「先送りの美学」が意味すること
今回のテーマは「先送りの美学」、副題は「決めないという決断」です。時代に逆行する話だと横山さんは前置きします。
まず断っておくと、仕事をダラダラ先延ばししろという話ではありません。
今日お話ししたいのは、まだ決めなくてもいいことを、焦って決めないでおくっていうこと。そういったことって全然ありですよねという話ですね。決めないっていうのも一つの決断であるということですね。
合理化やタイパ、コスパという言葉が当たり前になり、何でも早く決めて片付けることが良いことのように語られている、と横山さんは指摘します。
けれど、急いで決めなくていいことまで急いで決めていないか。そこを問いかけたいと言います。
墓じまい・仏壇・位牌の相談で感じること
横山さんが具体的に遭遇するのは、墓じまいや仏壇、位牌の相談です。大きい仏壇を小さくしたり、位牌をまとめたり処分したいという相談が増えていると言います。
事情があってどうしても必要な人はいる、としたうえで、ケースバイケースだと話します。中には必要以上にすべて処分したがる人もいるそうです。
まだ誰も困っていない、置いても邪魔にならないのに、今のうちに全部片付けて綺麗にしたいと急ぐ。理由を聞くと決まっているといいます。
子供の迷惑になるから、子供に迷惑かけたくないからというような話なんですね。
子供に迷惑をかけたくないという思い自体は立派かもしれない、と横山さん。だからこそ否定しづらく、取り扱いが難しい問題だと言います。
たとえば新しい仏壇に位牌が入るのに処分したい、というケース。恨みや嫌な思いがなく、ただ「さっぱりしたい」だけなら、残しておいた方がいいと横山さんは伝えるそうです。
さっぱりしすぎてるものっていうのもね、決して良くないと思うんですよね。こう雑多な感じになってる中に、こう言葉にできない何かが、仏壇なんかもあるように僕は思うんです。
ポジショントークと言われても伝えたいこと
自分のような立場の人間が「墓じまいを急がなくていい」「仏壇は残した方がいい」と言えば、ポジショントークに聞こえる、と横山さんは自覚しています。
実際、墓じまいが減ればお寺は収入を守れる立場にあり、利害関係の中にいると認めます。
それでも言いたいのは、何でもかんでもやめろということではありません。
そんなに焦って、やたら何でも何でも、今まで長く受け継いできたものをきれいさっぱりプツンと切らせる必要はないんじゃないかっていうことをお話ししてるってことなんですね。
価値は後からわかることもある
こうしたことはお寺だけでなく、さまざまな業界や現場で起きているのではないか、と横山さんは考えます。生前整理などで、業者が「早めに」と煽る構造もあると指摘します。
横山さん自身、学生時代から集めたCDを八割方処分し、レコードも去年処分したそうです。惜しくないわけではなく、やめておけばよかったと悔やんでいると打ち明けます。
古い資料が何十年後かに価値がわかることもある。地域の祭りや行事も、担い手がいないからと畳むことが、町自体の求心力を失うことにつながるかもしれないと言います。
失って亡くなってから、町の求心力の源泉だったとか気づくようなこともあるかもしれない。
古い家も、崩れて近隣に危ないなら壊す必要があるかもしれない。けれど直しながら住めるなら、大切にする文化も大事ではないか、と横山さんは話します。
今の時点では価値が見えていなくても、未来につながる価値の種のようなものが、目の前のものの中にある。だから邪魔にならないものは残しておいていいのではないか、というのが横山さんの考えです。
仏教の縁起と、手を合わせるということ
横山さんは以前の放送で、葬儀の簡素化とグリーフ(悲嘆)の関係についての研究を紹介したと振り返ります。この件はドクターリンさんとのコラボ配信で改めて話す予定だそうです。
儀礼や手を合わせることをきちんと行うことが、悲しみの経過に影響を与えるという研究結果もある、と紹介します。散骨などでは「どこに向かって手を合わせればいいのかわからない」という戸惑いが実際に起きているといいます。
仏教には「縁起」という考え方があります。ものの意味はそれ自体にあるのではなく、関係の中で立ち上がってくる、という見方です。
だから今の自分の判断だけ、その一点だけを見ていては、価値を測りきれないものがある。世の中も自分も無常で変わり続けるからこそ、慌てて不要な判断までしていないか問いかけたい、と横山さんは言います。
煽られず、次の世代に「任せる」という判断
断捨離や終活が流行る一方で、何でも処分するのを煽る風潮に横山さんは辟易していると言います。特に終活絡みは過剰で、高齢者のストレスになっているのではないかと危惧します。
煽りすぎですよね、終活ね。そういう肩棒を担ぎたくないというのが最近の僕の立場ですね。
とはいえ何でも先送りしろとは言いません。体力と判断力があるうちにある程度片付けることは必要ですし、残せば子供が本当に困るものもある、と現実的な理由も認めます。
横山さんが挙げる「先送りしていい条件」は、しばらく考えて、物理的にも金銭的にも、今も次の世代も誰も困らないものです。
全部片付けて渡すのではなく、留保するものも含めて判断の材料と自由を渡す。これが「決めないという決断」の美学の中身ではないか、と横山さんはまとめます。
未来につなぐために「ちゃんと考える」
横山さん自身、住職として何を残し、何を自分の代で片付けるかをここ数年考え続けているといいます。片付けるべきことはこれからも生じ続けます。
そのなかで、次の世代の負担にならないものをいい形で残し、なんとかすべきことは適切に片付ける。それをちゃんと考えることが大事だと話します。
紋切り型に、もうバサッと切った方に全部片付ける、なるべくさっぱりして木も切ってみたいなことがいいみたいなことでは決してない。
タイパやコスパ、合理化の時代に逆行する話。それでも、そうしたものが大切なものを未来につなぐことは確実にある、と横山さんは締めくくります。
まとめ
「先送りの美学」とは、何でも急いで片付けるのではなく、まだ決めなくてもいいことを焦って決めないという姿勢です。世間の煽りに惑わされず、自分の頭でよく考え、後を任せる人たちとよくコミュニケーションをとることが説かれました。
- 「決めない」ことも一つの決断であり、急いで片付けなくていいものは残していい。
- 今は価値が見えなくても、後から意味を持つものがある。仏教の縁起の考え方が背景にある。
- 終活や断捨離を過剰に煽る風潮は、高齢者のストレスになりうる。
- 体力や判断力があるうちに片付けるべきものはある、という現実も否定していない。
- 大切なのは、判断材料と「任せる」という自由を次の世代に渡すこと。
