ゾンビに囲まれた屋上で、一人で勉強するか仲間とするか
幸あれこさんが持ってきたのは、明石書店から出ている『群れから逸れて生きるための自学自習法』です。自学自習形式の塾を運営するさきさかくじらさんと柳原広希さんによる本だと紹介されています。
本の紹介に入る前に、幸あれこさんはしゅうへいさんとイケダハヤトさんに「ゾンビに囲まれたビルの屋上で、一人で勉強するのと仲間と一緒に勉強するのはどっちがいいか」という奇妙な質問を投げかけます。
それはでも、やっぱ生存確率上げるためには仲間といた方がいいよね。食われちゃうもんね。
そうじゃないんだよっていう本です。
しゅうへいさんは「学校と家、どっちで勉強するかと聞かれたほうがしっくりくる」とツッコミます。幸あれこさんによれば、ゾンビは本のテーマである「孤立」の切羽詰まった感じを出すための設定だったそうです。
幸あれこさんは、この本を一言で「勉強するのに仲間はいらない」、むしろ一人でいるために勉強が必要だと語る本だとまとめます。
AIが何でも教えてくれる今だからこそ、自分で考えて自分で学ぶことの価値が上がっている。幸あれこさんは、2026年に身につけたい習慣として「自学自習の力」を押し出したいと話しています。
学ぶとは、人生の舵を握り直すこと
1つ目のポイントは「そもそも学ぶとは何か」です。幸あれこさんは「学ぶ」と聞いたときに浮かぶ映像を2人に尋ねます。
しゅうへいさんは「ノートで勉強している感じ」、もう一人は「古代ギリシャでみんなが哲学について考えていたところ」と答えます。ところが幸あれこさんの答えは、海の真ん中で白い手袋をはめてハンドルを握っている船長の姿でした。
学ぶというのは何か勉強するとか知識を増やすっていうわけではなくて、自分の人生のハンドルを握り直す行いですよっていうことを今伝えたかったんですけれども。
しゅうへいさんから「船ならハンドルではなく舵では」と指摘され、幸あれこさんは「舵でもハンドルでも握っちゃってください」と笑って受け流します。
幸あれこさんが問題にしているのは、今の世の中がいつの間にか「集団ツアー」になっていることです。小学校の6年間、高校の3年間で学ぶ内容が決められ、文系・理系や世界史・日本史を選べるようでいて、実は選ぶことまで決められていると指摘します。
ミニテスト、期末テスト、センター試験、入試と、すべてがあらかじめ用意されている。幸あれこさんは、大人になってからも自分の意見よりみんなの意見に従いがちな社会になっていると話しています。
孤立ではなく孤独を守るために学ぶ
この本が打ち出しているのは「孤立じゃなくて孤独を守るために学ぶ」という考え方です。冒頭のゾンビの質問は、まさにこの「孤立」を表すためのものでした。
話を聞いたしゅうへいさんは、本の内容を知る前から、幸あれこさんの学習スタイルを思い出したといいます。幸あれこさんは昔から塾も授業も嫌で、とにかく家で一人で勉強するタイプでした。
同じやね。僕も塾行かないで大学受験一人でやって一人で勉強しましたね。
一方のしゅうへいさんは、お金がなくて塾に通っていませんでした。友達が楽しそうだったので最後だけ通わせてもらったものの、何も勉強しなかったと振り返ります。
幸あれこさんは、みんなで勉強したい人が多い中で、自分は変わっているのかもしれないと思って生きてきたそうです。この本は、そんな幸あれこさんに「こういう考え方もあったんだ」と思わせてくれた一冊だといいます。
本では、孤立と孤独をはっきり分けています。幸あれこさんによれば、自学自習は自分で選んだ一人の時間を守るために学ぶことです。
望んでいないのに、周りから切り離されているように感じる状態
自分で選んだ一人の時間。自学自習はこれを守るためにある
学校の勉強はWiFi、自学自習はポケットWiFi?
