テスラが生きた時代の「電気」とはどんな存在だったのか
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楊さんはまず、テスラが電気の世界に足を踏み入れる前提として、当時の電気は発展途上の新しいエネルギーであり、新しい学問分野であり、新しいビジネスチャンスでもあったと整理します。
時代背景としては、ヨーロッパと北アメリカが第二次産業革命を迎えていた時期にあたります。第二次産業革命 ── 19世紀後半から第一次世界大戦前にかけて進んだ工業化。鉄鋼・化学・電気・内燃機関などの新産業が生まれた時期を指す。
楊さんによれば、第一次産業革命の原動力は蒸気機関で、これはイギリスで綿工業などから始まったものです。テスラが生まれる100年以上前の出来事だと説明されます。
これに対して第二次産業革命は、テスラが生まれた頃から第一次世界大戦前までの40数年ほどの期間とされています。この間に科学と技術が発展しながら、新しい産業が次々と起こっていきました。
新しい産業の例として、鉄鋼、化学、ガソリンエンジンやディーゼルエンジンといった内燃機関が挙げられます。さらに大きな特徴として、輸送とコミュニケーション技術、つまり電信や電話が登場したと楊さんは話します。
電気の最初の大規模な応用がこの電信と電話だったわけですよね。
交通技術の進化によって、大陸規模の鉄道網が完成し、蒸気船航路が広がり、大西洋横断ケーブルが敷かれるなど、世界のネットワーク化が進んだのもこの時期だと説明されます。
現代の生活に直結する発明が続々と生まれた時代
楊さんは、第二次産業革命の大きな特徴として、現代社会の成立に直接関係する技術がどんどん出てきたことを挙げます。今の生活に定着している技術の多くが、この時期に開発されたものだといいます。
具体的には、電灯や電話、録音機、自動車、飛行機、電車、合成染料、窒素肥料、カラー写真、プラスチック、映画、ラジオ、冷凍船、加工食品、台所用のレンジ、アスピリンなどが挙げられました。
さらにこの時期には、技術そのものだけでなく、大企業の階層組織をマネジメントする技術も生まれてきたと楊さんは補足します。
もう一つの特徴として、科学が発明や技術の改良、産業の発展にとって不可欠な存在になっていった点が示されます。
それまでは、インパクトのある発明であっても、体系化された学問的技術が大きく関与していたとは限らず、現場の職人が経験と勘で技術をアップデートしていた面がありました。
しかし第二次産業革命が進むにつれ、専門知識が必要になっていきます。微分積分や複素数を使わないと電気の挙動を計算して製品設計に落とし込めない、という状況が生まれてきたと説明されます。
万博と工学教育が整った時代に生まれたテスラの幸運
楊さんは、この時代のもう一つの特徴として万国博覧会を挙げます。ヨーロッパや北米の主要都市で万博が度々開催され、各地の技術が公開されました。
万博は、科学と技術が経済成長に密接に関係していることを人々に強く印象付ける場になったといいます。この万博は後々テスラにも関わってくると楊さんは予告します。
具体例として、パリ万博で建築技術の高さをアピールするために建てられたのがエッフェル塔だと紹介されます。同じパリ万博では、エジソンの白熱電球が夜間照明として使われたそうです。
さらに大事なポイントとして、工学教育が組織的に整備されたことが挙げられます。欧米各国で技術者養成のために工業専門学校が作られていきました。
楊さんは、テスラが学校で自分の才能を生かせたのは、こうした社会環境があったからだと指摘します。もし中世に生まれていたら、もっと生きづらかっただろうと話します。
発表する万博という場もないし、工学教育とかがちゃんと整備されてない。
自分の才能とか、自分の興味関心をちょうど満たしてくれる社会環境が整備され始めた時代にテスラが生まれたわけですから、すごく運が良かったですよね。
電気自動車も生まれていた 電気産業とビジネスチャンスの勃興
楊さんは、第二次産業革命の軸の一つが電気に関する研究と電気産業の勃興だったと話します。電車、電話、電気アイロン、掃除機など、電気機械の発明と実用化の例はきりがないといいます。
意外な例として、電気自動車も挙げられます。楊さんによれば、電気自動車はガソリン車よりも先駆けてイギリスで実用化されたそうです。
あ、マジっすか。
トーマス・エジソンも電気自動車の改良やバッテリー開発を行っていたと説明されます。ただし航続距離が短いという課題があり、最終的にはヘンリー・フォードのフォード・モデルが開発され、ガソリン自動車に駆逐されていったといいます。
電気の普及は大きなビジネスチャンスにもなりました。今も有名な企業の多くが、この第二次産業革命で成長したと楊さんは紹介します。
例として、1847年創業のドイツの会社ジーメンス・ウント・ハルスケが挙げられます。現在のシーメンスで、世界で初めて電車を走らせた会社だと説明されます。
