今どこで何をしているのか?シンガポール発の会社
番組の第一回は、MCの坂本さんと森下さんが、お互いを紹介し合う自己紹介回です。前半は坂本さんが森下さんに、生い立ちも含めて根掘り葉掘り聞いていきます。
森下さんはまず、いま何をしていて、どこにいるのかから話します。
HARS Globalという会社のファウンダー兼CEOで、マーケティングコンサルティングのビジネスをやっております。会社がちょっと変わっておりまして、日本の法人ではなくてシンガポール法人なんです。
居住もシンガポール。日本の多くの人が「シンガポールは赤道直下の暑い国でしょう」と言うそうですが、森下さんの実感は逆だといいます。
いやいやいや、俺逆やぞみたいな。だいぶこっちは涼しいし、安定してるしみたいな。
当時40度を超える日本への一時帰国を前に「戦々恐々としている」と話すあたりに、東南アジア在住者ならではの温度感がにじみます。
ブシロード出向でシンガポールへ サラリーマンから起業まで
シンガポールに来たのは2022年3月末、コロナ明けのタイミングです。きっかけは、サラリーマンとして勤めていたブシロードの出向命令でした。
森下さんはこのとき、家族と一緒に日本からシンガポールにロケーションを移し、海外ヘッドクォーターに赴任します。最初はサラリーマンとして、その後に独立した流れです。
ブシロードにはもともと2018年に入社しています。当時ガルパやスクフェスといったIP ── キャラクターや作品などの知的財産のこと。ここではバンドリやラブライブなどのブランドを指すのゲームが売上を伸ばしていて、アプリマーケティングに本腰を入れる組織を作るための入社でした。
ただし、入社当初のミッションは国内マーケティングです。2018年から2022年までは日本国内で、ソーシャルゲームアプリのマーケティング全般を担当していました。
転機は2022年からの海外ヘッドクォーターでの仕事です。ここではアプリマーケティングだけでなく、アプリそのものの海外パブリッシングの責任者を務めます。
ゲームを作る側も見るし、マーケする側も見る。テリトリーとしては海外、主に英語をずっと見てたっていう感じですね。
調査会社からのスタート なぜ事業会社側へ進んだのか
キャリアのスタートは2013年の新卒で、リクルート系の市場調査会社マクロミルでした。ここではアプリには触れず、医師向けの調査や、花王・P&GといったFMCG ── Fast Moving Consumer Goodsの略。日用品や消費財など、日常的に短いサイクルで買い替えられる商品のことメーカー向けに調査を売る営業からキャリアが始まります。
その後、坂本さんと出会うきっかけになる広告代理店GMOニッコーへ転職します。ここでも最初はアプリではなく、製薬会社のブランディングなどウェブ広告の仕事をしていました。
2014年ごろ、ゲームアプリや非ゲームアプリが伸びてきたことを受け、社内で営業組織を作る号令がかかります。森下さんは取締役とともに、非ゲームアプリに営業をかける部隊を作るところから、アプリのキャリアが始まりました。
この当時、森下さんはサンフランシスコからアップサラという広告効果測定用のSDK ── Software Development Kitの略。アプリに組み込んで機能を追加するための開発キット。広告効果測定にも使われるを仕入れて営業していたといいます。フォックスやパーティトラックなど、代理店が無償で提供するSDKが主流だった時代の、かなりマニアックな挑戦でした。
今では考えられない広告効果測定用のSDKに、なんとDMP機能とかついたマックスなSDKだったんですよね。
時代の三歩先を行きすぎた出会い 坂本さんとの接点
そんな最中、アプリ広告の「黒船」として海外系の広告ネットワークが日本に入ってきて、坂本さんとの出会いにつながります。坂本さんは当時、その海外系ネットワークの日本進出を担当していました。
ただ、当時売り込んでいたROAS最適化配信という考え方は、2014年当時にはまだ概念そのものが存在しませんでした。
概念のないものを広告主に説明しに行って、ポカンとされ。
坂本さんも、安くインストールを取れても意味がなく、その後に継続して課金するユーザーを取りに行くべきだ、という「深いこと」をやろうとして理解されにくかった経験を重ねます。
時代は後からついてくるものの、当時は早すぎた。二人の出会いには、そんな共通体験がありました。
代理店から事業会社へ より利益に近い場所を選ぶ
キャリアの節目には一貫した判断基準があったと森下さんは言います。GMOニッコーの後は、ソーシャルゲーム会社クルーズへ移り、アプリプロモーションや代理店ハンドリングを担当しました。
その根底には、調査会社時代に感じた違和感があります。調査は本来フラットに良し悪しを判断するものなのに、実際には「このプロダクトをこうしたい」という意図に都合よく使われる場面があったといいます。
選択肢の書き方によっても恣意的にコントロールできる領域があるので、コントロールすることを通じて第三者、つまり調査会社のお墨付きが得られる。
そうしたツールの使われ方に本末転倒を感じ、最終的にものを売って利益を稼ぐタッチポイントに近い、事業会社側へと進みました。
実際に事業会社側へ行ってみて、やる仕事自体は変わらないと感じたそうです。一方で、プロモーション領域だけに特化すると、やれることがかなり限定的だとも分かりました。
その意味で、森下さんが一番良かったと振り返るのがブシロードインターナショナルでの仕事です。アプリマーケに限らず、事業のPL責任者として利益目標を任され、開発の判断もマーケの判断もコスト圧縮も、手段を問わず達成を求められる立場でした。
手段は問わない、達成できるようっていうところの仕事をしたいなと思ってキャリアをスタートしていたので、それはできて楽しかったな。
