薄削りトークが日常にリフレインするリスナーからのお便り
番組冒頭で紹介されたのは、花太郎さんの専門学校の先輩でもある陶芸作家、ラジオネーム「アソビテ」さんからのお便りでした。
カンナに触れたことはないものの、毎日聞きすぎてイメトレはできているというヘビーリスナーです。
アソビテさんは、早朝のお弁当作りで安いハムを一枚ずつ剥がしながら「これは何ミクロンだろう」と考えてしまうと綴っています。
薄いものを見つけると、生ハムだったら何ミクロンなのかなとか、ティッシュだったら何ミクロンなのかなっていうことに今なっているという。
さらにアソビテさんは、二人の口癖や「ありがとうございました」の声色の違いまで聞き比べて楽しんでいるといいます。花太郎さんによれば「を」という助詞の言い方まで比べているそうです。
僕らが降りたことのない深みまで降りてくれてるんですよ。
このお便りをきっかけに、卒業以来20年近く途絶えていた先輩との交流が復活したと花太郎さんは話します。ラジオが思わぬ縁をつないだ形です。
クラフトって一体どういう意味なのか
今回の本題は、同じアソビテさんからのもう一通のお便りでした。クラフトと名のつくイベントの意味への疑問です。
クラフトと謳うイベントに、お客様のワンコの写真データを機械に転送してその場で木の板に彫る作家さんや、レジンを扱うアクセサリー作家さんがたくさんいたりします。何でもクラフトになるのか、モヤモヤします。皆さんは工芸をどう捉えているか知りたいです。
花太郎さんはまず、物を作る楽しみや自由さは共通しているとした上で、それはあくまで建前だと明かします。
知らない人からそう聞かれれば、いいんじゃないですかって建前で返すけど、全然本音は違うとこにありますよっていう感じですね。
問いの中心にあるのは、レーザー加工機で犬の写真を木に彫るようなケースです。作品のどこに引っかかりを感じるのか、こーぐちさんは論点を整理していきます。
手作業の量なのか、制作時間なのか、オリジナリティなのか、複製が可能かどうか。あるいはデータを提供したお客さんと加工した人のどちらが作家なのか、という問いも出てきます。
大体僕はこれ、どこもモヤモヤ感じたんですけど、全部。
クラフトという単語のイメージを解剖する
こーぐちさんは、クラフトフェアと名のつくイベントと、マルシェに近いイベントを区別して説明します。
クラフトフェアには選考があるため、レジンのアクセサリー作家などは応募範囲に入りにくい。一方、選考のないイベントには新しいジャンルの出展者が増えてきているといいます。
さらにこーぐちさんは、クラフトが持つイメージを言葉にしていきます。小規模、個人、独立、大手資本が入っていない、手仕事、地域に根付いている、オリジナル、大量生産ではない、といった要素です。
問題は、買う人にはそのどれを指してクラフトと言っているのか分からない点にあります。出展者と主催者のすり合わせができていないと、違和感が生まれると指摘します。
話は、作り手側と売り手側の言葉の使い方の違いへと展開します。関わっていない人ほど、クラフトや職人といった単語を使いたがると花太郎さんは感じています。
関わってない人ほど、クラフトとか職人とか手作りとか、そういう単語を使いたがるんですよ。悪いわけじゃないですよ。
売り手は、誤解されても伝わりやすいラベルを貼ろうとします。一方、作り手は誤解されるくらいならラベルを剥がしたい。両者の姿勢の違いが浮かび上がります。
僕らは誤解されるぐらいだったらラベルを剥がす。でも売る方としたら、誤解されてもいいから伝わりやすいラベルを貼ろうっていう。
これはどちらが悪いという話ではなく、立場の違いだと二人はまとめます。
誤解されるくらいならラベルを剥がしたい。自分の趣旨と違うものが伝わると困る。
誤解されても、伝わりやすいラベルを貼りたい。分かりやすさを優先する。
クラフトビール業界に潜むクラフトウォッシングの闇
こーぐちさんは、クラフトという単語のルーツをたどります。もともとは力や技能、知恵、策略といった意味で、最初から手作りを指す語源ではなかったといいます。
その一例として挙がったのがクラフト紙です。手作り風の茶色い紙ではなく、「強い紙」という意味でクラフトが使われていると説明されます。
そして今、クラフトという単語が最も使われているのは飲料業界だとこーぐちさんは指摘します。クラフトビール、クラフトコーラ、クラフトジンなどです。
クラフトボスのように大手が使う例もあり、作り手が持つクラフトのイメージと世間のイメージはかけ離れてきているといいます。
