ブシロード出身、そしてシンガポール経由という2人の共通点
この回のホストは、HARS Globalの森下明さんです。ゲストには、エンタメ社会学者として知られる中山淳雄さんを迎えています。
前編は中山さんの生い立ちとキャリアに焦点を当て、後編で中山さんならではのトピックスを扱う構成です。
2人の関係は、森下さんが中山さんきっかけでブシロードに入社したことから始まっています。すでに両者ともブシロードを退社し、それぞれ独立している状況です。
2021年に辞めてますけど、森下さんがいつなんだろう。
2024年。中山さんの後を追うように辞めたというところでございます。
もう1つの共通点は、2人とも日本採用でありながら、シンガポール駐在を経験している点です。森下さんはシンガポールで退職し、中山さんはシンガポール駐在から始まって日本に帰国しています。
「超ドメ」の宇都宮育ち、小5で受けた海外の衝撃
中山さんの小中高は、すべて栃木県の宇都宮です。中学だけ私立の作新学院に通い、高校は進学校の宇都宮高校に進みました。
帰国子女や英語教育とは無縁の環境で、本人いわく「ドメもドメ」。一族でも栃木からあまり外に出た人がいないほどだったと振り返ります。
そんな中で唯一の例外が、小学5年生のときのオーストラリア旅行でした。シドニー近郊で帝国ホテルに勤める親戚のもとに、父と1週間ほど滞在したそうです。
初めて海外旅行行ったのが、そのオーストラリア行った時にやっぱすごかったっていう思いはありましたね。それはちょっとインパクトありましたね。
ただ、この体験は周囲に言えるものではありませんでした。当時の小学校は、ハワイに行く社長の息子がそれだけでいじめられるような環境だったといいます。
一人だけすごい特別な体験をして帰ってきて、誰にも言わず、なんかまたいつか海外とか行ってみたいなみたいなのは思いとしてありましたね。
現地では、同年代の子どもとブーメランを飛ばして遊んだそうです。全く言葉は通じなかったものの、その緊張感を今も覚えていると話します。
サッカー部を辞めた日が、留学級の緊張だった
高校では、小学校でサッカー、中学でバスケ、高校で再びサッカーと、団体競技を続けてきました。ただ本人は、後から自分に協調性がないタイプだと気づいたといいます。
著しく協調性がないタイプなんですよね。一人で勝手にいろんなことやりたいタイプなんだけど。
転機は高校2年の春に訪れます。中山さんは、走っても脈拍が変わりにくいスポーツ心臓という診断を受けていました。
もともと部活は非常に厳しく、練習中に吐くこともあったといいます。診断が引っかかったこともあり、中山さんはサッカー部を辞める決断をしました。
初めてその部活の先生に言った時に、なんだろう、留学するぐらいのあの時の緊張感ですね。部活ってやめていいんだみたいな。
ルールから外れることへの恐怖があったからこそ、辞めることが大きな一歩になったと振り返ります。この決断は、オーストラリア旅行と同じくらい人生のインパクトがあったと語られました。
部活を辞めたことで、生活は一変します。それまでは日中ずっと寝て、夕方と土日はサッカーという毎日で、成績は学年でも下位でした。
部活やめた後、急にね、囚人生活が終わった感じがしましたね、僕はね。毎日ね、寝ずに勉強時間がちゃんと確保できるとか、まともに生活ができたんですね。
サッカーを辞めた後はオーケストラ部に入り、バイオリンを続けたそうです。当時は自分を協調性の塊だと思っていたものの、先輩に礼をする縦社会には反発するタイプだったといいます。
現役で7校全落ち、浪人・寮生活での大逆転
高校3年の終盤には成績が伸び、早稲田や慶応も狙えるところまで来ました。しかし現役では、東大・早稲田・慶応・上智・筑波など7校ほどを全て落としています。
浪人時代は、河合塾の啓発寮に入ります。宇都宮から予備校に通う選択肢もありましたが、高校の先生の後押しが寮への進学を決めました。
いや、お前ちょっとちゃんと寮に入れみたいなこと言われて。本当に東大行けないことないと思うよって言われて。
もともと東大志望はネタで始めたようなもので、クラスで笑いが起きるほどだったといいます。それでも先生が本気で勧めたことが、下北沢の寮での猛勉強につながりました。
寮では3分の2ほどが街に繰り出したり麻雀にはまったりする中、中山さんは比較的しっかり勉強していた方だったと振り返ります。
結果として現役では叶わなかった合格を、浪人の1年で手にします。中山さんは、これを自分にとって最初の成功体験だと位置づけています。
学年で250位ほど、宇都宮大学に行けるか就職かという順位から、サッカーを辞めて2年ほどで一気に成績を上げた経験でした。勉強はPDCAが回しやすく、早く成功体験を積める方法だったといいます。
社会学に「潜り込んだ」東大時代とエンタメ社会学
東大では、学部と大学院で異なる分野を歩んでいます。学部は西洋史学に進み、ドイツ・ナチスドイツの研究をしていました。
一方で社会学に興味を持ち、上野千鶴子先生のゼミに潜り込んで学んだといいます。三、四年で社会学に進める成績ではなかったための行動でした。
潜る以外入れないから。すいませんけど、実はちょっと社会学大好きなんで勉強させてもらえますか?って言ったら、じゃあなんかちゃんと勉強するんだよねって言われて。
大学院では正式に社会学を専攻します。中山さんは社会学を、超自分なりの定義として次のように説明しました。
