頭の中でモーターが回っている男の転職
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ニコラ・テスラ編も6回目です。前回は二相交流モーター、つまり誘導モーターの理論という重い内容でした。語り手の楊さんは、天才の頭の中を凡人が音声だけで話すのは暴挙だと振り返ります。
やっぱ天才の頭の中を、凡人である僕が音声だけで話すっていうのは、やっぱね、暴挙ですよ。
いいじゃないですか。暴挙する人生で行きましょうよ。一生暴挙する人生ですよ。
この時点でのテスラは、頭の中でモーターがすでに回っている状態でした。彼のリアリティを伴う特殊能力によって、脳内でモーターが回転しているのだといいます。彼の初期設定は「早くこのモーターを実際に組み立てたい」という一点でした。
テスラはこの時、まだ電話局に勤めていました。この電話局はエジソンの事業の一環です。そこから彼はパリにあるコンチネンタルエジソン社へ転職します。
この会社は、テスラが心を寄せるモーターを扱っていた点で、エジソン社の本丸に一歩近づいた転職でした。工場の支配人チャールズ・バチェラーは、エジソンと苦労を共にした盟友でした。
転職できたのは、テスラ家の友人でもあったプシュカーシュという人物のコネによるものです。電話局の事業から離れることになった彼が、テスラを気にかけてパリのエジソン社に推薦しました。
なぜテスラはエジソンに憧れたのか
テスラがこの転職を「やった」と喜んだのは、モーターに携われるからだけではありません。そもそも彼はエジソンをマジでリスペクトしていました。
当時のエジソンは人生の絶頂期にありました。電気という新しいエネルギーを使い、人類史に残る発明を次々と生み出していた時期です。
蓄音機、白熱電球のほか、カーボンを使って電気信号を音声に変換する炭素送話機も生み出していました。この送話機は、エジソンの時代から100年ほど使われ続けたといいます。
さらにロンドン、パリ、ニューヨークなどに直流方式の火力発電所を建てていました。テスラにとってエジソンは、本気で憧れる存在でした。
その憧れの人の会社の本丸で働けるのですから、断る理由はありません。加えて、エジソンの下でなら自分の思い描く交流モーターを作れるかもしれないという期待もありました。
この時はもうすでに頭の中でモーターがね、ガンガン回ってるから、もう早くこのアイデアを形にしたい、したくてしょうがないんですよ。
出張先でこっそり作った交流モーターが回った
パリのエジソン社での最初の仕事は電気設備の修理でした。もちろん、そこで使われていたのはエジソンが推す直流です。テスラは心の中では「交流だろ」と思いつつも、直流発電機の改良プランを提案するなど、与えられた仕事を誠実にこなしました。
ある時、電気設備のトラブル対応でプロイセンに出張した際、時間ができました。テスラはそこで「よし、モーター作ろう」と考えます。
出張先で作業場を借り、思い描いていた二相交流モーターの試作機を作り始めました。本には、持ち前の完璧主義で部品すべてを最高精度に仕上げ、設計図を参照せず頭の中の図面に従って進めた、と書かれています。
ただ実際に組み立てる段では労力がかかったようです。脳内の設計図と若干のずれがあったのか、数か月から1年ほど神経をすり減らす作業が続いたとされます。
試作機が完成し、いよいよモーターの立ち上げです。スイッチを入れれば、回転磁界を使った理論の正しさが証明されます。
で、入れたんです。回ったんですよ。しかも音もなく一気に最高回転数まで上がったっていう。
テスラは二組の直角に交差したコイルの電源をつなぎ変え、モーターを逆転させることにも成功しました。これで彼の理論の正しさは完全に証明されました。
この場面について、深井さんは歴史的瞬間だと評します。交流が使えれば、遠くまで送電でき、発電所を都会以外にも置けるようになるなど、派生的な変化が次々に起こっていくからです。
これはだから歴史的瞬間だ。これによってもう大きく世界が変わるって話ですよね。
ただし、この時点で理論の正しさを目撃したのはテスラ一人だけでした。世界が彼のやったことの価値を知るのは、これからのことです。
試作機は認められず、無一文でアメリカへ
試作機の完成後、テスラは経済界のお偉方にプレゼンする機会も得ましたが、誰も認めてくれませんでした。理由は本にも詳しく書かれていません。
楊さんは、完成度が低かった可能性のほか、社会システムがすでに直流で進んでいた点や、無名のエンジニアであるテスラが社会的信用を得づらかった点を推測として挙げます。いずれも確定はできないといいます。
