スピーチでまとまる国は今も変わらない?
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前回までの話で、アメリカという国の自覚は、13植民地を巡回した「めちゃくちゃスピーチのうまい牧師」によって芽生えたとされていました。樋口さんは、スピーチでまとまる国という点に驚きます。
これすげえな、スピーチでまとまる国すごいなあ。
深井さんは、スピーチでまとまるのは今のアメリカも同じだと話します。トランプさんの演説で聴衆が熱狂するニュース映像や、テレビで放送され続ける牧師の説教を例に挙げ、同じ現象は日本ではなかなか見ないのではないかと語ります。
深井さんによれば、信仰復興以前の「アメリカ」は単なる地域名でした。中国地方と関西地方の違いのように、「関西」と言えば関西人という社会や文化を指すのと同じ変化が、「アメリカ」という言葉にも起きたといいます。
13植民地がある地域の名前。中国地方のような地理的な呼び名
信仰復興(リバイバル)以降、人々や社会そのものを指す言葉に
この信仰復興は第1次だけでなく第2次、第3次と続き、その結果として今のアメリカができていったと説明されます。話の多くは、森本あんりさんの著書『反知性主義』を参考にしていると深井さんは紹介しています。
チャーチ型とセクト型とは何か
深井さんが紹介するのは、森本あんりさんが『反知性主義』で示した「チャーチ型」と「セクト型」という概念です。もともと宗教社会学の分類で、アメリカはこの2つが争い続けている国だと理解できるといいます。
チャーチ型は、中央集権的で社会と深く融合した教会のあり方です。その社会に生まれた人は皆その教会の構成員になり、所属を選べません。教会は地上における神の代理で、神からの超自然的な救いを社会に分配する唯一の機能だとみなされます。
一方のセクト型は、そうした教会の存在を根こそぎ否定します。セクト型の人々は、教会制度を「この世と妥協した堕落の結果」と考え、新約聖書の時代の純粋な姿に戻るべきだと主張します。
深井さんは、セクト型の集団には、自分たちを生んだ母集団に常に否定的で、高い倫理意識を持ち、入会資格を厳しくして精鋭だけを認めるという特徴があると説明します。イギリス本国を嫌うアメリカの振る舞いも、セクト型的な挙動にあたるといいます。
中央集権的で社会と融合。生まれた人は皆構成員になり、教会が救いを分配する唯一の機能を担う
教会制度をこの世と妥協した堕落とみなす。高い倫理意識を持ち、資格のある精鋭だけを仲間にする
はー、なるほど。結構激しいですね、セクト型の方は。
トランプが支持されるのは知性嫌いだから?
深井さんは、前回触れた反知性主義もセクト型から出てくると話します。アメリカのインテリ嫌いは知性そのものが嫌いなのではなく、シンプルに権力が嫌いだというのです。権力のある場所に知性のある人が多いため、知性を否定しているように見えるだけだといいます。
なんであんな人が大統領なの?って日本人で思ってる人たっくさんいると思うんですよね。
深井さんはブッシュ大統領も知性タイプではなく、オバマ大統領は知性タイプだったと対比します。そのうえで、権力的でない人に人気が集まる感覚こそがセクト型だと説明します。
ただし、セクト型だけでは社会は運用できません。プロテスタントのセクトがばらばらに分裂していてはイギリスに対抗できず、ある程度まとまる必要がありました。楊さんは、まとまる力と分散する力が同時に働き、それぞれの人がどんな割合で持つかが問われると補足します。
深井さんは、前シリーズで出た「アメリカは理想と現実の矛盾を容認できる国」という見方が、ここで進化すると話します。セクト型は現実を無視した理想で、妥協を堕落とみなします。チャーチ型は、実際に運営すればバランスを取ってそうなるという現実的な考え方です。
現実的。これがどっちも共存してるよ。しかもずっと戦ってるよ。これがアメリカだってことですね。
深井さん自身、もう少し複雑だと断りつつ、骨子を抽出すればアメリカはプロテスタント的な宗教観念でまとまった国だと言っても間違ってはいないと話しています。
