ソーシャルゲームの成功は、なぜ「失敗」なのか?
前回、Facebookの2012年のIPOまでを語り終えた二人は、この回でFacebookが「ゲームプラットフォーム」だった時代に話を戻します。尾原さんは、トントン拍子に見えるFacebookの歴史の中にも、大きなつまずきがあったと切り出します。
けんすうさんがまず思い出したのは、ジンガ ── Zynga。2007年創業のアメリカのソーシャルゲーム会社。Facebook上のゲームで急成長し、一時はソーシャルゲームの代名詞的な存在でしたなどのゲーム会社が盛り上がっていた頃の空気です。
ジンガとかが、マフィア・ウォーズとかファームヴィルとか、いわゆる日本におけるDeNAさんの怪盗ロワイヤルの原形になったゲームだったりとか。
尾原さんによれば、メルカリ創業者の山田進太郎さんも、1回目のイグジットはジンガへのゲームの売却でした。けんすうさんは、山田さんがミクシィ上で「まちつく」というサービスを手がけていたことに触れています。
日本ではソーシャルゲームが一時代の産業になりました。ところが尾原さんは、Facebookにとってのソーシャルゲームは「大失敗」であり、今回はそこからの大逆転の話だと語ります。
あれ、失敗って感じなんですか?
正確に言うと、成功をすることが本当に大戦略の観点から考えた時に、失敗になってしまうケースもあるんだよってことなんですね。
ゲームでの成功が、より大きな戦略の視点では失敗になりうる。この問いが、エピソード全体を貫く軸になります。
Facebook IDとAPI解放が生んだゲームブーム
尾原さんは時計の針を、上場した2012年から2008年ごろまで戻します。Facebookが上場前に打った「負けないための戦略」として、これまで語っていなかったのがFacebook IDでした。
今では他のサイトにFacebookやGoogleのIDでログインするのは当たり前ですが、当時は当たり前ではありませんでした。尾原さんは、ユーザーが1億人を超え、大学限定ではなく誰でも登録できるサービスになったFacebookが、2007年に行ったAPI ── アプリケーション・プログラミング・インターフェース。あるサービスの機能やデータを、外部の開発者が自分のサービスから呼び出せるようにする仕組みです解放とFacebook IDによるログインを、負けないための中心戦略だったと説明します。
けんすうさんの記憶では、当時のFacebookのAPI解放は、今で言うソーシャルログインというより、その数年前から続いていたAPIブームの延長として受け止められていたといいます。
なんかAPIブームが多分その3年ぐらい前からあって、マッシュアップとか言われてたのがあって、その延長っていうイメージですね。
尾原さんも同意し、2006年ごろにWeb 2.0 ── 2000年代半ばに広まった言葉で、ユーザーが情報を発信し、サービス同士がつながる参加型のウェブのあり方を指しますという言葉が席巻した流れを補います。誰でも発信できる時代になり、ユーザーのコンテンツを取り込む動きと並んで、API解放が大きな潮流になっていました。
尾原さんが挙げる具体例は2つです。Facebookの友達関係を参照すれば、ゲームを競い合ったり写真を共有したりできます。乗り換え案内の結果をAPIで提供すれば、ブログでレストランを紹介するときに最寄り駅からの行き方を添えられます。
こうした部品を組み合わせて独自のサービスを作る動きがマッシュアップ ── 複数のサービスのAPIやデータを組み合わせて、新しいサービスを作る手法。Web 2.0の時代に盛んに語られましたです。この流れの中で、Facebook上のゲームが一気に伸びていきました。
上の数字のとおり、ジンガは2012年に最大1,300億円規模まで伸び、Facebookも課金の30%を手数料として受け取ることで、売上の10%ほどをゲームで稼ぐようになりました。尾原さんは、ビジネスとしては「一見すると大成功」だったと表現します。
なぜゲームがここまでうまくいったのかという問いに、けんすうさんはLINEでも見られたバイラルの強さを挙げます。尾原さんも、友達を巻き込むほどゲームを長く続けられる仕組みや、友達との順位を競うランキングが効いていたと説明します。
いわゆる今のモバイルゲームってソシャゲって呼ばれるのって、このFacebookが一番初めと作ったソーシャルゲームから来てんですね。
けんすうさんは、LINEのツムツムを想像すると、その走りがFacebookのゲームだったとわかりやすいと補足しています。ところが尾原さんは、Facebookはこのゲーム路線を結局やめてしまうと続けます。
「戦略的ミスアライメント」とは何か?
