聞いていた話と違う。DeNAで始まったゲームコンサル
後編は、リクルートスタッフィング以降のキャリアから始まります。森下さんはデロイトへの転職を先に挙げますが、その前にDeNAを挟んでいると中山さんが補足しました。
DeNAでは、どんなソーシャルゲームが当たるかという要素を分解し、パートナーと一緒にアプリゲームを作るコンサルをしていたそうです。始めたのは2011年、ソシャゲ市場が1000億円規模から伸びていく時期でした。
ただ、入社前に聞いていた仕事と、実際の仕事はまるで違ったといいます。中山さんは当初、サンフランシスコ勤務でM&Aを担当すると聞いていました。
入社して、じゃあいつアメリカ行けるのかなって言うと、突然携帯が4台ぐらい並べられて、3つ下ぐらいの上司が来て「チュッス中山さん、僕上司です」みたいな。
「ゲームのコンサルをやるって聞いてます」「僕はそれ聞いてないですね」「アメリカ行ったりとかあるんですかね」「そのうちあると思いますよ」みたいな感じで。
ゲームをやったことのない中山さんが、入社3日目にはトップ系のゲーム会社に乗り込み、一緒にゲームを作りましょうと話す立場にいきなり置かれたそうです。
全タイトルを知らない状態から、どう武器を作ったか
当時の主要な取引先は、グループスやカヤックといった会社でした。中山さんは、企業名もタイトル名も一つも知らないところからのスタートだったと振り返ります。
最初の2週間はひどく落ち込んだそうです。聞いていた話と違い、やらないと言ったはずのゲームの仕事をさせられていたからです。
一方で、武器になったのはデータでした。当時のソシャゲ市場のほぼ半分がDeNAで、1500ものゲームタイトルのKPIをすべて見られる状態だったといいます。
努力さえすれば、ソシャゲマーケットがどうなっているかを分析できる状態だった。そこに中山さんは踏み込んでいきました。
聞いていた話と違うと落ち込みながらも辞めなかった理由を、森下さんが尋ねます。中山さんは、毎回の転職で全然違うことをやり、そこにキャッチアップするのが好きなのだろうと答えました。
壮大なお題を与えられるのが好きかもしれないですね。それを自分なりに仮説立ててこうだと言って、割とびっくりさせたいクリエイター思考があるというか。
ただ、社内は海外赴任を目指す同僚が集まる厳しい環境でもありました。海外出張一つにも、そのバリューとリターンを証明するよう求められたそうです。
なぜ一出張でこんなに丁寧に説明が必要なんでしょうか、みたいな感じだったけど。
デロイトで「コンサルじゃない」と言われたゲーム講義
DeNAを数ヶ月で辞めた中山さんは、一度きちんとしたコンサルの仕事をやってみたいという思いからデロイトへ移ります。ただ、デロイトにゲームセクターはありませんでした。
転機は、入社直後に出した本でした。DeNA時代の経験をもとにした『ソーシャルゲームだけがなぜ儲かるのか』が、ゲーム会社のコンサル案件を呼び込んだのです。
その本をきっかけに、中山さんを中心としたゲームチームが立ち上がり、その年だけはゲーム会社を回るコンサル案件があったといいます。
自分で取ってきた案件だと客先で大事にされ、仕事がしやすかったと中山さんは言います。誰かの案件に兵隊のように入る一般的なコンサルとは違うポジションでした。
全てゲーム会社案件しかやってないという意味では、ちゃんとコンサルやったというよりは、コンサルの人たちをうまく使って、自分のゲーム業界への橋頭堡を築いたみたいな感じでしたね。
仕事内容も、通常のコンサルの枠には収まりませんでした。ゲームの日米のメカニズムを分析し、KPIが低い理由を指摘し、さらにゲームデザイナーに向けて数日にわたる講義まで行ったといいます。
御社のゲームのメカニズムを分析して、この部分がミッシングなので、今のKPIが低いのはここによるものです、みたいな。
隣にいるマネージャーやパートナーが、なぜこのプロジェクトが始まったのかを忘れ、自分がいる必要があるのかと漏らすほどだったと、中山さんは笑いながら振り返りました。
客先からそのまま転職。バンダイナムコで海外スタジオへ