反中国と非キリスト教徒の移民という新しい課題
深井さんは、この座組でできた国が今、反中国になっているのは理解しやすいと話します。楊さんは中国が超中央集権である点を挙げますが、深井さんはそれに加えて、シンプルにクリスチャンではないことも大きいと見ています。
宗教感覚が共有されてない。この感覚っていうのが、今や宗教感覚から昇華したアメリカ感覚になってるんだけど、
アメリカ感覚はもともとクリスチャン感覚から出ているため、にわかには共有しにくいというのが深井さんの見立てです。ヒスパニック以後の非キリスト教徒の移民がマジョリティや権力を持ち始めたのは意外と最近で、アメリカがこれまで抱えてきた問題とは異質だといいます。
樋口さんは、アメリカが歴史上まだ解決したことのない問題なのだと受け止めます。楊さんも、クリスチャン側から見ればムスリムやアジア系の人々の価値観にどれだけ互換性があるのか、常に疑問があるのだろうと話しています。
国教を禁じた宗教国家という矛盾
楊さんは、セクト型を生んだもう1つの要因として宗教的な競争環境を挙げます。アメリカはキリスト教が中心なのに、憲法レベルで国教 ── 国家が公式に定めて保護する宗教。アメリカでは合衆国憲法修正第1条が、連邦議会による国教の樹立を禁じていますの樹立を禁止しています。
深井さんは、大統領就任式では聖書が使われるのに国教はないと、その不思議さを指摘します。楊さんによれば、宗教や教派が自由競争でしのぎを削る環境が初期設定として与えられ、プロテスタントは分裂と統合を繰り返してきました。
楊さんは資本主義にたとえ、信徒の側から見ればさまざまな商品やサービスの中から自分にふさわしい教派を選べる状態だと説明します。こうした環境の中でセクト型が機能していったという背景があるといいます。
国の宗教がないと言っているけど、すごく宗教でまとまってるじゃないですか。
深井さんは、国民の92パーセントがキリスト教の観念で動いているのに国教がない状態こそ、チャーチ型とセクト型の妥協の産物であり闘争状態だと話します。他国からは矛盾やおためごかしに見えても、アメリカでは本気でそうなっているのだといいます。
政府は神の道具か、必要悪か
チャーチ型とセクト型では、国家や政府の見え方も異なります。深井さんは、今のアメリカ人全員がそう思っているわけではないと断ったうえで、大本の精神を説明します。
チャーチ型から見ると、国家や政府は神の御心を実現する地上の道具です。100パーセント機能できないとしてもあったほうがよいと考え、楽観的に積極的な社会建設を目指します。
セクト型から見ると、地上の権力はすべて人間の罪ゆえに仕方なく存在する必要悪です。神と直接つながれればよいのに、人間が至らないから作らざるを得ないもので、常に見張り、警戒を怠ってはいけない対象だとされます。
マジでなるべくない方がいい。これで権力が嫌いになるということだよね。
楊さんは、そこから三権分立をやろうという発想が出てくると補足します。森本さんの本では、大方のアメリカ人は政府の必要性を渋々認めつつも、最小限でなければならないと考えていると書かれているそうです。
深井さんは、銃規制、健康保険制度、同性婚の容認なども、このせめぎ合いで決まっていると紹介します。個人の防衛権としての銃と規制の必要性、自己責任論と社会保険のせめぎ合いがその例です。
神の御心を実現する道具。完全でなくてもあったほうがよく、積極的に社会を建設する
人間の罪ゆえに仕方なく存在する必要悪。なるべくないほうがよく、常に警戒する
深井さんは、今の政府は妥協の産物だが、ないと生きていけないと彼らは考えていると話します。しかもその妥協は原罪などの神学的感覚の果てにあるため、単なる利害調整ではなく「ホーリーさ」を帯びるといいます。
楊さんは、アメリカ人の精神性には現実的な問題を処理するレイヤーとホーリーなレイヤーがあるとまとめます。深井さんも、本に書かれていた「アメリカの政教分離 ── 政治と宗教を切り離し、国家が特定の宗教を優遇・強制しないという原則は政治学というより神学のプログラム」という言葉を紹介しています。
