両親が畳みかけていた家業を継ぐ
後編では、奥山さんが郵船航空を経て月山ポレポレファームに戻った当時の状況から話が始まります。
戻った時、両親はすでに規模を縮小し、余生を過ごすモードに入っていたといいます。
どんどんどんどん規模を小さくしていって、余生を過ごすモードに入ってた時だったんですね。
私は帰ってこないものだと思われてたみたいで。「え、帰ってくるの?」みたいな。
当時の売上は年間2000万円ほど。老夫婦2人とアルバイト1人で最低限回していた規模でした。
そこへ戻った奥山さんは「もう少しリッチになりたい」と考え、仕事を増やす方向へ舵を切ったと話します。
10年で売上5倍。ただし「小利口に」回す
その後の成長ぶりを森下さんが尋ねると、奥山さんは端的に結論を返します。
結論、10年で5倍ですね。
両親は引退でき、奥山さん以外の経営者も加わり、関わる人も増えました。正社員は1人ですが、役員が3人、アルバイトや業務委託が3〜4人増えたといいます。
産業として厳しい地方で非連続な成長をどう実現したのか。奥山さんは旅館・観光業の構造から説明します。
旅館業は最初に大きな投資で設備を揃え、そのアセットを回す業態です。奥山さんの場合、親世代が最低限のアセットを揃えてくれていたため、新たに大きなリスクを取る必要がなかったといいます。
大規模にドンとやって成功してるところもいっぱいあると思うんですけど、そうじゃない回し方、こじんまりとした回し方でやってる感じですかね。
単価を上げる戦略と、突撃営業の日々
奥山さんの宿は敷地1万坪ほどにコテージが8棟建つタイプ。父の代で7棟あり、奥山さんが増やしたのは1棟だけです。
規模を増やすより、既存のコテージを改修してグレードアップし、単価を上げる方向に完全に舵を切ったといいます。
その単価を支えたのが、海外富裕層の集客でした。2013年から、自分の商材をバッグに詰めて海外へ売り歩いたと振り返ります。
自分の商材をバッグに詰め込んで、突撃アポで海外に売り歩いたらどうなるかなっていうのをやってみたら、運良くちょうど日本に目が向き始めてた時代だったんですよね。
東南アジアやオーストラリアの人々が「どこへ行けばいいか」を探していた時期に、変わった青年が飛び込みで提案する。それが雪だるま式に広がったと話します。
森下さんが「その突撃アポに行ける胆力はどこから」と問うと、奥山さんの答えは意外なほど淡々としていました。
ネットで旅行会社をAからZまで調べて、メールを送りまくって、返ってきたところと会いまくってた。それだけです。
それを当たり前だと思ってると思うんですけど、ほとんどの人はできてないと思いますね。本当に。
なぜそこまで動けたのか。奥山さんは「尻に火がついていた」と語ります。旅費をかけて成果なしで帰るわけにはいかないというプレッシャーもあったといいます。
家族経営からの脱却という一番の苦労
10年5倍という数字だけを聞くと順調に見えますが、森下さんは苦労も尋ねます。奥山さんが挙げたのは、売上よりも体制作りの難しさでした。
もともと母親が仕切り、ルールが日替わりで機嫌によって変わる。中小企業のあるあるだと奥山さんは言います。
ルールも全部日替わりで彼女の機嫌と気で変わるようなところで、まあ、あるあるですよ、中小企業の。
そこから主導権を握り、人繰りと仕組みを変え、新しい役員を入れて家族経営からの脱却を目指してきました。家内工業をちゃんとした会社にする作業を10年続けてきたといいます。
難しさは田舎ゆえの人手不足にもあります。家族内でそっぽを向かれると仕事が回らなくなるため、瓦解を防ぎながら進めるのに時間がかかったと振り返ります。
富裕層は「雑談」にお金を払う
奥山さんの宿の仕事は、一般的な旅館業とは少し違うといいます。給仕やサービスの提供ではなく、いかに長く滞在してもらうかに頭を使う商売だと表現します。
施設内になるべく長く滞在してもらって、雪遊びやアウトドアを体験してもらう。どうやったら長く滞在してもらえるかに頭を使う、パチンコ屋みたいな商売ですね。
美味しいコーヒーを置き、漫画を並べ、旅行会社と組んで山のガイドやカヤック、スキーへ連れ出す。そのため、来てすぐ働ける仕事ではないといいます。
そんな中で奥山さんが最近腑に落ちたのが、富裕層の心理でした。
お金持ちって、限界を突破すると雑談のためにお金を払うんですよ。
高級ホテルやゴルフを楽しんでも、生活レベルが上がるほど周りに同じ人がいなくなり、一人になりがちだといいます。だからこそ「ここに行けば雑談ができて楽しい」ことに価値が生まれると奥山さんは考えます。
