「お寺を経営する」に感じる違和感
「お寺を経営する」という言葉を聞いて、皆さんはどんなイメージを持つでしょうか。
この言葉を使うと、違和感を覚える方も多いかもしれません。
実際、お寺業界の同業の方から「お寺を経営するなんて、そんな言葉を使うのはけしからん」とお叱りを受けることもあるんです。
お寺は祈りの場であり、供養の場であり、心の安らぎの場であって、ビジネスの場所ではない。そういう感覚があるからだと思います。
祈りの場を守るには、裏側でお金を回すしかない
でも、その祈りの場や供養の場、心が安らかになる場所を維持して、人々に使ってもらい、継続して運営していくためには、どうしても「ヒト、モノ、カネ」のバランスを考えなければいけません。
うちのお寺に目を向けても、駐車場を借りたり、境内の掃除をやりきれないところはお金を払ってお願いしたりしています。
電気代も光熱費もかかりますし、本堂の維持もある。うちの本堂は築100年ぐらいで、ちょこちょこ直さなきゃいけないところもあるんです。
私は一人住職で、給料をもらって家族を食べさせなければいけません。
たくさん利益を上げようとは考えていませんが、ある程度しっかりお金が回って、人やその他の資源が回らないと、お寺という場所の役割は果たせないんです。
裏側でそういうものを回しておかないと、祈りの場所も供養の場所も心の安らぎの場所も守れない訳です。
「経」も「営」も、もとは仏教の言葉だった
そもそも、この「経営」という言葉のルーツは、実は仏教にあるんです。
「経営」の「経」という字を改めて見てみてください。これはお経の「経」ですよね。そして「営」は営むです。
現代では企業活動を指す言葉として定着していますが、語源をたどると仏教の教え、そして中国古典に行き着くんです。
お経の「経」は、インドの言葉が中国に伝わったときに漢訳されて当てられた字です。もとは「スートラ」、パーリ語だと「スッタ」と言って、「糸」という意味がありました。
古代インドでは、祭祀に使う言葉や考え方を、暗記しやすいように短くまとめていました。仏教もその流れを汲んで、お釈迦様の言葉を「スートラ」「スッタ」という短い詩のような形でまとめていったんですね。
それが中国に伝わったときに「経」という字が当てられました。「経」には織物の縦糸という意味があります。
中国でも、孔子や老子といった聖人の大事な教えを「経」と呼ぶことがあったので、この字が当てられたと言われています。
教えを広め、人の心を安らかにする活動
そして「営む」という字。大事なお経の教えを、縦糸に横糸を通すように営んで広めていく。
たくさんの人に伝えて、その心を安らかにしていく。仏教の教えが広がっていく活動をすることが、「経営」という言葉の語源になっていると言われています。
こう考えると、「お寺こそ経営した方がいいんじゃないか」と私が言った意味も、わかっていただけるんじゃないかと思います。
現代的には企業活動を指す言葉ですが、もともとは仏さんの教えがよく伝わり、よく広まるように、多くの人に伝えて心を安らかにする活動を「経営」と呼んでいたんです。
事業を回す中でお金や人や財を回し、持続的に活動していく。その中心には、縦糸のような理念や目標があるはずです。
より良い社会を作る、社会にとっていい価値を提供する。そういったものが、経営という言葉にはそもそも織り込まれているんですね。
自分の事業を回して広めていくとき、そこに縦糸のような軸があるかどうか。人を騙してお金を稼ぐような話ではなく、初期の熱い思いをもう一度確認しながらやっていきたいと、私は思っています。
お寺こそ、今こそ経営を本気で考える時代
お寺の話に戻ります。戦後の高度経済成長期から2000年ちょっとぐらいまでは、人口が増えていく中で、墓地を作れば売れるような時代でした。
いわゆる人口ボーナスの中で、経営を考えなくても回ってきたお寺が多かったんです。その裏で大変な思いをしていたお寺もありましたが、全体としてはうまく回っていました。
でも今は人口が減っていく時代です。社会や家に対する考え方も変わり、少しずつ個人の考え方へとシフトしてきています。
だからこそ、今こそお寺は経営を考えるべきだと思うんです。祈りの場、供養の場、心の安らぎの場を、価値ある場所として、この先10年、20年、100年と持続可能な形でどう残していくか。
それがお寺自身に問われている訳です。
まとめ
仏教と経営は、一見すると相反するもののように感じるかもしれません。でも語源をたどれば、経営はもともと仏教から来た言葉なんです。そう知った今、私はお寺こそ経営を本気で考えなければいけない時代に来ていると感じています。
- 「経営」の「経」はお経の「経」で、語源は仏教と中国古典にある
- 祈りの場や供養の場を守るためにも、裏側でヒト・モノ・カネを回す必要がある
- もともと経営とは、教えを広め人の心を安らかにする活動を指していた
- 人口が減る今こそ、お寺は持続可能な形をどう残すかを本気で考えるべき
