AI時代の教養本、3人は何を持ってきた?
本つまみぐいラジオは、本を読まなくても本の美味しいところを耳からつまみ食いできる番組です。司会の幸あれこさんは本が大好きなのに内容を忘れるタイプ、イケダハヤトさんは乱読で知識を集めるタイプ、しゅうへいさんは「買ったけど読まない」タイプの読書家だと自己紹介します。
今回のテーマは「AI時代に身につけておきたい教養本」で、3人がそれぞれ1冊ずつ持ち寄りました。
イケダさんが選んだのは、『シュルレアリスム宣言』と『溶ける魚』の2つの話が入った岩波文庫の1冊です。古典的な名作が多い岩波文庫の「赤」を番組で紹介するのは初めてだといいます。
しゅうへいさんはやる気やモチベーションを超える「衝動」を扱う『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』、幸あれこさんは中公新書の『言語の本質』を挙げ、それぞれAI時代に重要だと考える理由を予告しました。
知識はどうすれば教養になるのか
本題に入る前に、イケダさんは自分なりの「教養」の定義を示します。知識はただ知っているだけの状態で、それを実践を通して体で理解したときに教養になる、という考え方です。
シュルレアリスムってこういうことだよねっていうのがちゃんと実践を通してわかったら、それはもうそれが教養になってるっていうふうに僕は思うんですね。
そのためこの回は、シュルレアリスムを説明するだけでなく、3人で実際にやってみることを目指すとイケダさんは宣言します。幸あれこさんは、シュルレアリスムという言葉自体が初耳だったそうです。
イケダさんの紹介は、シュルレアリスムとは何か、実際にやってみる、AI時代にどう生きるか、という3つのパートで進みます。
何なのか
シュルレアリスムの意味と歴史的な背景を知る
やってみる
自動記述(オートマティスム)を3人で実践する
AI時代へ
100年前の宣言が今こそ生きる理由を考える
「シュール」の語源は超現実主義だった
イケダさんによると、『シュルレアリスム宣言』は1924年にアンドレ・ブルトンが出した本で、100年ほど前のものです。普段「それはシュールだね」と言うときの「シュール」は、このシュルレアリスムから来ています。
レアリスムは現実主義、シュルはスーパー、つまり「超える」という意味です。日本語では超現実主義と訳されますが、イケダさんは「めちゃくちゃ現実的な人」という意味ではなく真逆で、現実を超えた何かを作ろうとする芸術運動だと説明します。
イケダさんは当時の芸術の空気として、1900年代に入って既存の常識や慣習を疑い、超えていこうとする機運があったのだろうと話しています。
その前段にあったのがダダイズム ── 第一次世界大戦期にヨーロッパで起こった芸術運動。既成の価値観や芸術の形式を否定し、偶然性や無意味さを打ち出しましたです。代表例として、デュシャンが買ってきた便器に「泉」と名付けてアート作品として出し、当時大炎上したエピソードが紹介されます。
シュルレアリスムは、このダダイズムの反骨精神、つまりいろいろなものを疑っていく流れから発展した運動だとイケダさんは位置づけます。
理性の検閲の下に、何があると考えたのか
シュルレアリスムの人たちが疑ったのは、理性や意識そのものでした。理性は本当に現実を捉えているのか、理性で捉えきれない無意識の部分にこそ面白いものがあるのではないか、という問いです。
イケダさんは、シュルレアリスムの説明によく使われる氷山の例えを紹介します。海面の上に出ている部分は小さく、下には巨大な氷の塊がある。人間が認識しているのは海面の上の現実だけで、その下に無意識や物事の本質があるのでは、という考え方です。
僕らが何かを表現したりする上で、必ず理性のフィルターが通っているんですね。この海面を超えた部分しか僕らは表現できていない。
ブルトンたちは、この「理性の検閲」をスキップできれば、もっと下の無意識にアクセスできるのではないかと考えました。では、どうやってアクセスするのかが次の問題になります。
理性のフィルターを通った部分。普段認識し、表現できている現実
理性で捉えきれない巨大な無意識。面白いものや本質があるかもしれない領域
考えずに書く「自動記述」と『溶ける魚』
