なぜ品川は西田幾多郎と京都に憧れたのか
今回から始まる新シリーズで取り上げるのは、ある意味で日本最初の哲学者とも言われる西田幾多郎です。
しながわは、明治から大正・昭和にかけて生きた西田を、西洋の哲学を取り入れた初めの哲学者とも言われる存在だと紹介します。
個人的な思い入れも深く、しながわが京都大学を志したことにも西田がつながっていました。
もともとね、いつか聞こうと思ってたんですよ。なぜ京大なんだと。
東京にも法学や哲学に強い大学がある中で、あえて京都を選んだ理由の一つが西田だったといいます。
そのうちの2、3割の理由は京都、哲学、西田幾多郎、京都みたいなのは普通にありましたね。
意外とでも2、3割なんですね。まだ7割残ってるんですよ、他の理由が。
あと7割は一人暮らししたかったっていうだけです。
京都大学の吉田キャンパスの東側には、疏水沿いに「哲学の道」と呼ばれる散策路があります。
この道の名は、西田を中心とした京都学派の人々が、歩きながら思索したことに由来すると語られます。
禅・純粋経験・鈴木大拙。西田の一般的なイメージ
高校の倫理などで人文系に触れた人には、西田の著書『善の研究』が知られています。
「純粋経験」という言葉や、禅で有名な鈴木大拙との交流も、西田を語るときによく挙げられます。
一般的には、西洋哲学と東洋の禅をうまく融合させた人物というイメージで語られます。
ただし、しながわは「本当にそれだけか」と問いを立て、およそ16回かけて話していくと予告します。
20年越しの西田。知識と経験がそろって語れるように
しながわは、2006年に大学へ入ってすぐ西田の本を買い、読み始めたと振り返ります。
18歳とかそのくらいかな。でも何にもわからないわけですよ、本当に。何言ってるか。
当時は「私と他人は同一である」といった話が理解できず、わからないまま終わったといいます。
その後、直近の4、5年で東洋思想を学び直す中で、西田を改めて読み解けるようになったと話します。
知識だけじゃないんですよ、西田哲学を学ぶためには。
西田哲学を理解するには知識だけでなく経験も必要だと、しながわは強調します。
日常の言葉が特別な意味を帯びる。シリーズの狙い
しながわは、このシリーズを通してタッシーが日常的に哲学的に考えるようになってほしいと語ります。
そのために、西田哲学で鍵となる日常語を挙げていきます。純粋、自由、働く、経験、限定、自覚、矛盾、場所、絶対、行為などです。
これらは今聞いても何とも思わない言葉ですが、シリーズを聞き終えた後には特別な意味を帯びるといいます。
日常の中で、こういう言葉を聞いた瞬間にビクッとして、これ西田だな、この哲学だなっていうのを思い出してほしい。
一方で、西洋哲学の訳語のような難解な用語ではなく、シンプルな日本語が重要になる点をタッシーは面白がります。
一回は聞いたことあるかもしれないですけど、例えば絶対矛盾的自己同一とか。
「絶対矛盾的自己同一」のような難しい言葉も登場しますが、できるだけ一般的な言葉で説明していくとしながわは話します。
哲学者とは何者か。西田を通して伝えたいこと
しながわは、このシリーズで西田の時代背景・人生・思想の3つを伝えると宣言します。
そしてそれを通して、哲学者とはどういう存在なのかをイメージしてほしいと語ります。
近代・現代に近い西田は資料が豊富で、書簡やエピソードから緻密に人物像がわかると説明します。
しながわは自身の解釈として、西田を「世界を直感的にとらえ、それを言葉にしようとし続けた人」だと表現します。
直感的に、世界ってこうなってるんだっていうのをまず感覚として持てる人なんですね。しかもそれが全く僕らの常識とは違う。
西田は、まず言葉にならない理解をした上で、それを頑張って言語化していったといいます。
直感
常識とは違う世界像を、まず感覚としてつかむ
言語化
