筋トレで発熱? 根性で収録に来たパーソナリティ
本編の前に、樋口さんが体調不良を打ち明けます。収録の2日前ごろまで39度2分の熱が出ていて、来られるかどうかぎりぎりだったそうです。
僕筋トレ嫌すぎて、筋トレしたら発熱するんですね。
樋口さんが医者に行ったところ、感染症ではなく、頭痛と発熱だけの原因不明の熱だと言われたそうです。樋口さん本人は、原因は筋トレのストレスだと考えています。
樋口さんが筋トレをやめられない理由は、パーソナルトレーナーからの忠告です。筋肉をつけないと、何十年後かに体のどこかが絶対おかしくなると言われています。電気で筋肉を動かす装置では駄目で、カロリーを減らして筋力をつけるしかない、というのがそのトレーナーの考え方だそうです。
だから(筋トレを)やらなくても体壊すし、やっても体壊すんで、もう僕終わりです。
それでも樋口さんは、ストレスで出た熱はストレスで克服できると言い切り、「根性でいきます」と本編の収録に臨みます。
「リンカーン」ではなく「リンカン」? 5年ぶりのアメリカ史
タイトルコールの直後、話題はまずリンカンの呼び方になります。深井さんによると、最近の本では「リンカーン」と伸ばさず「リンカン」と書かれることが多く、アメリカでの発音もそもそも伸ばしていないそうです。
一方の樋口さんは、お笑い番組の「リンカーン」もあったくらいなので、日本人は「リンカーン」で覚えていると反論します。結局、番組内では「そんなに伸ばさないリンカン」で統一することになりました。
楊さんによると、番組がアメリカ開拓史編を収録したのは2020年3月で、約5年ぶりのアメリカ史になります。開拓史編でも奴隷制や南北戦争、ネイティブアメリカンの話を扱いましたが、今回のシリーズは南北戦争と奴隷制、そこで大きな役割を果たしたリンカンに絞り、前回より解像度を上げて紹介する方針です。
リンカンは南北戦争のときのアメリカ大統領です。「人民の、人民による、人民のための政治」という言葉は日本の教科書にも載っていて、ゲティスバーグ ── ペンシルベニア州の町。南北戦争の激戦地で、1863年にリンカンがここで行った短い追悼演説が「人民の、人民による、人民のための政治」の一節で知られていますの演説とあわせて、知らない人はほとんどいないだろうと深井さんは話します。
南北戦争はまだ終わっていない? シリーズで見えるアメリカの行動原理
収録は2025年7月です。楊さんは、南北戦争と奴隷制というテーマが、今のアメリカとバチバチに地続きだと指摘します。
楊さんが挙げる例は、南軍を率いたロバート・リー将軍の像です。アメリカ各地に立つリー将軍の像を撤去するかどうかをめぐって、今も議会やデモで揉めています。楊さんは、こうした現象が現在進行形で起きている以上、南北戦争はまだ終わっていないという感覚だと話します。
日本人から見ると、なぜ今そんなことで揉めているのかと不思議に思えるかもしれません。ただ、アメリカ人にとって南北戦争(向こうでは「シヴィルウォー」)は、リアリティのある身近な出来事だといいます。楊さんは、このテーマを追えば、アメリカの国の構造やメンタリティー、行動原理がかなりわかると話します。
今回、アメリカのなんかメンタリティーと行動原理は、かなり前に比べてさらに詳しくわかるんじゃないかなと思って。
楊さんは、自由と平等を掲げるアメリカが、なぜ黒人奴隷制や戦争、ネイティブアメリカンの暴力的な排除をできたのか、普通に考えると意味がわからないとも話します。今回のシリーズは、この矛盾にも迫っていく構成です。
リンカンについても、楊さんは「エモい偉人」として語られがちだが、偉人である前にバチバチの政治家だったと話します。国が分裂しかける局面での苦悩や、その瞬間ごとの判断を、アメリカの構造とつなげて理解する話になるそうです。
深井さんによると、今回も内容は難しく、リンカン本人が登場するのはこれまでのシリーズで一番遅い回になります。それまではアメリカの前提条件を話し続けますが、そこまで聞けば構造とストーリーの掛け算で楽しめるとして、前半を気合を入れて聞くようリスナーに呼びかけます。
シリーズの聞き方
樋口さんは、深く理解したい人はアメリカ開拓史編を先に聞いたほうがいいかもしれないと勧めます。深井さんによると、今回のシリーズだけでも意味はわかるものの、独立戦争の詳細や入植の順番は前回に譲るため、両方聞くとアメリカ史がかなりよくわかるそうです。
