君主論シリーズ④
チェーザレ・ボルジアが戦った条件は、彼が作ったものではありません。
彼が生まれる210年前、1265年に教皇クレメンス4世がナポリ王国をアンジュー家に授けました。だからナポリの王冠は教皇が授けるものになり、フランス王が武力で奪っても正統な王にはなれなかった。
彼が生まれる118年前、1357年の法で、教皇庁は土着の領主たちを「教皇の代理」として法的に認めました。上納金と軍役の代わりに実質の自治を認める、という妥協です。だからロマーニャの領主は反逆者ではなく契約相手で、討伐ではなく契約を切る手続きが必要だった。
その前の100年以上、教皇はアヴィニョンにいて、さらに複数に分裂していました。だからローマの支配は崩壊し、地方は自立していた。
そして彼が19歳のとき、フランス王がアルプスを越え、教皇はサンタンジェロ城に籠って自分の要塞を明け渡しました。軍隊を持たない権威の限界を、彼は目の前で見ています。
——どれ一つ、彼の責任ではありません。
教皇が世襲できないことも、彼が選んだわけではない。だから父が死ねば全部消える。その期限も、与件でした。
マキャヴェッリの言葉で言えば、これがフォルトゥナです。自分では動かせない、外から来る条件の総体。
では彼は、その盤面で何をしたのか。
1502年10月、雇っていた傭兵隊長たちがまとまって離反します。町を失い、野戦でも負けた。その状態で彼は、他国の使節にこう言いました。「破産者たちの会議だ」「奴らをあしらっているだけだ。私は自分の時を待つ」。
そして三ヶ月後、一度も戦わずにその反乱を終わらせています。
これがヴィルトゥです。第25章にこうあります。「人間の事績の半分は運命が支配するが、残りの半分は人間の力によって制御できる」。
この回で扱った記録
原典
- マキアヴェッリ『君主論』——第6章(四英雄/武装した預言者)、第7章(チェーザレ/レミッロ/教皇選出の誤り/「彼は私に語った」)、第11章(教会君主国)、第12章(1494年「チョークを手に」)、第25章(フォルトゥナ/堤防)
- マキアヴェッリ『ヴァレンティーノ公がヴィテロッツォ・ヴィテッリ、オリヴェロット・ダ・フェルモ、パオロ殿、グラヴィーナ公オルシーニを殺害した方法についての記述』(1503年)
- マキアヴェッリ使節書簡——1500年8月(第12番、「セル・ニヒロ」)、1502年12月31日(セニガッリア発)
制度・文書
- 1357年の教皇領基本法(代理領主の承認。1816年まで存続)
- 1499年の教皇勅書(上納金不払いを根拠とする代理領主の罷免)
- 1454年ローディの和/1495年3月31日の対仏同盟
評伝・二次資料
- Sarah Bradford『Cesare Borgia: His Life and Times』(1976)——チェーザレの人物像(無言と多弁の落差、夜通しの活動と数日の沈黙)はマキャヴェッリの観察としてこの評伝が伝えるもの
- Rafael Sabatini『The Life of Cesare Borgia』(1912)——「破産者たちの会議」「今年の星回りは反乱者に不利らしい」の二つの言葉はこの評伝が出どころ
- 塩野七生『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』——冒頭の「イタリア?」の場面。および三ヶ月の処理の流れ全体
- マリオン・ジョンソン『ボルジア家——悪徳と策謀の一族』海保真夫訳(中公文庫、1987年)——一族の通史。教皇領の枠組みの中でボルジア家が何をしようとしたかという視点
※注記:原典の引用は英訳(Marriott 訳ほか)からの拙訳を含みます。河島英昭訳(岩波文庫1998)との逐語照合、および使節書簡の伊語原文との照合は未実施です。
参考書籍
- マキアヴェッリ『君主論』河島英昭 訳(岩波文庫、1998年) ISBN 978-4-00-340031-9
河島英昭による定番の新訳。本シリーズが底本として参照する原典。
岩波書店 公式:https://www.iwanami.co.jp/book/b248711.html
- 鹿子生浩輝『マキァヴェッリ ――『君主論』をよむ』(岩波新書、2019年) ISBN 978-4-00-431779-1
『君主論』を時代背景と原典に即して読み解く入門書。ヴィルトゥ・チェーザレ・傭兵論を扱う本エピソードの副読本に最適。
岩波書店 公式:https://www.iwanami.co.jp/book/b452029.html
- 塩野七生『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』(新潮文庫/新潮社)
本エピソードが参照した主要な一冊。都市国家を統一して自らの王国とする野望を抱いた若者としてチェーザレを描く。冒頭で引用した「イタリアの不和の源を滅ぼしたのだ」「イタリア?」「そうだ、イタリアだ」の場面はこの本に描かれたもので、番組内でもそう述べている。マジョーネ同盟の危機をどう処理したかという本エピソードの背骨(オルシーニの懐柔 → 時間を稼ぎながら傭兵を雇う → 同盟を解体 → フランス軍を返す → レミッロの処刑 → 恭順 → セニガッリア)も、この本の叙述の流れに沿っている。なお調べたところ、この流れの大半はマキャヴェッリ自身の『記述』で裏づけられる。 物語として読ませる筆致なので、会話の再現部分は他の資料と併せて確認するのが安全。
新潮社 公式:https://www.shinchosha.co.jp/book/118102/
- マリオン・ジョンソン『ボルジア家——悪徳と策謀の一族』海保真夫 訳(中公文庫、1987年/中央公論社、1984年) ISBN 978-4-12-201439-8
本エピソードが参照したもう一冊。原著は Marion Johnson, The Borgias(1981年)。一族全体を通史として扱う評伝で、ロドリゴ(アレクサンデル6世)の教皇選出からチェーザレの失墜までを一本の家系の物語として追える。チェーザレ単独の評伝より、「教皇領という枠組みの中でボルジア家が何をしようとしたのか」という本エピソードの視点に近い。