ゲーム路線をやめた理由を説明するために、尾原さんは2つの概念を持ち出します。プラットフォーム・スティッキネスと、ストラテジック・ミスアライメント ── 戦略的なズレ。最も重要な基盤にリソースを投じるべき場面で、それとは別の方向へ力が向いてしまう状態を指しますです。書き起こしでは「ミサライメント」と聞こえますが、英語のmisalignment(ズレ)を指しています。
スティッキネスについて、けんすうさんは「粘着性」の意味で、サービスにハマってもらう文脈で使う言葉だと説明します。ソーシャルゲームは、友達へのギフトで続きが遊べる、友達を呼べば積み上げたゲーム資産を守れる、といった仕掛けでスティッキネスを高めていました。
Facebookにとってはユーザーの滞在時間が伸び、ジンガにとっては友達関係のOSであるFacebookから人を次々に誘えて垂直立ち上げができる。当初はWin-Winの関係でした。
しかし、2007年にAPIを公開し、2008年ごろからゲームが盛り上がった裏で、もう1つのプラットフォーム変革が起きていました。
分かった、iPhone。
(一番大事な基盤ではなく、別のところに)ズレちゃうことが起こることが、ストラテジック・ミスアライメントっていうんですよ。
尾原さんの説明では、ゲームの成功は経営的には万全に見えました。広告一本だった収益にゲームの30%が加わり、ユーザーはゲームのためにFacebookを頻繁にチェックし、ついでに友達の投稿も見る。一見すると相乗効果です。
ところがモバイルの時代に入ると、このズレが表面化します。ソーシャルのOSになりたかった当時のFacebookはHTML5 ── ウェブページを記述する言語HTMLの第5版。ブラウザ上でアプリのような動きを実現できるとして期待されましたに注力しましたが、当時のスマホは性能が低く、最初からアプリとして作ったゲームのほうが快適でした。
PCでのゲーム成功
ジンガがPCで1,000億規模の売上を持ち、Facebookも手数料で潤う
HTML5への注力
FacebookはスマホでもHTML5で対応できると考える
ネイティブゲームの台頭
パズドラやキャンディークラッシュなどスマホ特化のゲームがヒット
二重苦
Facebook自体が重く、その上のゲームも操作性が悪い
上場時の非難
モバイル広告の収益もモバイルのゲーム売上もないと指摘される
図のように、ジンガはPCですでに1,000億規模の売上を持っていたため、スマホネイティブに投資できませんでした。Facebookもプラットフォームとして重く、その上に乗るゲームはさらに操作性が悪いという二重苦に陥ります。
2012年上場してみたら、「あれ、あなたたちモバイル広告の収益ないんすか?」みたいな話とか(で非難轟々)。
けんすうさんも、モバイル対応の遅れが響いたと受け止めています。
通知地獄が生んだ逆回転
尾原さんによれば、ズレはさらに逆回転を起こします。PCでの売上が頭打ちになったジンガなどは、スティッキネスを上げるために「友達が動いた」といったノーティフィケーション ── 通知のこと。当時のFacebookでは画面右上のマークに、新しい出来事が届いたことが表示されましたを大量に出し始めました。
Facebookから見ると、肝心の友達の投稿よりゲームの通知のほうが多い状態になります。尾原さんは、それまでWin-Winだった関係が、ここでズレ始めたと語ります。
これ、まあね、LINEとかでも起きましたよね。なんかツムツムの通知がうざいみたいな話とかと近いですよね。
Facebookは2010年5月時点でこうしたスパム的な通知を禁止しました。尾原さんによると、通知に依存していたファームヴィルは、わずか1ヶ月で月間アクティブユーザーが半減し、440万人のユーザーを失ったといいます。けんすうさんは、通知に出てこないと見ない人は多そうだと応じています。
ザッカーバーグの「戦争モード」はどう発動したか
ここから先を、尾原さんは経営者としてのマーク・ザッカーバーグの「進化」と表現します。今の言葉で言えばファウンダーズ・モード ── 創業者自身が細部まで深く関与し、強いリーダーシップで組織を動かす経営スタイル。変化の局面で必要だとして近年話題になりましたの発動です。
