後半戦は立場を逆転、坂本達夫のキャリアを掘る
番組冒頭、森下さんのイントロを聞いた坂本さんが、その棒読み感を早々にいじります。滑舌をよくしようと意識した結果だと森下さんは弁明しますが、坂本さんは「そこも味です」と受け流します。
イントロの棒読み感がすごいんで、これどれぐらい森下さんが投げてくるのかっていうのを個人的に楽しみにしていきたいですね。
前半では坂本さんが森下さんの生い立ちを聞く側でした。後半は立場を逆にして、森下さんが坂本さんのキャリアや海外・エンタメとの繋がりを聞いていきます。
新卒で楽天、内定を迷った3社の意外な顔ぶれ
坂本さんが社会人になったのは2008年。新卒で入ったのは楽天でした。当時の楽天は、グループで数千人規模。すでに上場もし野球団も持つ一方で、まだベンチャー企業ですっていう風なブランディングを強くしていた時期だったと振り返ります。
内定をもらい、最後まで迷った会社は楽天を含めて3つ。1つはGoogleジャパン、そしてもう1つが子供服のミキハウスでした。
一見ちぐはぐな組み合わせには、明確な理由がありました。坂本さんがキャリアの指針にしていたのは、サッカーの中田英寿さん。年齢に関係なく、できると思われれば試合に出してくれる環境を求めていたのです。
ベルマーレからペルージャ渡ってローマで10番つけてみたいな、あれすごいかっこいいなつって憧れていて。
そうした「試合に出られる場所」として残ったのが、インターネット企業とオーナー企業でした。ミキハウスはオーナー企業で、30歳前後の若い東大出身者が新卒採用のトップを務めるなど、若くして裁量を持てる会社だったといいます。
さらに、合同説明会で出会ったミキハウスの社員に、坂本さんと同じ「坂本達郎」という名前の伝説的な人物がいたことも縁になったそうです。その人は4年間有給を取り、自転車で世界中を回った経歴の持ち主でした。
楽天で放り込まれた「サイヤ人の群れ」
楽天では、まだ東大出身の新卒が珍しく、同期160人ちょっとのうち東大卒は4人だけ。エンジニアリング志望で内定していた坂本さんは、その年から急遽始まったコーポレート部門への新卒配属で、経営企画チームに送られます。
そこは、M&A候補先のデューデリジェンスや全社の予算組みを、中途のバリバリのビジネスマンが担う部署でした。デューデリジェンス ── M&Aの際に、買収対象企業の財務や事業のリスクを事前に精査する調査のこと。新卒でいきなり難しい仕事に放り込まれ、ヒーヒー言っていたと振り返ります。
すごいいきなりサイヤ人の群れに放り出されたみたいな感じだったんですけど。
印象に残っている上司の一人は、時短のため社内移動は必ず階段を二段飛ばし。転職するたび、その業界を1ユーザーとして異常なほど深く知りに行く人だったといいます。
新しい業界に行く時にもうディープダイブする、そのダイブの仕方が半端ねえなっていうのはやっぱこうあるべきだよなっていうのはすごい勉強になったですね。
坂本さんが楽天で経営企画にいたのは1年。その後は子会社の楽天オークションに出向し、マーケティングを1年経験して卒業しました。
一度断ったGoogleへ、動画リワードの波に乗る
次に入ったのは、新卒で一度断ったGoogleでした。断ったときも、入ると決めたときも「なんで?」と聞かれたといいます。
理由は、グローバルな仕事への思いでした。楽天オークションはドコモとのジョイントベンチャーで海外展開の見込みがなく、楽天にいながら海外に関わるには遠回りに感じていたのです。そんなときにGoogleから声がかかりました。
Japanなんだけど、結構海外の人多かったりだとか、海外チームとのやりとり多い仕事だよって言われて、あ、ほなって言って行ってみた。
Googleでは広告部門のマネタイズ側に所属し、途中からAdMobの専任に。AdMob ── スマホアプリに広告を表示して収益化するための、Googleのモバイル広告プラットフォーム。アプリのパブリッシャーに広告を導入してもらう営業が仕事でした。
3年勤めてやることを変えたいと考えていたとき、外資系の日本1号社員という機会に興味を惹かれます。もう1つの理由が、動画リワード広告の波でした。
当時のGoogleは、広告を見ることに報酬を与える手法をラリー・ペイジかセルゲイ・ブリンが嫌っており、社内では当分できないと言われていたそうです。業界的に盛り上がるこの波に、Googleにいたら乗れないと判断したのです。
AppLovinを選び、若勝ち。運と縁とタイミング
Googleの後は、AppLovin、フィンランドのSmartly.io、直近まで在籍したMolocoと、いずれも外資系の日本1号社員や責任者として渡り歩きます。前半で語られた通りです。