人工国家アメリカと、13植民地を怒らせた本国の課税
本編は、アメリカ独立戦争から建国期までのおさらいから始まります。深井さんはまず、アメリカはよく「人工国家」と呼ばれると紹介します。
元々あった国をこう変えようでもないし、(中略)存在しない国を作ってみようつって作ったんですよね。
もっとも深井さん自身は、国はすべて人工だろうとも思っているそうで、アメリカの場合は「作為的」という意味だと補足しています。
楊さんによると、北米大陸にはもともとネイティブアメリカンが暮らしていましたが、国家は形成していませんでした。そこに16〜17世紀にかけてスペイン、イギリス、フランスなどが植民活動を始め、イギリスが北米に作った植民地が13ありました。
深井さんが取り上げるのは1770年ごろの状況です。13植民地は経済的にも文化的にも成熟していましたが、政治的には本国イギリスの支配下にあり、イギリス議会がさまざまな税金を課してきます。
イギリスが課税を強めた背景には、戦争の連続がありました。深井さんによると、イギリスはヨーロッパでの戦争に加え、北米でもフランスとフレンチ・インディアン戦争 ── 1754〜1763年ごろ、北米の植民地をめぐってイギリスとフランスが戦った戦争。ヨーロッパの七年戦争と連動し、勝ったイギリスは北米で広大な領土を得ましたを戦い、インドにも進出していて、お金がとにかく必要でした。
本国の課税の例として、深井さんは1765年の印紙法(新聞や出版物、法的な文書などへの課税)と、1767年のタウンゼンド諸法(植民地に輸入される特定の商品への課税)を挙げます。
ここで深井さんが強調するのは、課税の直前までイギリスが続けていた「有益な怠慢」と呼ばれる状態です。植民が始まった1600年代初頭から200年弱の間、イギリスは遠すぎて細かく管理できず、植民地をほぼ放っておきました。
その間、植民地の人々はネイティブアメリカンとの戦いや巨大な動物、疫病に命をかけて向き合い、なんとか社会を成熟させてきました。深井さんは、放っておいたイギリスが急にお金を求めてきた構図を、親子関係にたとえます。
親であるイギリスがね、育ててくれてなかったくせに、自分がだいぶ青年期ぐらいになってきたら、急に金くれと。なんだこの毒親は。
植民地側からすれば、税金を払っているのに本国の議会に自分たちの代表はいません。この不満が「代表なくして課税なし」というスローガンにつながりました。
有益な怠慢
遠いため本国はほぼ放置し、植民地は命がけで自力で社会を築いた
戦費の拡大
フレンチ・インディアン戦争などで領土が広がり、イギリスはお金が必要になった
課税の開始
印紙法やタウンゼンド諸法で植民地にも税金を課す
植民地の反発
「代表なくして課税なし」を掲げて本国に反発する
税金より自由が問題だった? アメリカの強い自立心
楊さんは「代表なくして課税なし」について補足します。本によっては、13植民地が怒った理由は課税への反発ではなく、実際の税負担もそこまで重くなかったと書かれているそうです。
楊さんが紹介する考察によると、13植民地の怒りのポイントは、自分たちが享受している自由を本国に奪われ、自治ができなくなるという懸念でした。一度奪われたら最後、すべて奪われるのではないかという感覚だったという説です。
深井さんはさらに、植民地に来た人々の動機を指摘します。本国イギリスで自分の思想や信念を守れないと考えた人たちが、命をかけて海を渡り、13植民地を作ったのです。やっと暮らせるようになったところへ本国が干渉してきたため、強い自立心が脅かされると感じて「ノー」を突きつけ、独立戦争へ進みました。
楊さんが「全員が起業家みたいなマインドを持っている」とたとえると、深井さんも、この社会では生きられない、起業するしかないと思った人だけが集まったような状態だと同意します。
深井さんによると、アメリカの自由と平等を求める度合いは他の国とレベルが違い、命をかけてきたという自負もあります。その感覚は1770年代の時点ですでに強くあり、楊さんはこれを「初期設定」と呼んでいます。
ジョン・ロックの抵抗権は、今のアメリカにも息づいている?
