新しいマイクは投げ銭で買った?「お金で幸福を買う」使い方
この回の冒頭では、堀元さんが用意した新しい音響機材が話題になります。堀元さんはここ半年ほど音声コンテンツにどハマりしていて、音の悪いPodcastが許せなくなったといいます。
完璧な音のやつ。それこそコテンラジオっていうね、歴史喋るラジオとかありますけど。
堀元さんが目標にしているコテンラジオと比べると、ゆる言語学ラジオの音は相当悪かったそうです。そこで総額6万円ほどをかけて専用機材を揃えました。きっかけの一つは、リスナーから届いた3000円の投げ銭でした。
頑張ってくださいって言って3000円投げてくれて。よし、コンテンツ改良のために使おうって言って。レバレッジがかかりましたね。
水野さんが「10万投げたら200万使ってくれるのか」とからかうと、堀元さんは「破産するわ」と返し、レバレッジは固定ではないと釘を刺します。
堀元さんはここで、『幸福をお金で買う5つの授業』という本を紹介します。この本によれば、人は幸福に直結しないお金の使い方をしがちで、代表例が家です。豪邸を建てた人と安い賃貸に住む人とで、主観的な幸福度はほぼ変わらないといいます。
一方、同じ本で幸福度の高い使い方の一つとして挙げられているのが「人にお金をあげること」です。堀元さんは、アメリカのギャラップ世論調査 ── アメリカの調査会社ギャラップが実施する世論調査。世界各国で大規模なサンプルを集めることで知られていますのような大規模サンプルで明らかになっていることだと紹介しています。
ただし、この本には落とし穴も書かれています。義務感で渋々お金を出した場合、幸福度は著しく下がるというのです。
「出したろか」という気持ちで人にお金をあげると、幸福度の高い使い方になる
頼まれて嫌々出した場合は、幸福度が著しく低くなる
そのため堀元さんは、投げ銭は「出したろか」という気持ちのときだけにしてほしいと呼びかけています。
「説得力がすごい」の正体は?塾講師志望だった水野さんのプレゼン武勇伝
番組はここからYouTubeのコメント紹介に入ります。最初に取り上げられたのは、水野さんの説得力がすごい、というなつさんのコメントです。
水野さんは、もともと高校生に英語を教える塾講師を目指していて、当時から分かりやすい説明を考えていたと振り返ります。堀元さんは、水野さんの説得力は分かりやすさよりも、声や見た目の「迫力」や「風格」から来ているのではないかと評します。
水野さんには、話し方に関する独特の自負があります。話し方が下手と言われれば「塾講師にならなくてよかった」と思い、上手いと言われれば「当たり前だ」と思うのだそうです。
塾講師になろうと思っている人間が(プレゼン選考で)落ちたら絶対になるべきではないと思って、そのためだけに自分のプレゼンテーション能力を試すためだけに受けに行ったことあります。
就活中の水野さんは、プレゼンの面白さだけで合否が決まる選考に、自分の力を試すためだけに挑戦しました。結果は合格で、認めてもらえたことが嬉しかったと話しています。
続いて紹介されたのは、第1回「単語はすごい」の回に寄せられたよしボールさんのコメントです。飲み会で単語のすごさを披露しようとしていたのに、緊急事態宣言で飲み会が中止になったという内容でした。水野さんは、冗談半分の「明日の飲み会で」を本当に実行しようとする人がいることに、言葉への責任感が増すと話しています。
シジュウカラは文法を持つ?動物の言語と人間の言語の違い
第1回について、けまさんからは知識人ぶりがうかがえる質問が届きました。
確か京都大学の研究で、シジュウカラは文法を持っていて、初めて聞いた文章でも理解することができるというのがありました。シジュウカラはイルカやサルよりも言語的な部分が発達しているのでしょうか。
