初回ゲストは、サンフランシスコで戦う連続起業家
この番組は、エンタメ業界やグローバルでビジネスをする人との雑談から、「エンタメ×グローバル」で勝つヒントを探るPodcastです。
記念すべき初回のゲストは、AssetHubを創業した後藤卓哉さん。収録時はJETROJETRO ── 日本貿易振興機構。日本企業の海外展開などを支援する政府系機関で、海外派遣プログラムなども提供している。のプログラムでロサンゼルスに滞在中でした。
聞き手の森下明さんは、後藤さんへ出資しているエンジェル投資家でもあります。後藤さんを番組に招いた理由を、こう語ります。
エンタメのドメインのプロダクトを今開発されていますし、最も進出が難しいところに、一旦まず単身で乗り込みに行かれてる。いい意味でクレイジーな方だなと思ったので、今回お呼びしました。
森下さんが掘り下げたかったのは、そうしたクレイジーな意思決定の連続が、どういった生い立ちから出てくるのかという点でした。前編では、後藤さんの生い立ちとキャリアをたどります。
英語も海外経験もゼロ。3ヶ月の準備で渡米した
後藤さんは現在30歳になる手前。サンフランシスコでAIを使った3Dモデルの制作編集ツールを開発しています。
ざっくり言うと、まあゲーム版のカーソルみたいなものですね。3Dの制作を実際に現場で使えるようにするためのアプリケーションを作っています。
意外なのは、その経歴です。後藤さんは東京生まれ東京育ちで、渡米まで海外経験はほとんどありませんでした。
大学受験するまでは英語全く勉強してないですし、受験英語をやった後も、実際に喋ることは全くできなかったので、こっちに来るまで。初めてサンフランシスコに来たのが数年前なんですけど、それまではリスニングもできないし、発音もできないみたいな感じでした。
渡米前の準備は、オンライン英語を3ヶ月ほど集中してやった程度。かろうじて喋れるくらいの状態で、サンフランシスコに乗り込んだといいます。
森下さんは、この決断そのものに凄みを感じたと話します。
サンフランシスコに行く3ヶ月前ぐらいに勉強して、行っちゃう。並の日本人でそういう意思決定をされる方もあまりいないのかなと思うので、別にすごいなと思いました。
帰宅部で偏差値50。慶應合格は高3から
そんな後藤さんですが、学生時代を振り返ると「大学に行く前は何もしていなかった」と語ります。
公立の小学校へ行き、中学校帰宅部でしたし、高校帰宅部で何もしてなかったですね。ずっと遊んで過ごしていて、勉強もそんなにしてなかったと。
キックボクシングのジムに週3回ほど通った時期はあったものの、試合に打ち込むわけでもなく、部活も勉強も特にしていなかったといいます。偏差値は50前後だったと振り返ります。
それでも慶應義塾大学に進学しています。受験勉強を始めたのは高校3年から。森下さんは、そのさらりとした語り口に驚きます。
普通の人が語るときには、かなり努力したんだっていうところを、さらっと語られるなと思います。
後藤さん自身は「授業もサボり気味だった」と話し、特殊なことはしていないと繰り返します。森下さんは、自分も公立教育を受けて育った似た境遇だとして、こう語りました。
サンフランシスコに行って起業するようなとんでもない人は、幼少期からとんでもなかったんだと勝手に思ってたんですけど、実は割と僕もそういった生き方だったので、非常に親近感があるなと思いました。
統計学と弁論部。ヤジが飛び交う「激しめの美学」
大学では経済学部に進み、計量経済学を専攻。統計を使って仮説を証明する分野で、当時流行り始めていた機械学習にも近く、プログラミングにも少し触れていました。
一方、サークル活動では弁論部に所属していました。ただし、一般的なスピーチのイメージとは大きく異なるといいます。
もともと起源が、このサークルも福沢諭吉が作ったサークルで。政治家をそこから輩出していこうみたいな。政策のプレゼンをみんなの前でするんですけど、聴衆からヤジが飛んでくるんですよ。国会みたいな感じで。
発表中はひっきりなしにヤジが飛ぶといいます。森下さんはディベートとの違いを尋ねました。
弁論はディベートとどう違うのか。ヤジは飛んでこないのか