こーぐちさんが調べたアメリカのクラフトビールの定義は、小規模であること、独立系であること、免許を持つことなどでした。かつてあった「トラディショナル(伝統的)」の項目は、今はなくなっているといいます。
調べていく中で見つかったのが「クラフトウォッシング」という言葉でした。
クラフトという言葉を使えば消費者に良い印象を与えられるため、大手資本が入った製品でもクラフトと名乗る。それを批判的に指す言葉がクラフトウォッシングです。
地ビールからクラフトビールへのラベル張り替え
日本でクラフトビールが広まった背景には、地ビールの失敗があったとこーぐちさんは話します。
かつて流行した地ビールは、作りが下手な業者もあり「まずい」という印象が広まってしまった。そのイメージのため、生き残った会社も売り上げが伸び悩んだといいます。
そこでアメリカから輸入された「クラフトビール」という言葉に張り替えることで、技術的にしっかりした美味しいビールとして再認識されるようになった、という流れです。
俺さ、まだ地ビール、地ビールって言っちゃうんだよ。
一方でワインは、地ビールのような失敗がなかったため、クラフトという単語を借りる必要がなかったのではないかと二人は推測します。小規模ワイナリーはあっても、クラフトワインとは言いません。
今こうやってクラフトをペロっと剥がすと、地って出てるんだね。
何でもクラフト化できるのでは
クラフトウォッシングが起きている今、もう言ったもん勝ちだとこーぐちさんは考えます。そこで、いろいろなものにクラフトを付けて試してみます。
たとえばクラフトポッドキャスト。大手資本が入っておらず、手作業で編集し、切り貼りしている、と言えば成立してしまう、というわけです。
ただし花太郎さんは、ポッドキャストはそもそもクラフトなのではとツッコみます。大手が参入してきた今だからこそ、あえてクラフトと名乗る意味も出てくるとこーぐちさんは返します。
さらにクラフト請求書やクラフトエクセルといった例も飛び出します。一件一件手入力、関数は使わない、というように。
ギリギリ伝わってきます。
なんとなく意味が伝わってしまうこと自体が、クラフトの意味が肥大化している証拠だとこーぐちさんはまとめます。そこから導かれるのは、使う側と受け取る側双方の倫理観・リテラシーの重要性です。
クラフトフェア松本と工芸の歴史
お便りの後半にあった「工芸をどう捉えているか」という問いに、こーぐちさんは工芸とクラフトの違いを歴史から解きほぐします。
工芸には、人間国宝や伝統工芸品のように制度で定められる側面があります。もう一つは、「美術でないもの」として工芸が生まれた歴史です。
明治時代、ウィーンの万博に日本が出品する際に「美術」という言葉ができ、そこから外れるものとして「工芸」という言葉が生まれたといいます。
その後、工芸の側からも「我々も美術だ」という動きがあり、美術工芸や工芸美術という言葉が生まれるなど、複雑な流れがあったと説明されます。
そして1980年ごろ、日本で最初のクラフトフェアとしてクラフトフェア松本が誕生します。
こーぐちさんが調べた記事によれば、1980年代以前は個人の若手作家が百貨店に出す機会はほとんどなかったといいます。クラフトフェアは、工芸から溢れたものを受け入れる受け皿としてできたというのです。
美術
明治期に「美術」という概念が輸入される。
工芸
美術から溢れたものとして「工芸」が生まれる。
クラフト
工芸から溢れたものを受け入れる受け皿としてクラフトフェアが誕生する。
この流れを踏まえると、レーザーで彫刻した犬やレジンもクラフトなのではないか、とこーぐちさんは考えるようになったといいます。
元々、溢れたものを受け入れる言葉としてクラフトができていたので、レーザーで彫刻したワンちゃんのやつとかレジンもクラフトなのではと思うようになってきた。
一次素材とサービスの境界線
理屈では納得しつつも、花太郎さんは感覚として受け入れられないと正直に語ります。20歳ごろにクラフトをインプットされた身としてのラインがあるといいます。
そっちが正しいと思う。だけど、やっぱ20歳ぐらいの時にクラフトをインプットされちゃった身としては、ちょっとまだそれはっていう。
花太郎さんの線引きの鍵は「一次素材」です。整っていない、原料に近い素材を扱えてこそだという思いがあります。
アクリルや合板のように整った状態のものを扱うのは、サービスに近いのではないかと花太郎さんは感じています。
この感覚を、花太郎さんは料理に置き換えて説明します。