植民地の人々に強い影響を与えた思想として、深井さんがまず挙げるのがジョン・ロックです。番組の民主主義シリーズでも扱った思想家です。
ジョン・ロックの自然権 ── 人間が国家や法律より前に、生まれながらに持っているとされる権利。ロックは生命・自由・財産を挙げ、政府はそれを守るために作られると考えましたの考え方では、人間は生まれながらに生命・自由・財産を守る権利を持ちます。ロックの思想で最も特徴的なのは、政府はこれらを守るためだけに存在し、政府がそれを侵害するなら抵抗してよいとした点です。
深井さんによると、この「抵抗権」に共感した人たちがアメリカに来ていました。イギリスが自分たちの生命・自由・財産を脅かしているから抵抗してよい、という感覚で独立戦争が起こされたのです。
深井さんは、どこまで結びつけてよいかはわからないと断ったうえで、現代の出来事にも触れます。トランプ氏が選挙に負け、バイデン氏が大統領になった直後、トランプ支持者が連邦議会議事堂を占拠しようとした事件です。
やってる人たちの正当性の根拠みたいなのって、なんかやっぱジョン・ロックとかが抵抗権言ってるみたいなのに、ロジック的には助けられてんじゃないかなと思ってて。
深井さんは、アメリカでもあの行動に正当性があるとは言われていないと付け加えています。そのうえで、自分の生命・自由・財産を脅かす政府は武力で打倒してよいという考え方が、アメリカに根づいていると指摘します。
楊さんは、開拓民が命がけで生活を一から立ち上げた経験と、ロックの思想がちょうどリンクしたのだと整理します。深井さんも、アメリカはずっと自由がテーマで、今もそれは変わらないと話します。
独立をためらう人を動かしたパンフレット『コモン・センス』
独立戦争に影響を与えたもう一つの存在として、深井さんはトマス・ペイン ── イギリス生まれの思想家・著述家。アメリカに渡り、1776年に『コモン・センス』を匿名で出版して独立の機運を高めましたが1776年に発表したパンフレット『コモン・センス』を挙げます。
深井さんによると、ロックの思想があっても、イギリス王室に武力で抵抗することに踏ん切りがつかない人は多く、全人口の3分の1ほどいたと言われているそうです。その人たちに「やろう」と思わせたのが『コモン・センス』でした。
『コモン・センス』は、今こそアメリカはイギリスから永久に別れるときだと、感情に訴えるエモい書き方で独立を主張しています。識字率の高い植民地社会で数カ月のうちに爆発的に売れ、今なら大ヒットといえる規模だったそうです。
深井さんは、『コモン・センス』の土台にある考え方も説明します。当時、ホッブズやロック、ルソーが「自然状態」という概念を持ち出していました。王様がいる現状から出発すると王様が要らない理由を作るのは難しいものの、何もない原始状態から考え直すと、王様が必要な理由が見当たらなくなります。
この自然状態の発想から、政府の基本要素に王や女王、公爵、将軍は含まれず、国家を構成するすべての人々こそが国家の基礎だという考え方が出てきました。そうであれば、政府が正当であるには人民の承認が必要になり、ここから民主主義の発想が生まれます。
深井さんは、政府を正当化する基礎になるのは指導者の利害でも全体の利害でもなく、個々の市民の利害関心だと強調します。全体の利害を追求するのは民主主義ではなく全体主義であり、まったく違うものだという説明です。
独立の理論はイギリス生まれ。新しい組織が最新理論を使える理由
深井さんは、アメリカが独立の理論的基盤にしたのはジョン・ロックに近い思想で、ルソーはあまり踏襲していないと補足します。ホッブズ、ロック、ジェームズ・ハリントン、ロバート・フィルマー、アルジャーノン・シドニーといった名前が挙がります。
これ非常に面白いのは、今挙げた名前、全員イギリス人です。