ディベートが相手と論理をぶつけ合うのに対し、弁論は必ずしも論理だけではありません。感情的に押せれば説得力が出ることもあれば、論理で詰める人もいます。後藤さんはこれを「激しめの美学」と表現しました。
森下さんは、この弁論のスタイルにむしろ実社会との近さを感じたと話します。
弁論の方が実社会っぽいなと思いました。実社会って声大きいと意見が通るとか、ガヤに意見がねじ曲げられるとか、いろいろあるのかなと思うので。
インターン選考で始まった、Gaudy共同創業への道
大学3年生になると、後藤さんも就職活動を始めます。外資系企業などに関心を持ち、P&Gのインターンにも参加していました。
当時は既存のレール上を進むつもりで、起業は「いつかできたら面白いかな」という漠然とした思いだったといいます。
いきなりよりかは、どこかで働いて経験積んでからやるのかなっていうふうには思ってましたね。
転機は、あるベンチャー企業のインターン選考でした。そのグループディスカッションの場に、後にGaudyの代表となる石川さんが人材を探しに来ていたのです。
たまたまグループディスカッションで話をして、なんかやってみないかと。いきなり起業がっつりしようというよりか、今こういうのやってて手伝ってくれないかみたいな感じから始まったんですけど、それがきっかけですね。
森下さんは、選考の場をリクルーティングに使う発想に感心します。
そういう場をリクルーティングに使って、確かに頭いいなって思いました。優秀な人はそういったところを活用できるという時点で優秀なんだなと思いました。
大学院に進みつつ、ピボットを繰り返して立ち上げた
Gaudyの正式な立ち上げは、後藤さんが大学院1年のとき。石川さんと出会ってから2年後のことでした。その間、いくつもの事業に挑戦してはピボットを繰り返していました。
大学院への進学も、もともと望んでいたわけではありません。就職か事業の継続かという選択肢の中で、あと1年チャレンジしてもいいと考えての判断でした。
最初はスタートアップとはみたいなことも全然わかってなかったので、いろいろと時間をかけていって。それが大学院の時にようやくうまくトレンドに乗って立ち上がりができたというイメージですね。
IPとファンの経済圏をつくるGaudyという構想
Gaudyは、ファンコミュニティ向けのプラットフォームとして始まりました。当初はDiscordとWeb3の仕組みを組み合わせる形でスタートしています。
その後、構想はより大きくなります。後藤さんは、IPやファンを中心とした経済圏、いわば「ファン国家」を作るというビジョンを掲げました。
背景にあるのは、現在のIPコンテンツがプラットフォームに依存している構造への問題意識です。
昔
IPを持つ側が、自前でCDを作り各ストアに販売するなど、中心となって活動できた
今
YouTubeやNetflix、Kindleなどのプラットフォームがユーザー接点と手数料を握る
Gaudyの狙い
IP中心のプラットフォームを自前で作り、ファンの熱量が正しく評価される経済圏をつくる
後藤さんは、ガンダムのようなIPを例に説明します。ファンにとって重要なのは配信プラットフォームではなく、IPそのものの盛り上がりだといいます。
そこで、たとえば「ガンダムトークン」のような仕組みを作り、アニメを見た、映画を見たといったファン活動をプラットフォームに紐づけて評価する。IPに特化したトラッキングで既存プラットフォームと差別化する構想でした。
炎上させないための「順序」。世界で僕らだけの手法
後藤さんは、当初は自分で開発を担い、チームの拡大とともにプロダクト全体のマネジメントへとシフトしていきました。
Gaudyの手法で特徴的だったのは、Web3をいきなり前面に出さない点です。ユーザーには「トークンだよ」とは伝えず、自然な流れでコミュニティへ導いていきました。
たとえば集英社の漫画『約束のネバーランド』の最終巻発売時には、記念のコミュニティを立ち上げ、SNSのプロモーション企画にツールを組み合わせました。
その企画に参加をするとコンテンツがもらえますと。ファンの人にプロモーションに参加をしてもらう。なので彼らとしては、Gaudyがそういうプラットフォームであるということを特に意識をせずに、自然な流れで特定のプロモーション企画に入っていく。
