2歳でビデオを操作した天才児の幼少期
サム・アルトマンは1985年生まれで、マーク・ザッカーバーグと1歳違いの40歳、ミレニアル世代にあたります。
両親は「サムは普通の子どもじゃなかった」と語っていて、いくつもの天才エピソードが残っているそうです。
2歳のときには自分でビデオテープをデッキに入れ、見たい作品を選んで再生していたといいます。
これは人生2周目の、推しの子みたいな状態なんじゃない?
3歳のころには、親が電話しようとすると「電話する前にどの番号をダイヤルすればいいの?」と質問してきたそうです。つまり市外局番の概念を理解していたことになります。
さらに親は「彼を10歳でニューヨーク市に放り込んだとしても、都市の仕組みを完全に理解できたはずだ」とまで語っています。
東京で言ったら新宿駅みたいなもんだよね。新宿駅に10歳のサム・アルトマンを置いてきても、構造を完全に理解してるんだと。
勝利への執着とプログラミングへの早熟
サム・アルトマンといえば、競争心の強さと勝利への執着で知られています。
YCombinator創業者のポール・グレアムは、デザインについてはジョブズならどうするか、戦略や野心についてはサムならどうするかと考える、と語ったほどです。
兄弟とボードゲームやカードゲームをするときも「僕が勝つんだ」「全て僕が仕切るんだ」と言っていたそうです。
もう生まれながらにして王の器なんでしょ。勝利への執念と王への執着がすごいんですよ、支配欲が。
テックに触れるのも早く、8歳の誕生日にMacを買ってもらい、独学でBASICというプログラミング言語を学んで小学生のうちからコードを書いていました。
BASICの単純さに飽きたサムは「いつかコンピューターが自分で考えるようになる」「コードを一行ずつ書く必要はなくなる」と考えていたといいます。すでにAIに近い発想をしていたことになります。
14歳のころにはC++にも取り組み、学校の先生とAIについてディスカッションしていたと言われています。
大学で決めた「AI・エネルギー・教育」というテーマ
頭の良さからハーバードとスタンフォードの両方に合格し、スタンフォード大学に進学しました。
大学生になると、自分が本当に何をしたいのかを決めようと、人生を賭けるテーマのリストを書いたそうです。
そのリストは上から順に「AI、原子力エネルギー、教育」でした。本の中でこのシーンは複数回登場し、毎回少しずつ変わりますが、一番はいつもAIだったといいます。
同じようにイーロン・マスクも「インターネット、持続可能なエネルギー、宇宙産業、人工知能、遺伝子」といったテーマを掲げていて、サムも同じように未来を見ていたと語られています。
テーマを定めたサムは、後にGoogle Brainを設立するAI研究者アンドリュー・ヤンのもとで自律型ヘリコプターの研究に参加し、位置情報やGPSの仕組みにのめり込んでいきます。
そして2005年ごろ、携帯電話にGPS機能がつくタイミングで、この新機能を中心にサービスを作るのはクールだと考えます。
大学の同級生とブレストを重ね、Google Mapのような案は難しすぎると撤退し、最終的に友達と位置情報を共有するSNSというアイデアにたどり着きました。
これは以前この番組で取り上げたZenlyの原型のような発想でもあります。技術という入り口からアイデアを考える、ソリューションからの発想を若いころから行っていた点が特徴的です。
最初の起業Looptと、ポール・グレアムの一目惚れ
この位置情報SNSのアイデアで、19歳のサムは最初の起業に踏み出します。
このタイミングで、後に世界一のアクセラレーターとなるYCombinatorの第1回プログラムに応募し、面接に招待されました。
面接でポール・グレアムはサムに一目惚れし、伝説のエピソードが生まれます。彼に会って3分もしないうちに「ビル・ゲイツが19歳の頃はこんな感じだったに違いない」と感想を述べたのです。