幸あれこさんは、この本を読んで「学ぶってWiFiみたいなものだ」とピンと来たそうです。WiFiは目に見えないけれど、確かに飛んでいて、つながっていれば通じ合えるものだと説明します。
学校でやる勉強ってね、その学校にいる間は普通にWiFi繋がってるんですよ。
学校を出た瞬間にプツンって接続をできなくなって、あれ?ってなるんですよね、こういった勉強は。
これに対して自学自習は、すぐ役立つわけではありません。それでも、つながりたいときにいつでもつながれるようにポケットWiFiを持ち歩いている状態だ、と幸あれこさんはたとえます。
学校にいる間だけWiFiがつながる。学校を出た瞬間に接続が切れる
すぐ役立つわけではないが、ポケットWiFiのようにいつでもつながれる
機械音痴だった幸あれこさんがWiFiでたとえたことに、しゅうへいさんは「感動している」と笑います。話はWiFiの語源にそれ、幸あれこさんは「ワールドインターナショナルファイティング」と珍回答を披露しました。
しゅうへいさんが調べたところ「ワイヤレスフィディリティ」から来ているらしいとのことですが、イケダハヤトさんは「それも諸説ある」と補足しています。
脱線のあと、幸あれこさんは本の核心に戻ります。学ぶとは正解に近づくことでも、正解を探しに行くことでもない。群れから少し離れた場所で、自分がどこに立っているかを確かめることだといいます。
そのために、一人で考えられるだけの言葉と視点を自分の中に持っておく。幸あれこさんは、これは大人の今こそ必要なものではないかと話します。
しゅうへいさんは、珍回答からのギャップに「突然めちゃくちゃいいこと言うから理解が追いつかない」と驚きます。イケダハヤトさんは、世界の中で自分の位置を確かめるという意味では、確かに「戦っている」と回収しました。
幸あれこさんは、この本はスコアを取るための学びを完全に否定していると説明します。学校の勉強を当たり前だと思っていると、学校を出た瞬間にダメになってしまうという指摘です。本自体は、島の本屋さんで出会ったそうです。
真の勉強仲間は、同じジムで黙々と鍛える人
2つ目のポイントは「勉強仲間は必要か」です。しゅうへいさんは、友達を「ガストで勉強しよう」と誘って何もしないタイプだったと明かします。
絶対友達にならないよ。
幸あれこさんは、こういう人は実は多く、群れるとこういうことが起きてしまうと話します。そのうえで、仲間そのものが悪いわけではないと前置きします。
学びって基本めちゃくちゃ孤独なものなんですよね。わかんないな、できないな、つらいなっていう時間がずっと続くじゃないですか。
でもそれってそこに誰かがいると紛らわせることができるとか、ごまかせちゃうんですよ、安心感で。
「この人もやっていないから大丈夫」とごまかした瞬間、自分のズレが見えなくなる。それが勉強仲間の落とし穴だと幸あれこさんは説明します。
ただし本は、一人ぼっちが正解だと言っているわけではありません。幸あれこさんによれば、真の勉強仲間とは、それぞれが勝手に学んでいる人です。同じゴールを目指していなくても、毎日話さなくてもかまいません。
幸あれこさんは、エジソン、ソクラテス、二宮金次郎、夏目漱石、ブッダ、そしてSNS上で学んでいる一人ひとりも、みんな勉強仲間だと話します。そのうえで、筋トレのジムにたとえて説明しました。
「一緒にジム行こう」「君がいないとジム行けない」と誘い合う関係
同じジムや世界中の別のジムで、それぞれ黙々と違う筋トレをしている人たち
しゅうへいさんは、勉強仲間とは「実践者であるということ」だと受け止めます。幸あれこさんは、一人で考え続けているという点でつながっていることが大事で、そこを孤立と取り違えると危ないとまとめています。
言語化は全部を説明するのではなく、一部を切り取る技術
3つ目のポイントは、最近よく聞く「言語化」です。幸あれこさんは、イケダハヤトさんに「桃太郎」、しゅうへいさんに「アンパンマン」になりきって3行ほどで自己紹介するよう頼みます。
返ってきたのは「桃から生まれて、仲間と鬼をボコボコにしてきます」「ジャムおじさんから生まれ、ばいきんまんをボコボコにしていきます」という短い自己紹介でした。幸あれこさんは、ここに言語化の核が現れていたといいます。
本によれば、言語化をすると、とてもたくさんのことを書き損ねます。言語化とは全部を説明することではなく、一部だけを切り取る技術だという考え方です。