アメリカのゼネラルエレクトリック(GE)は、エジソンの会社とトムソン・ヒューストン・カンパニーが合併してできた会社だといいます。
ウェスティングハウスは、現在は原子力発電で有名で、一時期は東芝に買収された会社です。もともとは鉄道のエアブレーキの製造会社で、圧縮空気で鉄道をブレーキするシステムを作ったと紹介されます。
AT&Tは世界最大の情報通信事業者で、もともとはグラハム・ベルのベル電話会社だったと説明されます。ベルは、ヘレン・ケラーにサリバン先生を紹介した人物としても触れられました。
まだその蒸気機関がメインですよ。メインだったけれども、次世代のエネルギーとして、ビジネスチャンスとして電気が勃興しつつあるっていうのがテスラの生まれた時代です。
楊さんは、今で言えば水素や自動運転のような立ち位置かもしれないと例えます。まだメジャーではないけれど、少しずつ社会に実装され、波が来る予感がする分野だったといいます。
テスラに電気を教えたのは人間ではなく黒猫だった
楊さんは、テスラと電気の最初の出会いを語ります。テスラに電気という存在を教えたのは、人間ではなく猫だったといいます。
猫。
テスラが3歳の頃、家では一匹の黒猫を飼っていました。名前はマチャクで、テスラはとても可愛がっていたそうです。どこに行っても後をついてきて、毎日一緒に草の上で転げまわって遊んでいたと語られます。
「私の喜びの源は世界一素晴らしい猫であるマチャクにありました」という風に(テスラは)言ってるぐらい可愛がってたらしくて。
ある冬の夕暮れ、空気が乾いて寒かった日に、テスラがマチャクの背中を撫でると、大きな音を立てて静電気の火花が飛び散りました。感覚過敏だったテスラは、私たちが感じるより増幅されたインパクトを体で感じたはずだと楊さんは推測します。
驚いたテスラが父親に尋ねると、これはただの電気で、嵐の時に木に落ちる雷と同じだと教えられます。母親は、火事になるかもしれないから猫と遊ぶのはやめなさいと言ったそうです。
このやりとりの後、3歳のテスラは考えます。マチャクの背中の電気が自然の雷と同じなら、自然というのは巨大な猫なのではないか、それなら誰がその背中を撫でて電気を出しているのか、と。
テスラは、自然という猫の背中を撫でられるのは神様しかいない、というところまで考えたといいます。
いや、純粋ですよね。なんかぶっ飛んでるっていうか純粋やなと思いますよね、発想が。
80歳まで追い続けた「電気とは何か」という問い
楊さんは、この黒猫マチャクとの体験がテスラの人生を貫くものになったと話します。テスラは80歳頃になって、このエピソードを振り返っています。
テスラは、この素晴らしい光景が子供心に与えた影響の大きさは言い表せないと語ったそうです。静電気が走った光景が強く自分に影響を与え、死ぬまで電気とは何かを追い求めてきた、と振り返っています。
でも結局自分はまだ答えを得られていないというふうに80歳ぐらいになった時に(テスラは)言ってるんですよね。
深井さんは、文字通り体中に電流が走ったのだと表現します。楊さんも、本ではなく猫だったという点がいいエピソードだと語ります。
文字通り体中に電流が走ったんですね、これ。
物理の先生との出会いと、猛反対する両親
電気工学を目指す直接のきっかけになったのは、学校の先生だったと楊さんは話します。テスラが15歳の頃、電気の実験がとても上手で生徒に人気の物理の先生の影響で、電気をやろうと決めたそうです。
この時点でテスラは、人生の全てを電気の実験に捧げる決意をしたといいます。楊さんは、この突っ込み度合いがテスラの特性だと指摘します。
しかし、大きなハードルがありました。両親が電気の道を猛反対したのです。
え、なんでやろう。
理由は、両親が長男を亡くしていたことにあります。次男であるテスラの健康に強く気を使っており、技術者になれば厳しい勉強で体を壊すのではと心配したのだと説明されます。
両親は、テスラに父と同じ聖職の道に進んでほしいと考えていました。それなら電気の勉強よりも負担が軽いだろう、という親心があったといいます。
もう一つのハードルは兵役でした。3年間の兵役義務があり、拒否すれば逮捕もあり得たといいます。今すぐ電気をやりたいテスラにとって、人生の3年を兵役に取られるのは絶対に嫌なことでした。
死の淵で漏らした「電気の勉強をさせてくれれば治る」という言葉
楊さんは、テスラが里帰りの際にコレラに感染し、生きるか死ぬかの状態になった出来事を語ります。兵役の問題も吹き飛び、9ヶ月間ベッドに伏せたまま、意識も失いかけるほどでした。
父親は取り乱し、息子の枕元で懸命に励まします。ニコラ、しっかりするんだ、と呼びかけたそうです。
その呼びかけに応えるように、テスラの口がかろうじて開き、ほとんど聞き取れない声が漏れました。
もし僕に電気の勉強をさせてくれれば治るよって(テスラが)言ったらしい。
そんなことある?