当時一緒に働いていたメンバーも、サムには超然的な自信があり、現実歪曲フィールドを持っていたと評価しています。
こうしてサムはYCから最初の創業資金を獲得し、後にLooptと名付けられるスタートアップが始まりました。
同期の多くはプログラミングに没頭するオタク気質でしたが、サムは誰よりもビジネス思考と成功思考が強く、生き急いでいたように見えたといいます。
実際に猛烈に働き、一人で12時間ぶっ通しでコーディングし、ラーメンばかり食べて壊血病になるほどだったそうです。
19歳のビズデブ力|スプリントとの提携
サムのビジネス能力がわかる話があります。スマホ以前の時代、位置情報SNSを作るには通信会社と提携してAPIを開放してもらう必要がありました。
そこで業界3位のスプリントのCTOに売り込みに行きます。19歳で小柄なサムは12歳ほどに見え、CTOは思わず「創業者はどこだ」と聞いてしまったそうです。
ところがサムが「これはモバイル版のFacebookだ、ただしひとひねりある」と話し始めると、CTOはどんどん釘付けになり、試そうという流れになりました。
19歳で何の経験もない、起業したばかり、アイデアしかない状態のはずなのに、そのアイデアの売り込みだけでスプリントを即決させてしまった。とんでもない売り込み力じゃない。
さらにスプリントのサブブランドであるブーストとの提携を進めようとすると、すでに他社と契約寸前だと言われてしまいます。
しかしブーストが欲しがっていた「近くに友達がいるときに通知する機能」を競合は提供できていませんでした。そこでLooptのチームは徹夜でその機能を作り、飛行機に乗ってアポなしでオフィスを訪れ、10分だけ時間をくれと突撃します。
会議室に通されたサムはあぐらをかいて座り、ブーストの社員を説得し始めます。会議が終わるころには相手は説得され、上司に方針を変えるべきだと説明し、契約を勝ち取りました。
サムはこの取引から、物事を成し遂げる方法はひたすら粘り強くやることだと学んだといいます。NVIDIAのジェンセン・ファンがマイクロソフトとの提携を粘って勝ち取った話にも通じる姿勢です。
この契約により、Looptはブーストの携帯電話にアプリを事前インストールしてもらえることになり、テレビ広告も打ってもらえたため、3か月以内に10万人以上のユーザーを獲得しました。
19歳で社会人経験、ビジネス経験なしでビズデブを始める。とんでもない結果を出してくる。
iPhone時代とジョブズの「weak」から「クール」へ
その後、プライバシー懸念からユーザーが位置情報をオフにしがちで離脱率が高く、スプリント系列としか提携できず、PMFには程遠い状況になっていました。
さらに当時は多種のデバイスと7種類の通信キャリアに対応する必要があり、非常に難しい事業でした。そんな2007年ごろにiPhoneが発表されます。
あるメンバーがiPhoneアプリを作ろうと提案し、サムも開発を始めます。同時にAppleと提携する方法を模索し始めました。
投資元のセコイア・キャピタルはかつてAppleに投資しており、そのつながりを頼りにジョブズに紹介してもらいます。ジョブズはSNSを嫌っていたため、あくまでサム個人の魅力で売り込む作戦でした。
ジョブズは「Looptを見てみるよ」と返しましたが、数週間経っても返事がなく、催促すると「It was weak(出来が悪い、弱い)」とだけ言われて一蹴されてしまいます。
一方でAppleの若いチームメンバーはLooptを気に入っていて、iPhoneのSDKで何ができるか相談に来てほしいと誘い、AppleのWWDCに登壇する機会をもらえることになりました。
ただし登壇にはジョブズの許可が必要で、今度は直接売り込むことになります。緊張で口が乾くほどでしたが、徹底的に練習したプレゼンを披露すると、ジョブズは一呼吸置いて「クール」と一言だけ言いました。
weakからクールね。ジョブズは一言しか発さないと。いいなぁ。