実は坂本さんは、Chartboostの2人目とAppLovinの1人目のオファーで迷い、AppLovinを選んでいました。結果として、上場という文脈でAppLovinが大きく伸びる形になります。
あの当時、まあね、どっちがわーっていくかなんて誰も判断ができないんでね。
この経験から、坂本さんはキャリアの成功に占める自分の実力を控えめに見積もっています。
だからこそ、自分の実力を過度に信じないよう心がけている、と坂本さんは話します。森下さんは、その割合をもっと反映させたいなら自分で会社をやるしかない、と応じました。
海外赴任の「行く行く詐欺」が残した爪痕
これまでの外資でのキャリアは、いずれも日本を担当領域とするものでした。家族で海外へ拠点を移す機会は、実は過去に2回ありかけたといいます。
1回目はシンガポール、2回目はベルリンへの社内異動の話。しかしいずれも、ポジションがなくなる、他の人を雇うことになるなど、自分にはコントロールできない事情でチャンスが消えてしまいました。
なのでそれが僕の心に深い爪痕を残してですね、会社に頼って海外に行くみたいなのに期待しないようになっちゃったんですよね。
冷静に見れば、坂本に来てほしいと言わせられなかった実力不足でもある、と坂本さんは付け加えます。それでも当時は「会社に嘘をつかれた」という被害者意識が強く、この2回を通じて、自分の人生を委ねすぎないという心構えを持つようになったといいます。
行った後に呼び戻される、森下が語る出向のつらさ
ここで森下さんが、質問する立場を一旦離れて自身の経験を語ります。坂本さんが「行く行く詐欺」なら、自分は「行った後行った後詐欺」だと表現します。
森下さんはシンガポールに出向していましたが、当初「何年かはいなさい」と言われていた期間より、だいぶ早く「帰ってこい」と告げられたといいます。子供も増え、家族の生活設計を立てていた最中の話でした。
会社の経営状態などアンコントローラブルな事情は理解しつつも、家族の思いとは関係なくドライに判断される。出向者は良いパッケージをもらいながらも、いつ戻されるかわからない状態で首根っこを掴まれている、と森下さんは振り返ります。
坂本さんも、自分の力で何とかなることなら失敗しても仕方ないと思えるが、コントロールできないことに振り回されるのはストレスだと共感します。
さらに近年、ビッグテックが大規模なレイオフを行い、海外赴任していた知人が期限付きで別ポジションを探すか強制帰国かを迫られる様子を見て、その思いは強まったといいます。
中学高校のこの期間はここの国、同じ学校に通わせたいだったりだとか、家族の人生計画がそんなんで揺るがされるのはこれ辛いなって見てて思っちゃって。
会社に依存しない移住、決め手はオランダのビザ
Molocoで日本の広告部門責任者を務めていた坂本さんは、オランダへ行くと自ら決め、会社に伝えます。後任を探し、日本の責任者を降り、部下を持たない立場を用意してもらってから移住しました。
オランダを選んだ最も直接的な理由は、ビザの取りやすさでした。専門ではないと断りつつ、日本人が個人事業主という形で比較的容易にビザを取れる点を挙げます。
会社に依存せず個人で行きたいと考えたとき、ビザの存在は大きい、と坂本さん。ビザ更新に苦労したばかりの森下さんも「痺れますね」と深く共感します。
ビザに加え、治安のよさ、高い教育水準、英語が通じることなど、移住をブロックする要因が少なかったことが決め手になりました。冬の寒さ以外はほとんどストレスなく暮らせているといいます。
夫婦の価値観が揃う強さ、留学が繋いだ縁
家族も移住に前向きでした。坂本さんは子供に、いずれ海外に住むことになると言い聞かせて育てていたそうです。妻も高校時代の留学がきっかけで付き合い始めた相手で、留学先が北欧ノルウェーだったこともあり、ヨーロッパ移住への意欲はむしろ坂本さん以上だったといいます。
坂本さんは、移住相談を受ける際に配偶者の理解が得られていないケースが多いのではと問いかけます。森下さんは、最悪の場合は配偶者だけ帰国してしまうこともあると応じます。
森下さんも、付き合っている頃から「海外に行くからよろしく」と伝えていました。ただ、当初は英語がほとんど話せず、空港で行き先を尋ねる言葉すら出てこなかったといいます。
私はここに行きたいんだけど、どうすればいい?みたいな質問が出てこなくて、嫁が取ったアクションが「Which?」みたいな。
今では妻はシンガポールで現地の友人と会話が成立するまでになったそうです。坂本さんは、完璧な英語でなくても恥ずかしがらず飛び込める人なら、日常のことは何とでもなる、と話します。