水野さんは、シジュウカラが高度な言葉を話しているという研究は実際にあると認めます。第1回では分かりやすさのために「イルカは言葉を喋っていない」と言い切りましたが、学派によって見解は分かれるそうです。
その学派によってやっぱ分かれていて、(第1回の)参考文献欄ですね、その言葉を操る動物たちみたいな本を挙げたと思うんですけど、そこには結構事細かに動物ごとにどういう言葉を喋ってるかっていう研究が載っていて。
水野さんによれば、単語を持つ動物もいるらしいという立場の研究者もいます。そのため「人間と動物の違いは単語の有無」という説明は、正確には間違っている可能性があるそうです。
それでも水野さんは、動物の言語と人間の言語を同レベルとみなすことには抵抗があるといいます。人間の言語がどうすごいのかは、今後のソシュール ── スイスの言語学者(1857〜1913)。「近代言語学の父」と呼ばれ、言葉の記号としての性質や恣意性を論じました回で説明できると予告しています。
形態素解析はなぜ難しい?日本語の「どこまでが単語か」問題
けまさんのコメントには続きがあり、形態素解析や自然言語処理の話を聞いてみたいというリクエストが添えられていました。
水野さんにとって「自然言語処理」は聞き慣れない言葉でした。言語学にも形態素 ── 意味を持つ最小の言語単位。「食べた」なら「食べ」と「た」のように分けて考えますという単位はありますが、「解析」という言い方はしないそうです。一方、コンピューターサイエンスを学んでいた堀元さんの領域では、形態素解析はよく使う言葉だといいます。
堀元さんの説明では、日本語の文章は単語に区切るのが難しいそうです。今はGoogleなどが無償で公開しているツールがあり、Pythonで数行書くだけで文章を単語に分割できます。ただし、同じものを一から作るのはものすごく大変だといいます。
水野さんは、形態素解析を「どれが単語かを識別すること」と言い換えたうえで、英語と日本語の違いを説明します。
単語ごとに分かち書きをするので、単語の境目が明らか
分かち書きをしないうえに動詞が活用するため、「見た」が1単語か2単語かさえ判断が難しい
水野さんが例に挙げたのは「かかる」と「かからない」です。子音と母音に分けると「かか」と「r」までが共通していますが、仮名では「ら」「る」を1つの音として書くため、どこで切るべきかが決まりません。
仮に「かかる」を「かか」と「らない」に分けたとしたら、その「らない」っていうのは「かからない」以外でどこで使うの?とか、どんな意味を持ってるの?とかっていうのって決まってこないんですよね。
どこまでを単語と認めるかは日本語学でも研究が続いている問題です。そのため水野さんは、AIが大量の文を読み込むことで、単語分割をしなくても意味を理解できるようになるなら「超楽しみ」だと話しています。
ただし水野さんは、言外の意味はまだAIの苦手分野だろうとも指摘します。「今日空いてる?」に「明日テストでさ」と返されたとき、人間なら「今日は空いていない」と分かりますが、AIがそれを読み取るのは難しいという例です。
AIに体は必要か?「身体性がないと脳は発展しない」という立場
言外の意味の話を受けて、堀元さんは学生時代の研究室の教授の考えを紹介します。その教授は、人工知能をソフトウェアとしてだけ考える従来の見方では無理だ、という立場だったそうです。
仮に人間の赤ん坊が生まれた瞬間に脳を取り出して、水槽に浮かべて、必要な電気刺激をいっぱい適切に送ると。(そのとき)人間と同じだけ脳がちゃんと発展するかと言われると、かなり怪しい。
教授の主張は、自分が出した信号で手足が動き、そのフィードバックを受け取る経験がなければ脳は健全に発展しない、つまり身体性がないと脳の発展はないというものです。堀元さんは学部3年生で研究室を選ぶとき、この考えに納得したといいます。
水野さんは、寝たきりになると認知症が急に進むという例を挙げて、この考えに共感します。そのうえで、ロボットに人間らしい動きをさせるうえでのネックは「手」だと言われていることを紹介しました。