WWDCではサムは、憧れのジョブズと同じ舞台に立つことへの不安から、人々に覚えてもらおうと、ピンクと黄緑のポロシャツを2枚重ねするファッションで登壇しました。今ではミームのようになっている姿です。
この登壇で22歳のサムは一躍名を知られ、スターになりました。
iPhoneの位置情報機能をアピールするのにLooptはうってつけで、Appleは全国のテレビCM費用も負担してくれ、ダウンロード数が急増します。一時はFacebookやMySpaceを上回り、SNSの王のレベルに達したそうです。
Facebookの買収拒否と、一度目の起業の終わり
一方でジョブズは非常に厳しく、Looptが全ての言語と国で機能するよう要求しました。当時の技術ではかなり難しい注文です。
要求を満たしていないと知ると、ジョブズはサムに激しく詰め寄り、ペンを投げつけたとも言われています。
サム・アルトマンですらスティーブ・ジョブズの覇気に逆らえないんだよね。ジョブズが激怒してペンを投げつけてくるんですよ。怖すぎるでしょっていうね。
さすがのサムもショックで震え、ジョブズとの会議が今までで一番大変だったと語っています。それでもこの数か月間ジョブズと働いた経験は、サムに大きな影響を与えたとされます。
その頃リーマンショックが起き、資金調達環境が冷え込みます。そのタイミングでFacebookから買収の提案を受けました。
投資元セコイアのマイケル・モリッツが「どうするんだ」と聞くと、サムは一言「パスする」と答えました。
創業者は時に投資家よりも会社を売りたがるものですが、サムは違いました。1歳違いのザッカーバーグがハーバードから出てきて一世を風靡していたこともあり、独立した形で大きな企業を作りたかったのです。
しかしその後、Looptの好調は続きません。位置情報アプリの主役はFoursquareに移り、勢いが衰えていきました。
さらにサムはゲーム系の出会い系アプリの開発に気を取られ、社内では「キラキラ症候群」と呼ばれていたそうです。ホームラン狙いで短期の収益化への意欲も低く、社員は会社の先行きを心配していました。
こうした要因が重なり、Looptの社員がサムをCEOから降ろそうとする解任騒動が起きます。後のOpenAIでの解任騒動を思わせる出来事です。
この頃からサムは時々真実ではないことを言ったり、従業員に厳しかったりすると言われ、二枚舌という評価も出ていました。
サム・アルトマンは、彼が関わったあらゆる会社の中で常に二枚舌だったと書かれてるんだよね。本業に集中せず他のことを始めたり、真実ではないことを言ったりするというのが、サムの半生を見ると結構やりがち。
ただ辞めさせる決定権の一部を握るセコイアには、サムを降ろしづらい事情がありました。YC出身の有望企業への投資でYCと密に連携しており、サムはポール・グレアムのお気に入りだったため、無下に扱えなかったのです。
加えてサムは、ネットワーキング能力を買われてセコイアの新規投資を手伝うスカウトプログラムに選ばれ、常にスタートアップと会議するほど貢献していました。将来のリターンを考えると解任はやりづらく、話は立ち消えになります。
運命のエンジェル投資と、二人目のパトロン
この時期、後にStripeを作るパトリック・コリソンとのエピソードも生まれます。
ポール・グレアムからコリソンを紹介されたサムが、コリソンお気に入りの言語LISPの知識を披露すると、コリソンは「彼は驚くほど面白い」と意気投合しました。
別の日、ポール・グレアムの家でコリソンとポールがStripeのアイデアを話しているところにサムも合流し、ポールから「一緒に投資しよう」と誘われて、約150万円をStripeに投資します。
当時のサムは成功した起業家とは言えませんでしたが、たまたまその場にいたことで得たこのエンジェル投資が、後に決定的な意味を持ちます。
この150万が1億ぐらいになったんでしたっけ?