つまり、イギリスの先進的な思想家が考えた理論を使いこなしたのは、イギリスから離れようとした植民地の人々でした。楊さんは「皮肉やね」と反応し、以前のレヴィ=ストロース編で出た「腹から生まれる」という表現を思い出します。
深井さんによると、近代的な発想はそもそもイギリスの腹から生まれたものですが、それを一番使えたのは、イギリスのように王様がいないアメリカでした。
最新の理論を使えるのとか、最新の技術を使えるのは新しい組織だっていうのはすごく再現性あるんだよね。
深井さんは、古い組織にも強みはあるものの、新しい理論や技術を気兼ねなく使えるのは新しい組織だと話します。建国の時点でもそれなりに年月は経っていましたが、他国に比べればアメリカは国として幼児のような存在だったといいます。
独立宣言と、王も皇帝もいない前代未聞の統治
こうした思想をもとに、アメリカ独立宣言が出されます。深井さんによると、13植民地の人々は自分たちをバラバラの国だと考えていて独立性も高かったのですが、対イギリスではまとまる必要があり、大陸会議を開いて話し合いました。
独立宣言を起草したのはトマス・ジェファソンで、ロックの自然権思想に強く影響されています。すべての人間は平等に作られ、創造主(キリスト教の神)によって生命・自由・幸福追求の不可侵の権利を与えられている、という内容です。
ただし深井さんは、独立宣言の時点ですでに奴隷制と矛盾していたと指摘します。ジェファソン自身が奴隷を所有していて、その矛盾はトマス・ペインも指摘していたそうです。深井さんは、自分たちの矛盾を自ら批判できる点に、近代西洋哲学の批判性の大事さを見ています。
独立宣言の核心は、政府の正当性は国王や神ではなく市民の合意に由来するという考え方です。深井さんによると、当時の植民地の人々にとって、これが一番新しくかっこいいという感覚で、王政はもう古いという雰囲気だったといいます。
今までの人類の歴史の中で、中央集権国家を前提としない国家がここで誕生したっていうことなんですよ。
フランス革命は1789年で、アメリカ独立宣言はその少し前に出ています。深井さんは、ヨーロッパへの影響力はフランス革命のほうが大きかったものの、人権を掲げて国家を作ると最初に宣言し、よりドラスティックだったのはアメリカだと整理します。
深井さんは、王も皇帝もいない統治が当時どれほど奇抜だったかを、現代にたとえます。今の資本主義社会で、どこかの勢力がいきなりポスト資本主義的な経営を始めるような感覚で、ヨーロッパからは「そんな理想的なことができるわけがない」と見えたはずだといいます。
楊さんは、100人の会社で社長も平社員もなく全員フラット、というような話だとたとえ、深井さんも同じことを思いついたと応じています。
勝ったのに「一つの国」の感覚がない? 州とフラクタルな独立精神
独立宣言の前から、レキシントンやコンコードで戦闘は始まっていました。深井さんは最近アメリカでこれらの地を訪れ、緑豊かなただの田舎だったと話します。東海岸の人々は独立戦争を誇りに思っていて、西海岸ではその空気をまったく感じなかったそうです。
深井さんはフィラデルフィアのリバティ・ベル ── フィラデルフィアにある大きな鐘。独立の象徴とされ、大きなひびが入っていることでも知られていますにも触れます。鋳造技術が足りずうまく作れなかった鐘だとして、当時の植民地社会は成熟していても、ヨーロッパに比べれば技術者も少なく遅れていたと実感したそうです。その状態で、理念だけを先に大きく掲げたのがアメリカでした。
1781年のヨークタウンの戦いでイギリスを大敗させ、独立はほぼ決まります。その後、独立戦争の講和条約であるパリ条約で、アメリカの独立は国際的に承認されました。