つかむってめっちゃ高度な。物の形を把握してないとつかむってできないわけだし。とか、なんかこうつまむとかもね。つまむとかバカムズそうですよね。
堀元さんによれば、手の開発はロボティクスの領域です。人工知能の研究者は精密な手には興味がないため、両分野がうまく協力しないと研究が進まないといいます。
AIは星新一を書ける?それでも「オチ」だけがつけられない
自然言語処理の流れで、堀元さんは人工知能学会で聞いた発表を紹介します。函館未来大学の松原先生が、星新一 ── 日本のSF作家(1926〜1997)。短く切れ味のあるオチを持つ「ショートショート」を1000編以上残しましたのショートショートをAIに書かせる研究をしていたそうです。
堀元さんによると、星新一っぽい文体の文章は1か月ほどで書けるようになり、一貫した筋の話も作れたそうです。「N博士はなんとか装置を作って」という、完全に星新一らしい話になっていたといいます。
でもオチだけがない。
オチがどうしても作れないため、松原先生は「オチアルゴリズム」を考え続けていたそうです。堀元さんは、オチが人間特有の能力だと分かるという意味で、AI研究から人間が見えてくる事例だと感じています。
水野さんには、オチについて自分で研究した経験がありました。出版社志望だった就活生のころ、入社試験の作文ではオチをつけることが求められたからです。
水野さんは、講談社文庫の『ショートショートの広場』全20巻と、続編の『ショートショートの花束』を読み通し、オチの類型を整理してから試験に臨みました。最も多かったのは、書き手が情報を伏せておき、最後に明かす叙述トリック系だったそうです。「実は私は虫でした」や夢オチがその典型です。
一方で、水野さんが好きなのは、会話が必ずしりとりになってしまう病気を題材にした作品です。最後に誰かが「ん」で終わる言葉を言い、物語がそのまま途切れます。こうしたメタな作りの作品は数が少なく、作文に応用するのも難しいといいます。水野さんは筒井康隆 ── 日本の小説家。『残像に口紅を』では、使える文字が1つずつ消えていく制約のもとで物語を書きましたの作品も同じ系統として挙げています。
教え込むか、読み込ませるか?AI研究の転換と、人が言葉を覚える仕組み
オチの話から、水野さんはAIへのアプローチの違いに話を移します。理系の研究者ならオチのある文章を大量に読ませ、文系の学者ならまず「オチとは何か」を考え始めるだろう、という見立てです。
堀元さんは、AI研究でも大量に読ませる方法が主流になったのはつい最近だと説明します。
1970〜80年代はマシンパワーがなく、「猫は目が2つ、鼻が1つ」のように人間が特徴を教える文系的なアプローチだった
2012年ごろ、Googleが大量の画像を読み込ませたAIに、教えていない猫を自発的に見つけさせた。そこから読み込ませる方向が主流に
水野さんは、人間の脳も同じ仕組みで言葉を覚えているのではないかと考えています。話者が普段使う単語の意味を定義できないのがその証拠だというのです。
定義をはっきり決めることが覚えたっていうことになるのではなくて、運用していってすり合わせてる中で、だんだんとなんとなくこうわかってくる。
水野さんはさらに、意味論のように「これが意味だ」と定める研究は、話せる人間を生み出すことにはあまりつながっていない、とも述べています。言語学が寄与できる領域は、思われているほど多くない可能性があるという見方です。
バロック音楽は言語か?「意味を持つ」だけでは足りない理由
次に紹介されたのは、うらんべ1さんからのコメントです。
ソシュールの言語学について詳しくやってもらえるのがとても楽しみです。ところで、標題音楽やバロック音楽などで音に意味を持たせるという試みがありますが、これは言語学として音楽イコール言語と言えるのでしょうか?
