フランスとの縁は「ウイイレ」から始まった
松尾さんがパリでFeuxを起業したのは2024年5月。この収録時点から1年半ほど前のことです。
フランスやヨーロッパとの縁が最初からあったのかを問われると、松尾さんは意外な答えを返します。
いや、これがよく聞かれるんですけど、特になくてですね。縁もゆかりもないと言ったらあれなんですけど、ただ好きっていうのは状況としてありました。
生まれは宮崎県、育ちは神奈川県の川崎市。国際的な家庭でも、フランスへ旅行を重ねていたわけでもなかったといいます。
フランス好きの原点は、子ども時代に熱中したサッカーゲームでした。
サッカーのゲームでずっとフランスしか使わないみたいな、そういう小学生だったなとは今振り返ると思います。
当時はジダンが活躍したフランス代表の絶頂期。ゲームで国や選手の名前を覚えるうちに、フランスへの憧れが少しずつ積み上がっていったと話します。
美術・考古学、そして絵を描く時間
フランス好きは大学時代にさらに深まります。美術、音楽、言語、映画、歴史を学び、ルーブル美術館の作品を解説する授業にものめり込んだといいます。
絵そのものへの興味も、今の仕事につながる要素の一つでした。松尾さん自身、絵を描いていた時期があったと明かします。
高校時代、2校に不合格となり浪人を経験した際、勉強の合間に手を動かしていたのが好きなマンガの模写でした。
好きな漫画の模写みたいなのをベースにやって、その漫画の好きな方たちが何人かいたので、その方たちと同じような感じで模写をしまくるっていうので、絵を描く時間っていうのはあったなと思います。
作品を発表するためではなく、無心で手を動かす気晴らしとしての塗り絵や模写。右脳を使う時間が好きだったと振り返ります。
好きなマンガのジャンルは王道の少年もの。特に『家庭教師ヒットマンREBORN!』が好きだと語ります。
大学時代からマンガ業界に「入り込む」
大学時代、松尾さんはマンガの仕事をしたいという思いから、入り込めるところに手当たり次第入り込んでいったといいます。
きっかけの一つは、所属していた演劇サークルの先輩の紹介でした。
演劇サークルの先輩が白鳳堂でインターンをされていて、その担当の方がたまたま漫画の担当だったので、興味あるって声をかけていただいて紹介いただきました。
その担当者は『進撃の巨人』などを手がけていたとのこと。松尾さんは雑用ながらも業界の末端に入り込む経験を積みました。
pixivのインターンも経験しましたが、就職では出版社を志望します。しかし結果は厳しいものでした。
やっぱり出版社に行きたいっていう欲望があったので、出版社を5社受けたんですけど、残念ながら全部落ちちゃって、業界には入れなかったっていうのが新卒の話でしたね。
大手出版社の採用は1年で15人から20人弱という狭き門。マンガが好きなだけで受かるわけではないと松尾さんは指摘します。
考古学からITへ、そしてNFT企業へ
出版社に入れなかった松尾さんが選んだのは、思いもよらないIT業界でした。就活を大学4年の11月まで引っ張り、最後に拾ってもらったのがウェブ広告代理店のDYMだったといいます。
この進路には、大学で専攻していた考古学からの反動がありました。
やっぱり過去じゃなくて未来のものでITとか行けばいいのかなっていうのは、こじつけもあるんですけど。
考古学の道は、財団の給料の低さやパトロンありきの構造から現実的ではないと判断。過去を見すぎた反動として、未来を扱うITへ向かったと語ります。
転機は新卒2年目の2019年。演劇サークルの先輩が起業したばかりの会社に、4人目のメンバーとして誘われます。
その会社はNFTとアニメ・マンガを掛け合わせる領域に取り組んでいました。NFTが流行する前の、かなり早いタイミングでの立ち上げでした。
全然手探りの手探りっていう感じで、全然売り上げ立たないみたいなのが、最初一年とかはあります。