これを言い終わるとテスラは意識を失ってしまいます。父親は我を忘れて、お前は技術者になるんだ、世界で一番いい技術学校に入って偉大な技術者になるんだ、戻ってこなければいかん、と必死に耳元で叫んだと語られます。
この呼びかけの後、テスラは回復します。深井さんは、最初は信じがたい話だと思ったものの、いい話だと感じたと語ります。
この言ったら死の淵ですよね。死の淵で言った言葉がやっぱりその本当に自分の命をかけてもいいものだった。
希望は人間の生きる力になるものなので。このお父さんの言葉によって、彼の中で希望が沸き起こって(回復のきっかけになった)。
楊さんは、父親の言葉が深層意識に届き、回復のきっかけになったのではないかと推測します。深井さんは、生きてくれるだけでいいという親心もあったかもしれないと想像を添えます。
兵役逃れと、一年間の逃亡中に膨らんだ空想
この出来事を経て、テスラは晴れて両親から電気の道を認められます。兵役も、父親の協力によって逃れることができたと楊さんは話します。
テスラの家は軍人の家系で、父が軍の高官の親戚を説得したといいます。健康回復と称して狩猟の旅に行ったことにし、テスラは1年間行方をくらませました。家族の協力があってのことだと説明されます。
この1年間、テスラは脳内でさまざまな発想を膨らませます。ヨーロッパとアメリカをつなぐ海底チューブで郵便を送るシステムや、地球の赤道の周りに土星のリングのような建造物を建てて高速輸送するシステムなどを空想していたそうです。
最初のやつってもうあれですね、光ケーブルによるインターネット通信に近いかったりしますよね。
楊さんは、テスラのアイデアは当時ほとんど誰にも理解されず、もうろくしたのかと言われるほどだったが、後に実現しているものが多いと話します。
テスラは夢を見てるけれども、実は正しい夢を見てるっていう風にも言われたりもするんですよね。
深井さんは、人が想像したものは実現できるという因果の逆の見方もあると補足しつつ、それでもすごいと感想を述べます。当時はSF的な情報も少ない中で、一人でこうした発想を描けたことに楊さんも驚きを示します。
グラーツ工科大学での猛勉強と、奨学金打ち切りの誤算
テスラは19歳で、オーストリアのグラーツにある工科大学に進学します。先進的な高等教育機関で優秀な教授陣が揃っており、テスラは奨学金を得られたと楊さんは説明します。
奨学金は、対オスマン帝国の辺境防衛のエリアで生まれた学生のためのもので、テスラはこれを受け取れました。願ってもない環境だったといいます。
ここでテスラは猛勉強を始めます。睡眠は1日4時間ほどで、それ以外のほとんどを勉強に充てる生活でした。夜11時に本を読みながらうとうとし、朝3時頃に起き出してまた机に向かったと語られます。
休日も遊びも恋愛沙汰も見向きせず勉強に打ち込んだため、両親からはやはり心配されました。ただ本人にとっては、とても幸福な時間だったといいます。
ところが2年生の時、奨学金がなくなるトラブルが起こります。オスマン帝国の衰退につれて辺境防衛の必要性が薄れ、テスラが受けていた奨学金が廃止されてしまったのです。
父の収入だけでは学業を支えるのは不可能でした。そこでテスラは、カードゲーム、つまり賭博で学費の不足を補おうとします。
でもね、稼ぐどころか学費を使い果たしちゃった。
結果として、テスラは大学から素行不良として退学させられ、警察からも処分を受けます。これを知った父は激怒したと語られます。
学業中断、そしてエジソン社の電話事業という新たな波
退学後、テスラは別のプラハ大学に移り、単位が取れない聴講生になりますが、ここで一旦学業が中断します。そして最終的には就職へ向かうことになったと楊さんは話します。