2人とも、音に意味を持たせる試みがあること自体を知らなかったそうです。そのうえで水野さんは、言語学の知見からすれば「言えない」という結論になるだろうと答えます。
水野さんが判断の軸にするのは、音を並べたときに単純な意味の足し算以上のものになるか、そして文法があるか、という点です。
それでいうと(道路の)標識だってじゃあ言語だって言うことになっちゃいません?
一時停止の標識の形と「一時停止」という概念のあいだには必然的な結びつきがなく、第1回で話した恣意性はあります。しかし標識もバロック音楽も文法を持っているとは言い難い、というのが水野さんの説明です。
堀元さんは、恣意性と「単語は概念を表す」という第1回の話を聞いたからこそ出てきた良い質問だと評価し、水野さんも「クリティカル」だと応じています。
方言はどこまで同じ日本語?「違う言語」の線引き
薩摩弁が人工的に作られた方言だという話をした回には、アビス6000さんから質問が届きました。
言語学的にはどこからが同じ言語で、どこからが違う言語なんでしょうか。津軽弁と沖縄弁は同じ日本語だけど、パプアニューギニアの2キロ先の違う言語よりは差異が大きいような気が直感的にはしますが、どうなんでしょう?
水野さんは、はっきりとした定義は知らないと断ったうえで、祖先が同じかどうかを判断する方法を紹介します。その一つが、父・母・持つのような基本語に一定の対応関係があるかを見る方法で、これにより同じ語族 ── 共通の祖先となる言語から分かれたと考えられる言語のまとまり。スペイン語やポルトガル語、英語はインド・ヨーロッパ語族に属しますに属すると判断します。
日本の方言が語源を共有している例として、水野さんは沖縄の「めんそーれ」を挙げます。語源は古語の「参り召し終われ」だとされていて、昔の言い方が沖縄に残っているのだそうです。
堀元さんが「祖先が同じでも、まったく違う方向に変わったら別の言語では」と問うと、水野さんは判断材料をいくつか挙げていきます。
| 観点 | 内容 | 日本の方言の場合 |
|---|---|---|
| 祖先・基本語 | 基本語の音に対応関係があるか | 語源を共有していると考えられる |
| 文法 | 格助詞や助動詞の位置、語順などが同じか | どの方言もほぼ同じで、文法は変わりにくい要素 |
| 国家・アイデンティティ | 別言語だと主張したい事情があるか | 同じアイデンティティのもとで「方言」と呼ばれている |
スペイン語とポルトガル語については、国家のアイデンティティの問題から別言語と言いたいケースだろう、と水野さんは推測しています。堀元さんも、廃藩置県がうまくいかず沖縄が独立国のままだったら、各方言はそれぞれの国の言葉だったかもしれないと応じました。
結局、言語の分け方には恣意的に決めている部分がある、というのが2人の着地です。水野さんは、敵対する言語どうしがそれぞれ独立を主張する例はヨーロッパでよく見られ、ソシュールの本にもそうした事例があったはずだと話しています。
speculationはなぜ「推測」と「投機」?多義語の補助線
ここからは、堀元さんが日常で気になったことを尋ねる「教えて水野先生」のコーナーです。堀元さんは『バブルの歴史』を読んでいて、英単語のspeculationに「推測」と「投機」という遠い2つの意味があることを不思議に思ったそうです。
水野さんは、多義語は補助線を引くと分かりやすくなると言い、2つの意味に共通する本質は根拠の低そうなことをそうだと思うことだと説明します。
英語には「推測する」を表す単語がいくつかあり、根拠が高い推測にはinferやgatherを使います。一方、「なんとなくこう思う」程度の推測に使うのがspeculateです。
確度の低い推測
根拠が薄いまま「こうだろう」と考える
ふわっとした根拠で考える
間違っているかもしれない根拠で物事を判断する
投機
根拠のなさそうな投資商品を、値上がりを見込んで買う
堀元さんは、チューリップの球根は値上がりするに違いないという確度の低い推測から投機が生まれた、と自分の言葉で言い換えて納得しています。