海外との接点ゼロ それでも「海外に行きたい」と唱え続けた
ここまでのキャリアは、ずっと国内に閉じたものでした。グローバル志向は、もともとあったのでしょうか。森下さんの答えは明快です。
何もないです。生まれは三重県の桑名市の山の中なので。あんまり海外と接点なんてものはほぼなかった。完全になかったですね。
それでも海外に出たいと考えた理由は、人口動態から明らかなように国内マーケットが縮小していくことと、英語が得意ではなくてもコミュニケーション自体は億劫ではないという自覚でした。
日本人には、完璧に英語を喋れないから外に出たくないという人が多い。だからこそ、と森下さんは考えます。
結婚前から妻にも「海外行くかもしれないから、そこんとこはよろしく」と、予定もないのに宣言していたそうです。
ブシロードでのアプリマーケ組織の立ち上げも、クルーズでやってきたことの焼き直しに近く、やりきれば飽きるだろうと見えていました。そこで、比較的近いラインにいた創業者に、会うたびに「海外に行きたい」と唱え続けたといいます。
会うたび会うたび海外に行きたいですって洗脳をしていたら、折れていただいて。
アメリカ行きが一転シンガポールへ 玉突き人事の結末
当初の行き先は、実はシンガポールではなくアメリカでした。あるアプリの現地プロモーションを理由に、ビザまで取って行く直前まで進んでいたといいます。
ところが玉突き人事が起きます。当時のインターナショナル社長が辞めることになり、その人が持っていたCEOとモバイルの能力のうち、モバイルを埋められる人材が探されました。
モバイルっていうキャパビリティを埋めて海外行けるって誰だ?ってなった時に、あれ森下じゃね?ってなって。アメリカ取りやめ。お前シンガポールってなった。
結果としてはオーライだったと森下さんは振り返ります。シンガポールでの仕事は楽しく、アメリカではなくシンガポールで良かったと感じているそうです。
このエピソードから森下さんが挙げるポイントは、リスナーの参考にもなるものです。
- 英語が苦手でも、行く意思とタイミングが合えば海外には行ける
- 人事権のある人に「海外に行きたい」と宣言し続ける
- 若いうちなら、海外に出るリスクはそれほど高くない
坂本さんも、海外にいると新しいステージに踏み込むワクワク感があると共感します。森下さんはそれを「体感寿命が延びた」と表現しました。
四日市の山育ちと父の背中 叩き上げの生い立ち
最後に、森下さんの生い立ちが語られます。四日市というと四日市ぜんそくや石油化学コンビナートの印象がありますが、森下さんが育ったのは菰野町との境界に近い山あいでした。
4人家族で、父は石油精製所に勤めていました。印象に残るエピソードとして、コンビナートの爆発を挙げます。
親父が「爆発したから出社してくるわ」って言って家を出ていく。逆じゃねえかなみたいな。爆発したら待機じゃないかなみたいな。
体を張って稼いでくれた父に感謝していると森下さんは話します。小中高はいずれも地元の公立校で、東京で盛んな中学受験などはピンとこなかったといいます。
中学ではサッカーに打ち込みましたが、中3の夏に3対0で敗れて早々に引退。持て余したパワーを受験勉強に向けると、夏休みの1か月で成績が伸びたそうです。その後、進学校を経て東京理科大学で初めて関東に出てきました。
つまり、幼少期に海外との接点はまったくありません。英語や海外ビジネスの素養は、社会人になってからの後付けで身につけたものです。社会人になってからオーストラリアの大学院で修士号も取得しています。
英語が完璧でなくても戦える 海外ビジネスのサバイブ術
英語が後付けでもなんとかなっているのか。森下さんは、ブシロードインターナショナルで台湾人・日本人・シンガポール人・マレーシア人をマネジメントしてきた実感を語ります。
むしろビジネスの方が英語は簡単だといいます。出てくる単語が固定されるからです。
一番難しいのって、あんまり利害関係のビジネスの接点もない人と与太話するのが一番難しいじゃないですか。
坂本さんも、知らない固有名詞が出てきた瞬間に詰まる感覚に強く共感します。ゲームオブスローンズの話題で盛り上がられると、今何の話をしているのか分からなくなるといった具合です。
森下さんが挙げるサバイブ術は、Googleの知人から学んだ実践的なものでした。いきなりミーティングで議論を戦わせるのではなく、事前に相手とネゴシエーションしておくというやり方です。
チャットでエビデンスベースで俺はこういうことを言うとか、こう思っているとかっていうことを書面ベースでちゃんと理解した上で、ちゃんとミーティングで空中戦をする。
ただし、この戦い方が通用するかは環境にもよります。英語ネイティブが当たり前のアメリカやイギリスでは難しいかもしれない、と森下さんは補足します。
一方でシンガポールは、ほとんどの人が英語をそこまで得意としないため、お互い聞こうという姿勢になります。坂本さんも、オランダでは英語が第一言語でない人が多く、ネイティブより聞こうとしてくれる姿勢を感じると応じました。
まとめ
三重の山あいで育ち、海外との接点がまったくなかった森下さんが、調査会社・広告代理店・ゲーム会社を経て、シンガポールで起業するまでの道のりが語られた回でした。キャリアの選択には一貫した基準があり、英語が完璧でなくても海外で戦える方法があることが具体的に見えてきます。
- 森下さんは市場調査会社から始め、より利益に近い事業会社側へと一貫してキャリアを選んできた
- 海外志向は幼少期の経験ではなく、市場縮小への危機感と希少価値への着目から生まれた
- 「海外に行きたい」と人事権者に宣言し続けたことが、実際の赴任につながった
- 当初のアメリカ行きは玉突き人事でシンガポールに変わり、結果的に良かったと振り返る
- 英語が苦手でも、事前のネゴシエーションなどデリバリースキルで海外ビジネスは補える