言語化のゴールは別に完璧にすべてを説明するとか言い当てるっていうことじゃなくて、その一部を言葉にしてみることなんだと。
言い表せた部分と、言い表し損ねた部分が同時に見えるようになること。それが言語化だという指摘に、幸あれこさんは「ビビビッと来た」そうです。
自学自習は一人で考えることで、その材料になるのが言語化です。さらに、書き損ねた部分があるから問いが増え、また一人で考えるようになります。幸あれこさんは、書き損ねている部分こそが自学自習のエンジンだと話します。
言語化する
自分が説明できる部分が手に入る
書き損ねに気づく
説明しきれていない部分が同時に見える
問いが増える
書き損ねた部分について、また一人で考える
自学自習が進む
わかっていない部分を知り、さらに学ぶ
先ほどの桃太郎なら、おばあさんに拾ってもらった喜びやキジとの友情、鬼退治のあとの話を書き損ねている。アンパンマンなら、焼かれているときの心情やジャムおじさんとの会話を書き損ねている、と幸あれこさんは笑いながら例を挙げます。
続けて幸あれこさん自身もルフィとして自己紹介しますが、「7つの玉を集めれば海賊王になれる」と大きく間違えてしまいます。しゅうへいさんから「全部書き損ねてる」とツッコまれる一幕もありました。
失敗と遠回りこそ学びになる
しゅうへいさんは、言語化は全てをわかりやすく書き出すことだと思っていたので、この考え方で気が楽になったといいます。
ポッドキャストとかもやっぱ配信すると、やっぱ毎回毎回言い足りない部分に気づいて、あーここ言えてなかった、なんでかなって落ち込む。それで良かったんだって思うと。
幸あれこさんによれば、本では挫けることも大事な工程だと書かれていて、学びは失敗ありきだそうです。
幸あれこさんは、学校のテストのための暗記を例に出します。「いい国作ろう鎌倉幕府」のような年号の語呂合わせを言おうとして混乱し、平城京と平安京のどちらが「納豆」だったかも思い出せませんでした。
効率よく年号を覚えるだけの勉強は、学校を終えると何にもならず、大人になって苦しくなる。幸あれこさんは、平城京に思いをはせて写真集を見るような「無駄なこと」のほうが覚えられると本に書かれていると紹介します。
無駄なブラブラ、ブラブラいろいろ徘徊してくださいと。それが勉強なんだと。
しゅうへいさんは「子供に読ませたい」と反応します。幸あれこさんによると、この本は学校に行けず孤立してしまった子供たちに向けて「自学自習さえできれば大丈夫」と伝える本でもあるそうです。
しゅうへいさんは、フリースクールやホームスクールが増えている状況に触れつつ、大人になった今は、SNSでのアウトプットこそ本当の勉強なのかもしれないと話します。
今でもちょっと怖いなと思うのが、やっぱSNS書くと、いやお前ここの部分書かれてないだろとか、ここの情報どうなってんだとか。
ショート動画で全部言えるわけではないし、全部言おうとすると冗長になって何も伝わらない。しゅうへいさんは、この本から発信のヒントももらえそうだと感じたそうです。
結局、ゾンビの質問の答えは?
最後にしゅうへいさんが、冒頭のゾンビの質問への答えを幸あれこさんに尋ねます。幸あれこさんは、まず一人でゾンビを倒すと答えました。
話は「ゾンビを仲間にする」「好物で餌付けする」「3Dプリンターで人肉を作る」と脱線します。最終的に幸あれこさんは、ゾンビを倒すための勉強をまずすると答えを出しました。
吸収率がやばいです。もう必死だから。もうやらなきゃ。やらなきゃ。
幸あれこさんは、リスナーにも「ゾンビか仲間か」をコメントしてほしいと呼びかけます。全部は書けないので、書き損ねてもいいし、ハイライトだけでもいいとのことです。しゅうへいさんも、コメントするときに気が楽になると応じています。
まとめ
『群れから逸れて生きるための自学自習法』は、AIが何でも教えてくれる時代に、自分で考え自分で学ぶ力の価値を説く一冊として紹介されました。孤独を選び、それぞれ勝手に学ぶ人を仲間とし、書き損ねを次の問いにすることが、自学自習の習慣の土台になると考えられます。
- 学ぶとは知識を増やすことではなく、人生の舵を握り直し、群れから離れて自分の立ち位置を確かめること
- 望まない孤立ではなく、自分で選んだ孤独の時間を守るために学ぶ
- 真の勉強仲間とは、誘い合う相手ではなく、それぞれが黙々と学び続けている人
- 言語化は一部を切り取る技術で、書き損ねた部分が自学自習のエンジンになる
- 効率的な暗記よりも、失敗や遠回り、無駄なブラブラこそが学びになる