「おソース」はなぜ言える?外来語に「お」がつく瞬間
最後の話題は、水野さんがこの日、収録前に見つけたネタです。とんかつ店で昼食をとった際、店員さんがキッチンで「おソース持ってって」と言うのを聞いたといいます。
水野さんによれば、外来語には普通「お」や「ご」をつけません。ただし例外があり、日本語になじんで母語話者が日本語のように認識した外来語には「お」がつくことがあるそうです。
水野さんが知っていた例外は1つだけで、堀元さんへのクイズになりました。「オカレンダー」「オタブレット」と迷った末に出てきた答えは、水野さんが収録前に持ってきていた「ビール」です。
確かに旅館のおかみさんとか、「おビールは何本お持ちしますか?」って言いますよね。
外来語
通常は「お」「ご」をつけない(オタブレット、オカメラは不自然)
日本語になじむ
母語話者が日本語のように認識する
「お」がつく
おビール、そしておソースへ
「おタブレット」は気持ち悪いのに、「おビール」や「おソース」には違和感がありません。水野さんは、その境目がとても主観的で、はっきりとした切れ目がない点が面白いと話し、おソースが生まれる瞬間に立ち会ったかもしれないと興奮しています。
全然はっきりとした、こう、なんだろうね、こう枠組みというか、切れ目はないんで、ここもすごいやっぱ面白いところですね。
堀元さんが「将来は『おスマホお持ちしましょうか』もありうるかも」と冗談を言うと、水野さんも「全然あるかもしれない」と応じています。
水野さんは、母語話者の実際の言葉づかいを観察すると新しい法則が次々に見つかることこそ、言語にまつわる知識の喜びだと語ります。堀元さんも、大学で習った最短経路のアルゴリズムや焼きなまし法は日常で飛び交っていないが、言葉は毎日飛び交っているから観察できる、とその面白さに共感しています。
Twitter開設、Podcast、レビュー。番組を続けるためのお願い
終盤は告知の時間です。まず、2人がレギュレーションなしで運用するTwitterアカウントが開設されました。語源の話や制作の裏側、更新告知を発信し、DMも2人が見るそうです。
堀元さんは、Twitterのフォロワー数をKPIの一つにしたいと話します。500人ほど集まれば、ごちゃごちゃになっているYouTubeチャンネルを「ゆる言語学ラジオ」として独立させることも考えたいそうです。ただしYouTubeの収益化ハードルが上がっているため、手応えを見て判断するといいます。
Podcastについては、YouTubeの視聴者が250〜300人ほどなのに対し、Podcastは30〜40人ほどだと紹介されました。堀元さんのおすすめは、テロップの補足があるYouTube版を先に見て、Podcastで復習する使い方です。テロップ付けには6時間ほどかかっているそうです。
ほかに、Podcastプラットフォームでの星5評価やレビュー、どの回が面白かったかの感想、匿名で送れるGoogleフォームへの投稿も呼びかけられました。堀元さんは最後に、強制されてお金を出すと幸福度が下がるので、あくまで無理のない範囲で、と念を押しています。
まとめ
この雑談回では、シジュウカラ、音楽、方言、外来語という別々の話題を通じて、「何が言語で、どこからが別のものか」という線引きの難しさが浮かび上がりました。水野さんは、文法の有無や語源の共有といった基準を示しつつも、実際の境目は主観的で恣意的な部分を含むと語っています。
- 音楽や標識は意味を持っていても、文法がないため言語とは言い難い、というのが水野さんの見方
- 方言が同じ言語かどうかは、語源・文法に加えて、国家のアイデンティティにも左右される
- 日本語は分かち書きをせず動詞も活用するため、単語の区切りそのものが難しい
- AIはオチや言外の意味が苦手で、身体性が必要だという研究者の立場も紹介された
- 「おビール」「おソース」のように、外来語が日本語になじむ境目には明確な切れ目がない