ブルトンが考えた方法がオートマティスム ── 自動記述とも訳されます。意識的な判断や推敲を加えず、浮かんだ言葉やイメージをそのまま書き出す手法で、シュルレアリスムの中心的な技法ですです。やり方はシンプルで、理性で考える前に、思いついた言葉を書く、あるいは話すというものです。
イケダさんはこの日、車を運転しながら実際にオートマティスムを試したといいます。ひたすらブツブツ言い続けると、自分でも何を話しているかわからないモードに入り、それでも自分の中から何かが出てくる感覚があったそうです。高速でやると、理性の検閲をすべてスキップできるとも話しています。
考えないで書く。考えないで書く。考えちゃいけない。思いついたことを書く。
ブルトンがこの方法で書いた作品が『溶ける魚』です。部屋にこもり、溢れ出る言葉を書き続けたもので、イケダさんは冒頭を読み上げます。
読み上げられた冒頭は「公園はその時刻、魔法の泉の上にブロンドの両手を広げていた。意味のない城が一つ地表をうろついていた」という文章で、イケダさんは「全く意味がわかんないし、多分書いてる本人も意味がわかんない」と笑います。
一方でイケダさんは、意味がわからなくてもこれは確かにブルトンの中から出てきた言葉であり、城が地表をうろつく映像が浮かぶような芸術性があると評価します。宣言と『溶ける魚』に影響を受けた人々によって、シュルレアリスムは芸術運動として広がりました。
その代表として挙がるのが、時計がぐにゃりと溶けた絵で知られるサルバドール・ダリ ── スペイン出身の画家で、シュルレアリスムを代表する一人。溶けた時計が描かれた「記憶の固執」は特に有名ですです。ダリの中から出てきたよくわからないモチーフを描いた絵は、まさにシュルレアリスムだとイケダさんは話します。
自転車でブツブツ、自己理解としてのオートマティスム
イケダさんは、オートマティスムは今の時代でも簡単にできると話します。たまたま見つけたブログでは、首にかけるペンダント型の録音AIデバイスをつけ、自転車に乗りながらひたすらオートマティスムをしている人がいたそうです。
家に帰ってそれを文字起こししたら、なんかこんなこと俺言ってたんだみたいな。面白いね。
イケダさんは、オートマティスムはまず自己理解につながると考えています。ほとんど意味のない『溶ける魚』からも、死を怖がるようなブルトンの深層心理が見えるといい、実践すれば人それぞれの「その人らしさ」が出てくるはずだと話します。
ドライブ中やランニング中に、頭に浮かぶ言葉をただ紡ぐだけでよく、言葉だけでなく絵や音楽にしてもよいとイケダさんは言います。シュルレアリスムは実は簡単な話だというのが、イケダさんの見立てです。
イケダさん自身もシュルレアリスムの絵が好きだといいます。現実にはないのに懐かしい、見たことがないのに見たことがある気がする、といった感覚を呼び起こす点に惹かれているそうです。
ブルトンは引きこもってノート7冊分ほど書き続けたといいますが、そこまでしなくても、まずはこの場でやればいいとイケダさんは提案します。
幸あれこさんの「ピョンピョコピョン」はシュールなのか
セカンドパートでは、3人で実際にオートマティスムを試します。目を閉じた幸あれこさんから出てきたのは「ピョンピョコピョン」という言葉でした。
これ自分が考えてるのか考えてないのかもわからない状態なんですけど、まあピョンピョコピョンっていうのは出てきたんですけど。
しゅうへいさんは、幸あれこさんは普段から無意識的に話していることが多いのではないかと指摘します。例として、映画「すずめの戸締まり」を「ネズミの袋叩き」と言い間違えたエピソードや、劇団四季を「四季四季団」と言ったことが挙げられます。
ちゃんと覚えてなくても、わあって言葉を紡ぐじゃん。それ(幸あれこさん)はもう普段から多分超現実主義じゃないけどでやってるんじゃないですかね。
イケダさんも、幸あれこさんは蓄積した言葉の辞書から理性のフィルターをスキップして言葉が出てくるタイプだと同意します。幸あれこさん本人は、前の職場でも言われていた「変なこと」の正体がわかった気がすると話しました。
今なんか解決した気がします。シュールレアリスムだったんだ。
幸あれこさんが「一旦理性通せよっていう話でもあるんだ」と言うと、しゅうへいさんは「通せないからそうなんじゃないですか」と返し、イケダさんは「海面がないみたいな」と氷山の例えに重ねて笑いを誘います。
イケダさんとしゅうへいさんの無意識からは何が出た?