そこで奥山さんは、山形エリアで選ばれる人間になろうと考えました。フロントに立つ自分が雑務に追われないよう、バックヤードを整えて雑談のための自由な時間を作る。それが体制作りの目的でもあると語ります。
英語より人柄。華僑の富裕層との知識の交換
相手は台湾やシンガポールの富裕層が多く、基本は英語でのやり取りです。森下さんは、面白い話を英語でする要求水準の高さを指摘します。
日本の歴史や地域のリベラルアーツを振られたらどう返すのか。奥山さんは、相手のほうがよく知っていると言います。
こっちの人から聞いた話を、こっちの人にしてるだけなんです。
ある一定を超えた華僑の人々は、国をまたいでも興味が共通してくるといいます。国が潰れたらどこへ逃げるか、実権は誰が握っているかといった地政学の話や、子供の教育の話を頻繁にするそうです。
そこに、僕しか知り得ない「山のこの木はこれを突き刺すとメープルシロップが出てくる」みたいなくだらない知識を入れ込むと、めちゃくちゃ感動してくれたりする。
その知識の交換を雑談で重ねていく。最近は家族ぐるみの付き合いも増え、ホームパーティーで自分の娘を混ぜて遊ばせることもあるといいます。
森下さんの友人の家族も訪れ、大満足だったと伝えます。訪れた客同士が実は狭い世界でつながっていたエピソードも語られ、月山に世界の富裕層が集まる不思議さが浮かびます。
山形の月山という場所が、奥山さんというモンスターによってグローバル化されている。月山は今、注目の場所ですね。
家賃3万3000円のアパートに住み、中古の5万円の車に乗って生きていますけどね。
行けばなんとかなる。フットワークという武器
番組の後半、森下さんは日本人が海外でキャリアを切り開く上で必要な要素を尋ねます。奥山さんの答えはシンプルでした。
そうですね、航空券を買って行ってみたらいかがでしょうか。
高尚な考えや深い思考はなく「行けばなんとかなるんじゃねえか」しか思えないと奥山さんは言います。ただ、そのフットワークの軽さこそ大事だと森下さんは受け止めます。
現地に行くと騙す人も多いですけど、助けてくれる人も多いんで、使えるものは全部使った方がいいんじゃないでしょうか。
ガンガン行くコマンドに振り切れる人は少ない。それができるだけで十分な差別化になると、森下さんは共感します。
投資家に殴られる経営観と、日々の幸せ
将来ポレポレをどうしたいか。奥山さんの答えは「びっくりするぐらいない」でした。10倍にしようとは考えず、ほどほどで満足してゆっくりできたらいいと語ります。
投資家がいたら殴り殺されるようなタイプなので。なるべく人のお金を入れずに生きていけたらなと。
それでも家族経営からの脱却にこだわる理由を問われると、奥山さんは幸福の話に踏み込みます。家内工業だと家族ゆえに過度なブラック体質になり、外から来る人も定着せず、結局誰も幸せにできないといいます。
法律の範囲内で、無理のない範囲でやって、それで企業が続いていくのが、多分経営ってことなんじゃないかな。
仕事で幸せを感じる瞬間を聞かれると、奥山さんはホイールローダーで除雪し、雪の角がスパッと切れた時だと答えます。どんな仕事にも勘所や技があり、それがうまくいった時のささやかな嬉しさが幸せだと語ります。
キャパシティはコテージ8棟分ですが、人的リソースは4棟分しか動いておらず、半分は休眠状態だといいます。リソースを戻すだけで倍になる余地がありながら、あえて増やさない理由も明快です。
8棟でぶん回すと雑談ができなくなるんで、4棟でやめておこう、っていう。
だからこそ、奥山さんと同じ雑談レベルができる人を育てることが鍵になります。最近加わった代表は、奥山さんより雑談の達人だといいます。
英語ができるかを問われると、奥山さんは言語は関係ないと返します。大事なのは語学力より人柄や安心感だという考えです。
まとめ
両親が畳みかけていた小さなコテージを継ぎ、単価戦略と突撃営業で10年5倍を実現した奥山さん。その根っこにあったのは、拡大ではなく「雑談のための時間」を守る経営観でした。
- 戻った当時の売上は年間2000万円。両親は規模を縮小し余生モードに入っていた。
- 既存コテージの改修で単価を上げ、海外富裕層を突撃営業で開拓して10年5倍を達成。
- 一番の苦労は売上ではなく、家族経営から仕組みで回る会社への脱却だった。
- 富裕層は雑談にお金を払うと捉え、自由な時間を確保するため体制を整えた。
- 将来の拡大志向はなく、無理のない範囲で企業が続くことを経営と考えている。
