📝 エピソード概要
本エピソードは、リンカーン編の前提として、19世紀のアメリカ南部経済と奴隷制の複雑な関係を詳述します。技術革新と国際的な需要(イギリスの産業革命)により綿花産業が爆発的に拡大し、南部経済の基盤となりました。これにより、かつて衰退の気運があった奴隷制が再活性化・強化され、奴隷人口が急増し、非人道的な奴隷の「繁殖」システムが確立されます。豊かさの裏側で、南部は綿花に特化するあまり他の産業が発達せず、南北間の経済的な依存と対立構造が固定化していくプロセスを解説しています。
🎯 主要なトピック
- 奴隷制禁止への南部の当初の妥協: 1808年の奴隷貿易禁止時、タバコや藍産業の斜陽化により奴隷が過剰だったため、南部も輸入禁止に同意しました。しかし、奴隷制度そのものの廃止には強く反発していました。
- 綿花栽培と技術革新の影響: 品種改良(アップランドコットン)による栽培可能エリアの拡大と、綿繰り機の発明により生産性が1000倍に向上し、綿花が主要な輸出産業として確立しました。
- 奴隷人口の急速な増加: 綿花栽培が短期間の労働集約型であったため、黒人奴隷の需要が爆発的に増加。奴隷貿易禁止後も60年間で奴隷人口は約5倍に急増しました。
- 奴隷の「家畜化」と繁殖システム: 奴隷人口の急増は、主に奴隷を「つがい」として扱い、子供を産ませるという非人道的な繁殖・育成システムによって支えられました。家族の引き離しは日常的に行われました。
- 南部の産業構造の硬直化: 綿花栽培が莫大な利益を生んだため、南部は工業や商業を発達させず綿花に特化し、流通や金融を北部(ニューヨーク)に依存する構造が固定化しました。
- 南部の複雑な社会構造: 奴隷を多数保有する裕福なプランター層は白人人口のごく一部(5.6%)に過ぎず、貧しい白人層(ホワイトトラッシュ)との間で大きな格差が存在しました。
💡 キーポイント
- 綿花栽培拡大後、かつて奴隷制を「堕落」と呼んだプランターも、経済的利益を前に熱烈な奴隷制擁護者に転向しました。
- 1790年代に690トンだった綿花生産量が、1860年には88万2000トンと70年間で1000倍以上に増加し、南部は自らを「コットン・キングダム(綿花王国)」と自負しました。
- 奴隷の女性は「つがい」として強制的に性行為を強要され、多くの子供を産む能力が商品価値として高く売買されました。
- 南部が工業化に踏み切れなかった主な理由の一つは、奴隷に機械操作のスキルを習得させることによる、奴隷の逃亡や反乱のリスクを恐れていたためです。
- 南部で生産された綿花の流通や金融は北部(特にニューヨーク)に集中しており、南部は北部から二重の収奪を受けているという意識を抱きました。