その理解を、どう言葉にすれば伝わるかを考え論文にする
応答と発展
論文への反応を受け、また考え直して次の論文にする
だからこそ、彼の言っていることの多くは理解できないとしながわは率直に認めます。
正直言うと、彼の言ってることの7割8割はやっぱり理解できないんですよ。9割理解できないかもしれない。
それでも、西田が言葉にしてくれたわずかな部分を手がかりに、少しでも世界像が重なれば嬉しいと語ります。
明治維新から終戦まで。西田が生きた激動の時代
西田幾多郎は1870年(明治3年)に生まれ、1945年6月に76歳で亡くなりました。
終戦の直前まで生き、大政奉還の3年後に生まれた人物という感覚だとしながわは説明します。
もう激動ですね。本当にガラガラポンが起こったのを全部経験しながら。
周囲は激動でしたが、西田自身の歩みは、勉強して大学教授になり退官するというシンプルなものだったといいます。
京都大学を退官する際の挨拶として、次のような言葉が残っています。
自分の人生を回顧すれば、私の生涯は極めて簡単なものである。その前半は黒板を前にして座っていた。そして後半は黒板を後ろにして立っていた。
前半は生徒として黒板の前に座り、後半は教師として黒板を背に立った、という意味だとタッシーは読み解きます。
粋ですね。そんなシンプルに自分の反省を。
ただし人生そのものは決してシンプルではなく、しながわは今回のシリーズを4部構成にすると明かします。第1部「流転」、第2部「当確」、第3部「躍進」、第4部「濁流」です。
流転の始まり。石川の地と西田の家族
西田は加賀の国、現在の石川県かほく市に生まれました。
父・安典、母・土佐の長男で、5人兄弟の真ん中として育ちます。姉が2人、妹の澄、弟の憑次郎がいました。
戸籍上は1870年ではなく1868年生まれとされており、2年さば読みになっていたといいます。
これは、教育熱心な父が、入学年齢に足りない西田の戸籍を書き換えたためだと説明されます。
その結果、京都大学の定年も2年早く、58歳で退官することになったといいます。
父・安典は気性が荒く、教育熱心である一方、西田の結婚生活にも干渉し、離婚を命じたこともあったと語られます。
マジっすか、そこまで。そこまで干渉してくる。
父は事業に失敗して土地を売り、別の女性と暮らすなど、家族には辛い時期もありました。
亡くなる2年前には菩提寺へ、長男や妻・土佐らの焼香を固く禁じる依頼書を送っていたと、伝記に残されています。
怖。最初の「親不孝者である」から、始まりから怖と思ったんですが。
肉親の死も多く、西田が14歳のとき、最も親しかった姉・直をチフスで失っています。弟の憑次郎は日露戦争で亡くなりました。
一方で、母・土佐のことを西田は深く慕っていました。
義理固く、情に厚く、誠実、勤勉、厚く仏を信じる。このお母さんに負うところが多いと思う。
母は浄土真宗の信仰に厚く、西田は幼い頃、蓮如上人の手紙の文言をすらすら読んでみせたというエピソードも残っています。
西田といえば禅宗が有名ですが、最後に効いてくるのは母から受けた浄土真宗の教えだったのではないか、としながわは印象を語ります。
まとめ
第1話は、日本最初の哲学者とも言われる西田幾多郎の時代背景と生い立ちを軸に、シリーズ全体の切り口を提示する回でした。激動の時代を生き抜いた西田の「流転」の始まりが描かれます。
- 西田幾多郎は明治維新から終戦までの激動の時代を生き抜いた、日本を代表する哲学者。
- シリーズは時代背景・人生・思想の3つを軸に、4部構成(流転・当確・躍進・濁流)で語られる。
- 純粋・自由・場所・自覚などの日常語が、西田哲学では特別な意味を帯びる鍵となる。
- しながわは西田を「常識と違う世界像を直感し、それを言葉にし続けた人」と解釈している。
- 気性の荒い父と信仰深い母のもと、肉親の死も経験した生い立ちが「流転」の始まりとして描かれる。
