検診をしても人は必ず死ぬ
この回は前日の「検診に行け」という話を一歩進めた内容です。横山さんは、まず結論を述べます。
検診に行こうが、脳の写真を撮ろうが、健康に気をつけようが、人はいつか必ず死ぬということです。
検診にいくら行こうが、健康に気をつけようが、いつか必ず死ぬということなんですよね。死なない人はいないわけなんですね。
しかも、死はいつどうなるかわからない。自分で選ぶこともできません。
横山さんは、これが仏教でいう根源的な苦しみだと話します。紙の裏表のように、体につく影のように、逃げられないものだと表現しています。
人の死に慣れてしまう怖さ
横山さんは仕事柄、人の死を見ることが多いといいます。死ぬ瞬間ではなく、死んですぐの人やその周りに立ち会うことが年間十以上あるそうです。
お通夜や葬儀で、遺体の前に座ってお経をあげ、まだ温かいこともあれば冷たくなっていることもある遺体に触れる。そういう中で、時々怖くなることがあると打ち明けます。
人の死の現場に立ち会っていることが、慣れてしまってんじゃないかってことが、時々ものすごく怖くなりますね。
他人の死である二人称・三人称の死には慣れてしまう。けれど、絶対に慣れないのは一人称の死、つまり自分自身の死だと横山さんは言います。
一度きりの自分の死は、二人称・三人称の死をたくさん見る中で、かえってよくわからなくなっていく。それはみんなも同じかもしれないと話します。
死が見えなくなった多死社会
日々の当たり前の日常が過ぎていくと、死はなかなか見えなくなります。しかも今は多死社会になり、身近で死を見る機会が減っていると横山さんは指摘します。
病院や診療所での死亡の割合は、2000年には81パーセントでしたが、2023年には65.7パーセントに低下したそうです。これは介護施設などで亡くなる方が増えているためだと考えられると話します。
一方、昭和26年には死亡数83万8998人のうち、およそ69万2000人が自宅で亡くなっていたそうです。かつては家で死ぬのが当たり前で、家族も近所の人も人の死を目の当たりにしていました。
今は家で死ぬことはほとんどなく、葬式も簡素になっている。この七、八十年で死は家から病院へ移り、少し在宅へ戻りつつあるものの、死を見ないまま大人になる人が多いと横山さんは言います。
だからこそ横山さんは、葬式に子供がいると「触れ」と言うそうです。冷たくなったおじいちゃんおばあちゃんに触りなさい、と。
ショッキングなことだから、ショッキングなことはショッキングなものとして、ショックを受けるべきだと僕は思うわけですね。
いつか自分も、大切な人も冷たくなる日は避けられない。どちらが先かもわからず、若いからといって関係ないと横山さんは話します。
メメント・モリとカルペ・ディエム
横山さんは「メメント・モリ」という言葉を紹介します。死を思え、死にゆく存在であることを心に置いておきなさい、という意味だといいます。
先日亡くなった山田五郎さんの最後のYouTubeでも、ちょうどメメント・モリがテーマになっていたと横山さんは触れます。
戦車で凱旋する将軍の背後に奴隷が立ち、「後ろを見よ。汝が人間であることを忘れるな」と耳打ちしたという話も紹介されます。
どんなに偉かろうが、身分が低かろうが、金持ちだろうが貧乏だろうが、賢かろうが愚かだろうが、若かろうが老いていようが、死の前では平等だということです。
そして横山さんは、メメント・モリと対になる「カルペ・ディエム」という言葉を挙げます。
摘めっていうのは収穫の動詞で、遊べとか楽しめではなく、限りある人生だからこそ、今日摘めることを収穫せよということですね。
単に今を快楽的に楽しむのではなく、今日やるべきことをやれという意味だと横山さんは説明します。メメント・モリとカルペ・ディエムは、紙の裏表のようなものだといいます。
仏教の教えが伝える「臨終」
横山さんは、死をめぐる仏教のエピソードとして、子を亡くした母キサーゴータミーの話を紹介します。
子供を蘇らせてほしいと願う母に、お釈迦様は「これまで死者を出したことのない家から芥子の実をもらってきたら蘇らせよう」と告げます。
彼女は町の一軒一軒を訪ね歩きますが、死者を出したことのない家は一軒もないと知ります。死はどこにでもあり、免れている人は誰もいないということです。
さらに横山さんは、日蓮聖人の言葉「まず臨終のことを習うて、後に他事を習うべし」を挙げます。妙法尼御前御返事にある言葉だといいます。
私たちは常に終わりに臨んでいる。まずそのことをよく知り、心に留めてから、他のことを行うべしという意味です。
こうした言葉は何百年も前から変わらず心に響く、人間の避けられない苦しみを示していると横山さんは話します。
今日のうちに摘める花を摘む
俺も死ぬし、お前も死ぬ。それは切なく儚いことだけれど、忘れてはならないことだと横山さんは繰り返します。
切なく儚いものなんですね、私たちの命って。だから俺も死ぬし、お前も死ぬから、今日やっとくべきことはやっておこうと。
後で悔やむようなことは今日やっておく。それは検診かもしれないし、会いたい人に会うことかもしれない、と横山さんは具体例を挙げます。
身近で感謝できない人に感謝すること、何かを始めること、誰かに伝えたいことを伝えること、欲しいものを買うことかもしれない、と続けます。
ボーッとしていれば時間はあっという間に過ぎ、過ぎた時間は帰ってきません。だからその日のうちにできることはやっておく、と横山さんは締めくくります。
まとめ
検診や健康管理をしても人は必ず死ぬという事実から、横山さんは死を忘れず、今日できることをやる大切さを説きました。メメント・モリとカルペ・ディエム、そして仏教の教えが、同じ真実を伝えています。
- 検診をしても健康に気をつけても、人はいつか必ず死ぬという避けられない苦しみがある
- 多死社会で死を見る機会が減り、死を見ないまま大人になる人が増えている
- メメント・モリは死を忘れるな、カルペ・ディエムは今日摘める花を摘めという対の教え
- 死の前では身分や年齢に関わらず誰もが平等であり、免れている人は一人もいない
- 後で悔やまないよう、今日のうちにできることをやっておくことが大切