大手プラットフォーム経由で、よりコアなコミュニティへユーザーを移す。そこで信頼関係を築いてから、節目のタイミングでWeb3的な施策を部分的に導入するという流れです。
後藤さんは、この順序の設計こそが競合との違いだと語ります。
森下さんは、IP業務に携わる立場から、この誠実さに共感を示しました。
IPのファンの方って、そういう順序を間違えると、場合によってはかなり炎上する。すごい誠実なプロダクトを作られていたんだなという印象を持ちました。
寝て起きて開発する日々。エンジニアになりきった理由
Gaudy以前、後藤さんはプロダクトマネージャー的な立場でしたが、それだけでは物事が進まないと感じていました。
自分でどう作るかとか、作るものについての解像度が高くないと物事は進まないなと。じゃあ今までやってなかったけど、自分でエンジニアリングをやってものを作ってみようと。
そこから、それまで未経験だったエンジニアリングを自ら学び始めます。特別な工夫があったわけではなく、ひたすら手を動かし続けたといいます。
起きて開発して寝て起きてみたいなことをやってたと。ProgateだったりUdemyとか、ああいうところのコンテンツをひたすらやって、実際自分たちのサービスを作って、よくわかんないとか調べてみたいな、標準的なことをひたすらやっていた。
森下さんは、必要だと判断したことをやりきる力が、人と比べて際立っていると指摘しました。
日本で最先端をやっても、世界には広がらない
後半への橋渡しとして、なぜサンフランシスコを目指したのかが語られます。Gaudyは2022年6月頃にシリーズBの資金調達を実施しています。
やりがいはあったものの、後藤さんはある構造的な限界を感じていました。日本のBtoBスタートアップは、DXのようにエンタープライズ向けの導入が中心になりやすいという点です。
最先端の事例を、既存企業でも取り組めるように落とし込んでいく仕事
新しい概念を発明し、それを世界標準として広げていくこと
Gaudyでも、大学教授と組んで新しいオークションの仕組みをWeb3で実現するなど、最先端の取り組みをしていました。しかし、日本国内の事例が世界に広がることは難しいと痛感します。
この取り組みをやった数ヶ月後とかに、僕らの仕組みよりちょっと劣化したものが海外に出ていて、それが新しい事例だみたいな感じで海外で話題になっていた。
後藤さんは、Web3ゲームの例も挙げます。2020年頃まで日本はWeb3ゲーム分野でトップでしたが、その後Axieのような新しい仕組みが登場し、一気に世界標準になったといいます。
日本の規制や少ないユーザー数に最適化したものは、規制がゆるくユーザーがスケールする海外では通じにくい。日本国内で最適化したものが海外で通じることは、かなり限定的だと後藤さんは語ります。
森下さんも、ブシロードでソーシャルゲームに関わった経験から、同じ壁に共感します。まず日本にローンチし、日本に最適化したゲームを後からグローバルへ出そうとしてうまくいかない構造は、多くの企業が直面していると話しました。
まとめ
前編では、英語も海外経験もない状態から単身シリコンバレーへ向かった後藤卓哉さんの、生い立ちとGaudy共同創業までがたどられました。特殊さのない出発点と、必要と判断したことをやりきる姿勢、そして日本発では世界標準を作りにくいという実感が、渡米という決断の背景にありました。
- 後藤さんは東京育ちで海外経験もなく、渡米前は3ヶ月ほどの英語学習だけで単身サンフランシスコへ向かった
- 帰宅部で偏差値50前後だったが、高3から受験を始めて慶應に合格するなど、必要と判断したことをやりきる力が一貫している
- インターン選考での出会いをきっかけにGaudyを共同創業し、ピボットを繰り返して大学院時代に事業を立ち上げた
- Gaudyは、Web3を前面に出さず信頼を築いてから施策を行う「順序」の設計で、炎上を避けながらIPとファンの経済圏を目指した
- 日本で最先端をやっても世界に広がらないという実感が、後藤さんを海外挑戦へと向かわせた