二人以上の人間が生まれた時に、その間に発生する何らかの価値観とか文化みたいなのを分析するもの。
中山さんは自らを、ヒット研究の社会学者だと捉えています。ゲーム業界のような現代的な現象も研究対象にできる点が、エンタメ社会学という名前につながりました。
エンタメ歴史学ではやれることに限りがある一方、エンタメ社会学なら現代の現象も研究対象になるという発想から、20年越しでつけた名前だと語られています。
「絶対行くな」と言われた会社を選んだ理由
大学院で社会学の修士を取った後、中山さんは会社員としてのキャリアを歩み始めます。最初に入ったのはリクルートスタッフィングでした。
当時、東大文学部の進路はテレビ・広告代理店・商社が中心で、コンテンツに近くても出版が限界という空気があったといいます。ゲームやアニメは働く領域と見られていませんでした。
中山さん自身はエンタメの消費者ではなく、ビジネスマンとして成功できる場を探していました。三井物産、ベネッセ、日経新聞などを受ける中で、リクルートに強い魅力を感じます。
ただ、リクルートには落ち続け、スタッフィングだけが採用してくれたそうです。東大の院卒で派遣会社の営業になる人はほとんどいませんでした。
この選択は、周囲の反対を押し切ったものでした。25人から30人ほどの卒業生や大人に相談し、絶対に行くなと言われたのがリクルートスタッフィングだったといいます。
みんなが反対している、でもね、なんかこうピンと来たところというか、めちゃめちゃピックアップしてくれたので、リクルートスタッフィング。
決め手の1つは、社長から直接声がかかり、会食に呼ばれたことでした。ここまで尊重してくれるなら特別なことができるのではないか、という感触が入社を後押ししました。
結果として、いきなり「どぶ板」の一番きつい部署に配属されます。それでも、従順で保守的だった自分が変わった良い会社だったと振り返ります。
名刺を破られる新規営業で見つけた「真なる適性」
大砲を撃つような得意分野とは真逆に見える新規営業。その部署に配属されたことで、中山さんは自分の適性を見つけたといいます。
田町と浜松町を担当し、何件回って何件依頼をもらい、そこにスタッフを当て込むかというPDCAを回しました。ゴリゴリの体育会系の営業で、名刺を破られることもあったそうです。
ゴリゴリの体育会系の営業でね、名刺もこうやって破られたりするんだよ。お前で3人目だとかって言われながら。
そんな中で新人賞を取り、自分は営業に向いていると実感します。ホストの森下さんも、リクルート系のマクロミルで同じような足で稼ぐ営業を経験していると共感を示しました。
このちっちゃい不動産屋の名刺もらって何の意味があるんだとかって思いましたけど、いや、意味とか考えちゃダメだ、行くしかないみたいな。
この仕事のKPIを愚直にやれるかどうかが問われる世界だったと、2人は当時を振り返っています。
突然の「来週フィリピン」、海外デビューの内実
1年目のどぶ板営業、2年目のホールセールを経て、中山さんは経営企画へ異動します。転職しようとしたタイミングで引き止められての配属でした。
担当したのは海外事業でした。フィリピンから機械・電気のエンジニアを連れてきて、パナソニックなどに派遣するブリッジエンジニア事業の企画推進です。
経営企画に配属になりました。中山くんちょっと来てくれるかな。ちょっと英語で喋れる?みたいな。え?英語?って言ったら、あ、来週フィリピン行ってもらうよって言われたね。
前週までドメスティックな派遣営業をしていたところに、突然フィリピン行きと未経験の分野の仕事が重なりました。指示の半分ほどが理解できなかったといいます。
大学時代にヨーロッパやオーストラリアを自転車で縦断していたものの、それは野宿中心で人と交渉する旅ではなく、英語はほとんど喋れませんでした。
ただ来て見て帰ってっただけの旅人でしたね、当時はね。
それでも、TOEICでコツコツ点数を取っていたため、聞き取りはできる状態でした。海外デビュー戦となったこの仕事を、めっちゃ面白かったと振り返ります。
エンジニアの面接に向けては、想定質問とその回答、さらに回答への想定回答までExcelにまとめ、A3の資料を20枚ほど持って臨んだといいます。
あらゆる質問と質問に対する想定回答、想定回答への想定回答みたいなのを全部自分の中でEXCELで入れて。めっちゃ準備した。
危機的な状況を突きつけられ、死ぬほど準備してそれを身にする。中山さんは、この繰り返しを重ねてきたタイプかもしれないと語ります。森下さんも、一緒に仕事をした頃の準備量が尋常でなかったと振り返りました。
まとめ
前編では、宇都宮の「超ドメ」少年だった中山さんが、部活を辞める決断や浪人での大逆転、周囲の反対を押し切った就職を経て、突然の海外デビューに至るまでが語られました。逆張りの選択と徹底した準備が、キャリアの原点になっていることが見えてきます。
- 小5のオーストラリア旅行が、言えないままの海外への憧れを生んだ
- サッカー部を辞めた決断が、成績の大逆転と最初の成功体験につながった
- 現役で7校全落ちの後、寮生活での猛勉強で東大合格を果たした
- 「絶対行くな」と言われたリクルートスタッフィングを、自分の直感で選んだ
- 突然の「来週フィリピン」に、徹底した準備で臨む姿勢が海外キャリアの原点となった