テスラがプラハで学んでいた頃、アメリカでは電話という大きなムーブメントが起きていました。電話が発明され、電話事業が始まるというニュースがヨーロッパ大陸に伝わってきたのです。
楊さんは、当時のアメリカの電話事業の競争状況を整理します。電話はアレクサンダー・グラハム・ベルによって発明された、というのが一般的な説だと前置きします。
事業化をめぐっては、ベル本人、ベルの電話機を実用的な製品に改良したエジソン、そしてアメリカの電信会社ウエスタン・ユニオン社の三つ巴の競争になっていたと説明されます。
電話はグラハム・ベルが発明したとされ、エジソンがその電話機を実用的な製品に改良した
エジソン社は主要4都市に電話局を設立する計画を立て、その一つがハンガリー王国の首都ブダペストだった
エジソンはヨーロッパ大陸に勢力を伸ばそうとし、主要な4都市に電話局を設立することにしました。その一つが、当時のハンガリー王国の首都ブダペストだったといいます。
楊さんは、当時の電話局は最先端のハイテク施設だったと説明します。今でいえば、インターネットが出てきた直後にインターネット会社を立ち上げるようなものだと例えます。
最先端の技術とそれに基づいた事業がヨーロッパで展開されると。これをね、テスラは知ったんですよね。これはね、行きてえ、行きてえと。
最先端の電気の実用化であり、しかも発明王エジソンの会社です。テスラはこのビッグウェーブに乗るしかないと考え、ブダペストへ向かいました。
現地に着いたら電話局はまだ計画段階 テスラのおっちょこちょい
楊さんは、テスラのおっちょこちょいな一面を語ります。意気込んでブダペストに着いてみると、肝心の電話局はまだ計画段階だったというのです。
できてないのに行ったんや。
当然、テスラのためのポストも用意されていませんでした。気持ちが先走りすぎて、行けば就職できると思い込んでしまったのだろうと楊さんは推測します。天才あるあるだと笑い合います。
深井さんは、学費をギャンブルで稼ごうとした件も、現代の感覚に引き寄せて解釈します。時間を取られるバイトではなく、自分で稼いで勉強を続けたかったのではないか、と見立てます。
だから本当に稼ぎたかったんだろうなと思ったんですよね。
楊さんは、勉強を続けたい一心で、手段としてギャンブルを選んだのだろうと応じます。ただ、数学が得意なのにギャンブルのセンスはなかった点が面白いと二人は語り合います。
現地に着いても電話局がまだできていない状態から、テスラの人生がどう切り開かれていくのかが、次回に続く形で締めくくられました。
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まとめ
この回は、電気が新しいエネルギー・学問・ビジネスとして立ち上がる第二次産業革命の時代背景と、黒猫マチャクとの出会いをきっかけに電気工学の道を志したテスラの前半生をたどりました。死の淵での父との言葉や、猛勉強と挫折を経て、彼はエジソン社の電話事業を追ってブダペストへ向かいます。
- テスラが生きた時代、電気は発展途上の新エネルギーであり、新しい学問分野でありビジネスチャンスでもあった
- 万博や工学教育が整備された第二次産業革命の環境が、テスラの才能を生かす土台になった
- 3歳の時に黒猫マチャクを撫でて感じた静電気が、生涯「電気とは何か」を追い続ける原点になった
- コレラで死の淵にあった時、電気の勉強を許してほしいと漏らし、父の呼びかけに応えて回復し、進路を認められた
- グラーツ工科大学で猛勉強するも奨学金打ち切りとギャンブルで退学し、エジソン社の電話事業を追ってブダペストへ向かった