けんすうさんは、ファウンダーズ・モードを「創業者がリーダーシップをガッチリと握ってやる」ことだと整理します。尾原さんによれば、当時のザッカーバーグの言葉はもっと強く、「War Mode(戦争モード)」だったといいます。
もう今ままで俺たちゲームとかにフォーカスしてたし、HTML5とか言うてたけど、もうそんなのやってる場合じゃねえんだと。
全部俺がモバイル特化するために全部決めて、俺の承諾なしのいうもの以外の開発全部止めろ。っていうことを始めるんですね。
尾原さんは、戦争モードの第1弾のきっかけはゲームではなく、2011年にGoogleが始めたGoogle+ ── Googleが2011年に開始したSNS。Facebookの対抗馬として注目されましたが、2019年に一般向けサービスを終了しましただったと補足します。危機感を覚えたザッカーバーグは「ロックダウン」と称して一番大きな会議室に立てこもり、赤ランプを付けて、Googleに勝つためにやり切ると宣言しました。
その後、ゲームに注力していたことでモバイル対応が遅れたため、全社員のトップページに「これからモバイルのことだけ考えるんだ」と表示するほど、会社全体をモバイルへ向けたといいます。
具体的には、ゲームにかけていたリソースはすべてストップし、ひたすらモバイルのネイティブアプリを使いやすくすることに集中しました。モバイルのSNSではメッセンジャーが重要になるとして、しばらく放置していたメッセンジャーも徹底的に磨き込みます。
ゲームを載せることによるUX低下と、モバイル対応への遅れがFacebookにとってすごく大きな失敗とつまづきで、ここらを全部整理してモバイルを超使いやすくするぞっていうのに振り切ったっていう感じなんですかね?
尾原さんは、ジンガの窓口を担当していたFacebook社員は「涙目」だったはずだと語ります。ソーシャルのOSを目指してHTML5などに投じていた技術投資も、すべて止められました。今ある成果を止めてでもコアに集中するという決断の重さが、この転換の本質だと考えられます。
モバイル広告0%から65%へ、そしてInstagram買収へ
尾原さんがこの話を「えぐい」と言うのは、その後の数字の変化です。iPhoneの登場から4年が経った2011年の時点で、Facebookのモバイル広告の売上はゼロでした。
2011年: モバイル広告の売上はゼロ
2012年に全体の11%、2014年には65%まで拡大
この変化について、尾原さんは「これがファウンダーズ・モード」と一言でまとめています。ゲームという目先の成功を手放し、モバイルという一番大事な基盤に全リソースを振り向けたことが、わずか数年での逆転につながったという整理です。
次回の予告として尾原さんは、モバイルでSNSの覇者になったように見えるFacebookの前に、さまざまなライバルが現れると語ります。次は買収編として、従業員13名、売上0円のInstagramを1,000億円で買収した話を取り上げる予定です。
まとめ
Facebookはジンガなどのソーシャルゲームで大きな収益を得ましたが、その成功はモバイルという本当に重要な基盤からの「戦略的なズレ」を生みました。ザッカーバーグは戦争モードでゲームやHTML5への投資を止め、モバイルのネイティブアプリとメッセンジャーに集中することで、数年でモバイル広告を主力事業に変えています。
- API解放とFacebook IDを背景に、ジンガのゲームは最大1,300億円規模に成長し、Facebookの売上の10%ほどをゲーム課金が占めた
- 一方でHTML5への注力とPC前提の構造が、スマホネイティブゲームの台頭の中で二重苦を招いた
- ゲームの過剰な通知は友達の投稿を埋もれさせ、Win-Winだった関係をズレさせた
- ザッカーバーグは戦争モードで開発を止め、モバイルとメッセンジャーに全力を注いだ
- モバイル広告の割合は2011年のゼロから、2014年には65%まで拡大した