電子レンジで冷凍食品を解凍する。セントラルキッチンで作ったものを温める。
料理人がジャガイモをミキサーにかけてスープにする。素材を自分で扱い整える。
一方でこーぐちさんは、現代では原材料を自分で触らないことが増えていると指摘します。アクリル板も鉄も、加工しやすい製品の状態で受け取って使うのが一般的です。
その延長で考えれば、3Dプリンターのフィラメントを買って印刷し販売することはどうなるのか、と問いかけます。
花太郎さんは、それは自分が受け入れられないだけで、受け入れラインは世代によって変わると答えます。
例えば大工の世界でも、ノミでほぞ穴を掘れなければ大工ではないという世代もいれば、プレカットが前提の大工もいます。どこを大工と呼ぶかは、それぞれに許せないラインがあるといいます。
生きた時代で、クラフトとかそういうものづくりに対して許せないラインが多分ちょっとあるので、どこを良しとするかは時代が進めばどんどん緩くなってっちゃうのはしょうがないかなとは思ってる。
だからといって新しい手法を使う人を否定するわけではない、と花太郎さんは強調します。ただ同じフィールドに並べば、同じ土俵で戦う覚悟はあるといいます。
それが悪いわけじゃない、需要があるんだから。だけど隣に並んだら同じフィールドで戦うぞっていう感じ。
家庭料理が得意な人が店を開くときのモヤモヤ
花太郎さんは、自分のモヤモヤをもう一つの例えで語ります。家庭料理が得意な人の話です。
家庭料理が得意な人がホームパーティーを開くのは問題ない。でも、その人がお店を開くと少しモヤッとする、というのです。
家庭料理が得意な人がお店開くとちょっとモヤッとしない?いや、わかりますと。わかるんですけどっていうのを思っちゃうんですよ。
これはDIYが好きな人がポップアップで出店するケースにも通じます。悪いことではないからこそ、モヤモヤしてしまうと二人は言います。
こーぐちさんは、そうした人たちが自分たちより高い金額で売り出すと、SNS上でバチバチと衝突が起きる場面を目撃すると話します。
リスナーが「このミル、40万円で売ってましたよ」と写真を送ってきて感想を求め、こーぐちさんがストレートに批判する、という構造が生まれているといいます。
中間に入る人がこーぐちくん以上にちょっと憤慨してくれてる場合もあって、それがややこしくしてるんですよね。
それでも二人は、そうした作り手をリスペクトしたいと語ります。商売として成立させるためのハードルを越えているなら、それは尊重すべきだというのです。
登山の山頂に登る登り方の経路が違うというだけで。リスペクトですよね。
モヤモヤの正体は、自分が越えてきたハードルを越えずに横から入ってきたように感じてしまう、勝手な思い込みかもしれない、と二人は振り返ります。
クラフト系ポッドキャスターとしての矜持
話の締めくくりに、二人は自分たちを「クラフト系ポッドキャスト」と名づけます。大手資本が入っておらず、手作業で編集する小規模な番組だ、というわけです。
今日からクラフト系ポッドキャストなので、別にそんなに炎上しないんじゃないかな。小規模だから。
一方で花太郎さんは、リアルで会う人に「聞いてるよ」と言われることが増え、発言にブレーキがかかりそうだと明かします。
コンプラを気にすれば大手寄りになってしまう。だからこそ、原材料にこだわって素の自分たちを出していくのもクラフトのありようだ、とこーぐちさんは返します。
クラフトカテゴリーで一位を走る番組として、今日クラフトのニュアンスがひとつ足された、と二人は笑い合います。編集で危ない部分はカットしつつ、というただし書きを添えながら、この回は締めくくられました。
まとめ
リスナーからの「クラフトって何?」という問いを入り口に、二人は語源や業界史、そして作り手ならではのモヤモヤまでを率直に語り合いました。答えを一つに定めるのではなく、時代や世代によって線引きが変わることを受け入れつつ、それでも自分の中のラインを言葉にしていく回でした。
- クラフトの語源は「手作り」ではなく、力や技能、強さを意味していた。
- クラフトビール業界には「クラフトウォッシング」があり、言葉のイメージだけが利用される問題がある。
- 日本のクラフトは、美術から溢れた工芸、さらにそこから溢れたものを受け入れる受け皿として広がった歴史がある。
- 花太郎さんは「一次素材を扱えてなんぼ」という線引きを持つが、受け入れラインは世代で変わると考えている。
- 新しい手法の作り手を否定はせず、経路が違うだけとリスペクトしつつも、モヤモヤは残るという本音が語られた。