幸あれこさんがイケダさんに、運転中にどんな言葉が出たのかを尋ねます。イケダさんの場合は「ピョンピョコピョン」のような言葉は出ず、ある程度文章の形になっていたそうです。
多分彼女は光の中に溶けて虹色になって消えて、墓場に埋まって、その骨が土となりみたいな。
物語性のある文章がつながり、よくわからない話になると途中でぶつ切れて単語が続く、というのがイケダさんの出方でした。出方は人によって違い、ひたすら擬音が続く人がいても、それは無意識がフィルターを介さずに出た、その人の特性でありアーティスティックだと話します。
しゅうへいさんから出てきたのは「くるくるお布団にくるまって畳の下に消えていく」というイメージでした。ずっと布団の中にいると、抜けるはずのない布団から落ちていく感覚になるのだそうです。
イケダさんは、こうした言葉は自分の無意識を反映しているので、自己分析につながると話します。オートマティスムで絵を描く人もいるといい、幸あれこさんの「アウトプットなら割とどれでも」という問いにも、どれでもいいと答えました。
しゅうへいさんは、普段は「ちゃんとした人間じゃないといけない」と考えがちで、オートマティスムはそうした理性を取っ払う時間だと受け止めます。イケダさんも、自分との対話をする瞑想的な時間だと重ねました。
AIは氷山の上しか知らない
最後のパートで、イケダさんはシュルレアリスムをAI時代につなげます。AIは人間が理性を通して言葉にしたもの、表現したものを大量に学習しているため、まさに理性の側の存在だという見方です。
その氷山の上の方に出てる部分ってAIが得意なので、僕らが多分やるべきことって、そのむしろその氷山の下の方に埋もれてる何かを見つけに行く。
イケダさんは、氷山の下に埋もれた無意識にこそ人間にしかできない面白みがあり、その文脈でシュルレアリスムは今とても面白いと話します。
シュルレアリスムの美術で有名な言葉として、「手術台の上のミシンとコウモリ傘の偶然の出会いのように美しい」という表現も紹介されます。イケダさんは、ありえない組み合わせなのに確かに美しさを感じる、この感覚がシュルレアリスム美術を広げたと説明しています。
理性を通して表現されたもの(氷山の上)を大量に学習し、理性的に使われる
データにない氷山の下の無意識に、自分でアクセスして面白みを見つけられる
モグラとたこ焼きが土の中で出会うのは偶然か
イケダさんがシュルレアリスムを選んだきっかけは、2回ほど前の収録で幸あれこさんが話した「モグラとたこ焼きが偶然出会う」という例えでした。しゅうへいさんによると、文学がテーマの回でマジックリアリズムの話が出たあとのことだったそうです。
当の幸あれこさんは覚えておらず、「たこ焼きって土の中にないよね」と自分でも首をかしげます。イケダさんは、この例えはAIには出せないと話します。
多分それはね、AIじゃ出せないです。そうなんか、だってなんか、ないじゃん、その語彙が。
その瞬間、あれこさんの頭の中にはそれ(モグラとたこ焼き)が一番いい例えとして出てきているっていうことも大事ですよね。なんか適当に合わせたわけじゃなくて。
イケダさんも、ランダムではなく人間の美意識や面白さのセンサーに引っかかった組み合わせだと同意します。
しゅうへいさんが当時の流れを振り返ると、幸あれこさんは「電子書籍にするのは本を電子レンジに入れるようなもの」と言い、反応が薄いと「水で濡らして電子レンジに入れる」と続け、最後に「モグラとたこ焼きが出会う」にたどり着いたそうです。
幸あれこさんは、その順番なら理にかなっていると納得します。土の中にたこ焼きがあるのも、モグラがたこ焼きに出会うのも難しい、という「わかりやすい例え」のつもりだったというのです。イケダさんは「そこは理性のフィルター入ってたんだ」と驚き、しゅうへいさんは「理性的なシュールレアリスム」と名付けました。
電子レンジ
電子書籍にするのは本を電子レンジに入れるようなもの、と例える
水で濡らす
反応が薄く、水で濡らして電子レンジに入れる、と言い直す
モグラとたこ焼き
最後に「モグラとたこ焼きが出会う」という例えにたどり着く
偶然の出会いを探すことが、AI時代の教養になる
まとめとしてイケダさんは、世の中にはまだ出会っていない組み合わせがたくさんあると話します。散歩中に空を見ながら、観葉植物と何かを出会わせてみるような想像をするだけでも、実践になるといいます。
そうした組み合わせはAIに聞いても違うものが出てくる可能性が高く、自分の琴線に触れる出会いが見つかったら書き留めておくだけでも面白い、とイケダさんは勧めます。
イケダさんの整理では、シュルレアリスムの実践は2つです。自動記述で自己理解や他者理解を深めること、そして偶然の出会いを想像しながら街を歩くことです。
幸あれこさんは「まさにアイデアのもとになる考え方」と受け止め、しゅうへいさんは今の時代の価値の変化に話を広げます。
今もうロジックとか組んだらもうAIに勝てないじゃん。これがいいからこれを作りましたみたいになるけど、そんなのも本当にコモディティ化どんどんしていって、質とかよりもなんか面白さみたいなものが本当に今求められて。
しゅうへいさんは、いいものを作ろうとすると逆にいいものが作れない時代なのかもしれない、とも話しています。イケダさんは幸あれこさんを「才能の塊」と称え、しゅうへいさんは幸あれこさんがラップバトルで「バーカ」の一言を返した話を持ち出して、場は再び笑いに包まれました。
回の最後には、次回しゅうへいさんが「衝動」をキーワードに本を紹介すると予告され、ハッシュタグ「#本つま」での感想が呼びかけられました。
まとめ
イケダハヤトさんは、100年前のシュルレアリスムを、理性の検閲を外して無意識にアクセスする実践として紹介しました。AIが理性の側、つまり氷山の上を学習した存在だとすれば、氷山の下を掘ることこそ人間に残された領域だという見立てです。
- シュールの語源は「現実を超える」超現実主義で、ダダイズムの反骨精神から生まれた芸術運動
- ブルトンのオートマティスムは、考えずに言葉を出すだけで誰でも試せて、自己理解につながる
- AIは理性を通したデータしか持たず、無意識から出る組み合わせは人間にしか出せないとイケダさんは考える
- 幸あれこさんの「モグラとたこ焼き」は、実は理性を通した「理性的なシュールレアリスム」だった
- 偶然の出会いを想像しながら街を歩くことも、AI時代の教養としての実践になる




