褒められたらうれしいし、悪口を言われたら悲しい──このシンプルな法則が社会を前進させる理由
日本一たのしい哲学ラジオのしながわさんとタッシーさんが、アダム・スミス18世紀スコットランドの哲学者・経済学者。『国富論』と『道徳感情論』の著者として知られ、「経済学の父」と呼ばれます。編の第7話として「称賛と非難」をテーマに語りました。人が褒められたい・責められたくないという素朴な感情が、なぜ社会の秩序や進歩の原動力になるのか──スミスの道徳理論の核心に迫る回です。その内容をまとめます。
公平な観察者は「経験の積み重ね」でできていく
前回のエピソードでは、人の心のなかにいる「胸中の公平な観察者スミスが『道徳感情論』で提唱した概念。自分の行為を第三者の目で判断する心の中の裁判官のような存在を指します。」という概念が紹介されました。タッシーさんから「その観察者は本当に公平なのか? 人によっては偏った観察者になるのでは?」という問いが投げかけられ、今回はその補足から始まります。
しながわさんによると、スミスの考える公平な観察者は、その人の人格的な善さや理性の高さとはあまり関係がないそうです。むしろ、日々の社会経験のなかで「こうすると人に褒められて嬉しかった」「こういうことをしたら批判されて悲しかった」という体験が積み重なり、徐々に形成されていくものだといいます。
この構造は『国富論』1776年に出版されたスミスの主著。正式名称は『諸国民の富の性質と原因の研究』。市場経済の仕組みを体系的に論じた経済学の古典です。で語られた「市場が人の道徳を統治する」という話と同じロジックです。市場で儲けたいから信用を守る、それと同じように、褒められたいから良い行いをする。出発点はどちらも「その人自身の感情」であって、「こうあるべき」という外からの説教ではありません。
スミスは一個も弁論を言ってないんですよ。カントは弁論しか言ってないですけど
しながわさんが「学校の道徳の授業は嫌いだったけど、スミスの道徳論は面白い」と語る理由はここにあります。説教臭くないからこそ共感しやすい──それがスミスの道徳理論の大きな特徴です。
称賛と非難──動機と結果の両方を見る
第7話のメインキーワードは「称賛」と「非難」です。スミスによると、人がある行為を称賛したり非難したりするとき、行為の動機と行為の結果の両方に着目しているといいます。
たとえば、弟が兄を殴った場面を目撃したとします。まず弟の立場に立って動機を考える。「兄にちょっかいを出されて怒ったんだな、まあしょうがないか」と思えれば是認。一方で殴られた兄の立場に立ち、兄が「しょうがないな」程度であればまだ許容範囲ですが、激しく憤慨していれば「やっぱりやりすぎだったかな」と非難に傾く──というわけです。
タッシーさんはこの話を聞いて「法律の刑法の話と構造が同じですね」と即座に反応しました。しながわさんも「まさにそう。行為無価値・結果無価値刑法学の用語。犯罪の本質を「行為の悪さ(動機・態様)」に求めるのが行為無価値論、「結果の悪さ(法益侵害)」に求めるのが結果無価値論。現代の刑法理論ではこの両面が議論されます。の議論とめちゃめちゃ似てますよね」と応じています。
偶然が評価を左右する現実
理屈のうえでは動機と結果の両方を見るべきですが、現実はそう単純ではありません。スミスは「称賛と非難は偶然によって左右されがちだ」と指摘します。
スミスが挙げる2つのケースが紹介されました。
良い意図で行動したのに、偶然によって悪い結果が出てしまう場合。例:先輩が善意で後輩のプレゼンを指導したが、結果は大敗。先輩は非難される。
行為者に特段の意図がなかったのに、有益または有害な結果が出てしまう場合。例:中身を知らない伝令が勝利の知らせを届け、リーダーに感謝される。
タッシーさんは「年金の運用」という現代的な例を挙げました。国が国民のために年金を投資運用しているのに、利回りがマイナスになった瞬間「俺たちの年金を返せ」と非難される。国の動機(国民の資産を増やしたい)には一切触れず、結果だけで叩かれてしまうのはまさにこのケースです。
モチベーション、その動機とか一切触れずに、「俺らの年金を返せ」っていうだけになっちゃう。短絡的な