次の転職先、バンダイナムコスタジオは、まさにデロイト時代のコンサル先でした。海外初のスタジオを作るプランを手伝っていたのです。
カナダやシンガポールでモバイル開発やアーケードゲーム開発のスタジオを作る計画で、誰が担当するか決まっていませんでした。そこで、プランを作った中山さんにそのままやってもらうのがいいという話になったといいます。
入社後1年ほど日本でコンサルとして働いた後、バンクーバーへ赴任します。赴任自体は3ヶ月後でしたが、入社3日目にはカナダへ出張していたそうです。
そもそも海外で働きたいという思いがどこから来たのか、森下さんが尋ねます。中山さんは、海外で次元の違う人に会った経験を挙げました。
2008年にフィリピンで出会った、人材派遣業を営む55歳ほどの男性が、そのきっかけの一人だったといいます。
フィンランドで300人ぐらいの仕事がなくなっちゃったけど、その後そのままロシアに送ってやったわ、みたいな。ワールドイズマイオフィスだってよく言う人なんですよね。
ワールドイズマイオフィス。この感覚に憧れ、中山さんはDeNAでもデロイトでも、海外にチャンスがあるからそこに出ようというプロジェクトを意図的に作ってきたと語ります。
なぜ辞めどきを選ぶのか。ブシロード入社の意思決定
その後、中山さんはブシロード本体に入社しつつ、シンガポール法人のCOOという立場に就きます。2016年9月、木谷さんにシンガポールで誘われたのがきっかけでした。
なぜバンダイナムコスタジオからその選択をしたのか。中山さんは、自分で始めた仕事をなるべく畳んでから辞めたいタイプだと説明します。
ちょうどマレーシアのスタジオ設立と、インドネシアのゲームのクロージングという仕事が6月から7月に終わったところでした。立ち上げようとしたモバイル事業も一旦ストップしていたといいます。
じゃあこれ今完全に空いた7月ぐらいで、木谷さんから何回も誘いを受けていて。今辞めることが最善に見えたんです。
ここから何か始めれば、また1年後2年後まで辞められなくなる。だから今が一番いいと判断し、バンダイナムコスタジオシンガポールから出向の形でブシロードシンガポール法人へ移りました。
その後、木谷さんが日本に戻ったのを追うように、中山さんも2019年に完全な日本所属となります。コロナ禍と重なり、本人にとってはベストタイミングだったといいます。
博士課程は「足の裏の米粒」。独立と研究の両立
2021年7月、中山さんはブシロードを退社し、Re entertainmentを立ち上げます。実はその3ヶ月前の4月、早稲田の博士課程に入っていました。
ブシロードで自分が貢献できることがある程度見えてきたこと、大きなプロジェクトが一段落したタイミングだったことが、独立の後押しになったそうです。
学生になった理由を森下さんが問うと、中山さんは博士号がないと大学では半人前扱いされる現実を挙げました。
博士課程、足の裏の米粒って言われるよ。取っても食えないけど取らないと気持ち悪いっていう。
ただ、Re entertainmentの仕事が急増したこともあり、博士課程はいまだに卒業できていないといいます。日々の仕事とはフォームも求められることも違うからです。
バンバンヒットを打ってる中に、場外満塁ホームランを3年に一回だけ打てって言われてる感じだよな。フォームも違うし、やるべきことが違う。
理系出身の森下さんが、文系の博士課程のイメージのつかなさを口にします。中山さんは、理系との違いを次のように整理しました。
先生からテーマが下ろされる集団作業。数代にわたって研究を引き継ぐこともあり、実験を回すプラクティショナーのスキルでも良いものが書ける。
ほぼ一人での作業。先生とは違うテーマを持ち、むしろ近いテーマは嫌がられる。サブセグメントの中で自分にしかできない解釈やオリジナル論が問われる。
査読された論文について、この分野に詳しい数人のプロの学者が繰り返し内容を確認し、研究ができると証明する必要があるといいます。中山さんは英語で論文を書いたため、いっそう苦労していると語りました。