ここで深井さんが強調するのは、この時点のアメリカ人に「一つの国」という感覚がまだないことです。州でまとまっているという意識が非常に強く、緩やかな国家連合として、ちょっと強めのEUのような状態だったといいます。
州の独立が大事にされた理由も、イギリスへの反発と同じ論理です。深井さんによると、植民地の人々は連邦政府もイギリスのように見ていて、あまり自分たちに干渉するなと思っていました。
個人、組織、エリア、州、全部フラクタルで独立精神が強いってこと。
楊さんは、中央集権そのものへの警戒感が初期設定に入っていると整理し、中国人や日本人には、中央集権によって社会の秩序が保たれるという深層意識があると対比します。
深井さんも、中央に強い権力があることを怖がる感覚は、日本人とアメリカ人の決定的な違いだと話します。民主主義とは、政府で決まることは神のような存在ではなく自分たちが決めるもので、自分が当事者であり主体者だという感覚、ひいては信仰なのだといいます。
中央に強い権力があるのはとても怖い。個人から州まで独立精神が強い
中央集権があるからこそ社会の安定と秩序が保たれるという深層意識がある
三権分立と連邦をめぐる綱引き。ぶつかって妥協する国
1787年、フィラデルフィアで憲法制定会議が開かれます。深井さんはこの建物も訪れていて、小学校くらいのこぢんまりした建物だったそうです。1789年には合衆国憲法が発効し、奇しくもフランス革命と同じ年になりました。
合衆国憲法で特に重要なのが、モンテスキュー ── 18世紀フランスの思想家。『法の精神』で、権力を立法・行政・司法に分けて互いに抑制させる考え方を示しましたに由来する三権分立です。立法・行政・司法を三つ巴にして、どれか一つが強くならないようにする仕組みで、中央集権を警戒する感覚と密接に結びついています。
深井さんによると、革命後のフランスにも三権分立はありましたが実効性に問題があり、アメリカのほうが実効性で優位だったとされるため、三権分立の先進国はアメリカと見なせるそうです。
憲法の制定をめぐっては、中央集権を志向する連邦主義者と、州の権限を重視する反連邦主義者が激しく論争しました。深井さんは、ハミルトンやマディソンを連邦主義者、トマス・ジェファソンを反連邦主義者の例として挙げ、この二つの力学の綱引きはその後もずっと続くと話します。
中央集権を志向し、連邦に権限を持たせたい(ハミルトン、マディソンなど)
連邦に強い権力を渡してはいけないと考え、州の独立権限を重視(ジェファソンなど)
深井さんが伝えたいのは、合衆国憲法はどちらかの主張が通った結果ではなく、ぶつかり合ったうえでお互いが妥協した産物だという点です。
楊さんも、意見をぶつけ合って妥協点を見つけることは、アメリカの文脈では必ずしもネガティブではなく、対話による決着としてポジティブに評価されやすいと補足します。樋口さんは、駄目もとで主張し、裁判するなら裁判して、決まったら従うというイメージがあると話します。
楊さんによると、13植民地は宗教も出身地域も文化も産業構造もかなり違っていました。それを一つの政治体にまとめるには、どこかで妥協が絶対に必要でした。
深井さんは、利害調整がとても大変だという感覚をアメリカの基礎の一つに挙げます。日本では和が大事で、ぶつかること自体が美しくないとされがちですが、アメリカでは対立し、利害を調整し、妥協して決まったことには従う、という感覚が根づいているといいます。
批准も綱渡り。上院・下院の妥協と「プレジデント」の意味
深井さんによると、憲法の批准は最後まで予断を許さない状況でした。当時の人々にとって合衆国憲法は、憲法というより国際条約のような感覚で、自分たちの州憲法とぶつかると感じる人も多かったそうです。
それでも合衆国が誕生したことは、深井さんのたとえでは、EUが一つの国になったと国際的に宣言したような大きな変化でした。