深井さんが強調するのは、アメリカ人が今信仰しているかどうかではなく、アメリカが作ったシステムがキリスト教的だという点です。宗教分布が変わっても枠組みが変わらなければ、非キリスト教徒がアメリカ的になるときに問題が起こるかもしれないと、深井さんは懸念を口にしています。
共和党にも民主党にも党首がいない理由
深井さんは、アメリカ人の政府や権力への不信感も政治ではなく神学に基づいていると整理し、話を政党政治へ移します。アメリカでは政党に関する憲法上の規定がなく、二大政党制も二つでなければならないと決まっているわけではないといいます。
日本を含む多くの国では、政党は統率された組織で、所属がはっきりしており、党首の決定に党全体が従うのが当然とされます。ところがアメリカの民主党も共和党も、州など地域単位の政党組織の集合体で、指導部がトップダウンで強制的な指示を出せないそうです。
大統領候補はいますし、大統領はいますけど、その党から出た大統領っていうのはいるけど、党首っていないんですよ。
頭がいない組織なんや。
深井さんは、これもチャーチ型とセクト型のせめぎ合いの結果だと話します。議員は基本的にセクトで、自分の支持基盤や自分が何を言うかが大事ですが、政党を作らないと何もできないため、しょうがなく党を作っているのだといいます。
政党の内外の境目もはっきりせず、誰が構成員かの明確なルールもないそうです。選挙ですら統一方針で動くわけではなく、党内の組織や政治家がそれぞれの動機で行動すると紹介されます。
統率された1つの組織。所属が明確で、党首の決定に党全体が従う
地域単位の政党組織の集合体。党首がおらず、所属の境目も曖昧で、議員が自律的に動く
楊さんは、株式会社に社員として属していながら全員が実質的には個人事業主のような状態だとたとえます。ただし、その時々の力関係で発言力の強い代表的な人物が事実上出てくることはあると補足しています。
徹底的にぶつけ合って決める立法プロセス
深井さんは、独立性のある者同士がぶつけ合って妥協するのがアメリカの基本プロセスで、それが法律の制定にも表れていると話します。州には州の憲法と議会があり、そのメタ的な構造として連邦議会があり、上院と下院に分かれています。
立法では上院と下院が基本的に対等で、同じ内容の法案が両院の過半数で可決されると、大統領の署名で法律になります。大統領は拒否権を持ち、拒否された法案は両院で3分の2以上の賛成がなければ再可決されません。
両院で可決
同じ内容の法案が上院・下院それぞれの過半数で可決される
大統領の判断
署名すれば法律になる。拒否権を使うこともできる
再可決
拒否された場合、両院で3分の2以上の賛成があれば成立する
憲法修正は、連邦議会の3分の2以上の決議で発議し、4分の3の州が批准すれば成立します。こちらには大統領の署名は必要ないそうです。
深井さんが特徴として挙げるのは、どんな法案でも審議過程で徹底的に修正されることです。日本の国会では内閣提出法案の約8割が実質的な修正を経ずに成立すると言われるのに対し、アメリカでは委員会でも各院でも、法案の質を上げ支持を得るための修正が行われます。
もう1つの特徴は、議員が所属政党から自律的に動くことです。アメリカの議員は当選までに政党の恩恵をほとんど受けないため、指導部が賛否を働きかけても従う必要がないといいます。樋口さんは、公認制度がある日本との違いに触れています。
なんかDNAみたいな感じがするな。全部につながっていて、いろんな規模で起こっているね。
深井さんは、セクト型の人たちが国を作ろうとしたが、セクト型だけでは作れず、しょうがなくチャーチしたことが学びだと話します。日本人は中央集権をしょうがないとは思っておらず、あったほうがよいと思っている点が、日本・中国とアメリカの感覚の違いだといいます。
お金を稼ぐことが「徳」になる国
深井さんが最近、民主主義やシリコンバレーの仕組みを日本人はすぐには真似できないと言っているのは、この理解に基づいているそうです。樋口さんは、主張を戦わせて勝ったほうが決めるやり方が、一見ローコンテクストに見えると話します。