人間はどうしても結果に引きずられやすい。しかしスミスは、この「偶然に左右される不規則性」を単に嘆くのではなく、むしろ社会にとって大きな意味があると論じます。
非難されたくない気持ちが社会を良くする
ここがスミスの道徳理論のクライマックスです。しながわさんの解説をまとめると、ロジックは次のようになります。
前提
人は称賛されたいし、非難されたくない
偶然の不規則性
善意で行動しても、偶然によって悪い結果が出れば非難される可能性がある
自助努力の動機
だからこそ人は「偶然の失敗」を減らすために調査・分析・学習を重ねる
社会全体の向上
個々人の努力の総和が、結果として社会をより良くしていく
年金の例でいえば、非難を避けたい国は過去の投資レポートを徹底的に分析し、リターンが見込める先に投資しようと努力します。プレゼン指導の先輩も、次は非難されないように情報を調べ尽くしてからアドバイスするでしょう。こうした「非難されたくない」「褒められたい」という素朴な感情こそが、一人ひとりの行動の質を高め、社会全体を前進させるエンジンになる──スミスはそう考えたわけです。
道徳にも「見えざる手」が働いている
この構造は、まさに『国富論』の「見えざる手スミスが使った有名な比喩表現。個人が自分の利益を追求することが、意図せずして社会全体の利益を促進するという市場メカニズムを表す言葉です。実は『道徳感情論』にも登場します。」と同じです。『国富論』では「儲けたい・稼ぎたいという個人の欲求が、見えざる手によって社会全体を豊かにする」と論じられました。『道徳感情論』1759年に出版されたスミスの最初の主著。人間の道徳判断の基盤を「共感(sympathy)」に求め、社会秩序がどのように形成されるかを分析した倫理学の古典です。でも同じ論理が展開されています。
出発点:儲けたい・稼ぎたい
行動:信用を守り、顧客を満足させる
結果:社会全体が豊かになる
出発点:褒められたい・責められたくない
行動:偶然の失敗を減らすために努力する
結果:社会の道徳・秩序が向上する
しながわさんはこの並行構造こそ、スミスの思想全体を貫く核心だと語ります。18世紀の啓蒙思想17〜18世紀のヨーロッパで広まった知的運動。理性と経験に基づいて社会制度や慣習を批判的に検討し、人間の進歩を信じる思想的潮流です。の時代には、スミスだけでなくヘーゲル19世紀初頭のドイツ観念論哲学者。弁証法的な歴史観で知られ、「理性の狡知(こうち)」という概念で、個人の行動が意図せず歴史全体の合理性を実現するという考えを展開しました。の「理性の狡知」やカントの「自然の隠れた計画」など、「個々人が自分のために行動していると、超越的な力によって社会全体がなんとなくいい方向に進む」という感覚を多くの思想家が共有していたそうです。
スミスの道徳論が宗教でも武士道でもなく、人間の素朴な感情を観察し積み上げることで社会秩序の全体像を描き出しているところ──それこそが、このシリーズで最も伝えたかったポイントだとしながわさんは締めくくりました。
まとめ
第7話では、スミスの「称賛と非難」の理論を通じて、道徳がどのように社会の秩序を生み出すかが語られました。公平な観察者は生まれつきのものではなく経験で育つこと、人は動機と結果の両方を見て判断すること、そして偶然に翻弄されるからこそ人は努力し、その総体が社会を前進させること──「べき論」ではない、人間の感情から出発する道徳論の面白さが凝縮された回でした。次回はさらに道徳感情論の考察が続き、国富論との接続も見えてくるとのことです。
- 「胸中の公平な観察者」は人格の善し悪しではなく、褒められた・叱られたという日常経験の積み重ねで形成される
- 人が行為を称賛・非難するとき、行為者の「動機」と受け手の「結果」の両方に着目している(カントの動機一元論とは対照的)
- 偶然によって評価が左右されるからこそ、人は失敗を減らすために努力する。この自助努力の連鎖が社会全体を向上させる
- 経済における「見えざる手」と同じロジックが、道徳の領域にも働いている。スミスの思想は『国富論』と『道徳感情論』で一貫している
- スミスの道徳論は「こうあるべき」という説教ではなく、人間の素朴な感情の観察から社会秩序を説明する点にユニークさがある