議会の仕組みにも妥協が表れています。人口の多い州と少ない州の立場を考えて、上院は人口に関係なく各州同数とし、下院は人口に応じて議席を配分しました。深井さんは、この上院の仕組みが後にさまざまな問題を引き起こすと予告しています。
人口に関係なく各州に同じ数の議席
州の人口に応じて議席を配分
議会で決まっても、州の住民が納得するかはまだわかりませんでした。そこでアレクサンダー・ハミルトン、ジェームズ・マディソン、ジョン・ジェイらが新聞に論文を載せて世論の説得に努めます。これが『ザ・フェデラリスト』です。
深井さんによると、「フェデラリスト」は連邦派という意味です。独立志向の強い人々に向けて、国際社会で戦うには連邦も必要だと訴える意図が込められていました。楊さんも、イギリスやフランスなどの列強と外交で渡り合うには、連邦として固まることに価値があったと補足します。
深井さんはもう一つ、「プレジデント」という言葉の語源にも触れます。司会をするという意味のフランス語が語源で、ファシリテーターのような意味合いであり、キングとはまったく違う言葉だそうです。ただし、弱すぎて機能しなかったため、すったもんだの末に大統領の権限はある程度強められたと話します。
黒人奴隷を「5分の3人」と数えた妥協とは
妥協の産物である合衆国憲法は、後に奴隷制をめぐって問題になる条項も含んでいました。その代表が、黒人奴隷を人口としてどう数えるかを決めた「5分の3条項」です。
楊さんの説明によると、下院は州の人口に比例して議席が配分されるため、人口が多いほど連邦議会で力を持てます。奴隷を多く使うアメリカ南部の州は、奴隷の人口も数えてほしいと主張しました。
この論争の妥協として、黒人奴隷は1人あたり5分の3人として人口に数えることになりました。楊さんは、黒人には市民権がまったく与えられておらず、あくまで白人が連邦議会の議席を確保するために、人口としての価値だけを取り出したやり方だと説明しています。
なんかすごいよな。
1789年にはジョージ・ワシントンが初代大統領に就任し、アメリカ合衆国ができあがります。深井さんは改めて、アメリカは思想が作った国であり、ロックに由来する「王なき、皇帝なき統治」をどう実現するかという初めての実験であり、自由と平等を強い前提とする人工国家だとまとめます。
楊さんも、建国の父たちは連邦政府を作って国家としてのスケールメリットを生かしつつ、三権分立や州への大きな権限、大統領権限の制限によって、その権力を厳しく制限する形で決着したと整理します。
次回は、アメリカの建国に大きく影響した宗教に焦点を当て、宗教の観点から建国の歴史を見直すと予告されています。樋口さんは、日本人が感覚的に理解しづらい、宗教を踏まえた政治を知っておくべきだと期待を語りました。
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まとめ
リンカン編の第1回は、リンカンが登場する前提として、独立から合衆国憲法までを振り返る回でした。命がけで海を渡った人々の強い自立心、ロックに由来する抵抗権、そしてぶつかって妥協する政治の作法が、アメリカの初期設定として示されています。
- 13植民地の反発は、税負担そのものより、自分たちの自由と自治を奪われる懸念が大きかったという説がある
- 独立の理論を支えたロックやペインらの思想はイギリス生まれで、王がいない新しいアメリカだからこそ実装できた
- アメリカでは個人から州まで独立精神が強く、中央集権への警戒感が初期設定に組み込まれている
- 合衆国憲法は連邦主義者と反連邦主義者がぶつかり合った末の妥協の産物で、上院・下院の仕組みもその一例
- 奴隷を5分の3人と数える妥協は、自由と平等を掲げる国の矛盾として、後の南北戦争へつながっていく