150万円が1億円以上になり、これがサムが財を成す最大のポイントとなりました。Loopt自体では大きなイグジットを得ておらず、事実上この一点が突出しています。
Stripeの資金調達も手伝ったサムについて、コリソンは「私はアイルランドから来て、ピーター・ティールやマイケル・モリッツを神様のように扱っていたが、サムは彼らに全く怯むことなく役立つ助言をしてくれた」と語っています。
天才と評されるコリソンでも大物には緊張するのに、サムは大物にビビらない。本の中でサムがビビった相手はスティーブ・ジョブズだけだと語られています。
Loopt自体は絶望的な状況になり、セコイアの紹介で上場企業Greendotに人材採用の文脈で約40億円で買収されます。一度目の起業は大成功とはならず、27歳で約5億円を手にする結果に終わりました。
Looptの売却後、サムはセコイアからベンチャーキャピタリストにならないかと誘われますが断り、核融合の話題で仲良くなっていたピーター・ティールの支援を受けて個人ファンドを作ります。
ポール・グレアムに続く二人目の大物、ピーター・ティールに取り入った形です。ティールはミレニアル世代のテックを代表する一人としてザッカーバーグではなくサムを挙げ、シリコンバレーの時代精神の中心だと評しました。
実績で見ればザッカーバーグの方が圧倒的に上のはずなのに、ティールはサムを高く評価する。二人は、まだ何も成し遂げていない段階からサムを見出していました。
一番最初にあまりにもポール・グレアムに気に入られすぎだっていう不思議ポイント。ここで二人目のパトロンであるピーター・ティール、これも評価が高すぎるでしょっていう。
ポール・グレアムはエッセイ『Five Founders』で、ジョブズやGoogleのラリー・ページ、セルゲイ・ブリンといった錚々たる面々に並べて、まだ無名のサムを5人目に加えていました。
ワンピースのモンキー・D・ルフィぐらい不思議なんだよね。海賊王右腕のレイリーに修行をつけてもらい、四皇シャンクスにも気に入られてる。どういうこと?っていう。
二人は、ドナルド・トランプが無名の若者時代にニューヨークの有力弁護士に見出された話にも似ています。実績を残す前からフックアップされる、再現しづらい不思議な点だと語られました。
YCの代表就任と、AIへの目覚め
ティールの支援で作ったファンドから、サムはYCのつながりを生かしてYC出身者に投資しまくり、かなりのリターンを上げます。
投資を始めて2年ほどの2014年、ポール・グレアムはYCombinatorの代表を退くにあたり、後任にサムを指名しました。
当時YCに参加していた起業家たちの反応は「誰だそれは」というものでした。Looptの実績はシリコンバレーの基準ではそこまで際立っておらず、無名に近かったからです。
ポール・グレアムのエッセイを読んで若い起業家がYCombinatorに行ったら、「次の代表のサム・アルトマンが指導します」と言われて、「誰ですか」と。
サムは当時、核エネルギーのスタートアップをやりたく、自分を投資家だとは思っていなかったため迷いましたが、最終的に代表を引き継ぎ、YCを拡大する道を選びました。
もう一人の師であるティールの、技術的停滞が起きているという「テックスローダウン」の主張に影響され、それまでソフトウェア中心だったYCを、ディープテックやハードテックへ拡大します。
投資したいリストの一番上に核エネルギー、二番目にAIを置き、対象分野を広げました。
AIに注力すると決めた背景にはDeepMindの存在があります。ちょうどGoogleが買収したタイミングで、DeepMindに投資していたティールと議論するなかで、その凄さを一次情報として知ったのです。
サムはこの時期にエッセイを書き「潜在的な影響に比べて、十分な数の賢い人々がAI分野に取り組んでいるようには見えない」と記し、早い段階からAIのチャンスを嗅ぎ取っていました。
ティールが仲介したデミス・ハサビスとイーロン・マスクの会食のように、大物が集う場に、実績で劣るサムも普通に参加して話を聞けるポジションにいたことも、AIへの早い気づきにつながっています。
まとめ
幼少期の天才ぶりから最初の起業Loopt、そしてYCombinatorの代表就任とAIへの目覚めまで、サム・アルトマンがOpenAI設立前夜に至る道のりが語られました。実績以上に、大物に見出され続ける不思議さと勝利への執着が印象的な回です。
- 2歳でビデオを操作し3歳で市外局番を理解するなど、幼少期から天才ぶりを発揮していた
- 19歳でLooptを起業し、スプリントやブーストへのアポなし突撃など粘り強いビズデブ力で結果を出した
- ジョブズに「weak」と一蹴された後、直接プレゼンで「クール」を勝ち取りWWDC登壇までこぎつけた
- Looptは約40億円で買収され約5億円を手にしたが、財を成した最大の要因はStripeへの150万円のエンジェル投資だった
- ポール・グレアムとピーター・ティールという二人の大物に無名の段階から見出され、YC代表就任とAIへの注力へとつながった