中山さんの博士論文のテーマはメディアミックスです。アメリカのトランスメディアと、日本のメディアミックスの違いを、自身の経験も踏まえて論じているといいます。
自分にしかできない解釈へと領域を細分化して落とし込めれば勝ちだと、中山さんは言います。この考え方は起業とも共通していると付け加えました。
薄く広く。エンタメ社会学者という誰もいない場所
Re entertainmentは創業から4年半になります。森下さんは、登壇の数や、直近では3冊を並走して執筆している中山さんの働き方に驚きを口にしました。
1日のルーティンは集約しにくいものの、おおよその流れはあるといいます。
- 6時から10時ごろまで執筆
- 10時から12時ごろにオンライン会議
- 13時から15時ごろに客先でコンサル
- 数週間に一度は経産省や総務省などの委員の仕事
- 夜は会食
中山さんは、この働き方について「普通に生きて、種類が多いってだけ」だと表現します。
成し遂げたいことを問われると、中山さんは自分が砂漠の最先端を歩いている感覚があると答えました。他にエンタメ社会学者がいないからです。
事業者としてのコンサル、メディアでの発信、行政の政策、大学での教育、ベンチャーの顧問。6つも7つも種類の違う仕事を横断していると語ります。
その中で中山さんが挙げたのが、リクルートでよく言われるwant・must・canの重なりでした。エンタメ社会学者というポジションは、自分以外にできないことをやれている実感があるといいます。
want
自分がしたいこと
can
自分ができること
must
求められること
スイートスポット
3つが重なる、自分以外にはできない領域。ここをいかに広げられるかが鍵になる。
この2年は行政的にも追い風だといいます。政府が「クールジャパン再起動」を掲げ、力を入れているからです。
これじゃあこの6兆円を20兆円にするんだ、国としても200億、300億ぐらいのをちゃんと配合していくんだ、みたいになった時に、この知見が生きることはあるだろうと思って。
日本のエンタメ産業を、自動車に次ぐではなく、自動車を超えるほどの産業にするにはどうすればいいか。中山さんはそこに知見を発揮したいと話します。
自分では「薄く広く」だと繰り返す中山さんですが、森下さんは一緒に働いた経験から、ゲームなどの領域は決して薄くないと反論しました。
薄く広くの中でも中山さんはだいぶ解像度高いんじゃないですかね。なんでこの人は全方位に解像度が高いんだって思われてるのかなとは思いました。
ちなみに今のテーマはゴスロリの調査だそうです。イギリスにゴスロリをどう持っていけるか、という話が半分趣味であるといいます。
慶應の講義が本に。エンタメビジネスの教科書
最後に、中山さんが告知を行いました。最も売れた本『エンタメビジネス全史』に続き、慶應での講義が本になった『エンタメビジネスの教科書』が出るといいます。
内容は、業界のスーパーな人たちとの対談集です。吉本の中興の祖とされる大﨑洋さんや、『ゴジラ-1.0』の山崎貴さん、漫画家の山口つばささんらのインタビューが入っているそうです。
この対談編に続き、講義編も翌年春に出る予定だといいます。中山さんは、面白いのでぜひ手に取ってほしいと語りました。
まとめ
後編は、DeNAのゲームコンサルから海外事業、そしてRe entertainmentの創業と博士課程まで、中山淳雄さんが畑を変え続けてきたキャリアの分岐点をたどりました。壮大なお題にキャッチアップし、誰もいない場所に自分の領域を作ってきた歩みが語られています。
- 聞いていた話と違う仕事でも、データやキャッチアップ力を武器に自分のポジションを作ってきた
- 自分で始めた仕事を畳めるタイミングを見極めて、辞めどきと次への一歩を選んでいる
- 起業も研究も、市場やテーマを細分化して自分にしかできない解釈に落とし込むことが鍵になる
- want・must・canが重なるエンタメ社会学者という誰もいない場所で、事業・政策・教育を横断している
- 慶應の講義をまとめた『エンタメビジネスの教科書』が刊行され、講義編も翌年春に続く予定