サンディエゴ留学が原点、文化のギャップを楽しむ
坂本さんと海外の接点はどこから始まったのか。生まれは福岡で、金融機関勤務の父の転勤で西日本を3年おきに転々とし、高校まではドメスティックな環境で育ちました。森下さんの故郷である菰野町にも、幼少期に住んでいたことがあるといいます。
転機は高校時代。父が持ち帰った交換留学のパンフレットと、仲のよい友人がアメリカ留学すると聞いたことがほぼ同時に重なり、自分も行きたいと思い立ちます。高2の夏から高3の夏まで、カリフォルニア州サンディエゴに留学しました。
交換留学は滞在先がランダムで、留学先は「アメリカの西」としか決まっていませんでした。西はサンディエゴからアラスカまで含まれる中で、気候のよいサンディエゴを引き当てたのです。
受け入れ先も、坂本さんが人生で一、二を争うと語るほどの富裕層の家庭でした。庭にプールとテニスコート、モーターボートとセスナを保有する、ロサンゼルス勤務のユダヤ人弁護士の家だったといいます。
1年の留学で得たものについて、坂本さんはまず英語力を挙げます。高校生という若い時期だったため、発音やリスニングで貯金ができたといいます。
そして何より、シンプルに楽しかったと振り返ります。最高学年で進学も決まった時期の同級生たちと、週末ごとのパーティーやスポーツを通じて仲良くなっていきました。
オランダで漫画の会社へ、雇う側が見ている本質
気づけば時間を大きく超過する中、話はコミスマとの縁に及びます。坂本さんはオランダに行くとSNSに投稿したところ、コミスマの役員から声がかかりました。
え、今うちグローバル担当探してるんだけど、タツオやんない?って声がかかった。
コミスマは、セプテーニの新規事業として始まった漫画・アニメIPの会社です。セプテーニ時代からAppLovinの広告でやりとりがあり、経営者カンファレンスICCを通じて役員たちと気心が知れていました。
坂本さんにはエンタメ業界の経験がほとんどありませんでした。それでも声がかかったのは、スポーツを変えても身体能力と向き合う姿勢はわかっているから、一年もすればものになるだろうという期待だったのでは、と想像します。
森下さんも、小さいながら会社を経営する立場として同じ考えだと語ります。採用で見ているのは特殊能力よりも人柄や仕事の仕方だといいます。
- コミュニケーションが丁寧か
- デッドラインを守るか
- ちゃんと礼装するといった基礎的な姿勢
SDKの設定などの技術は後から身につければいい。基礎的な部分がちゃんとできる人なら、躊躇なく雇いたいと森下さんは話します。
人生は思い出作り、死ぬ瞬間から逆算する生き方
話は二人の共通する人生観へと深まります。坂本さんは、仕事で結果を出すことに加えて、友達作りと思い出作りを大事にしたいと語ります。
坂本さんは、ゲーム『MOTHER2』の記念写真のギミックを例に挙げます。冒険の途中で撮った写真がエンディングでスライドショーになり、当時を思い出してエモくなる。あの体験のように、戦友と苦労を語り合いながら酒を飲む未来を夢見て、今を過ごしているといいます。
森下さんは、その時間軸を死ぬ瞬間まで伸ばします。死ぬときに意識があれば、そうした思い出を振り返りながら死ぬのが個人的なゴールだと語り、坂本さんは考えの近さに驚きます。
坂本さんも、想像上の死ぬ瞬間を思い描き、「あれをやってよかった」「あれをやらずに死ぬことになった」という後悔をなるべく減らすことを常に考えているといいます。
森下さんは、この人生観がリスクを取る選択に繋がったと明かします。人に首根っこを掴まれず仕事をする姿を、子供に見せなければならないと考えたのです。
締まりのない終わり方だと森下さんは笑いますが、坂本さんは「最後すごいエモかった」と応じます。次回以降は、世界やエンタメで働く人を招く回になると案内し、エモい話が聞きたい人はXで反応してほしいと呼びかけて締めくくられました。
まとめ
自己紹介の後半として始まったこの回は、外資を渡り歩いた坂本達夫のキャリアと、会社に人生を委ねないという価値観、そして森下明との深い共鳴で1時間に及びました。二人に共通するのは、自分の人生の手綱を自分で握ろうとする姿勢です。
- 坂本達夫は楽天からGoogle、AppLovin、Smartly.io、Molocoと外資を渡り歩いてきた
- キャリアの成功は「5〜10%が実力、9割は運と縁とタイミング」と捉えている
- 2度の海外赴任が流れた経験から、会社に人生を委ねすぎないと決めた
- オランダ移住はビザの取りやすさが決め手で、会社に依存せず自ら決断した
- 二人は「人生は思い出作り」という価値観と、自分の人生を自分でコントロールする姿勢を共有していた