「何でもやる」経験が起業の土台になった
少人数のスタートアップで、松尾さんは営業から経理・労務、補助金申請、オフィスの電気代の支払いまで、あらゆる雑用を一手に引き受けました。
一人はもう営業とか経理労務とか何でもやるみたいな人がいるじゃないですか。それを私がたまたまポジションとしてやらせていただいたので、もう何でもやる。地獄でした。
なかでも補助金や助成金の申請にはのめり込んだといいます。コロナ禍で営業がしにくかった事情もありました。
助成金の申請で売り上げが200万円立つみたいな、お金ができるみたいなのが逆に面白くて、そういうのにハマったりして。
この話題は、坂本さんが手がけるコンテンツの海外展開にも通じます。経産省系をはじめ、海外進出を支援する補助金は少なくありません。
借りるより、投資を受けるより、支援制度を使わせてもらう方がいい。コンテンツで外貨を稼ぐことを応援する制度なら、なおさら使わない手はないと2人は話します。
松尾さんはこの会社に満5年在籍しました。役員ではなく一社員ながら、会社を潰さないことに徹したといいます。
なぜパリに移り住んで起業したのか
独立志向は昔からあったわけではないと松尾さんは言います。
起業するみたいなタイプで実はなくて、やっぱり誰かがやってるものをサポートするみたいなのが結構合ってるなとは。
宮崎と鹿児島にそれぞれ社長を務める祖父がいたことは、後から振り返れば一つの要素だったかもしれないと付け加えます。
起業を志したのは29歳のとき。20代最後に何かをやろうという思いが芽生えたといいます。
その動機は、フランスにありました。フランスでは近年、日本のアニメやマンガが強く浸透しています。しかし、プレイヤーとして関わる日系企業が少ないことに松尾さんは着目します。
多くの人が人気を知っていながら、実際には動かない。その「知っているのに行かない」ギャップに、自分がやる理由を見出したと語ります。
実際、日本のマンガの多くは、権利をフランスの出版社に渡し、翻訳・出版・流通を任せる形が中心です。日本の会社が現地で入り込む余地は、まだ残されていると松尾さんは考えます。
日本の文化を好きなフランス人から営業してきてくれるのはありがたいことなんですけど、もうちょっとこっちからのコミュニケーションもあった方が、お互いwin-winがもっと具体的にできるのかなと。
一次情報のためにフランスに居を移す
すでに参入した企業もいくつかあり、アニメイトパリなどの動きも松尾さんは把握しています。ただ、言語の壁や物理的距離を理由に撤退する企業も多いと見ています。
だからこそ、やり切れば話題性や大義とともに売上・利益につながると考えているといいます。
日本から出張で通うのではなく、フランスに居を移して会社を作ったのには理由があります。
一次情報っていうのはすごく大事なので、皆さんが知ってることと、私が今こっちに来てフランス人と話して本当に人気っていうのを直で受けること、全然違うなと思います。
後編では、日本のアニメやマンガといったコンテンツがどうやって海外に出ていくのか、ローカライズを含めてさらに深く掘り下げていきます。
まとめ
フランスとの縁もゆかりもなかった青年が、サッカーゲームや美術への興味を積み重ね、出版社への就活失敗やIT・NFT企業での「何でもやる」経験を経て、パリでの起業にたどり着きました。動機は、みんなが人気を知りながら動かないギャップと、一次情報の重要さでした。
- フランス好きの原点は、子ども時代のサッカーゲームでフランスを使い続けたこと
- 出版社を5社受けて全落ちし、反動で未来を扱うITへ進んだ
- NFT企業で営業から補助金申請まで何でもこなした経験が起業の土台になった
- フランスで日本のマンガは人気なのにプレイヤーの日系企業が少ないという着眼から起業
- 一次情報を重視し、出張ではなくフランスに居を移して会社を立ち上げた
