アダム・スミスの「道徳論」が面白い──小学校の道徳の授業への違和感から始まる、大人のための倫理学入門
日本一たのしい哲学ラジオのしながわさんとタッシーさんが、新シリーズ「アダム・スミス編」の第1話として、「大人のための道徳」をテーマに語りました。アダム・スミス1723〜1790年。スコットランドの哲学者・経済学者。『国富論』で「経済学の父」と呼ばれるが、その前に倫理学の著作『道徳感情論』を出版している。といえば経済学のイメージが強いものの、実は彼の本業は「道徳の先生」だった──そんな意外な切り口から、小学校時代の道徳の授業への違和感、そして現代社会でモラルを考えることの意義まで話が広がった回です。その内容をまとめます。
新シリーズは「大人のための道徳の授業」
新シリーズのテーマは「大人のための道徳の授業」。アダム・スミス編と銘打たれていますが、メインは経済学ではなく、彼が考えた道徳論にフォーカスするとのことです。
アダム・スミスといえば『国富論』1776年刊。正式名称は『諸国民の富の性質と原因の研究』。自由市場や分業の重要性を論じ、近代経済学の出発点とされる。で知られる「経済学の父」。しかし実は、『国富論』を書く前に『道徳感情論』1759年刊。人間の道徳的判断の仕組みを「共感(sympathy)」の概念を軸に論じたアダム・スミスの主著の一つ。当時のベストセラーとなった。というベストセラーを出していた人物です。しながわさんは「彼は元々、道徳の先生なんですよね」と強調します。
普通はやっぱり国富論とか経済の話じゃないですか。なんですけど、彼はやっぱり元々は倫理学の人なんですよね
今回のシリーズでは、およそ10回にわたってアダム・スミスの道徳論を中心に取り上げ、「いかに生きるべきか」という倫理学のど真ん中のテーマに迫っていくとのことです。経済学の話はごく簡単に触れる程度にとどめるそうです。
アダム・スミスの道徳論という「ブラインドスポット」
しながわさんがこのテーマを選んだ理由は、アダム・スミスの道徳論が「ものすごいブラインドスポット(見逃されがちな領域)」だと感じたからだそうです。
なぜ見逃されるのか。それは、経済学の文脈でも哲学の文脈でも、どちらからもフォーカスされにくい位置にあるからです。
アダム・スミス=『国富論』の人。道徳論は優先順位が下がる
「経済の人」として扱われ、道徳論が詳しく論じられることが少ない
経済学を学ぶ人にとってスミスは『国富論』の著者であり、道徳論まで深掘りされることは稀です。一方、哲学史を学ぶ人にとっても、スミスは「経済の人」として出てくる程度で、彼の道徳思想が詳しく扱われることはあまりない。結果として、どちらの学問領域からも「ちょうど中間」に落ちてしまい、注目を浴びにくいのだとしながわさんは指摘します。
しかし実際に調べてみると、これが「めちゃめちゃ面白い」のだそうです。しながわさんは自著『資本主義と、生きていく。』しながわさんの著書。正式タイトルは『資本主義と、生きていく。 歴史と思想で解き明かす「構造的しんどさ」』(大和書房)。資本主義の歴史と思想を解説している。の執筆中にスミスの道徳論に出会い、「本に入れたかったがテーマからずれてしまう」と感じつつも、その面白さに興奮したと語っています。
カントの倫理学との違い
もう一つの推しポイントは、スミスの道徳論が非常にわかりやすいということ。番組でも以前取り上げたカントイマヌエル・カント(1724〜1804年)。ドイツの哲学者。『純粋理性批判』『実践理性批判』などで知られ、「理性」を軸にした倫理学(義務論)を展開した。の倫理学は、形而上学的な議論が多く、「理性が自分の感覚に対して命令を下す」といった抽象的な話になりがちです。
一方、スミスは人間や動物をとにかく観察することから出発する。「人間ってこういうもんですよね」「動物はこうするけど人間はこっちですよね」と、現実離れした前提を持ち出さずに論を展開してくれるため、肌感覚で納得しやすいのだとしながわさんは説明します。
人生の指針になるから哲学やってますっていうわけでは全然ないんですが、これは結構役に立っちゃうみたいな感じですね
小学校の道徳の授業への強烈な違和感
話題はここで、二人の小学校時代の道徳の授業の思い出へ。地域や世代で経験が大きく異なるようで、興味深い対比が生まれました。
しながわさん(東京)の場合は、NHKの教育番組(がんこちゃんNHK Eテレで1996年から放送されている人形劇『ざわざわ森のがんこちゃん』。小学校低学年向けの道徳番組として知られる。など)を授業中に視聴し、感想を書くスタイルだったそうです。教科書では「こういう場面で、あなたならどうしますか?」という問いが出され、それに答えるという形式。しかし、問いの後にはちゃんと「正解」のようなページが用意されていて、答えありきで聞かれている感じにずっと違和感を抱いていたと振り返ります。