ビジネスパーソンの交渉みたいに見えるけど、ルーツが神学だってことなんだよ。
深井さんは、お金を稼がなければならないという感覚も神学から来ていると説明します。マックス・ウェーバー ── ドイツの社会学者。プロテスタントの禁欲的な職業倫理が資本主義の発展を後押ししたと論じたことで知られていますらが指摘したように、蓄財が信仰にかない、神の祝福だとする感覚があるといいます。
ほかの権威が存在しないアメリカでは、何で差をつけるかが切実な問題になり、お金がより神性を帯びたものになると深井さんは話します。
樋口さんは、日本ではむしろ逆だったりすると応じます。深井さんは、アメリカ人がお金にグリーディーになる感覚は日本人とはレベルが違い、キリスト教感覚を持たない人でもアメリカで暮らせばそうなるし、そういう感覚になりたい人がアメリカに行くのでさらにブーストされると話しています。
深井さんは、これこそ人文知 ── 哲学・歴史・宗教・文学など人文学が蓄えてきた知の総称。コテンラジオが社会に活かすことを掲げている考え方ですの領域だとし、アメリカのシステムは「だいぶ魔改造しないと使えない」と語ります。樋口さんは、見た目だけ導入しても駆動しないという話だと受け止めています。
アメリカ的理念へのロイヤリティと「正義」
深井さんがこの回で伝えたいのは、アメリカの人たちの感覚が日本人とまるで違い、それがあらゆるところに生きているということです。その理由は、アメリカが理念国家だからだといいます。
お前これに合意するよなっつって合意させて入った人、このアメリカ的理念に合意した人のみがアメリカ人なんですよ。
深井さんによれば、アメリカ的理念へのロイヤリティはアメリカ人にとって非常に大事で、トランプさんが他国に求めているのもそれだといいます。日本的な「言うこと聞けや」と、アメリカ人が他国に求める「言うこと聞いてくれや」は、神学に由来する神聖さを帯びている点で意味がまったく違うそうです。
だから正義って論理的に正しいとかじゃなくて、ホーリーなやつなんや。
深井さんは、1週間ほどアメリカに滞在しただけでも、その精神に貫かれた空気を感じたと振り返ります。そこに住めばそうなるし、合わない人は出ていき、合う人が集まるので本当にブーストされるといいます。
次回予告。奴隷制と「初期設定矛盾」
次回は、アメリカの奴隷制の話に進みます。深井さんは、自由と平等、独立性を重んじるセクト型の感覚は奴隷制と真っ向からぶつかると話します。
それでも奴隷制が存在したのは、チャーチ型とセクト型の闘争、つまり現実と理想の妥協の産物だったからだといいます。南部にとって奴隷制は現実的に必要でしたが、理念と照らせばどう考えても違うという矛盾をアメリカは抱え続けました。
この初期設定矛盾がバチバチで爆発したのがリンカーンが大統領だった時なんですよ。
深井さんによれば、人々は一番危険なこのコンフリクトを騙し騙し避け続けてきましたが、ついに決着をつけなければならなくなり、その結果が南北戦争だったといいます。次回は奴隷制の起源と経緯を改めて振り返ったうえで、話を進める予定です。
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まとめ
この回では、アメリカを「もともとセクト型の人々が、しょうがなくチャーチを作った国」として捉える視点が示されました。権力嫌い、国教のない宗教国家、党首のいない政党、徹底的に修正される法案、お金と徳の結びつきまで、同じ構造が神学を根にしてフラクタルに現れていると語られています。
- チャーチ型は教会を救いの唯一の機能とみなし、セクト型はそれをこの世と妥協した堕落とみなす
- アメリカの反知性主義は知性嫌いではなく権力嫌いで、政府は必要悪として最小限であるべきとされる
- 共和党・民主党に党首がおらず、議員が自律的に動くのもセクト型の表れとされる
- 妥協の産物にも神学的な神聖さが宿り、アメリカの「正義」や理念へのロイヤリティにつながっている
- 理想と現実の初期設定矛盾が最も激しく爆発したのが、リンカーン時代の奴隷制と南北戦争だった