テスラはこの後、会社を辞めてアメリカに向かいます。その辞める瞬間にも事情がありました。プロイセン出張の仕事が終われば莫大な報酬を支払うという約束だったのに、パリのエジソン社の幹部たちはのらりくらりと言い逃れるばかりで、誠意を見せなかったのです。
これ普通にダメっすよね。
テスラはしびれを切らして辞表を叩きつけます。会社としての誠意がない、というのが彼の視点でした。
一方、パリのエジソン社の役員の中に、テスラを認めていた人物がいました。エジソンの腹心バチェラーです。彼はテスラの才能を高く買い、アメリカに渡ってエジソンのもとで働くよう提案し、エジソン宛ての紹介状まで書きました。
テスラは大いに喜び、アメリカに行く気満々になります。蔵書や手持ちの品をすべて売り払い、なけなしの金で鉄道の切符とニューヨークまでの船の切符を買いました。
ところが汽車に乗ろうとすると、財布も切符も見当たりません。深井さんはこの失態を、番組内でも身近な人物になぞらえて笑います。
いっつも飛行機の(中に)iPad忘れてるでしょ、あの人。
テスラはとにかく汽車に飛び乗り、船も交渉してなんとか乗せてもらいました。こうして1884年6月、ニューヨークに上陸します。
この時の所持品は、小銭4セント、自作の詩の本、技術論文2本、飛行機械を設計するための計算メモ、積分の解き方を書いた紙切れ、バチェラーからエジソンへの紹介状、そしてニューヨークにいる友人の住所のメモだけでした。ほぼ無一文です。
発明王エジソンとの初対面、そして地雷
テスラはほぼ無一文ながら、エジソンに会えるという希望に満ちていました。一緒に働き、憧れの人の下で交流モーターを作れるかもしれないと期待していたのです。
なんとかエジソン社にたどり着いたテスラでしたが、エジソンは漏電や設備トラブルの処理でてんやわんやでした。忙しいエジソンは、紹介状を受け取りながらも、君には一体何ができるのかね、とそっけなく尋ねます。
ここからテスラは、悪気なくエジソンの地雷を踏んでいきます。これからは交流だ、交流こそ唯一の実用的な電気だと語り、あなたのような賢明な発明家なら巨万の富を引き出せると力説したのです。
エジソンにとって交流は危険で信頼性の薄い技術であり、しかも自分は会社として直流システムを推し進める立場でした。楊さんは、エジソンはむしろ交流のポテンシャルを理解していたからこそ、直流への投資が引けなくなり交流を認められなかったのではないかと推測します。
深井さんは、この心理をサンクコスト的な感覚だと表現します。危うく逆鱗に触れかけたテスラでしたが、一応スタッフの一員には加えられました。
エジソンや比較的上の世代の科学者・電気工学者が中心。すでに世界中で発電システムを実装し、勢力を拡大していた
テスラをはじめ、どちらかといえば若い世代の研究者が中心。長距離送電での優位性は理論上わかっていたが、実装には課題が残っていた
楊さんは、当時の電気工学者にとって直流か交流かは生死を分ける重大事だったと説明します。規格争いを超え、信じる神様の違いのように激しい対立で、罵り合いや訴訟沙汰にまで発展していったといいます。
五万ドルは「アメリカのユーモア」だった
テスラはエジソンの下で猛烈に働き、技術のわかる有能な人物として評価されました。楊さんは、その働きぶりの背景に、憧れのエジソンに交流を認めてもらいたいというテスラのいじらしい気持ちもあったのではないかと想像します。
テスラは機会を見て交流を提案し続けましたが、エジソンは頑として受け入れませんでした。交流には未来がなく、手を出せば時間の浪費で、しかも危険だという主張を曲げなかったのです。
決裂の直接の理由は、交流と直流とは別の形で記録に残っています。エジソンが開発した直流発電機の改良を、テスラが担うことになったのです。
もしこれができたら、君のために5万ドルを用意しましょうと。
励まされたテスラは不眠不休で作業に没頭し、この再設計はほぼ1年かかりました。完成を報告して5万ドルを求めたテスラに、エジソンは机に乗せていたかかとを振り下ろし、上体を起こしてこう言い放ちます。
(エジソンは)君にはアメリカのユーモアがわかっちゃいないねっていう風に言うんですよ。え?何本気にしてんの?ってことです。
楊さんは、これが交流にこだわるテスラへの嫌がらせだったのか、才能をタダで搾取しようとしたのかは正直わからないとしつつ、テスラが「またしてやられた」と感じて辞意を伝えたと語ります。
エジソンは週18ドルの給料に10ドルを上乗せする妥協案を出しましたが、テスラは帽子をかぶってその場を立ち去りました。