一方、タッシーさん(高知)の道徳の授業はさらに強烈な体験だったようです。担任の先生が特定の方向に答えを誘導し、それに異を唱えたところ、「なぜ田島君(タッシーさんの本名)はこう答えたのか、みんなで考えよう」と、クラス全体で「矯正」されるような展開になったのだとか。
田島君もきっとこうだよねって、こっちだよねっていう風にならないと終わらない、授業がみたいな。だから正直トラウマなんです
「思想統制みたいだった」と表現するタッシーさん。それ以降は、先生が求める答えを書いてやり過ごすようになったそうです。二人とも方向性は同じ──道徳の授業に「押し付け」の違和感を感じていたという共通点がありました。
現在の道徳教育の4つの柱
しながわさんは現在の道徳教育についても調べたそうです。教育基本法日本の教育の根本理念を定めた法律。2006年に改正され、「道徳心を培う」ことが明記された。には「道徳心を培う」と明記されており、小中学校の道徳教育は年間35単位時間が設けられています。内容は大きく4つの柱に分かれているとのことです。
しながわさんが当時最も違和感を覚えたのは2つ目の「他の人との関わり」のカテゴリ。思いやりや感謝といったものを「押し付けられている」感覚が強かったそうです。ただし、だからといって道徳教育そのものを否定したいわけではなく、むしろ道徳について「自分の頭で考える」ことの大切さを取り戻したいのだと語ります。
現代社会とモラルの問題
話は現代社会のモラル問題へと展開します。しながわさんは、「道徳」という言葉だと古臭く聞こえるかもしれないが、「モラル」と言い換えると身近な問題だと感じられるのではないか、と問いかけます。
具体例として挙がったのは、フジテレビの問題、プルデンシャル生命の件といった企業のコンプライアンス問題から、学生が奨学金を資産運用に回すモラルハザード元は保険用語で、リスクが他者に転嫁される状況で当事者の行動が変化すること。転じて、倫理的に問題のある行為を指す広い意味でも使われる。的な行為、さらにはスーパーのポイントカードを家族に貸すといった日常の小さな場面まで。
これらはすべて、「やろうと思えばできちゃうことを、本当にあなたやりますか?」というモラルの問いに行き着くとしながわさんは指摘します。違法かどうかのラインではなく、法には触れないけれど倫理的にどうなのか──そういう判断を迫られる場面は、日常に溢れているわけです。
昔からああいうことはあらゆるところで起きてたと思うんですよ。だからモラルって何なの?ってのは、僕の持論なんです
タッシーさんも、モラルの逸脱は昔からあったはずだと応じます。ただ、だからこそ「世の中そういうもん」で片付けず、自分の中に判断の軸を持つことが大事なのではないか──そういう方向に議論は収束していきます。
アダム・スミスを「インストール」するということ
しながわさんが最後に伝えたかったのは、アダム・スミスの道徳論を「アプリケーション」のように自分の中にインストールしてほしい、ということでした。
カントの普遍的な倫理観は崇高ですが、ポイントカードの貸し借りのような「超卑近な話」に適用するのは難しい。一方でスミスの道徳論は、観察に基づいた現実的なアプローチであるため、日常の判断にも使いやすい「便利なツール」になりうると感じたそうです。
特に経営者や政治家のように権力やお金を持つ人がスミスの道徳論を理解していれば、「やろうと思えばできてしまうこと」に対する制御が効くのではないか。しかしこれは権力者に限った話ではなく、すべての人にとって「自分の判断軸」を持つための有用なフレームワークになりうる──そう語り、次回以降のシリーズへの期待を高めて第1話は締めくくられました。
まとめ
今回はアダム・スミス編の導入として、「なぜ今、道徳について考えるのか」という問いが提示されました。小学校の道徳の授業で感じた「答えありきの押し付け」への違和感、経済学と哲学の両方から見逃されがちなスミスの道徳論の存在、そして現代社会に溢れるモラルの問題。これらの点と点をつなぎながら、「自分の頭で考える道徳」の重要性がしながわさんから語られた回でした。
次回からは、いよいよアダム・スミスの人物像と『道徳感情論』の中身に迫っていくとのこと。カントとは異なる、観察ベースの「使える倫理学」がどんなものなのか、楽しみに待ちたいところです。
- 新シリーズ「アダム・スミス編」のテーマは「大人のための道徳」。経済学ではなく、スミスの道徳論にフォーカスする
- スミスの道徳論は、経済学からも哲学からも見逃されがちな「ブラインドスポット」に位置する
- カントの倫理学が形而上学的で抽象的なのに対し、スミスは人間の観察から出発する現実的なアプローチで、日常の判断に使いやすい
- 小学校の道徳の授業に対する「答えありきの押し付け」への違和感を、二人とも共有していた
- 現代社会ではモラルが問われる場面が多く、「やろうと思えばできることを、本当にやるのか?」を自分に問いかけるための軸が必要
- スミスの道徳論は、そうした判断の軸として「インストール」できる実用的なツールになりうる

