルで何かしたいという思いは大学の早い時期から持っていたといいます。留学生が多い早稲田の校風も影響していました。
森永さんは大学時代に二度アメリカへ留学しています。一度目は20歳のとき、サンディエゴへの3週間の語学留学でした。
最初語学留学ということで、3週間語学留学行って、韓国人と仲良くなって、覚えてきた英単語がTGIFとTakeCareだけっていう、それで3週間過ごして帰ってきた。
この経験からもっと勉強したいと感じ、次は英語を学ぶのではなく英語で何かを学びたいと考えます。21歳のときにシアトルのカレッジへ1年間留学し、現地の学生と授業を受け、インターンシップも経験しました。
シアトルにはAmazonやスターバックス、Microsoftといった企業があります。この1年間の留学が、アメリカで仕事をしたいという価値観に大きな影響を与えたと森永さんは話します。
新卒でAmazonへ。おもちゃ部門での経験
大学卒業後、森永さんは新卒でAmazonに入社します。シアトル留学時にはAmazonの本社に行ったこともなく、シアトルにAmazonがあることすら知らなかったといい、たまたま後から入社することになりました。
入社のきっかけは、留学生を対象にしたボストンキャリアフォーラムでした。そこで内定を得たといいます。
Amazonでは2つの部署を経験しました。1つはAmazonのマーケットプレイスのセラーの売上を伸ばすECコンサルタント的な仕事です。2年目からはリテール部門に移りました。
メーカーとかブランドからものを仕入れて販売するリテールのビジネスの方に移動しまして、僕はおもちゃの部署にいたので、ひたすらそのプリキュアのスティックとか仮面ライダーのベルトとか売ってました。
この部門は、エンドユーザーであるToCのお客さんに売りやすくするためのプロモーションを考える仕事だったといいます。
Amazon時代の「競合、今何してる?」がTrissinoの原点に
今のTrissinoの事業アイデアは、実はAmazon時代の経験から来ているといいます。森下さんが、Trissinoのビジネスを簡単に紹介してほしいと促します。
Amazon時代、森永さんは毎週の定例ミーティングで、お客さんから必ず同じ質問を受けていました。
うちの競合今何してますか?っていうことを毎回聞いてきたんですね。
お客さんが自社やマーケットのこと以上に競合の動きを気にしている、と森永さんは感じます。そして、競合について知るいい方法がないことに気づいたといいます。
競合の情報にはなかなかアクセスできません。それでも各社は、競合のプロモーションを見て自分たちの動きを決めてしまうことが多い。だからこそ競合を知ることは大事なのに、いい方法がなかったのです。
Trissinoは、BtoB企業向けにAIで競合リサーチを自動化するツールを作っています。過去の課題感と、今の状況が重なったことが事業の背景にあると森永さんは説明します。
今AIでマーケットの動きとかすごい早くなっちゃってるんですよね。プロモーションのサイクルも早いし、機能の開発もすごく早くなってるし。
AIが発達するほど市場は競争的になっていく。手作業で情報を集める従来の方法では間に合わなくなる。その方向性は間違いないと考え、今がそのタイミングだと判断したといいます。
日本での起業を1年で閉じ、シリコンバレーへ
森永さんは2021年にAmazonを辞めていますが、そのまま直接サンフランシスコに来たわけではありませんでした。間に1年間、日本での起業を挟んでいます。
実は1年間日本で起業してて。でもやっぱグローバルだってなって、1年でもうそれを閉じてアメリカに来ました。
当時からグローバルでやりたい、日本発でもグローバルを目指したいという思いはずっとあったといいます。ただ、振り返ると反省点があると語ります。
グローバルで早く事業を進めたいなら、現地に身を置くべきだった、という点です。お客さんの前提やユーザーの考え方、ビジネスの進め方が日本とアメリカでは大きく違うからです。
前編はここまでで、シリコンバレーでの起業に至るまでの経緯を掘り下げました。実際の起業やスタートアップの詳しい話は後編で扱うとして、番組は締めくくられます。
まとめ
三重の田舎で育った森永貴大さんが、高校の転校からAmazon入社、そして起業のネタとの出会いまでを語った前編でした。環境を自分で選び直し続けた姿勢と、Amazon時代の原体験がTrissinoにつながっていく流れが見えてきます。
- 自分に合わないと感じた津高校を2ヶ月で辞め、引っ越しなしの転校を教頭先生への直談判で実現した
- 「放任では律せない」という自己認識から、あえて環境を選ぶことを重視してきた
- 「東京に行けば何かありそう」という感覚と二度のアメリカ留学が、グローバル志向を育てた
- Amazon時代に毎週聞かれた「競合、今何してる?」がTrissinoの競合リサーチ事業の原点になっている
- 日本での1年の起業を閉じて渡米した経験から、グローバルを目指すなら現地に身を置くべきだと学んだ