ただし、この一件にはエジソン側の異なる記録もあります。テスラが交流の特許を5万ドルでエジソンに売りたいと申し出て、エジソンが冗談交じりに断ったというものです。どちらが本当かは両方の記述が残っており、確定できません。
別れ際、エジソンはテスラを「科学の詩人」と評したといいます。アイデアは素晴らしいが全く使い物にならない、という意味です。そして世の中はそんなに甘いものではないよと警告しました。
無一文からの再起と、電流戦争の開幕
独立したテスラでしたが、エジソンの下にいた1年足らずは無駄ではありませんでした。電気業界に少しは名が売れており、辞めると同時に投資家からオファーが届きます。
こうしてテスラ電灯製造会社が創業します。放電を使うアーク灯を作って売る会社で、テスラ個人は交流モーターを作りたかったものの、会社が軌道に乗るまではアーク灯に専念するのが投資家からの条件でした。
テスラはアーク灯を改良し、数件の特許を取得します。事業はビジネス的に成功しましたが、不況のあおりを受けて会社は潰れてしまいます。
収入を失ったテスラは、おそらく工事現場で日雇い労働者として働き、日銭を稼ぎました。さすがのテスラもヨーロッパに帰ろうかと考えるほどでした。
しかも自分がやりたい仕事やれてない。なんのために来たんやってなりますよね。
転機は日雇いの現場で訪れます。テスラの交流システムの話を聞いた工事現場監督が「こいつ面白い」とスポンサーを紹介したのです。
そのスポンサーが、ウェスタン・ユニオン電信会社のアルフレッド・K・ブラウンでした。テスラの計画に乗って出資し、まさに捨てる神あれば拾う神ありという展開になります。
そして1887年、テスラ電気会社が立ち上がります。渡米から3年目のことでした。面白いことに、この会社はエジソンの工場のすぐ近くに構えられました。
この頃、直流陣営はすでに圧倒的優位にありました。テスラが研究所を作った年、エジソン系の発電所は57か所になり、全米で数十万個の電球が灯されていたのです。
もう一人の発明王ウェスティングハウスと厳しい戦い
交流陣営の重要人物として、ジョージ・ウェスティングハウスが登場します。原子力発電で知られ、かつて東芝に買収されたウェスティングハウス社の創業者で、後にテスラ最大のパートナーになる人物です。
ウェスティングハウスは交流の可能性に強く注目し、変圧器の特許を買い取って送電事業の実装に取り組み始めていました。ただ、当時の交流の技術レベルはまだ足りず、欠陥を多く抱えていました。
長距離送電は変圧すれば可能でしたが、送れる電力は限定的でした。送電効率が良くなく、同じ量の電力を送るのに多くの電線が必要だった点がネックだったのです。
交流は長距離送電で優位性を発揮できると理論上はわかっていました。しかし、そのポテンシャルを引き出すには、まだいくつかの技術が必要でした。そのため、直流より交流が優れていることをはっきり示せなかったのです。
個人で見ても、テスラとエジソンの差は歴然でした。エジソンは世界中で直流システムを実装して名声を轟かせ、背後にはJPモルガンら投資家がついていました。
テスラってさ、無名で、しかも移民なんですよね。だからアメリカでの社会的信用はまだあんまないステータスなんですよ。
テスラの研究所は設立されたばかりで、交流モーターも試作機を作ったばかり、まだ改良が必要な段階でした。エジソンの事業がすでに回り始めているのとは対照的です。
深井さんは、新しい技術が出るたびに既存の技術とのコンフリクトが起こる点に、科学技術の歴史の面白さを見出します。テスラがこの厳しい戦いをどう突破するのかが見どころだといいます。
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まとめ
頭の中で回るモーターを形にしたテスラは、憧れのエジソンと決裂し、無一文からの再起を経て、直流対交流の電流戦争の入り口に立ちました。理論の正しさと、それが実装されて社会に広がることの間には、まだ大きな距離があります。
- テスラは出張先でこっそり作った二相交流モーターの試作機を回転させ、自分の理論の正しさを一人で証明した
- 直流に投資し切っていたエジソンは交流を認めず、5万ドルの報酬を「アメリカのユーモア」として反故にしたと語られる
- 報酬をめぐる決裂には、テスラ側とエジソン側で異なる記録が残っている
- テスラは会社の倒産や日雇い労働を経て、ウェスティングハウスら交流陣営とともに再起した
- 名声も資金も社会的信用もエジソンが圧倒し、交流には長距離送電の技術的課題が残る厳しい戦いだった





